べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「(味美)白山神社」(愛知県春日井市)

7/23。
やや曇りがちの空の下、ちょっとばかり遠出……といいつつ、春日井市なので名古屋のお隣なのですが、「味美二子山古墳」と、そのそばにある白山神社に行ってまいりましたよ。


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「国指定史跡 二子山古墳
二子山古墳は、墳長九十四m、盾型の周溝を含む全長一一六mの前方後円墳で、六世紀前葉の築造と推定されます。付近には白山神社古墳、御旅所古墳、春日山古墳が現存し、総称して味美古墳群と呼んでいます。
平成四年の発掘調査で周溝の外側に幅約四mの溝状遺構を確認し、一〇〇点を超える埴輪や土器が出土しました。埴輪には、円筒埴輪や人物・馬・家・蓋などの形象埴輪があり、周溝と溝状遺構との間に配列され、儀礼などの場面を再現していたと考えられます。
これらの埴輪は、須恵器の製作技法を用い、窯を利用して灰色・硬質に焼き上げられており、ここから北東へ約八km離れた下原古窯跡群(東山町)から供給されたと考えられています。」

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古墳は素人の私です。

 

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石標があります。
近くで撮影しても、古墳かどうかはさっぱりです。

 

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周溝が手前に見えます。

 

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ううむ……巡っていますが……何がなにやら……。

 

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ハニワの館。
中も興味深かったので、御立ち寄りの際は是非。
のんびり休んでいたかったですが、時間もないので。

 

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こちら、公園内にある「御旅所古墳」。

 

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御旅所、かつ相宮とな……なんといいますか、御旅所というには、「白山神社」から近すぎる気がしないでもないですが。
ご祭神は、「白山神社」なので、という感じですが、「可美真手命」が入っている辺りが地域性でしょうか。

 

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登れます。

 

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なるほど、御旅所っぽい……。


さて、「白山神社」です。

 

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「ご由緒
白山神社養老元年(七一七)泰澄(たいちょう)大師が加賀(石川県)白山(二、七〇二m)に初登拝し白山比咩大神(シラヤマヒメオオカミ・菊理比売命)の鎮座まします霊山を神体山として開山し、現在全国に二千七百十六社の分霊社を擁し総本社(根元社)を白山比咩神社(石川県石川郡鶴来町)としています。愛知県にも分霊社が二百二十社あります。
わが白山神社は、万治二年(一六五九)、元春日井郡味鋺村(現名古屋市北区楠町五)白山藪より、この地に遷座し、また二子山古墳にあったといわれる物部神社を合祀して建立されました。
この神社は県指定文化財(史跡)白山神社古墳(前方後円墳)の上に祀られていることから、本殿が西向きの珍しい神社となっています。
なお同じく県指定になっている御旅所古墳(円墳)の上にある御旅所は寛延年間(一七五〇頃)までは西方、稲置街道(県道)を越えた春日山古墳の上にあった春日神社でしたが、街道を横断し通行の妨げになるとのことで今の場所に変更されました。その後大正七年(一九一八)春日神社も白山神社に合祀され今日に至っております。
(略)
御祭神
伊邪那岐命イザナギノミコト)
伊邪那美命イザナミノミコト)
菊理比咩命(ククリヒメノミコト)
可美真手命(ウマシマデノミコト)(物部神社
天児屋根命アメノコヤネノミコト)

境内社
神明社天照大神
御鍬社(豊受比咩命)
国府宮尾張大国魂神)
津島社(須佐之男命)
秋葉社(火具都知命
熱田社(倭建命)
金比羅社(大物主命)
厳島社(市寸島比売命)」

 


ううむ……なるほど。

 

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社標と鳥居。

 

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鳥居と参道。
そうですね、古墳に向かって一直線、なかなかない参道かと思います。

 

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ニノ鳥居、かな。

 

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階段で古墳をのぼります。

 

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白山神社古墳・御旅所古墳」の案内。
地図を見ていただけば、合祀されている「春日神社」がもともとあった「春日山古墳」の場所がわかります。
古墳の配置的に、何かしら意図はあるかと思われますが、いわゆるレイラインだの星座だの、ということではなさそうです(そうだったらエンタメ的に面白いのですが)。

 

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古墳頂への階段。

 

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蕃塀……はいいのですが、そこに照明を置くのか……。

 

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末社の案内、本殿向かって左手前。

 

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本殿。
西向きなので、午前中は眩しいですね。

 

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狛犬さん。

 

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本殿手前の幣殿(か神楽殿)。

 

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並び的に尾張造ですね。

 

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急に葵の御紋。

 

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白山神社」の案内板、本殿向かって右手前。

 

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狛犬さん。

 

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境内末社
秋葉社」「天神社」「津島社」。

 

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狛犬さん。
堂々たる造形。

 

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拝殿。
茅の輪あり。

 

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牛さん。

 

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読めませんが、「旧御神木」です。

 

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階段下の狛犬さん。

 

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池があるので、「厳島社」もあります。
もともとは、古墳の周溝じゃないのか……。

 

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神田越しの「白山神社古墳」。

 

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参道の脇にありました。

 

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一の鳥居のところの、狛犬さん。

 

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現役御神木さん。

 

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……あれ、これが一の鳥居のところの狛犬さんかな……さっきのは……。

 

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すぐ近くの「日輪寺」にも参拝。

 

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白山神社古墳」の裏手に回ってみたのですが、うっすら社殿が見えるくらい……。

 

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これは「厳島社」を裏から、です。

 

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遠くに鳥居があったぁ……。

 

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最初の鳥居に戻ってきました。

 

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こちら、二子山公園の、古墳・埴輪絡みのいろいろなもの。
なんだか、微笑ましくてよいですねぇ……。


さて。


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東春日井郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション


東春日井郡誌』より。
630pです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

白山神社
所在 (略)
社格 (略)
祭神 伊邪那岐命
伊邪那美命
可美直手命
菊理比売命
(合祀したる祭神)
天児屋根命
例祭日 十月十二日
由緒 万治二年八月味鋺村より遷座し、同時に附近にありし物部神社を合祀せり、物部神社は、尾張国神名帳に、春日井郡二十座中、即ち従二位上物部天神と載せたる社なり、されど合祀の後は、漸く其伝を失ひて、遂に其所在さへ世に知られず、尾張志の如きは、物部神社延喜神名式に見へたり、在所定かならず、豊場村の八所社をそれなりといふ説されど據なし、と云へり、而るに尾張名所図会は之を八所明神に係けたり。
かくて大正七年一月十五日、更に同所字南立石(略)鎮座無格社春日社祭神天児屋根命を合祀したり、
神名帳考証に曰く、信友云、物部氏祖味間見命の子に、宇麻志麻治命などあるに対へて按ふに、味鋺も宇麻志麻里ならんか、されど村名の命唱には叶はず、物部氏当国によしあることおもひ合わすべし、又曰く、物部神社、愛智郡又式外中島国帳従三位物部天神集説味間見命之子、宇麻志麻治命也、
明細帳に曰く、当社者万治二巳亥年八月十七日味鋺村ヨリ遷座ノ由、古記ニ現存セリ、又古老ノ伝ニ曰、二子山ニ鎮座有之候、物部天神社ヲ右同時遷座、隨而致合祭候趣申伝、而方今ニ至ル迄相殿ニ祭祀来候、右二子山者該社地ヨリ一町計東南ニ在、而大ナル塚也、塚ノ上二ツニ分故ニ二子山ノ名アリ、巡リハ池ニテ、岸々ハ蘆生ヒ茂リ、四時清水湧出漲流シテ、田地数町ニ灌漑シ又魚鳥多シ、此者物部氏ノ遠祖可美真手命之御墓之由緒、先哲之考アリ、此物部神社者、延喜式神名帳ニ記載之社ニテ、本国神名帳従三位物部天神ト有之候、而此社者谷川士清ノ説ニ春日井郡味鋺村ニ在ト云即チ是ナランカ、氏神ノ神輿ハ、宝暦六年丙子八月ヨリ春日山ヘ、例祭八月十七日御幸ス、右春日山ハ本社ヨリ一町余リ小牧往来ノ西ニ在リ、南西北ノ三方ハ田ナリ、現場二反歩余ノ塚山ナリ、此塚中ニハ大石数多アリ、往古ヨリ掘出シ本社ニ用ヒシ事、両三度ナリ、今ニテモ二三尺穿テハ大石見ハル、当時例祭御幸毎ニ、往来ヲ遮リ通行ヲ妨ケ不便ニ付、寛延ノ頃ヨリカ今ノ春日社へ御幸スト、古老の言伝ヘナリ。」


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「味鋺神社(北区)」 - べにーのGinger Booker Club

「味鋺神社」(名古屋市北区)(再)〜高速初詣その1〜 - べにーのGinger Booker Club


↑「味鋺神社」の昔の記事です。
さて、どうも二子山古墳が、かつては物部氏の祖「宇麻志麻治命」の陵墓であり、「物部神社」があり、「味鋺神社」からの神輿渡御も行われていたのではないか、という説があります。
それが、今では「白山神社」に合祀されてしまった、という。
古墳の上の神社、というのが、時代が過ぎるにつれて重視されなくなっていった、ということなのかもしれません。
日本各地には古墳の上の神社が残っていますし、愛知県でも「尾張戸神社」等は有名です(志段味の古墳群、春日井とも近いですので、かつて「百塚」といわれたこの辺りは、同族の古墳がたくさんあったということでしょう)。
それが流行らなくなったのか……しかし、この、古墳の上の神社、という形式もまた、本当に古いのかどうか、私は調べられておりません……故人の神格化が、仏教流入以前、ケガレの思想がそこまで強くなかった時代に進んだ、ということであれば、伝承といえど巨大な山のような墓をそのまま神社にする、という発想は理解できますし、墓というのはモニュメントというだけでなく、「祈り」の対象として存在したわけですから、そのまま神社を置く、という発想もまた理解できます。
かつては栄華を誇った物部氏の祖先を祀った(と伝承される)神社といえど、時代の流れには抗えず、後発の流行り神白山神社」に合祀されちゃう……というところまではまあわかるのですが、ここで再度「古墳の上に神社」という発想になったのはなぜなのか……当時のメンタリティがよくわかりません。
二子山古墳から遷座するにあたって、同じ古墳の上に置こう、という話になった……にしても、二子山古墳と現在の「白山神社」は目と鼻の先、それこそ歩いて数分とかいう距離でもないくらい近いのです。
なぜそのままではいけなかったのか……「白山神社」も、別の場所から遷座してきているわけですし、なんなら御旅所もわざわざ円墳の上に遷している……思想がとっ散らかっているようにしか思えないのですよね……。
二子山という名前も、ありがちな名前ではありつつ、言い伝えによれば「山が二つあった」ように見えた、つまり前方後円墳を遠くから見たらそう見えた、ということなのでしょうから、見たまま……由緒正しい物部氏祖の墓ならそれなりの名前が伝わっていてもよさそうなものなのに……(地名には、物部氏の残照が見られますから)……実際には既に「宇麻志麻治命」の陵墓だったという伝承は廃れていて(あるいはそもそもなかった)、後からとってつけたんじゃなかろうか……とさえ思えてきます。
謎……というか、考えすぎ……しかし、「物部神社」が「白山神社」に合祀され、そのままだということが、時代の流れを反映している、というのはあながち間違いではないように思います(「白山神社」が流行ったことには、江戸期被差別民が絡んでいるのではないか、という説もありますが……さて、どうなのか……)。
うむ、やはり古代史が絡むと妄想が面白くなります。
よい神社でした。

「上宿山神社」「武島天神社」(名古屋市西区)

7/17。
我ながら、飛んだなぁと思いますが、いろいろあったもので、時間がとれなかったです。
というわけで、「上宿山神社」付近に行ってまいりました。


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↑一応コースに入っていますが、あまり説明はありません。

 

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鳥居。

 

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社格は村社でしたか。

 

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「上宿山神社発足は北朝文和三年(約七百年前)那古野城城下御深井丸の内にありましたが名古屋城落成の際今の地に武島天神社と共に移って参りました。
境内神社は上宿山神社(祭神 大山祇神
末社 豊丸稲荷社(祭神 宇迦之御魂命)
末社 金刀比羅社(祭神 大国主命
末社 武島天神社(祭神 少彦名命 菅原道真

(以下略)」

 

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おキツネ様

 

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豊丸稲荷社」。

 

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朱色、というか、赤です。

 

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鳥居。

 

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手水鉢。

 

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狛犬さん。

 

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「金刀比羅社」。

 

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覆屋……というのか、この近代感よ。

 

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本殿を向かって右側から。
うーん、一応、尾張造っぽいといえばいいのか……。

 

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拝殿。
江戸時代の瓦葺きな建物、でしょうか。

 

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橿原神宮遥拝所がありました。

 

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拝殿、向かって左手前から。

 

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拝殿、向かって右手前から。

 

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「金刀比羅社」正面から。

 

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豊丸稲荷社」正面から。

 

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遠景。

 

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ここからは「武島天神社」です。
こちら……は何社だったか……この覆屋にノスタルジーを感じる世代です。

 

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セミ、発見。

 

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こんな感じでした。

 

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狛犬さん。
新しい、ということは氏子が機能しているということかな。

 

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拝殿正面。
拝殿というか幣殿か……妻入り……。

 

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ちょっと寄ってみました。

 

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もっと寄ってみました。
うん、尾張造っぽくしてあるのですね、多分。

 

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天神様なので、牛発見。

 

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こちらは霊石ですかな。

 

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おっと、おしゃれな幟が。

 

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ふっくらした石灯籠、新し目だと思ったら、「支那事変記念」ですって。

 

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社標。
こちらも村社でした。

 

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遠景。

 

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「町内安全」。

 

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向かって左手前から。


ここからは、「深島神社」のお写真を。
ちょっと寄ったので。

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さて。


◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション


名古屋市史』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
265ページです。

 


「八 山神社
山神社は西区五平蔵町一丁目の北側(もと武島といひしと伝ふといふ)にあり、境内百十七坪八合一勺(略)あり、勧請の年時詳ならず、北朝文和三年(略)の棟札ありきといへば、蓋し其以前の鎮座ならん、初め名古屋御深井丸(略)の内に在りしが、慶長遷府の際、今の地に遷座す、明暦二年、寛文二年、元禄三年に各重修遷宮あり、明治初年村社に列す、祭神は大山祇神なり、殿宇には神殿、祭文殿、拝殿、神饌所等あり、境内神社は神明社(祭神は天照皇大神、従前より鎮座)、稲荷社(祭神は宇迦之御霊命、従前よりの鎮座)、金刀比羅社(略)の三所あり、(以下略)」


遷座先に選ばれたのは、もともと「神明社」「稲荷社」が鎮座していたから、ということでしょうか。


「九 武島天神社
武島天神社は西区泥町一丁目の北側(もと武島梅の木地と云ひ、次いで五平蔵町、上宿六軒町、天神町と稱せり)に在り、境内百五十三坪九合二勺(略)あり、武島一に竹島に作り、武島天神、武島天満宮又は天満天神社と號す、勧請年時詳ならず、一に応安元年頃の鎮座となす、初め御深井丸の辺(此地は御深井なる宗像三社の一なる武島社の旧趾なり、尾張志には「武島の旧趾は五平蔵町の東北の方、田圃の字に弁才といふ地にて、東西四十二間、南北八間ばかりあるを水田として、ここの神主(略)掌れり」と記せり、但し天神社と宗像社との関係に就いては、一切明かならず)に在りしが、慶長遷府の際(一に藩主光友の時とす)今の地に遷座し、以来五平蔵町山神社の末社となる、万治四年修造遷宮、明治十三年三月、独立して村社に列す、祭神は少彦名命尾張志に中央は菅原神、左は中将殿、右は吉祥天とあり)なり(以下略)」


うむ……これは『尾張志』も見ておきましょうか。
13ページです。


◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

「天満天神社
五平蔵町にあり(此地もとは武島梅の木地といへり)勧請の年月知られす祭神中坐は菅原神にて左中将殿右吉祥天也といふ(略)」

 

「山神社
同所にあり大山祇神を祭る勧請の年月詳ならす府志には伝云此地云武島遷府以前今金城之地有呼猿屋陌民家当時民人十一月集此祠修祭事といへるが如し
摂社 神明社 稲荷社(略)」


……「梅の木」とか言ってるし、祭神が「中将殿」「吉祥天(女?)」とあるし、「北野天満宮」から勧請したものと思われますので、当初から「天神様」だったのではないかと思うのですが、明治の神仏分離で「少彦名命」に祭神を架け替えたのかな……「天神社」のご祭神が「少彦名命」に替えられたらしき例はあちこちにあった、気がします(理由はよくわかりませんが、「少彦名命」は「高御産巣日神」の御子神と伝えられているので、「天神(あまつかみ)」で、そこから来ているのではないかと考えられています……ちょっと、神仏分離の勉強が足りていません)。
住宅地の中にあり、かつては鎮守の森なんかが広がっていたんだろう、と想像させる場所でした。

ぶらっと「東京大神宮」〜「築土神社」〜「靖国神社」(東京都)

2/20。
葡萄があれな館で10回鐘を鳴らす会、に参加するべく、ちょっとびくびくしながら上京しました。

 

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早い時間に到着したので、目的地までぶらぶら散歩。

 

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到着。
「東京大神宮」です。

 

◯こちら===>>>

www.tokyodaijingu.or.jp

 

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社標。

 

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鳥居。

 

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「東京大神宮
御祭神
天照皇大神 豊受大神
天之御中主神 高御産巣日神 神皇産巣日神(造化の三神)
倭比賣命(天照皇大神の御杖代 第十一代垂仁天皇皇女)
御鎮座
明治十三年四月十七日
御由緒
明治天皇のご裁断を仰ぎ 東京における伊勢神宮の遥拝殿として明治十三年に創建された当社は 最初日比谷の地に鎮座していたことから 世に日比谷大神宮と称されていました 関東大震災後の昭和三年に現在地に移ってからは飯田橋大神宮と呼ばれ 戦後は社名を東京大神宮と改め今日に至っております
「東京のお伊勢さま」と称えられ親しまれているのは伊勢両宮(内宮 外宮)のご祭神である天照皇大神(日本国民全ての祖神)と豊受大神(農業 諸産業の守護神)のご分霊を奉斎していることによります
また 日本で最初の神前結婚式を執り行ったことで有名な当社では 現在も神前において伝統的な結婚の儀式を守り伝えております 天地万物の生成化育つまり結びの働きを司る「造化の三神」が併せ祀られていることから近年縁結びに御利益のある神社としても知られ良縁を願う人々のご参拝も年々多くなっています」

 

最近のご鎮座でした。

 

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拝殿正面破風。

 

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……何の写真だろこれは……。

 

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拝殿横から。
向拝部分にも千木と鰹木があるのですね……気づかなかった(おい)。

 

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鳥居をやや遠くから。

 

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御朱印

 

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ついでに、築土神社に久々に行ってきたのです。

 

◯こちら===>>>

「築土神社」〜「筑土八幡」 - べにーのGinger Booker Club

 

7年ぶりとか……。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。

 

御朱印はいただき損ねた……ちょっとハードル高めです(個人的に)。

 

 

それから、「靖国神社」へも。

 

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何度か参拝しているのですが、寒かったからか、コロナのせいか、ここまで人のいない「靖国神社」は初めてでした。
天気がよかったこと。

 

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御朱印

 

さて、も何も、明治創建の神社ですから、特にないわけですが、

 

◯こちら===>>>

[東京名所写真帖] - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑かつての東京の風景を楽しんでください。
歴代天皇が「伊勢神宮」に参拝しなかったのは、ある界隈では有名な話で、ある時期(『日本書紀』によれば「崇神天皇」の頃)から「天照大神」は天皇と一緒に住まなくなったのです。
疫病が流行ったので、占ってみたところ、「天照大神」と「倭大国魂神」の祟りだとわかったのですね(疫病はだいたい何かの祟りで、国に祟りがあるときはそのときの大王が対象だ、と考えられていました)。
京都から江戸に御所(皇居)が移っても、「三種の神器」の一つである鏡を「伊勢神宮」から江戸に移すことはせず、遥拝の場所を作ってしまう、という。
天照大神」の祟りがどれほど恐れられていたかの証拠になりますね。
まあ、東京に移すなんて話になれば両宮ともに大反対だったでしょうけれども……経済的な理由も含めて……しかし、新時代の帝王たる「明治天皇」ならやってもおかしくなかったんじゃないかな……とちょっと思います。
擬似一神教的国家観形成のためには、「伊勢神宮」の協力が不可欠だったのか。
中世以来の神仏習合を解消し、寺の支配下から抜け出すことができるのであれば、天皇とともに東遷、というのもありだったんじゃないかな、と思ったり。
日本の多くの神様は、土地と結びついているので(結びついてしまうというのか)、ご分霊を勧請する、ということが昔から行われてきたわけですが。
……というかですね、遥拝殿であるなら、ご分霊は必要ないのですけれども……。

 

適当なことを書いてみましたが、別に謎でもなんでもないので。
そして、神前結婚式がこちらから始まったということは、伝統ある神前結婚式なるものの新しさがよくわかるというものです。

「三輪神社」〜「万松寺」(名古屋市中区)

2/11。

以前は月参りしていた「三輪神社」へ。

時間が取れなくなって、時々伺う感じになってしまいました……でも御朱印で話題になり、氏子さんがいらっしゃらないという中で、頑張っておられるので、今後も応援したいものです。

 

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あと、「万松寺」も行ってきました。


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◯こちら>>>

https://bennybebad.hatenablog.com/entry/2020/09/22/201643

 

今日(※20220717)は、藤井五冠が叡王戦……じゃない棋聖戦でしたか、を「万松寺」で戦っておられ、勝利された、と聞きました。

明るいニュースが良いですね、やはり。

「神前神社(愛知県半田市)

2/9.
ついに、2021年の記事に突入しました……まだ去年かい。
さて、どんな理由で参拝を決めたのか、全く思い出せませんが、愛知県は半田市の「神前神社(かみさきじんじゃ)」へ。

 

◯こちら===>>>

shiohi-matsuri.com

 

目の前に海……海かな……を臨む立地、小高い丘の上に鎮座ましまして。

 

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いきなり扁額ですが……何か、催し物ではないですが、人が多かったような記憶があります。

「神明宮」って書いてあるな……これは、参道入り口近くに御鎮座だったと思います(多分)。

 

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神の井。

 

「昔神武天皇御東征の折当地にお立ち寄りになり湧き水に映りしお姿をご覧になりその水の清らかさに心なごまれた由緒ある神の井であります
以来井戸のぞき神事は子供の疳の虫が治まると云い伝えられております(略)」

 

井戸と、夜泣きや疳の虫が関係するのはなぜなのか……という論考を探してみます。

 

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「神明宮」遠景(というほど遠くはない)。

 

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ちょっと順番がぐちゃぐちゃですが、「神明社」と「天満宮」。

 

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摂社。
左から「御首社」「海亀大明神社」「御鍬社」「恵毘須社」「大国主社」「一之神社」……だと思います。

 

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天満宮」なので、撫で牛と筆塚。
「和魂漢才」、久々に見た文字の並び。

 

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天満宮」と摂社の間を通って、神社の上手というのか裏手というのか、に出られます。

 

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どうやら「観月亭」という露台があったようです。
伊勢湾台風で倒壊、という言葉が、この地域のことをよく表しているように思います。

 

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亀崎十景」の一つだったようです。

 

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こんな景色です。
わりと朝早かったので、ちょっと良い感じに見えますね。

 

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亀崎場跡碑
稲生七郎左衛門政勝の城跡。富士山と言う地に館を築く。
小川の水野忠政の船奉行に召され、名を重勝から政勝に改める。
北側の高台にこの碑が建っていたが、衣浦干拓工事のため城址を削られ碑はこの地に移された。」

 

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こちらは歌碑ですね。
悠紀殿屏風歌……大嘗祭のときのものですか。

 

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忠魂碑です。

 

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こちら「神宮遥拝所」。

 

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再び、衣浦港

 

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よい景色でした。

 

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戻って来て、急に拝殿、と。

 

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神馬と「菅原道真公」はいいとして、赤い……。

 

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最初の鳥居を、参道側から。

 

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参道脇にある「多賀社」。

 

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小さい狛犬さん可愛い。

 

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亀崎月」。
確かに、あの風景の中、月が浮かんでいたら、それは見事だろうと思います。

 

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やっぱり移されたみたいです。

 

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狛犬さん。

 

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鳥居。

 

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謎の龍神様ズと池、なので祠は「弁天」様かな。

 

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急に「加農(カノン)砲」。

 

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亀崎潮干祭」は、国の重要無形民俗文化財になったそうです。

 

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そういえば、「山車」を出す祭りが、ひっくるめてユネスコ文化遺産になったんでしたっけ。

 

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伊勢湾台風

 

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これだけ登っていると、古墳じゃないかな、と思ってしまいそうになります。

御朱印……あれ、なかったっけ。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第9編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
23コマ、まずは亀崎の図絵が掲載されております。
もちろん、「神前神社」もばっちりと。

 

亀崎 乙川村・半田村辺より一里餘東の方、海へ張出づる地にして、正面は三州高浜・鶴ケ崎に相対し、北は境川下流ここに入りて、初て海となれり。また当初の山下に一つの名井あり。寒暑にも増減なく、水至つて清ければ、村中是を汲む。其他の井水はみな塩気ありて用ひがたりといへり。」

 

「神崎天神社 亀崎村にあり。今神明と称す。祭神 神日本磐余彦尊天照大神を祭れり。[本国帳]に従三位神崎天神とあるこれなり。
例祭 二月二十五日・三月十六日。
摂社 天神社・山神社・鍬神社・蛭子社
当社は頗る大社にして、数百磴の上にあり。眼下に海面を見おろし、島嶼をかぞへ、遠山を指点するまで、分明晴朗の一勝槩なることは、図を見て知るべし。
(以下略)」

 

「神崎天神社」と書いた時期もあったのですね。

 

◯こちら===>>>

半田市 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

半田市』というそのまんまな本もあったので、こちらも。
13コマです。

 

「【神前神社】 亀崎の東北方海中に突出せる突端に在り神倭磐餘彦命を祀る。初め神前天神と称し後亀崎神社と改め、明治四年郷社に定められ、同十八年二月二日神前神社と改称し、同じ七月十三日県社に列せらる。創立年月不詳なるも伝説には、昔神武帝不逞を征して伊勢より此地に上陸せられしを以て天神岬と称し後社を建てて神武帝を祀り産土神として崇敬せりと伝ふ、天神の所在地として昔は神崎と称せしが何時の間にか亀崎と転訛するに至つたものであるとの説あり、社前に立てば亀崎港を下瞰し衣ヶ浦は真帆片帆を浮かべて盆水の如く四季の絶景に富めるあり、此社の祭礼汐干祭は有名なるものにて、諏訪の人立川和四郎及越前守岸駒等古名匠の妙技を刻みたる五輌の山車を干潮に乗じ波打際に曳下ろし再び社前に曳上ぐる様は頗る壮観である。往古は八月仲秋なりしを天候険悪の為、文政十一年より今の陰暦三月十五、六日に変更す。社前の広場にて毎年夏には盆踊等ありて賑合ひ社の境内に接して古松参差たるあたりに観月台あり観月の賞地たり、古より海岸に存せる敬神の風習として船が此神前神社の社前を通過する時は、必らず帆を下げて敬意を表す風ありしが、後、略して帆綱に手を掛くるのみとなりしが、文久の頃よりそれすら行はれずなつた。」

 

神武天皇」が上陸した、というのはもちろん伝説なのですが、山車といえば「八坂神社」の祇園祭や、「津島神社」系の天王祭で使われる船が思い浮かびます。
地理的には「津島神社」が割と近く、水辺にある、ということは、元々は「牛頭天王」系の神社だったのではないか、と思われるのですが、何しろ起源が不明なので何とも。
旧暦八月、中秋の頃といえば、今でいう十月、「牛頭天王」は疫病とともに水辺からやってくる神で、夏の湿気の多い頃に流行る疫病を象徴していたりするので、季節がちょっと合いません……のでやっぱり違うかな。
祭礼の時期をずらしたのは、台風がたくさんやってくる季節だったからでしょうか……何しろ伊勢湾台風……。

世界遺産やら何やらはともかく、良い神社でした。

 

「神明神社」(岐阜県高山市)

10/25。
今思えば、いろいろと闇の中で模索しているような日々でした(嘘です)。
実家の父親の仕事の関係で、定宿みたいになっているところがありまして。
奥飛騨なんですが。
で、単なる運転手の私は、普段通りの時間に起きるものですから(5時とか)、風呂に入ってぶらぶらしていたら、発見しました、神明神社

 

◯こちら===>>>

www.gifu-jinjacho.jp

岐阜県神社庁はえらいなぁ……。

 

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狛犬さんから。
ちょっと、つるっとしちゃった感じです。

 

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……摂社かな……。

 

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拝殿左手に広がる広場。

 

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拝殿。
なんというか、なんとも言えない佇まい……豪雪に耐えうる、みたいな感じなのだろうか。

 

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拝殿前から、奥飛騨の山を。

 

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鳥居から拝殿。

 

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狛犬さんその2。
ツヤツヤ。

 

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新しい鳥居から。

 

まあ、御朱印とかはわかりません……。

 

先ほどの岐阜神社庁のHPからの引用です。

主祭神
《主》天照大神(あまてらすおおかみ)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
菊理媛神(くくりひめのかみ)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
(略)
由緒由来
創立年代不詳。当社は村上神社の境外社十七社の内の一社で、明治46年6月國の進めにより、村上神社に合併せしも、戸田采女正による、元禄除地帳四畝歩村抱神明宮地とありこの頃、一重ヶ根集落に伊勢講九組あり交代で各一組が伊勢神宮に代参し、集落全戸のお札大麻を受けて帰るその日、村人皆村境迄神楽、鉦打ち(鶏芸打岐阜県指定重要無形民俗文化財)獅子舞と賑わしく迎え、一旦神社に奉りて師走に全戸に頒布する今も同じ(但し、今は神社庁経由の大麻を受けるので、代参社者は大大神楽、大大麻を受け神社に奉齋する行事は昔の通り。)昭和十七年十月一日拝殿新築再建。昭和三十六年枝村古屋ヶ根白山神社合社す。旧認証番号124」

 

「戸田采女正」は、美濃大垣藩戸田家の誰かで、元禄とあるところからは、どうやら初代「戸田一西」っぽいですが、さてどうでしょう……この手の歴史の話は、私にはさっぱり追えませんもので……。
それより「村上神社」ですが、

 

◯こちら===>>>

www.gifu-jinjacho.jp

 

↑こちらかな……いや、私、単なる運転手なもので……高山から奥飛騨に至る道中(途中で丹生川を通るところ)、道の左右に神社やらお寺やら(「両面宿儺」縁っぽいところから、円空仏のあるところまで)、たくさんあるんですけどね……駐車場ないし、路駐はしづらいし、何しろ単なる運転手……バイクがあれば、楽しかろうに、といつも思って通り過ぎています……「千光寺」くらいは寄りたいなぁ……。
というわけで、こんな日もあるさ、でした。

「深島神社」(名古屋市北区)

8/14。
盆真っ只中……に何をしとるんだという感じですが、北区の「深島神社」へ行ってきました。
公式HPは……ないのかな。
北区といっても、名城公園のすぐ東側で、中区と勘違いしそうです。

 

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拝殿。
尾張造っぽい、のかな。

 

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ピンボケ……「御霊石」。

 

「深島神社神主神谷左内が初代尾張藩徳川義直公(一六〇七〜一六五〇)の命を受けて木曽山中へ入り秘法をもって厳修し霊験を感応し当神社に安置された御霊石であります。
古来より「願い事を祈願すれば万事あらたかな御霊験がある」との言伝えがあります。」

 

……古来ってほど昔ではないですが、まぁ400年経ってますから。

 

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「深島稲荷神社」です。

 

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本殿……致命的なピンボケ。

 

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おキツネ様
素朴、と言い張ろう。

 

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狛犬さん。

 

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拝殿遠景。

 

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「当神社由来
(略)
一、御祭神
本社殿 田心姫命
東社殿 牛頭天王
西社殿 石神社 石土彦神石巣姫神
末社 深島稲荷狼
一、御由緒
創建年月は明らかでないが「尾張志」に応永五年(西暦一三九八)三月改築との記録がありそれ以前の鎮座であることは明らかである慶長年間(一五九六〜一六一四)名古屋城鬼門の守護神として新たに荒神社並びに石神社を尾張藩祖源敬公建立し篤尊敬せられ更に弐代藩主光友卿以降も歴代藩主は甚だしく崇敬せられた明治五年(一八七二)据置公許となり同十八年(一八八五)五月十三日村社列格昭和十四年(一九三九)九月十四日指定村社となる昭和二十年戦焼し昭和二七年再建され現在に至る
従来十三等級であったが平成五年愛知県神社庁へ申請し平成六年十等級社に昇格した(以下略)」

 

とのこと。
「石神社」が謎ではありますが、さっきの「御霊石」のことかな……と思います。

 

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鳥居と社標。
それほど大きな神社ではないですが、住宅街の中に風情佇む感じでした。

 

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鳥居。
夏の空と夏の木々でした。
御朱印は、あるんでしょうか……よくわかりません。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張志』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
7コマです。

 

「深島(シムトウ)社
柳原深島にあり此社号をしむたうと云い深島を字音によめる也柳原も深島も此處の地名也かの宗形三座の其一神にて湍津姫命を祀ると社説にいへりさて此地名によりて按するに深島といふはかの本所宗形の奥津宮に当るへく武島といふは湍津姫命の御名より出たる地名なる事紛るへくもあらねは実は武島社は湍津姫命深島社は市杵島姫命を祭れるならむを此社説を伝へ誤りたるものなるへし(今の社説に武島社を市杵島姫命とし深島社を湍津姫命としたるはこことかしこと混したるものならむ)かくて宗形社はかの筑前なる本所の中津宮に当り深島社を奥津宮にあひ武島社は辺津宮に合り又その祭神の混したらむとおほしきを改て武嶋社を湍津姫とし深島社を市杵島姫とするときは宗形社は旧説のまま田心姫命にて是則日本紀に見えたる古伝説によく符号せり今一己の憶説を記してさらに識者の考訂をまつ扨稲荷牛頭天王(二神)相殿に祭れり此やしろもとは別所にありしを勝綱主(法号得性院と申て源戴公の御末子也)の御さたによりて此處にうつせり」

 

……まずはなんでまた「深島」を「しんとう」などと読んだのか……。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

名古屋市史』もみておきましょう。
179コマです。

 

「四 深島神社
深島神社は西春日井郡杉村大字上名古屋字柳原の西北(もと深島)に在り、(略)、もと弁才天とも、深島弁才天ともいへり、勧請の年月は詳ならず、宝暦四年六月、文政五年五月、同十一年十二月、天保三年九月、嘉永元年九月、明治四十二年九月に各修造遷宮あり、明治初年村社に列す、祭神はいま湍津姫命と定め、稲荷神(略)、牛頭天王(素盞嗚尊、稲荷神は藩主宗勝の子勝綱(幼名藤馬)江戸より之を勧請して、宝暦六年二月、社殿を建立し、天王社は宝暦十一年二月造替遷宮して、共に邸内に奉祀せしが、勝綱の卒後、勝長(松平掃部頭宗勝の子也)其屋敷を拝領して、本社へ合祀せしものなり)、荒神(略)、石神(石土彦命、石巣姫命、以上荒神石神の二神は、荒神社、石神社としてもと城内にありしを、元禄七年閏七月、藩主の命に依りて、柳原神祇祭場殿の側に遷座し、明治十一年本社に合祀す)の四座を相殿とす、

尾張志には、湍津姫命を祀るといへる社説を否認して、深島といふはかの本所の宗形(略)の奥津宮に当るべく、武島といふは湍津姫命の御名より出たる地名なる事紛るべくもあらねば、実は武島社(略)は湍津姫命、深島社は市杵島姫命を祭れるならむを、此社説は伝へ誤りたるものなるべし、今の社説に武島社を市杵島姫命とし、深島社を湍津姫命としたるは、こことかしこと混じたるものならむ、かくて宗形社はかの筑前なる本所の中津宮に当り、深島社は奥津宮にあひ、武島社は辺津宮に合りといへり、但し之は日本書紀を根拠とせるもの、古事記には多紀理毘賣命(田心姫命)は奥津宮に坐し、市寸島比賣命は中津宮に坐し、田寸津比賣命は辺津宮に坐すとあれば、強ち筑前の宗像神社を以て、之を誤りなりと断定すべからざるが如し(以下略)」

 

というわけで(?)、名古屋城鬼門付近には、三つの「弁財天」があり、それぞれ「深島社」「武島社」「宗像社」と呼ばれていたんだぞう、と。

 

◯こちら===>>>

「宗像神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club

「冨士浅間神社」(西区) - べにーのGinger Booker Club

「宗像神社」(名古屋市西区)(再)〜高速初詣その1〜 - べにーのGinger Booker Club


↑過去記事でもちょこっと触れておりますが、通常「弁天」様一つで「市杵島姫命」を祀ってそれまで、ということが多い中、本家の「宗像大社」にならってお社を三つ勧請しているのが珍しい、と……何か意図があったのだと思われますが……鬼門除けに「弁天」様というのもあまり聞かないし、「宗像三女神」というのもなかなか……何かあるのか。
ううむ……この辺りの考察は郷土史家の方にお任せしましょうか。
機会があったら考えてみたいと思います。

 

……あ、そうか、「清洲越」の前に、すでにあったと思われるわけなので、そこから考えていかなければいけないのか……「名古屋城」自体はありましたね(「那古野城」かな)。

池か井戸か、があったようなので、水辺の神様で「宗像三女神」が勧請された、と見るのが妥当かな……創建年代がわからないのですよね……ふうむ。

やっぱり、機会があれば考えてみよう、と。