べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「自凝島神社」(あわじ市)〜淡路ぐるっと旅

1/20。
淡路一宮を後にしまして、目指しましたは「自凝島神社」

 

○こちら===>>>

https://www.freedom.ne.jp/onokoro/

 

ひらがな表記でいいのかな……。

 

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いきなり拝殿です申し訳ない……いえ、参拝のかたが結構いらっしゃったもので。

 

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拝殿向かって右側。

 

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由緒。

「御祭神 伊弉諾尊 伊弉冊尊 菊理媛之命
古事記日本書紀によると諾冊二尊は、当おのころ島にて宮柱を立て、神様と日本の国々をお生みになったと書かれてあり、実に日本の八百萬の神様の親神様であります日本の国土と日本民族と二本の神様の三者の大祖先の神様であります
日本の発祥の地、おのころ島神社は日本の原点を省みて、将来の日本を考える、人々にとって忘れることのできない尊いお社であります(以下略)」

 

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こちら摂社の「八百萬神社」。
伊弉諾尊」「伊弉冊尊」の御子神、が祀られています。

 

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本殿を横から、だったか。

 

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「鶺鴒石」。
日本書紀』の一書で、二神の前に止まって、頭を尾を動かして、行為を教えた、とされる鶺鴒。
神社公式HPでは、その鶺鴒がとまった石、ということだそうです。

 

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「磤馭慮島神社」。
日本書紀』の表記です。

 

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うーん、淡路島も一週間くらいいて、うろうろしたいところですねぇ……。

 

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大鳥居。
昭和57年にできたそうです。
神社はこの丘の頂上にあります。
そう、こうなっていたらもう、この丘は古墳であるべきなのですが……(思い込み)。

 

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打ち捨てられた鳥居、でしょうか。

写真がまったく足りませんが、参拝者のかたが写り込んでしまうので、あまり撮影しておりませんでした……。

 

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御朱印

さて。

公式HPの由緒によれば、

 

「当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきました。」

 

とのことで、なるほど確かに島に見えなくもない丘ですね。
ご存知の通り、「オノゴロ島」というのは、「イザナギ」「イザナミ」のふた柱の神が、「天の浮橋」に立って、どろどろの地表を「天之瓊矛」でごろごろかき混ぜたら、そのしずくが勝手に固まって(おのずからこりかたまって)できた島です。
そして、「オノゴロ島」に降りた二神は、そこから国産みをはじめていくわけです。
さて、この「オノゴロ島」はどこにあるのでしょう、というのに諸説あります。
検索して見つけた、

 

○こちら===>>>

www.nikkei.com


↑の『日本経済新聞』の記事が、わかりやすくまとまっているかな、と思いますのでご参考に。
古代、神代の、それも国産み以前の話ですから、その場所を定めることは困難です。
しかし、なぜだか神代において、淡路島が特別に扱われていたことから、その近くにあったのではないか、と考えるのは自然な話でもあるでしょう。
国産みでは、一応本州も生まれていますが、東海以東、太平洋側の情報がないので、富士山への言及がありません。
当たり前といえば当たり前ですが、北海道のこともなし。
ということから、古代の日本人の把握していた地理というのがなんとなくわかります。
日本海佐渡島、越の国から出雲へ、対馬壱岐、九州、四国、瀬戸内海、淡路島、山陽地方畿内紀伊半島は微妙か……神代の物語のために集められた情報では、このくらいだったように思えます。
そのあたりで収集されたそれぞれの神話が統合されて、一つの国産み神話になっていったのでしょうが……まあ、なんでしょうね……鳴門の大渦を見てしまうと、天之瓊矛でぐーるぐるして島ができたのではないか、と思っても不思議じゃないだろうなぁ……とちょっと。
なので、「オノゴロ島」神話は、淡路島周辺で語られてきたもの、ということにしておきましょう(?)。
神代の妄想は、情報が少ないのでなかなか難しいです……。

 

「伊弉諾神宮」(淡路市)〜淡路ぐるっと旅

……コロナコロナのせいで、気づいたら1ヶ月以上更新できず……いやコロナのせいだけでもないんですけども……いろいろしんどい……。

 

1/20。
最高のお誕生日会の翌日、後夜祭(?)まで時間があるので、レンタカーで淡路島をぐるっとしてみようの旅、しかし実際は半分くらいしか巡れませんでしたの旅スタート、まずは当然、「伊奘諾神宮」です。

 

○こちら===>>>

izanagi-jingu.jp

 

残念な雲模様の中、到着しました。

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いきなり狛犬さんです。
えっと、車祓いの入り口にいらっしゃったのかな……。

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正面。

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若々しい狛犬さん。

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参道。
ちょっと、「橿原神宮」を思い出しますね。

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由緒が書かれています……読みづらいですが。

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「伊奘諾神宮
御祭神 伊奘諾大神 伊弉冉大神
社格 延喜の制 名神大社 淡路国一ノ宮 官幣大社
御由緒 古事記に故其の伊邪那岐大神は淡路の箍になも坐すなり 日本書紀伊弉諾尊 是を以て幽宮(かくりのみや)を淡路の洲につくり静かに長く隠りましきとあり淡路の島は二柱の大神が一番初めに御開拓になった地であり 此の多賀は伊弉諾大神が国土経営の神業を了えられた後お鎮まり遊ばされた御終焉の地で大神の御陵がそのまま神社として祀られるようになった我が国最古の神社である(以下略)」

ああ、おのごろおのごろ……。

遠近法的な問題ではなく、巨大な石灯籠。

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石灯籠と橋。

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門。

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拝殿。
うむ、新しい。

 

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伊勢神宮」の遥拝所。

 

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「岩楠神社」。
御祭神は「蛭子神」。

 

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「夫婦大楠」。

なるほど確かに、ご神木……ぐるりと回りを巡れます……「連理の楠」で国産みっぽいことを、という感じなのでしょうかね……。

 

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「淡路祖霊社」。

 

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本殿をちらりと。
流造かな。

 

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茅葺かな……そろそろ修繕が必要な頃でしょうか……お金がかかりますからね。

 

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「左右神社」。
御祭神は「天照皇大御神」と「月読尊」。
こういったお祀りの仕方は珍しい……が何しろ「伊奘諾神宮」ですから、中心は「伊弉諾大神」なのです。

 

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住吉神社」と「鹿島神社」。

 

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「頭髪感謝之碑」。
つるっとしてるなあ……。

 

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本殿別角度。
流造。

 

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本殿を後ろから。
鰹木は六、千木は縦削ぎ。
さて……。

 

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本殿別角度。

 

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「竃神社」と「根神社」。
御祭神は「興津彦命・興津姫命」と「素盞嗚尊」。
随分と、珍しい名前の付け方ですな「根神社」……鼻じゃないんだ……。

 

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祓殿。

 

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本殿別角度。
正面からもっと近づきたいところです。

 

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青銅の灯篭は拝殿前。

 

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灯篭の基部の獅子。

 

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拝殿前の狛犬さん。

 

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再び、門を遠景で。

 

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拝殿も遠景で。

 

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拝殿向かって右手。

 

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拝殿向かって左手。
つまり、広い。

 

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門の支柱とか敷石の記念碑とかなのか。

 

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池といったら多分「厳島神社」。

 

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これは……なんだろう……。

 

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池の反対側から。

 

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案内板……あ、違った「厳島神社」じゃなくて「延壽宮」だそうで。

 

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「神様の結うとおり」という、まち歩きマップ。
ううむ、神社がいくつかあって歩きたいところですが……。

 

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「ひのわかみやと陽の道しるべ」碑。
大神社がなんらかの法則によってその位置を定めているのではないか、というのはよく言われている話です。
一方で、古代の人にとっては、太陽の動き、月の動き、星の動き、潮の満ち引き、風、といったものを観測するのは当然みたいなもので、そこに法則性を見出せば、夏至冬至春分秋分を発見することもできたでしょう。
それに沿ってラインを引く、というか、世界中でそういった自然現象を追いかけているのですから、ラインを引けば何かしら一致もするでしょうな、という話もあります。
うーん、どうなんでしょうね……面白いんですが、その意味がよくわからない……。
ま、やめときましょう。

 

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「日本遺産 国生みの島・淡路」。

 

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御朱印

 

さて。

 

○こちら===>>>

神社覈録. 下編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『神社覈録』からいってみましょうか(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
477コマです。

 

「淡路伊佐奈伎神社 名神大
(略)郡家郷多賀村に在す、二柱神社と稱す(略)○当国一宮也、(略) ○日本紀神代巻上に、伊弉諾尊神功既畢、霊運当遷、是以構幽宮於淡路之洲、寂然長隠者矣、亦曰、伊弉諾尊功既至矣、徳亦大矣、於是登天報命、仍留宅於日之少宮矣(略)、同紀、履中天皇五年九月乙酉朔壬寅、天皇狩于淡路島、是日河内飼部等従駕執轡、先是、飼部之黥皆未羌、時居島伊弉諾神託祝曰、不堪血臭矣、因以卜之、兆云、悪飼部等黥之気、故自是後頓絶以不黥飼部而止之、允恭天皇十四年九月癸丑朔甲子、天皇獦于淡路島、時麝鹿猿猪、莫々紛々、盈于山谷、焱起蝿散、然終日以不獲一獣、於是獦止以更卜矣、島神祟之曰、不得獣者是我之心也、赤石海底有真珠、其珠祠於我、則悉当得獣、爰更集處々之白水郎、以令探赤石海底、海深不能至底、唯有一海人、曰男狭磯、是阿波国長邑之海人也、勝於諸海人、是腰繋縄入海底、差頃之出曰、於海底有大蝮、其處光也、諸人皆曰、島神所請之珠、殆在是蝮腹乎、亦入探之、爰男狭磯抱大蝮而泛出之、乃息絶以死浪上、既而下縄測海底六十尋、則割蝮實、真珠有腹中、其大如桃子、乃祠島神而獦之、多獲獣也、唯悲男狭磯入海死之、則作墓厚葬、其墓猶今存之、(略)」

 

……『日本書紀』でした。
ご存知の通り、『日本書紀』では淡路の多賀、『古事記』では淡海の多賀、におかくれになったとされている「伊弉諾尊」。

 

○こちら===>>>

「多賀大社」 - べにーのGinger Booker Club


日本書紀』では、高天原に戻った「伊弉諾尊」は「日の少宮(わかみや)」に住んだ、という話もあったりします。
引用している允恭紀は、淡路島の神が天皇に祟って、狩の獲物を全然とらせなかったよ、という話です。
神が、「赤石の海に真珠があるから、それをとってきたら獲物をあげるよ」とおっしゃるので、阿波国の海人(白水郎)が大きな真珠を命がけでとってきて(死んじゃいますが)、神に奉納したらその通りに獲物が増えた、とのこと。
で、これが「伊弉諾尊」かどうか、ということが問題になるわけですね。
国生みでは、だいたい大八洲のあとに淡路島が誕生していて、古来の伝承で淡路島が重要な位置付けだったことが伺えます。
で、そこの神が祟ると。
それも天皇に。
まあ、パターンといえばパターンですが……「天照大御神」も「倭大国魂神」も祟ってますから、「伊弉諾尊」が祟っても不思議ではないですな(そういえば、淡路島には、「大和大国魂神社」もあるそうで……南の方です……行けなかった……)。
祟るくらいのパワーがある、という考え方もできますので。
これが「伊弉諾尊」ではない、としたらどうなるのでしょうね……誰かを淡路島に封じ込めた、ってことになるのでしょうか。
うまく妄想がまとまりません……ううむ、もうちょっと勉強します。

「厳島神社(淡路島弁財天)」〜淡路ぐるっと旅〜

1/19。
人生初の淡路島は、偉大なるギタリストのお誕生日会。
その前に、成功を願って、会場からほど近い厳島神社へ。

 

○こちら===>>>

厳島神社|兵庫県神社庁 神社検索

 

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巨大ショッピングモールを少し離れ、なんとなくのんびりした商店街を抜けて、鳥居。

 

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参道を進み。

 

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拝殿。
しこたま天気がいい。

 

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イノシシ……そうだ、2019年だ。

 

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「稲基神社とお登勢の碑
明治三年に起こった所謂「庚午事変」により、稲田家と家臣一同が北海道静内へ開拓移住となり、稲田家の守護神(稲基神社)も北海道に移祭し今も洲本と静内で祀られている。
昭和五十一年、洲本ライオンズクラブと静内ライオンズクラブが姉妹提携を結んだのを機に新たに建立された。
お登勢の碑」は「庚午事変」を題材にした小説「お登勢」の作者船山馨先生の揮毫によるものである。」

 

○こちら===>>>

庚午事変(稲田騒動)

 

なるほど、こんな事件が……いずこにも歴史あり、時代もまたあり、ですね。

 

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お登勢」の碑。

 

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なんでまた撮影した……。

 

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こんな具合に、境内の一角に。

 

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おいなりさん。

 

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芭蕉の句碑。

 

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「洲本八狸」の「武左衛門」さん。

 

「毎日夜ふけに見廻りに出て戸締りの悪い家があると家の外から鍵をかけてまわったそうです。」

 

……ありがた迷惑!
しかしなぜ狸……そうか、四国が近いんだった、隠神刑部のお膝元ではないか……。

 

○こちら===>>>

www.sumoto-cci.org

 

……なんと、「柴右衛門狸」は洲本の出身だったのか……いかん、調べてから行けば、もっと楽しく洲本を……いやいやお誕生日会がね……。
いつかリベンジにこよう。

 

 

……あれ、最初のでしたっけ……。

 

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荒神社」。
狛犬さんも小さい。

 

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こちら狛犬さん。
つるっつるになっちゃった感じですね。

 

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参道から。

 

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御朱印

 

さて。

 

……あ、すみません、特にないのです……それでは、淡路ぐるっと旅のスタートです。

「穴八幡宮」(東京都新宿区)

12/9。
高田馬場で、「むらくる?」が行われたので(?)、行く行くとなりまして、時間ができたので歩いていけるぞ「穴八幡宮へ。

おっと、公式HPがない……。

 

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高田馬場流鏑馬
享保十三年(一七一八)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場流鏑馬が奉納された。
明治維新以降中断し、昭和九年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われたが、戦争のため中断された。昭和三十九年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、昭和五十四年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年十月十日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
古式豊かで勇壮な高田馬場流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。」

 

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鳥居。

 

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流鏑馬の像。

 

 

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由緒書。

 

「《御祭神》応神天皇仲哀天皇神功皇后
康平五年(一〇六二)奥州の乱を鎮圧した源義家八幡太郎)が凱旋の折り、日本武尊の先蹤にならってこの地に兜と太刀を納めて氏神八幡宮を勧請し、永く東北鎮護の社として祀られました。
寛永十八年(一六四一)宮守の庵を造るために南側の山裾を切り開いたところ神穴が出現し、この時期から穴八幡宮と唱えられるようになりました。同年この地に居住していた幕府の祐筆大橋龍慶が方百間の地を献じ、社殿を壮大に造営しました。この頃神木の松から瑞光を放ち、色々奇瑞のあったことが、三代家光将軍の上聞に達し、当社を江戸城北の総鎮護として総営繕を命ぜられました。
慶安元年(一六四八)社殿再興の折に幕府から氏子として牛込郷三十六ヶ町が定められ、翌年の慶安二年(一六四九)社殿を始め数々の殿舎が竣工し、八千八百余坪の境内地に壮麗な建物が櫛比して将軍家祈願所としての規模も整い、以後江戸屈指の大社として重んぜられました。その後も幕府により数次にわたって造営・営繕が行なわれましたが、特に元禄十六年(一七〇三)の造営は、江戸権現造り社殿として壮麗を極めました。
安政元年(一八五四)青山火事のため類焼し、幕府より造営料などが奉納されましたが、幕末の多事と物価高騰のため仮社殿のまま明治維新を迎えました。その後、昭和初年に旧時の盛観に復しましたが、今次大戦により社殿はことごとく罹災しました。しかし戦後はいち早く仮社殿により再興し、その後崇敬者の御芳志により平成元年から慶安・元禄の江戸権現造りの当社設計絵図を基に御本殿御社殿の造営をはじめ、平成十年の随身門竣工をもちまして往時を偲ぶ姿に復し、引き続きその他の再建、また境内の整備に着手し今日に至っています。」

 

『江戸名所図会』は後ほど見ましょうか。

 

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石鳥居からの階段。

 

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随身門と御随身

 

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裏はお馬さん。

 

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「布袋」さん。
江戸城吹上の庭にあったのを移設して、手水鉢にしていたようです。

 

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狛犬さん。

 

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拝殿。

黒漆なのか、渋い感じですね……権現造ならもっと派手派手しくてもよいのでは……本殿はそうなのかな(見えません)。

 

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遠景。
東京にありながら、この角度は高層ビル等が写らない、なかなかのスポットだと思います。

 

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狛犬さん。
こちらは有名でしょうか……いい感じな怪獣具合。

 

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鐘楼かな。

 

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本殿……そんな派手ではなかった。

 

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お隣にある「放生寺」というお寺。
そういえば、お参りはしなかったのか……。

 

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八幡坂、の由来。

 

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御朱印
一陽来復」。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第5編 江戸名所図会 第3巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
53コマです。

 

「高田八幡宮
牛込の総鎮守にして、高田にあり。世に穴八幡とよべり。此地を戸塚と云ふ、別当真言宗にして、光松山放生会寺と號す。旧名は威盛院中之坊と唱へしとなり。祭礼は八月十五日にて、放生会あり。旅所は牛込神楽坂の中腹にあり。
社記に云く、寛永十三年丙子、御弓隊の長松平新五左衛門尉源直次に与力の輩、射術練習の為、此地に的山を築き立てらる。八幡宮は源家の宗廟にして、しかも弓矢の守護神なればとて、此地に勧請せん事を謀る。此山に素より古松二株あり。其頃山鳩来つて、日々に此松の枝上に遊ぶを以て霊瑞とし、仮に八幡大神の小祠を営みて、件の松樹を神木とす。(南向亭云く、此地は旧早稲田邑の地中島といふ。此地に青柳津六兵衛といへる富民あり。往古北条氏に仕えし士にて、其人の持伝へし山林にてありしとぞ。)此地昔は阿弥陀山と呼び来りしとなり。されど其所以を知る者なかりしに、同十八年辛巳の夏、中野宝仙寺秀雄法印の会下に、威盛院良昌といへる沙門あり。周防国の産にして、山口八幡の氏人なり。幼くして毛利家の侍榎本氏某に仕へしが、榎本氏没して後、十九歳の年遁世して、高野山に登り、宝性院の法印春山の弟子となり、一紀の行法をとげて二十一歳の時より諸国修行の志を発し、其間さまざまの奇特をあらはせりといふ。依て此沙門を迎えて社僧ならしむ。故に同年の秋八月三日、草庵を結ばんとして山の腰を切り開く時に、ひとつの霊窟を得たり。その窟中石上に、金銅の阿弥陀の霊像一躯たたせ給へり。御長三寸ばかり。八幡宮の本地にて、しかも山の号に相応するを以て奇なりとす。穴八幡の号ここに起れり。其旧址今猶坂の傍にあり。又此日将軍家御令嗣巌有公御誕生ありしかば、衆益其霊威をしる。[江戸名所記]に云ふ、同年八月九日、社頭の繞一町四方に縄張して、其地を開き、本社をば神木の松の本に遷し、八重垣を結ひまはしける。其時加州大守、数百の人歩を贈られ、其地を築き固めしむ。依て日ならず成就し、同十四日遷宮の式を執行す。松平新五左衛門尉、其与力の人々を引供して、的山の辺に幕を張り、式正の小的を建つる。神的は射法なればとて、小池の何某が子十二歳にして是を勤むと云々。其後元禄年間今の如く宮居を御造営ありて、結構備れり。[南向亭茶話]に、巌有公殊に当社を御崇敬あり。御宿願の事満ち給ふの後、当社を営せらる。裏門は内藤豊前守、普賢堂は松平左近将監、御手水垣は、増山兵部少輔等これを寄進すとあり。又[江府神社略記]及び[和漢三才図会]等の書に、元禄年中桂昌院殿御再興ありしと云々。
若宮八幡宮 本社の前、左にあり。
東照大権現 同所に並ばせ給ふ。毎年四月十七日参拝の人多し。
氷室明神祠 本社に相対す。「盛徳」といふ二字を彫りたる額を掲く。祭神大己貴命。元禄二年十二月二十二日、牧村氏直良、十六歳にして疱瘡を患ふ。同三年正月二日、金澤の住人渡辺氏是善、霊夢の応ありて此神を祭る。直良此神に祈願して平兪す。同七年の頃、始てここに鎮座せしむるといひ伝ふ。
光松 別当寺と本社との間、坂の支路にあり。昔の松は延享年間に枯れたりとて、今あるものは後世植え継ぎたる若木なり。南向亭云く、此地昔は松樹繁茂せし山林にて、其中に一株の松あり。暗夜には折として瑞光を現ず。故に其樹を称して光松と云ふとぞ。又寛永十三年始て当社八幡宮勧請の頃此樹上に山鳩来り遊びしと云々。
放生池 石階の下にあり。山の腰より清泉したたりおつ。実に石清水の名に応ずるの奇特といふべし。
出現所 坂の半腹絶壁にそひてあり。往古の霊窟の旧址なり。近頃迄其地に出現堂と名けて、九品仏の中、下品上生の阿弥陀如来の像を安置せし堂宇ありしが、今は見えず。
能舞台址 本社の左の方にあり。今礎を存するのみ。寛延三年庚午三月観世太夫一代能を興行せし跡なりといふ。
抑当社の別当寺を光松山と号くるも、神木の奇特によそへてなり。神と君の道直にして、治る御代の濁なく、石清水の清き誓最も尊くぞ思はれける。殊更元禄の頃御再興ありしより、和光の神徳日々に顕れて昭然たり。」

 

図絵もありまして、重ね合わせると、現代の土地の状況とあまり変わっていないのがわかります。
『江戸名所図会』が妙に持ち上げた感じの記事なのは、将軍家祈願所ですからね……致し方ないかと。

 

(さて、ようやく……2018年の記事が終わりました。実際あまり神社仏閣巡りもできなくなってきているので、2019年の記事ものんびり行きたいと思いますし、途中で城が入ってくる可能性があります)

「鎮守氷川神社」(川口市)〜プチ武蔵国旅

10/29。
調神社」の参拝を終え、さてどうしたものか……わりとミーハーな部分もあるので、そういえば埼玉に御朱印で有名なところがあるな……と思い、川口市「鎮守氷川神社へ。

 

○こちら===>>>

chinjyu-hikawa.or.jp

 

……とりあえず、駅から結構あるので、バスとかタクシーとか使った方がいいと思います(闇の宴の翌日で、歩くのは結構しんどかった……)。

 

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正面。

 

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七五三詣での季節で、この時期どこの神社もにぎわっていることを忘れているので、人気がいなくなるまで境内をうろうろ……こちらは本殿。

 

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境内社の「稲荷神社」。
もともとは「椎之木稲荷神社」だったのかな。

 

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本殿を後方から。

 

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三峰神社」。

 

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「天神社」。

 

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不動尊堂」。

 

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「磯前神社」。
大己貴命」が御祭神ですか。

 

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「弁天社」。

 

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「鎮守氷川神社御由緒
御縁起(歴史)
当社は、見沼などの多くの沼の水を集めて流れる芝川の右岸に鎮座する。勧請年代は明らかではないが、見沼を神沼とする氷川神社さいたま市大宮区高鼻町鎮座)の祭祀圏にあり直系とされている。室町時代(七百余年前)の初期の創建にかかる武蔵国の古社で、現存する棟札などの造営資料から室町期には既に足立郡芝郷青木村の惣鎮守として広く諸人の崇敬を集めていたことがわかる。
御祭神は伊邪那岐神伊邪那美神の御子である素盞嗚命櫛稲田姫命の夫婦神を主祭神とお祀りしている。素盞嗚命が八俣大蛇を退治したことから、厄祓、除災招福の霊験あらたかであり、主祭神が夫婦神であることから、安産・縁結び・夫婦和合、そして子育ての御神徳があるとされ崇敬され今日に至る。配祀神としては、日本で一番尊く皇室のご先祖である天照大神をはじめ、衣食住はもとより諸々の産業の開運の神々が鎮座されている。
境内には二本の御神木、元気の木『大欅』・縁結びの木『夫婦椋』が神社をお守りし、また、登ると霊峰富士山に登る事と同様とされる富士浅間神社の御神霊を賜る富士塚がある。安産・子育て・厄除けが心願成就すると言われている。
古来よし時代時代に幾度か修復され再建されてきたが、明治十七年に本殿、拝殿が再建された。大正十二年の大震災により拝殿、鳥居が倒壊した為、昭和天皇の御即位の御大典を記念し、昭和二年拝殿・鳥居等を再建し、昭和六十一年五月二十五日氏子崇敬者の御奉賛により、新社殿御造営大事業が成された。(以下略)」

 

関東には「氷川神社」が多いのです。

 

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「氷川神社」 - べにーのGinger Booker Club

「赤坂氷川神社」 - べにーのGinger Booker Club

「赤坂氷川神社」(再) - べにーのGinger Booker Club

「沼袋氷川神社」(東京都中野区) - べにーのGinger Booker Club

 

(↑数々の「氷川神社」に参拝してきた、と思っていたらそうでもなかったので驚いた次第です……関東住まいではないもので。)

西日本と東日本で、出雲系の信仰が一大勢力を誇っていたわけですね。

 

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狛犬さん。
むっちり系。

 

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拝殿。
ああ、神紋は巴なんですね。

 

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天水桶。

 

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「古峰神社」。

 

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狛犬さん。
ちょっと荒々しい感じ。

 

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「神饌田」。
神田を備えた神社は、規模の大きなところでは見かけますが、境内にあるのはなかなかないかと……。

 

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富士塚入口。

1860年の造営ということで、比較的新しいですね。
関東ではいくつか富士塚を見てきました。

 

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「品川神社」 - べにーのGinger Booker Club

「稲荷鬼王神社」 - べにーのGinger Booker Club

「石浜神社」(浅草名所七福神) - べにーのGinger Booker Club

「富岡八幡宮」「深川不動」(東京都江東区)〜関東巡り〜 - べにーのGinger Booker Club

「雑司が谷鬼子母神」(再・補)「稲荷鬼王神社」(再) - べにーのGinger Booker Club

「鳩森八幡神社」(東京都渋谷区) - べにーのGinger Booker Club

 

 

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登りました。
「撫で犬」……ちょっと謎。

 

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浅間神社」。

 

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……あれ、こちらはなんだったかな……。

 

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これもなんだったかな……何か、土器を投げ入れる的なやつだった気がします(うろ覚え……)。

 

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石碑。
読めない。

 

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七五三詣の参拝者さんが写っちゃうので、こんな感じで拝殿遠景。

 

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御朱印
これ、有名ですよね。
ヤフオクでもめっちゃ見かけるという……そこまでして御朱印欲しい気持ちは私にはわかりませんが、資本主義だから仕方がない部分もあります。


さて。

 

◯こちら===>>>

大日本地誌大系. 第11巻 風土記稿7 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『新編武蔵風土記稿』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
125コマです。

 

「氷川社 村の鎮守なり、勧請年代は知らざれど、社頭に掛たる鰐口に依先季之鰐口中絶求之也とあり、是慶安二年のものなれば、其以前造立の社なる事知るべし、 随身門、石鳥居、鐘楼(元禄十三年新造の鐘をかく)、末社、稲荷社、弁天社、別当、般若院(本山修験、中尾村玉林院配下、栗崎山薬師寺と號す、本尊不動を安ぜり」

 

……えっと、『江戸名所図会』にも記事があるのかな……武蔵国の地理があまりよくわからなくて、探せておりません……。


というわけで、プチ武蔵国終了です〜(最近はこの程度ですら回れていないなぁ……)。

「調神社」(さいたま市浦和区)〜プチ武蔵国旅

10/29。
闇の宴が無事終わりまして、大宮の「氷川神社」を参拝後、調神社へ。

 

○こちら===>>>

www.stib.jp

 

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社標と、兎……。

 

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参道入口。

 

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「由緒 畧記
当社は天照大御神豊宇気姫命、素盞嗚尊の三柱を祭神とする 延喜式内の古社にして古より朝廷および武門の崇敬篤く調宮縁起によれば第九代開化天皇乙酉三月所祭奉幣の社として創建され第十代崇神天皇の勅命により神宮斎主倭姫命が参向此の清らかな地を選び神宮に献る調物を納める御倉を建てられ武総野の初穂米調集納蒼運搬所を定めらる、倭姫命の御伝により御倉より調物斉清の為め当社に搬入する妨げとなる為、鳥居、門を取拂はれたる事が起因となり現今に到る。」

 

……さて、伝説ですからどの程度かは不明ですが、元々「伊勢神宮」の神戸だった、ということでしょうか。
鳥居も門もないのは、貢物を通すのに邪魔だった、と現実的な理由が伝わっているのは面白いです。

 

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文化財

 

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拝殿です。
彫刻が立派……立川流かな……。

 

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お賽銭箱。

 

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天水桶。
小さな狛犬さん。

 

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木鼻。
獅子がくわえているのは牡丹でしょうか……こういう、宗教美術のお約束、というのが今ひとつ理解できていないもので……。

 

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兎さん発見。

 

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こっちは玉、かな。

 

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うーん、「三尾神社」がかぶるなぁ……。

 

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立派。

 

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別角度。

 

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虹梁の基部にも獅子か狛犬さんがいらっしゃって、素敵。

 

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細かいなぁ。

 

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天水桶再び。

 

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拝殿遠景。

 

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裏手のほうに池があるのですが、そこに旧社殿があります。
覆屋付きで、黒漆(っぽいけどどうかな)に極彩色……彩色は再現なのか。
今の本殿も、兎だらけなのでしょうか……。

 

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池にも兎が……いや、兎は水吐かないでしょ……。

 

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境内社の「金毘羅神社」。

 

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「調宮天神社」。

 

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先代の狛兎さん。

 

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手水場にいた兎さん……「深きものども」にしか見えない……。

 

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で、手水舎の彫刻がまた素晴らしく……ううん、麒麟なのか、龍馬なのか、応龍なのか、私には今ひとつわからず……。

 

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もう完全に「深きものども」だ……。

 

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狛犬さんが、彫りが深くて渋い……。
こっちには、贔屓かな……。

 

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影の具合が素敵な感じになりました。

 

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ちょっと壊れてるのが残念だ……。

 

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参道入口の兎さんを、できるだけアップで。

 

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……これは、裏手から本殿を狙ったんだっけな……。

 

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おまけ。
すぐ近くにある「第六天神社」。
御祭神は「面足命」「吾屋惶根命」であるのは、「第六天神社」なのでまあいいのですが、「面足命」の別名「穂千田比古命」とか、その御子神の「倉平顔比古命」、「金子甘美金希代命」とかって、何なんでしょう……少なくとも記紀神話では聞いたことないですし、『先代旧事本紀』『古語拾遺』にもなかったんじゃないかなと……独自の伝承でしょうか(検索すればわかるのか……まあいいや)。

 

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御朱印

 

さて。

○こちら===>>>

神社覈録. 下編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

式内社ですので、とりあえず『神社覈録』を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
43コマです。

 

調神社
(略)◯祭神瀬織津姫命(略)○中仙道浦和駅に在す(略)、○惣国風土記七十七残缼云、武蔵国足立郡調神社、神田六十束二宇田、稚日本根子彦太日天皇乙酉三月、所祭瀬織津比咩也、有神戸巫戸。」

 

ふむ……祭神は「瀬織津姫命」……。

 

○こちら===>>>

特選神名牒 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『特選神名牒』はいかがか。
212コマです。

 

調神社
祭神 天照大御神 宇賀御玉神
今按本社社記に伊勢大御神の末社に調御倉社ありて祀る神を稲倉魂命とあるを思ふに古へ国々に大御神の御戸代盛なりし程その御調の初穂をとり収むる御倉なりしが後に社となりけん故に大御神と宇賀之御魂命を祭れるならんと云るが如くなるべし故今之に従へり土俗に調をつきとよむより月神とし二十三夜など云ふはいみじき誤りにて取にたらす
(略)
今按武蔵演露浦和駅下に月読大明神社浦和領岸村浦和宿鎮守二十三夜堂あり調大明神とも云とあり」

……むぅ……。

 

○こちら===>>>

大日本地誌大系. 第11巻 風土記稿7 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『新編武蔵風土記稿』ではいかがか。
130コマです。

 

調神社 社領七石を賜ふ、当社は【延喜式神名帳に足立郷調神社と載る所なりと云、されど祭神等すべて伝ふる所詳ならず、按に【武蔵風土記】にも足立郡大調郷、或は大都畿調神社、神田六十束、二字田稚日本根子彦大日天皇、乙酉三月所祭瀬織津比咩也、有神部巫戸と載たるもの全く当社の事と見ゆ、されど此風土記は後人の擬書なる由言伝れば、正しとも言がたし、又土人の此辺の事跡を記せしものに、当社は日の神倉稲荷玉命の二座を祭る所にして、延元二年二月五日、那賀郡廣木村吉原の城主、色大興寺入道範行と云し人再興して、神田五邑を附せしなど載たれど、此一色範行と云もの他に所見なし、ことに延元の頃再興せしと云るも、式社のことをわきまへざる書ぶりなり、がたがたうけがたし、又云其後貞和観応の頃兵火にかかりて社頭破壊せしを、康暦年中佐々木近江守持清又再造せしが、それも両上杉戦争の地となり、次第に衰廃せしを小田原北条分国の時に再興ありしと記す、されどみな左證とすべきものなし、たとへ證すべきことありとも、是を以て式社の興廃を知るには足べからず、殊に別当寺にては、近き頃まで月輪を祀りし社とのみ伝へたれば、古を知らざるもの附会せしなるべし、調の字の訓月に同じければ、後世月待の宮として、又愚民の信を取んがためにかく唱へしなるべし、今を以て考ふるに、当社の外此郡中調神社の名残と覚しきもの更になし、目撃する所を以てへを推に足らざれど、社地のさまいかにも神さび、数園の樹木枯株などのとこせるを見れば、古社なる事は論なかるべし、今は社人も調の社といへば、恐らくは古へに復せしなるべし、 末社、石神社(稲荷を合祀せり)、蔵王社(是も熊野を合殿とす)、稲荷社、第六天社、別棟、月山寺(新義真言宗、浦和宿玉蔵院末也、本尊愛染を安ず、開山詳ならず、昔は福寿寺にて当社を兼帯し、爰には庵を置て守らしめしを、後年一寺となして、月山寺と號すと云り」

 

んん……。

 

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浦和案内 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『浦和案内』という本の30コマに、『江戸名所図絵』の引用がありまして(うーん、見つけられなかった)、そこでは「月読命」が御祭神となっています。

 

「調」の御倉だったものが、いつのまにか神社となったのはまあいいとして、だからといって「天照大御神」を祀るのかというと何か違う感じがしますし、「つき」という読みから「月読命」が御祭神になったのは信仰上は間違っていたとしても本地垂跡とかいってたわけなのでさもありなんです、そこから引っ張られて兎、というのも……比較的新しいのか、いやいや「金烏玉兎」ですから月に兎自体は大陸でわりと古い考え方なのでまあよし、で「瀬織津姫命」……どうしてまた「祓戸大神」がここに、という感じですよね……社領がもっと広くて、もっと近くを荒川が流れていたのか……。
何にしろ、昔から結構人気スポットだったっぽいですし、訪れたときも賑わっていましたし(七五三か……)、いやよい神社でしたよ〜。

 

あ、あと兎の神社といえば、

 

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「三尾神社」〜近江めぐり〜 - べにーのGinger Booker Club

「菟足神社」(豊川市)〜高速初詣三河編〜 - べにーのGinger Booker Club



↑こんなところもありますので〜。

「香取神社」(東京都北区)〜プチ武蔵国旅

10/28。
またしても闇の祭りがさいたまであったので参戦。
宿を赤羽にとったので、スマホで検索して、駅からほど近い……というほどは近くにない香取神社へ。

 

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ak8mans.com

 

↑現在は「赤羽八幡神社」の兼務社となっているようです(そちらも行きたかった……)。

 

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社標と階段。

 

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えっとすみません、いきなり境内末社です。
左から「榛名神社」「古峰神社」「御嶽神社」「大山阿夫利神社」。
そういえば、伊勢原の「大山阿夫利神社」、結局行けてないなぁ……時間が……。

 

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ええと……本殿かな(覆屋かも)。

 

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手水鉢。

 

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境内社の「伏見稲荷」。

 

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拝殿です。
瓦葺きが江戸期っぽいです。

 

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天水桶、わりと新しそうですが……。

 

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あ、さっきのは本殿ですね(向かって左側から)、で向かって右側から拝殿と本殿。

 

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木鼻。
よい造形。

 

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楽殿

 

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手水鉢その2。

 

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力石。

 

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彫刻。
よいなぁ……。

 

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狛犬さん。
渋い。
金の目がまたよいです。
嘉永五年、ということは黒船来航の一年前ですか。

 

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社標と鳥居。

 

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御祭神は「経津主神」、まあ「香取神社」ですから。
配祀で「大山咋神」、合祀で「建御名方神」、ということは「日吉神社」、「諏訪神社」が遷座しているということでしょうか。

 

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石灯籠。
基部の狛犬さんがよい。

 

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こちら、最初の階段を登って来たところの狛犬さん。
ちょっと小ぶりで破損されていますが、表情がよき。

 

さて。

 

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大日本地誌大系. 第5巻 風土記稿1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『新編武蔵風土記稿』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
167コマです。

 

「香取社 村の鎮守とす。長二尺六寸許の石を神体となせり。普門院持下同し 末社稲荷 疱瘡神○諏訪社」

 

えっと……まあ、このくらいで……。
それではプチ武蔵国旅です〜。