べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「斎宮神社」(京都市右京区)〜急に日帰り京都旅

11/3。

車折神社」を後にしまして、太秦まで行こうと思ったのですが、グーグルマップ先生によれば徒歩20分程度ということで、まだ朝早い嵯峨野を歩くことにしました。

その途中で発見、「斎宮神社」。

 

○こちら===>>>

ja.kyoto.travel

 

京都市公式HPです。

 

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いきなりの社殿です。


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ちょっと離れますと、こんな感じ。

本殿と、脇にも摂社があるっぽいですね(記憶よ……)。

 


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「白龍大神」。

御神木でしょうか。


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愛宕山」。


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ちょっと、時期的に御神木のグラデーションが美しかったので……。


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社殿交えて。

よいロケーションです。

 


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斎宮神社略記

(略)

祭神 天照皇大神

(略)

由緒

口碑によれば、当地は垂仁天皇の第二皇女で初代の斎宮として、天照皇大神のご神体を奉して各地を巡歴し、ついに伊勢にこれを鎮祭して神宮を創祀せらた倭姫命の別荘のあったところである。そのため命の薨去後、里人が祠を建てて天照皇大勧請したという。斎宮土御門天皇の御代まで四十一代続いたが、この地は斎宮が禊を修せられた所であるという伝えもある。嘉永元年(一八四八)の棟札によれば、往昔この村で初午講行われた時、当家から出火して村内全焼し、当社の古記録も悉く消失したが、社殿は安泰であった、しかし、寛文年中に破損したので改築、同九年(一六六九)十一月二十日遷宮を奉仕した。その後百八十年を経て嘉永元年改築、玉垣も新造し九月十六日遷宮したという。現に寛文九年の棟札も社蔵している。

昭和三十年十二月十六日現在の社殿に改築した。

(付記)

七世紀後半の天武天皇の頃に制度化され、天皇の即位に際し選ばれるのが例であり、御醍醐朝以後に廃絶するまで続いた。選ばれた皇女・女王は、まず宮城内の初斎院で潔斎し、次いで宮城外の浄地を卜して斎所となる野宮を設け、潔斎所をここに移し、川で禊・祓の儀が行われたと伝えられるが、この神社は、こうした野宮の一つ、有栖川禊の旧跡である。また、斎宮が三年の間潔斎したのち、伊勢に下向することは郡行と呼ばれた、なお、境内にある椋の木は樹齢数百年で板根は二メートル近い。また、嵯峨街道(三条通)にも同じく椋の大木が二本あって、社地の広さを物語っているが、交通量の激増により昭和三十五年に伐採された。

(付記二)

『生田(おいた)』地名の由来は、斎宮神社の馬場の松並木の小枝が風にゆれる様から小枝村と称したのが転訛したという。」

 

若干の誤字はともかく、「倭姫命」の別荘かどうかということもなかなか証明するのは難しいでしょうが、少なくとも潔斎地(野宮)の一つがあったのではないか、ということですね。


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「有栖川禊」と書かれています。


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遠景。

こじんまりとしたつくりですが、土塀といい、御神木といい、鳥居といい、なんとも風情のあるお社です。

それにしても天気が良かった。


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社標。

御朱印は不明です。

 

さて。

 

○こちら===>>>

『京都史蹟古美術提要』,京都市観光課,昭和16. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/1042174

(参照 2023-01-18)

 

ざっと探してみたものの、これというものが見つからなかったので(斎宮に関する記事はもちろんたくさんありました)。

↑などいかがかと(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

p174です。

 

「野宮

崇神天皇の御代、豊鍬入姫命以来、後醍醐天皇建武三年までの間、御代毎に伊勢太神宮に皇女を御差遣になつて奉侍せしめ給ふたのであつた。これが斎宮である。斎宮に御卜定あらせられた皇女はまず皇城内の斎院に移り給日、更に城外の斎地を御卜定になつて、ここに三年の間潔斎させられて、伊勢に御発向になるのである。この所を野宮と申し上げる。

野宮は平安奠都後、はじめは平城に置かれたが、文徳天皇の御代以後は北野あたりから、この嵯峨野に多く設置せられたやうである。いまそのあとと伝ふるところは、天龍寺の北の野宮神社車折神社の近くの斎宮神社、四條西大路の西の西院野宮、妙心寺の東などにあるが、天龍寺の北の野宮神社こそ、古き黒木の鳥居、小柴垣の俤を残してゐる。何れの御代の野宮の御址かは判らない。近時近代的な施工を加経て、野宮の古い面影を消してゆのは惜しいことである。」

 

神社の案内板にある、「有栖川禊」があったかどうかまでは判らないですが、嵐山の「天龍寺」近くに「野宮神社」があるのは確かで。

ただそれも野宮があったという伝承の残っている土地、というだけで、実際のところはなかなか判らないとしか言いようがないかと。

いずれにしろ、潔斎をするのですから、近くに川は流れていたことでしょう。

失火で資料が失われたのは惜しいところです。

 

さて、「広隆寺」に向かいますよ。

「車折神社」(京都市右京区)〜急に日帰り京都旅

11/3。

休日だったので、思い切って京都に出かけることにしました。

年に一回は京都に行きたい、というか「萬福寺」に行きたいのです……時間が……お金も……というわけで、急に思い立った京都旅、午前8時には嵐山に到着したのですが、紅葉には目もくれず、車折神社へ。

 

○こちら===>>>

www.kurumazakijinja.or.jp

 

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社標。

嵐山の駅から歩いて行ったら、正面には出なかったもので。


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なので、多分裏の鳥居です。


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狛犬さん。

東郷神社」で見たような感じの造形……新しめ、でしょうか。


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裏の鳥居。

いやあ、日差しが若い。

 

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車折神社

高倉天皇に仕えた学者清原頼業(文治五年(一一八九歿)を祀る。

むかしある貴人が牛車に乗ってこの社前を通ろうとした時、たちまち牛が倒れ車が折れたので車折神社とよばれるようになったといわれている。昔から商人がこの神社の小石を持ち帰り家に納め満願の際この石数を倍にして神社に帰し商取引の違約のないよう祈る慣しがある。毎年五月第三日曜日に新緑の大堰川で行われる当社の三船祭には龍頭鷁首の船や詩歌管絃など多くの供奉の舟が川を上下して優雅な平安京の昔を偲ばせる。」

 

おっと、実在の人物が御祭神だったとは……無知もいいところだ……。


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地主神社」。

御祭神は……氏神様でしょうが……ううむ。


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「滄海神社」。

池はありませんが、橋がかかっているっぽくなっています。

「弁天様」、「市杵島姫命」は島にいらっしゃいます(理由は色々……)。


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本殿を横から……だったかな?


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「清めの社」。

役割としては「祓戸大神」でしょうか。

石、というのが珍しいでしょうか。


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神田神社」。

朝だというのに、ちょっとぼんやり暗いのが素敵でした。

 


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「天満天神社」。

「天神様」っぽいですが、ちょっと違うっぽいです(っぽいって)。

 

 


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狛犬さん。


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拝殿脇にいらっしゃる狛犬さん。


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扁額。


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本殿裏手には「八百万神社」。

……ちょっと、社殿の配置が謎ですけども……本殿の裏手にある境内社……単に土地の大きさの関係なのか……ううむ……。


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拝殿の狛犬さん。


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あれ、さっきもいらっしゃったか……?……な狛犬さん。


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神社の案内にもあった風習が、「祈念神石」という名前で続いているようです。

今は、石は授与されているのですね(勝手に神域の石を持ち帰ってはいけません)。


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拝殿を正面から。

紅葉が見事でした(写真は加工してあります)。

えっと……あれ、蕃塀ですか?

ん〜……昔からこうだったのかどうか、がわからないのでなんとも言えませんが……所謂「蕃塀」ではない気がします。

とはいえ、拝殿前に立っているのは事実……どんな意図なのか(意図なんかないのか)。

 


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鳥居から拝殿。

公式HPによれば、鳥居から拝殿までは直進できず、参道は封鎖されていて、正面から御祭神に近づかないように(敬意を欠くから)だそうですが。

……それって御霊……。


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「葵忠社」。

「忠魂社」のことでしょうか……。

 


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「祖霊社」。

 


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流石に字が小さい……断念。


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順番が前後していますが、有名な「芸能神社」の奉納玉垣の数々です。



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芸能神社」。

御祭神は当然のように「天鈿女命」。

昭和になって創建されている、まだ新しい神社……なのですが、どうでしょう、折りからの映画ブーム、京都の撮影所の賑わいなどがムーブメントになったのではないか、と思っています(違ったらすみません)。


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まあ、一番度肝を抜かれたのは、ジェラール・ドバルデュー氏も奉納していたことですが……。



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境内社の「大国主神社」。


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「辰巳稲荷神社」。



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おキツネさまが独特で可愛らしかったです。


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こちらも「祖霊舎」……あら、字が珍しい。


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小唄の碑……なのですが、さっぱり読めず……「小唄片側町」かな……。


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清少納言社」。

御祭神「清原頼業」公の同族ながら、生没年・墓所などがはっきりしていないので、こちらでお祀りしている、ということです(案内板より)。

……なかなかの剛腕で持ってきた、という感じがします。


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こちら、入口近くの「愛宕社」です。

素直に火除けの神、と考えればいいのか、愛宕山が近いといえば近い(嵯峨野から望もうと思えば望め……たと思います……)からの勧請なのか……。

ううむ。

 


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「水神社」は、素直に龍神様です。

罔象女神」の方ですね(「龗神」にしたって、龍神と考えられますけれども)。


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正面入り口から。


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三条通まで出てきました。

 

車折神社

(略)

社伝によれば、後嵯峨天皇が、牛車に乗ってこの社前を通ろうとした時、突然牛が動かなくなり、車の轅(引棒)が折れたことから、車折神社と呼ばれるようになったと言われている。昔から学問の向上、商売繁昌、売掛金回収に御利益があるといわれ、社務所で授与された小石に祈願を込め、家に持ち帰り、願いが成就したらお礼の石を一個添えて神前に返納するという慣しがある。

境内には、芸能道の祖神といわれる天宇受売命を祀った「芸能神社」があり、古来、芸能上達を祈願する人に厚い崇敬を受けている。また、当社の宮司でもあった富岡鉄斎の「筆塚」がある。

毎年五月の第三日曜日に行われる「三船祭」では、新緑の嵐山大堰川に、御座船をはじめ、龍頭船、鷁首船、扇流し船などの多くの船を浮かべて、平安時代の優雅な風情を再現する。三船の名称は、白河天皇が、漢詩・和歌・奏楽に長けたものを三隻の船に分乗させたことによる。(略)」

 

……「芸能神社」は古来からなのか……それとも「天鈿女命」が古来から芸事の方の崇敬を受けていたという意味なのか……ううむ……芸事、富岡鉄斎宮司を務めていたこととも関係があるのでしょうか……ううむ。

 

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御朱印

 

さて。

 

○こちら===>>>

大日本名所図会刊行会 編『大日本名所図会』第1輯第1編都名所図会,大日本名所図会刊行会,大正7-8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/959904 (参照 2023-01-14)

 

https://dl.ndl.go.jp/pid/959904

 

↑『都名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

p378です。

 

車折社 は下嵯峨材木町にあり。五道冥官降臨の地なりとぞ。一説には清原真人頼業の霊廟といふ。昔此所を車に乗りて行くものあり。忽牛倒れ車を折岸とぞ。今は遠近の商家、売買の価の約を違変な気やう、此社に祈り、小石をとりかへり、家にをさめ、満願の時件の石に倍して此所に返す。五道冥官焔魔王宮の庁に出でて善悪を糺し、金札、鉄札を見て違変な気を当社の風儀とするか。」

 

……ん?

ううん……。

 

○こちら===>>>

宗形金風 著『論攻山城志』,郊外社,昭11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1230890 (参照 2023-01-14)

 

https://dl.ndl.go.jp/pid/1230890

 

↑こんな本があったので見てみようかと。

p288です。

 

車折神社

車折神社は下嵯峨小字朝日にあり、祭神は清原頼業公で、明治六年村社に列せられて居る。社号の起因に就てはは各種の説があり「京羽二重織留」巻四に

車前石、下嵯峨にあり、傳云、亀山帝嵐山へ行幸の時、清原真人頼業の社の前にて御車止まり、牛も地に伏して行かず、供奉の人怪み、始めて此社此所にある事を知リヌ、主上すなはち御車より下させ給犬と、是より此石を車石と号せり云々

 

即ち路上の石塊が行幸を阻んだに因む社号であれば、車前(クルマサキ)であるべきに、事実「車折:であり「クルマサキ」と訓されて居る。元来「折」は「オリ」であり「サキ」ではない。古事記神代巻に「為鬘天之眞拆」(アメノマサキヲカヅラトナシ)とあつて「サキ」の場合は「拆」と書くべきである。字書に「拆」は音「セキ」にて裂也ーーとあり、訓して「サキ」と読んでゐる。「折」は音「セツ」にて断也ーーとあるから「サキ」と読マシムルなれば「折」は誤字となる。されば社号は誤伝「折」の借字をなし「サキ」と読ましめたもので当然改められねばならぬものだ。」

 

いきなりの社号への疑義から始まっているのでちょっと引きますな……ただ、おっしゃる通りとも思えます。

何か意図があるのか……。

続いて、

 

「神社はもと天龍寺塔頭宝寿院の境内にあつたもので、同院は祀神清原氏なる舟橋家の寺で、社伝には祠殿の地上に小さき石塔ありとあるから、祭神頼業公の墳墓上に祠を建てたものであり、神仏分離、社僧復飾の明治維新以前は宝寿院が当社の別当として社務を預り来つたものである。日次紀事四月十四日の條にも

 

清原真人頼業忌、嵯峨宝寿院修之

 

とあり、清原系図にも

 

良賢真人、応永四出家、法名常宗、贈従三位、当道初例内昇殿大外記博士、当院内北半町許有小社、祭清原頼業朝臣霊也。

 

とあり、宝寿院は一族歴代の菩提所となつて墳墓が置かれた訳だ。」

 

以降は、「清原頼業」公について書かれています。

 

○こちら===>>>

清原頼業とは - コトバンク

 

コトバンクの『日本大百科全書』によれば、

 

清原頼業 きよはらのよりなり (1122−1189)

平安後期の漢学者。14歳で学に志して家業を継ぎ、少外記(げき)、大外記、穀倉院別当などに任ぜられ正五位上に上る。大外記の労は24年に及び、和漢にわたる学識と実務の手腕は当代無比といわれた。早くから藤原頼長(よりなが)に認められて『春秋左氏伝』を講義し、晩年は藤原兼実(かねざね)の眷顧(けんこ)を被って政治の諮問にあずかり、その子供に講書を依頼された。また、明経(みょうぎょう)道の復興に力があり、死後車折(くるまさき)明神として祀(まつ)られたが、その学識は『礼記(らいき)』から『中庸(ちゅうよう)』を独立させたのは頼業であるという誤伝を生んだほどである。[大曽根章介]」

 

という方のようです。

神社、そして御祭神としては若い方ですね。

こういう共通認識があるのに、どうして江戸時代末期の『都名所図会』には、「五道冥官降臨の地」とか書かれちゃったのでしょうか……。

神社の方にはその痕跡も残っておらず……近くに「十王堂」とかありましたかね……「宝寿院」にあったのか……。

小野篁」のように、現世と冥府を行ったり来たりできた、といった逸話が「清原頼業」公にあればまた別ですが。

契約を成就させるための、石を持ち帰るといった風習は、確かに「閻魔王」の方が相応しいように思います。

ふむ、モヤモヤする……『都名所図会』が何か勘違いしていたということにしておきましょうか……(いいのかそれで)。

また機会があったら調べてみましょう。

 

というわけで、半日で歩き回った京都日帰り旅の始まり始まり〜。

「(徳重)熊野社」(名古屋市緑区)

9/23。

そろそろ周回遅れを何とかしたいところですが、なんともなりません。

今回は、「熊野社」へ。

 

○こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

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ぼちぼち紅葉が、という頃だった気がします。

 

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摂社の入口……だったかな。


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こちら、参道の入口だったはず。


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摂社は、「秋葉神社」「熱田神宮」「山の子神社」「中山神社」。

 


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狛犬さん。


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緑区と天白区の境辺りにありまして、地形的にここから平針の運転免許試験場の方へ上っているのです。

だから階段が結構きついです。


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もうちょっと。


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到着。

そして、修繕中……。


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扁額。


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コンクリート造でしょうか……いずれ神社の建築様式として、正式に採用されるのかなコンクリート造。


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狛犬さん。

囲いの中に。


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由緒が書かれていました。

 

「創祀は延喜式内社と思われる

日本史に蒙古襲来の頃に編纂された古文書「鳴海旧記」に鳴海奥山廻間(神の倉)に熊野権現の宮有り云々 祭礼に船にて川を奉詣の折り童児神楽を舞いその折り扇を川に落とし候云々 由縁を以って扇川の名基成り

御祭神 伊弉冉尊 イザナミのミコト

伊福利部連命 イフクリベムラジのミコト」

 

式内社と思われる……ううむ、あったかな……。

 

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狛犬さん。


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本殿も修繕中っぽかったです(1年半前、終わっているかな……)。


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「龗神社」……あ、さっきの狛犬さんはこちらでした。


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ふぅ……思えば、「日光東照宮」も、岡崎の「六所神社」も、修繕中だった……巡り合わせが悪いこともあります。


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手水鉢の龍。

ちょっと渋かったので。


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帰り際、階段を下ろうとしたら、偶然目の前に落ち葉が。

蜘蛛の糸か、蓑虫の糸に引っかかっているんですけど、まさに落ちてきた瞬間を捉えた感じになったので。


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連続体好きにはなかなかな景色です。

緑区だから、というわけではないですが、緑が多いです。


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社標と入口。

 

御朱印は不明です。

 

さて。

 

冒頭で紹介した、名古屋市のHP「鳴海東部周辺の見どころ一覧1」によりますと、

 

「神ノ倉の神は熊野社を指し、地名の由来はこの神社のある山が神の鎮まる座、御神座の山を呼んだことによる。古名の字名に伊副ケ根(いふがね)祝ケ根(いわいがね)とあるが、もともとイブクマノ神社の名で呼ばれていた伝承による。祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊福利都連命(いふくりべむらじのみこと)で熊野三社に源がある。この地一帯は江戸時代に尾張藩の御林だった山で明治になり官林から民間に払い下げられ最近まで雑木林だった。近年開発され神社の社殿や参道が整備されて昔の面影は無くなったが、3.7万平方メートルの特別緑地保全地区で桜並木は素晴らしい。参道入口に正観音堂があり、「右あすけ道」「左くまの権現道」の道しるべがある。

 

となっており、神社としては式内社を主張されているようなので。

 

○こちら===>>>教部省 編『特選神名牒』,磯部甲陽堂,1925. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/1919019

(参照 2023-01-06)

 

↑『特選神名牒』から引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

p265です。

 

「伊副神社(イフキノジンジャ)

(略)

今按昔円融帝の朝郡司藤原元命と云暴悪の吏丈六の地蔵大士を彫せしめ伊副神社の傍に安置すと云事或書にみえ如意寺由来記に元命伊副宮司に命じて祭りせしを是より毎年正月十五日御寶前に於て流鏑馬を行ふ其後星霜を経て社跡なく廃し終に祭祀断絶せり中興地蔵尊の寶前に於て毎年の正月二十四日漁父驛士の輩集ひて的を射蛤をささげて放生会を執行すとあるを張州府志に是は伊副神社の本地仏なる故に其祭禮の遺意を修むと云る如く応永2年寺を遷すとき神社も遷てありしを此後社は絶て祭のみ遺れるなるべし其他同郡祐福寺村また春日井郡宇福寺村又愛知郡沓掛村上高根村伊副狭間の若王子と云ひ又相原村のいふかねにます熊野社などいささかの縁語を以ていへる説あれど皆うけがたし」

 

などとありまして、祐福寺や宇福寺、「相原村のいふかね」が「伊副」に通じるからといってこの神社のことだというのはどうも違うのではないか、との説が述べられています。

というわけで、「熊野社」は「伊副神社」ではないのではないか、と。

 

○こちら===>>>

藤原元命とは - コトバンク

 

↑なんか前にも調べたことがあるなぁ「藤原元命」さんは……コトバンクにある『朝日日本歴史人物事典』には、『尾州鳴海地蔵縁起』にも言及があり、これが「丈六地蔵尊」のことだと思われます(縁起なので、多分に事実とは異なるようですが、そんな話が伝わるほどに影響力があったのかな、と)。

 

○こちら===>>>

大日本名所図会刊行会 編『大日本名所図会』第1輯第8編尾張名所図会,大日本名所図会刊行会,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/959911

(参照 2023-01-06)

 

尾張名所図会』には、山崎村の「熊野権現社」の記事がありまして(p567)、

 

熊野権現社 同村にあり。創建の年紀詳ならず。伝へ云ふ、当社は城主信盛の城中にありし守護神なりしよし。寛永年中より追々修理を加へし時の棟札ありて、頗る古社なり。(略)」

 

とありますが……ううむ、他にいい感じの「熊野社」を見つけられなかったので、違う「熊野社」かもしれません。

「信盛」は「佐久間信盛」のことですね(織田家臣団中「逃げの佐久間」の異名をとったお人ですね……晩年はちょっと悲惨)。

 

○こちら===>>>

深田正韶 等編 ほか『尾張志』5 愛知郡,博文社,明31.3. 国立国会図書館デジタルコレクション

https://dl.ndl.go.jp/pid/764866

(参照 2023-01-06)

 

↑『尾張志』を見てみると(p7)、

 

「熊野三所社

山崎村にあり伊弉諾尊伊弉冉尊を祭るといふ本社の東西に脇宮といふ社二社あり速玉之男神事解之男神を祭るこれを総て熊野三社といふ境内に末社いなりの社あり(略)」

 

とあります。

すっかり「伊副神社」のカケラもないので、やはり違う「熊野社」なのか……このあたりは、郷土史の先達にお任せしたいと思います。

個人的に引っかかったのは、祭神が「伊弉冉尊」なんですよね……どうして「伊弉諾尊」じゃないのか……謎謎、ということで、次回は旅先の話になりそうな予感です。

明けまして

相変わらず、全く記事が進んでいませんが、明けましておめでとうございます。

今年も更新頻度は少なく、神社仏閣巡りもそれほどできないと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

例年、年始は記事を見ていただくことが多いようなので、初詣のご参考にでもなれば。

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うさぎを描いてみたら、思いのほかクリーチャーっぽくなってしまったのと、致命的に色彩感覚がないので、よくわからない絵になりました。

そんなことを四半世紀続けています。

もうちょっと、絵が上手くなるようになりたい……が脳の指向的にこういうの向いてないんだと思います。

「大井神社」(名古屋市北区)

9/20。
相変わらず昨年の記事に追われていますが、多分休日で、多分朝からふらっと出かけて、いってみました「大井神社」。


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www.city.nagoya.jp

 

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えっと……なぜか、拝殿横の狛犬さんから始まっておりますね……なんでだろう。

 

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社殿。
新しくなっているようです。
尾張造かな、と思われます。

 

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社殿正面……拝殿。
瓦屋根に銅板葺きの向拝……後から足してみました感。

 

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拝殿向かって左より。
こちらの狛犬さんには近寄れず。

 

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あ、ちょっと近づいてみました……石灯籠の苔生した感じがなんとなくよろしいかと。

 

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近景。
こうして見ると、力強い。

 

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境内摂社。
向かって右から、「猿田彦神社」「直会社」合殿、「白山社」「厳島社」合殿、「富士社」「天神社」合殿、「八幡社」「津島社」合殿、「神明社」「御嶽社「山神社」合殿、と。
随分合わせてしまいました……おそらく江戸末期〜明治の頃に集められたのだと思いますが、それ以後も境内減少とか、社殿老朽化とか、いろいろ理由はあるのか、ちょっと切ないですね……。

 

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蕃塀。

 

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「式内 大井神社
(略)
御祭神 罔象女命 速秋津彦命 速秋津姫命
相殿髪 塩竈六所大明神
(略)
由緒
御祭神
社伝によてば、和銅・養老年間(七〇〇年代)に、現社殿の北西にあった大井の池のほとりに産土神として勧請せられ大井神社と称し祀る。中世、大水の難を避けて現在地へ鎮座される。
延喜式神名帳(九二七年)に山田郡大井神社と記録される式内社である。尾張国神名帳従三位大井天神と見え、神社に保存される社名額・棟札に六所大明神・大井塩竈神社とあり、古来より如意の氏神として崇敬され現在に至る。
塩竈六所大明神
石黒大炊助藤原重行は、後醍醐天皇の皇子宗良親王貴船城に迎え、建武の中興に功績のあった越中国奈呉郡貴船城主石黒越中守藤原重之の子で、勤皇の志を継ぎ度々兵を挙げたが、遂に越中国を去り一時奥州へ移る。後亀山天皇の明徳四年(一三九三年)に至り、奥州千賀に鎮座される塩竈六所大明神の御分霊を奉戴して、尾張国春日郡如意郷に来て潜居し大井神社に合祀する。以来氏神とともに崇敬され現在に至る。
(以下略)」

 


昭和62年に、コンクリート造にしたそうです。

 

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百度石越しの遠景。

 

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鳥居のところの狛犬さん。

 

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鳥居。

 

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駐車場の方にぐるっと回ってみると、確かに本殿、渡り殿、幣殿がコンクリート造になっています。

 


御朱印は不明(いただける日もありそうです)。

 


さて。

 


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大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 


↑『尾張名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
93Pです。

 


「大井神社 如意村のうち、大井といふ地に鎮座あり。今六所明神と稱す。[延喜神名式]に山田郡大井神社、[本国帳]に従三位大井天神とある官社なり。[塩尻]に山田庄如意村六所明神は、式内大井神社なり。六躯の神形を蔵む。男體三躯女體三躯。社説は筒男の神・海童の神三所なりと云ふ。然れば住吉・和魂・荒魂なるにや。社の西に若宮と稱する社あり。是には神形二躯、男體・女體を安置す。是 神功皇后応神天皇なりといへり。住吉の神によせあれば、さも侍るにや。両社の間に昔観音堂あり。聖観音・如意輪を安置せしが、如意輪は盗人にとられ侍る。聖観音は堂破れし後、鶏足坊に移し安置す。如意輪の像は今愛知郡尾頭澤妙安寺に安置する像なりとかや。おもふに是は社の本地仏にて、六観音なども有りけん。昔此村は神戸と稱す。[和名抄]に山田郡神戸とあるはここなり。然るに大井神社の本地仏に如意輪堂ありし故に、村名を如意と呼び初めしと云々と見えたり。[蜷川親元日記]寛正六年のくだりに、武庫御被官尾州神戸弾正貞則、また尾州神戸七郎などあるは、みな此地の人なり。」

 


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神社覈録. 上編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 


↑『神社覈録』はといいますと。
788pです。

 

 

「大井神社
(略)◯祭神在所等詳ならず
集説に、山田庄如意村六所明神、此有大井池と云り、然れど張州府志に、如意村六所祠、嘉吉二壬戌年藤原朝房建之と載せたれば、必大井神社とは定めがたし、猶考ふべし(略)」

 


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特選神名牒 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 


『特選神名牒』は、というと。
261pです。

 


「大井神社
祭神 彌都波能賣命 速秋津日子命 速秋津比賣命 (略)所在 山田庄如意村 今属春日井郡西春日井郡楠村大字如意)」

 


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尾張志. 6 春日郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 


尾張志』春日井郡の巻。
53pです。

 


「大井神社
如意村のうち大井といふ地に鎮座也今は六所明神と申す延式神名式に山田郡大井神社本国帳に従三位大井天神とある官社也」

 


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西春日井郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 


西春日井郡誌』はいかがかと。
326pです。

 

 

「大井神社 楠村大字如意字北浦二千百五十一番地にあり、罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命を祀れる村社にして鎮座年代詳ならず、されど旧記によれば、往昔は大井天神と稱せり。延喜式神名帳に山田郡大井神社、本国神名帳従三位大井天神とあるは此の官社なり。然るに明徳四年石黒大炊助重行、奥州塩竈六所明神の尊像を負ひて尾州に来り、春日部如意郷に潜居し、宅地を構へ姓を変じて、長谷川重行と稱せり。重行の子、石黒右馬頭藤原朝房、嘉吉二年壬戌三月、本社を改めて造営し相殿に六所明神を勧請せしかば、何時しか天神の名は消えて、六所明神と唱ふるに至れり、尾張誌に「如意のうち大井といふ地に鎮座あり、今は六所明神と申す云々」とあり。
爾後慶長十四年迄百数十年間は、代々石黒家奉仕せしを以て、社殿修復の棟札には悉く石黒某の姓名を記せり、其後数十年を経て慶安元年戊子正月社殿修復の際より村民の寄附となる、爾来如意村の氏神社として今日に至るまで二百七十餘年を経たり。
境内五百十三坪、老樹少なからず、神殿、相殿、祭文殿、廻廊、拝殿、社務所等あり、境内神社には合殿四社あり。即ち神明社、御嶽社山神社覈録、合殿(祭神天照大神、国常立命大山祇命)八幡社津島社合殿(祭神大鷦鷯尊、須佐之男命)富士社天神社合殿(祭神木花咲哉姫尊、国常立尊)白山社厳島社合殿(祭神菊理姫命市岐島姫命)是なり。例祭は十月十八日とす。」

 


記事の内容をまとめると、

 


・『延喜式神名帳』の「大井神社」(『本国神名帳』の「大井天神」)がここだと思うよ。
・石黒某が、宮城の「鹽竈神社」から「鹽竈六所明神」を勧請したよ。
・近くに池があったみたいだし、元々は水の神様だったっぽいよ(でも大水の難を逃れるために遷座されたよ……水の神様じゃなかったのか……)。

 


といったところでしょうか(おおざっぱ)。
「大井」というのは、「大きな井戸」というよりは、「大池」からきたんじゃないか、と思ったりします(普遍的な名前ですよね)。
名前のない水の神様が、「罔象女神」などになっていったのだけれど、大池が失われて、神徳も弱まり……という感じでしょうか。
式内社は、御祭神がよくわからないのですよね困ったことに……わかりやすいのもありますが……『延喜式神名帳』もどうせなら御祭神までちゃんと書いてほしかった……(書いていない、ということは逆に神社名で誰でも御祭神を認識できたのか、そもそも名前のない神々だったのか……)。
いずれ尾張式内社は制覇してみたいところです。

 

「稲穂社」(名古屋市中村区)

7/31。


何かの要件で出かけたので、その前に名古屋駅前の「稲穂社」へ。


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www.city.nagoya.jp

 

 

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名古屋駅に行くたびにお詣りしているので、何度目かは忘れました。
鉄格子の中の神社、としておなじみです(?)。
「稲穂社」。

 

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「稲穂稲荷社」。

 

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そう古くはなさそうな瓦発見。

 

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「稲穂秋葉社」。

 

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「稲穂稲荷社」の前は、お稲荷さんらしくなっています。

 

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後ろにはビル……東京ではしばしば見る光景ですが、名古屋ではあまりないかな。

 

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狛犬さん。
ツルツルっぽい……石の問題か。

 

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外観。
わりと朝の早い時間だったので、日差しが若いこと……。

 

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「御祭神 宇迦之御魂神
(略)
由緒 文政丙戌九年三月当所に御鎮座あり。当時この地は牧野出郷と呼ばれ天保二年十二戸の民家建設せられたると人家の始とす 爾来当社はこの里の守護神として崇敬篤く昭和二十年三月不幸戦災罹り焼失せしが昭和二十六年十月再建を見るに至れり 昭和四十年名古屋駅西都市改造事業に伴い移築御造営同年十月工事完了 社頭に三基御神霊鎮座奉る
追記 平成九年十月拝殿消失し現在に至る」


この案内自体がいつのものかわからないのですが、20年くらい前に火事に合ったのですね……その頃はまだ名古屋にいなかったかな……。


さて、↑の「中村区史跡散策路」から引用を。

 

天保2年(1831年)、当時の牧野村住民の内より12戸がこの地に移住して新たに一集落が造られました。当社はこの里の守護神として祀られたものです。」


といってもこんなものですが。
牧野五社、というくくりがあるようで、いくつかは回っていると思うのですが、またいずれ……。

「(味美)白山神社」(愛知県春日井市)

7/23。
やや曇りがちの空の下、ちょっとばかり遠出……といいつつ、春日井市なので名古屋のお隣なのですが、「味美二子山古墳」と、そのそばにある白山神社に行ってまいりましたよ。


◯こちら===>>>

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「国指定史跡 二子山古墳
二子山古墳は、墳長九十四m、盾型の周溝を含む全長一一六mの前方後円墳で、六世紀前葉の築造と推定されます。付近には白山神社古墳、御旅所古墳、春日山古墳が現存し、総称して味美古墳群と呼んでいます。
平成四年の発掘調査で周溝の外側に幅約四mの溝状遺構を確認し、一〇〇点を超える埴輪や土器が出土しました。埴輪には、円筒埴輪や人物・馬・家・蓋などの形象埴輪があり、周溝と溝状遺構との間に配列され、儀礼などの場面を再現していたと考えられます。
これらの埴輪は、須恵器の製作技法を用い、窯を利用して灰色・硬質に焼き上げられており、ここから北東へ約八km離れた下原古窯跡群(東山町)から供給されたと考えられています。」

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古墳は素人の私です。

 

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石標があります。
近くで撮影しても、古墳かどうかはさっぱりです。

 

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周溝が手前に見えます。

 

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ううむ……巡っていますが……何がなにやら……。

 

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ハニワの館。
中も興味深かったので、御立ち寄りの際は是非。
のんびり休んでいたかったですが、時間もないので。

 

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こちら、公園内にある「御旅所古墳」。

 

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御旅所、かつ相宮とな……なんといいますか、御旅所というには、「白山神社」から近すぎる気がしないでもないですが。
ご祭神は、「白山神社」なので、という感じですが、「可美真手命」が入っている辺りが地域性でしょうか。

 

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登れます。

 

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なるほど、御旅所っぽい……。


さて、「白山神社」です。

 

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「ご由緒
白山神社養老元年(七一七)泰澄(たいちょう)大師が加賀(石川県)白山(二、七〇二m)に初登拝し白山比咩大神(シラヤマヒメオオカミ・菊理比売命)の鎮座まします霊山を神体山として開山し、現在全国に二千七百十六社の分霊社を擁し総本社(根元社)を白山比咩神社(石川県石川郡鶴来町)としています。愛知県にも分霊社が二百二十社あります。
わが白山神社は、万治二年(一六五九)、元春日井郡味鋺村(現名古屋市北区楠町五)白山藪より、この地に遷座し、また二子山古墳にあったといわれる物部神社を合祀して建立されました。
この神社は県指定文化財(史跡)白山神社古墳(前方後円墳)の上に祀られていることから、本殿が西向きの珍しい神社となっています。
なお同じく県指定になっている御旅所古墳(円墳)の上にある御旅所は寛延年間(一七五〇頃)までは西方、稲置街道(県道)を越えた春日山古墳の上にあった春日神社でしたが、街道を横断し通行の妨げになるとのことで今の場所に変更されました。その後大正七年(一九一八)春日神社も白山神社に合祀され今日に至っております。
(略)
御祭神
伊邪那岐命イザナギノミコト)
伊邪那美命イザナミノミコト)
菊理比咩命(ククリヒメノミコト)
可美真手命(ウマシマデノミコト)(物部神社
天児屋根命アメノコヤネノミコト)

境内社
神明社天照大神
御鍬社(豊受比咩命)
国府宮尾張大国魂神)
津島社(須佐之男命)
秋葉社(火具都知命
熱田社(倭建命)
金比羅社(大物主命)
厳島社(市寸島比売命)」

 


ううむ……なるほど。

 

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社標と鳥居。

 

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鳥居と参道。
そうですね、古墳に向かって一直線、なかなかない参道かと思います。

 

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ニノ鳥居、かな。

 

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階段で古墳をのぼります。

 

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白山神社古墳・御旅所古墳」の案内。
地図を見ていただけば、合祀されている「春日神社」がもともとあった「春日山古墳」の場所がわかります。
古墳の配置的に、何かしら意図はあるかと思われますが、いわゆるレイラインだの星座だの、ということではなさそうです(そうだったらエンタメ的に面白いのですが)。

 

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古墳頂への階段。

 

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蕃塀……はいいのですが、そこに照明を置くのか……。

 

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末社の案内、本殿向かって左手前。

 

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本殿。
西向きなので、午前中は眩しいですね。

 

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狛犬さん。

 

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本殿手前の幣殿(か神楽殿)。

 

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並び的に尾張造ですね。

 

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急に葵の御紋。

 

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白山神社」の案内板、本殿向かって右手前。

 

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狛犬さん。

 

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境内末社
秋葉社」「天神社」「津島社」。

 

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狛犬さん。
堂々たる造形。

 

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拝殿。
茅の輪あり。

 

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牛さん。

 

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読めませんが、「旧御神木」です。

 

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階段下の狛犬さん。

 

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池があるので、「厳島社」もあります。
もともとは、古墳の周溝じゃないのか……。

 

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神田越しの「白山神社古墳」。

 

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参道の脇にありました。

 

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一の鳥居のところの、狛犬さん。

 

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現役御神木さん。

 

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……あれ、これが一の鳥居のところの狛犬さんかな……さっきのは……。

 

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すぐ近くの「日輪寺」にも参拝。

 

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白山神社古墳」の裏手に回ってみたのですが、うっすら社殿が見えるくらい……。

 

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これは「厳島社」を裏から、です。

 

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遠くに鳥居があったぁ……。

 

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最初の鳥居に戻ってきました。

 

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こちら、二子山公園の、古墳・埴輪絡みのいろいろなもの。
なんだか、微笑ましくてよいですねぇ……。


さて。


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東春日井郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション


東春日井郡誌』より。
630pです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

白山神社
所在 (略)
社格 (略)
祭神 伊邪那岐命
伊邪那美命
可美直手命
菊理比売命
(合祀したる祭神)
天児屋根命
例祭日 十月十二日
由緒 万治二年八月味鋺村より遷座し、同時に附近にありし物部神社を合祀せり、物部神社は、尾張国神名帳に、春日井郡二十座中、即ち従二位上物部天神と載せたる社なり、されど合祀の後は、漸く其伝を失ひて、遂に其所在さへ世に知られず、尾張志の如きは、物部神社延喜神名式に見へたり、在所定かならず、豊場村の八所社をそれなりといふ説されど據なし、と云へり、而るに尾張名所図会は之を八所明神に係けたり。
かくて大正七年一月十五日、更に同所字南立石(略)鎮座無格社春日社祭神天児屋根命を合祀したり、
神名帳考証に曰く、信友云、物部氏祖味間見命の子に、宇麻志麻治命などあるに対へて按ふに、味鋺も宇麻志麻里ならんか、されど村名の命唱には叶はず、物部氏当国によしあることおもひ合わすべし、又曰く、物部神社、愛智郡又式外中島国帳従三位物部天神集説味間見命之子、宇麻志麻治命也、
明細帳に曰く、当社者万治二巳亥年八月十七日味鋺村ヨリ遷座ノ由、古記ニ現存セリ、又古老ノ伝ニ曰、二子山ニ鎮座有之候、物部天神社ヲ右同時遷座、隨而致合祭候趣申伝、而方今ニ至ル迄相殿ニ祭祀来候、右二子山者該社地ヨリ一町計東南ニ在、而大ナル塚也、塚ノ上二ツニ分故ニ二子山ノ名アリ、巡リハ池ニテ、岸々ハ蘆生ヒ茂リ、四時清水湧出漲流シテ、田地数町ニ灌漑シ又魚鳥多シ、此者物部氏ノ遠祖可美真手命之御墓之由緒、先哲之考アリ、此物部神社者、延喜式神名帳ニ記載之社ニテ、本国神名帳従三位物部天神ト有之候、而此社者谷川士清ノ説ニ春日井郡味鋺村ニ在ト云即チ是ナランカ、氏神ノ神輿ハ、宝暦六年丙子八月ヨリ春日山ヘ、例祭八月十七日御幸ス、右春日山ハ本社ヨリ一町余リ小牧往来ノ西ニ在リ、南西北ノ三方ハ田ナリ、現場二反歩余ノ塚山ナリ、此塚中ニハ大石数多アリ、往古ヨリ掘出シ本社ニ用ヒシ事、両三度ナリ、今ニテモ二三尺穿テハ大石見ハル、当時例祭御幸毎ニ、往来ヲ遮リ通行ヲ妨ケ不便ニ付、寛延ノ頃ヨリカ今ノ春日社へ御幸スト、古老の言伝ヘナリ。」


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「味鋺神社(北区)」 - べにーのGinger Booker Club

「味鋺神社」(名古屋市北区)(再)〜高速初詣その1〜 - べにーのGinger Booker Club


↑「味鋺神社」の昔の記事です。
さて、どうも二子山古墳が、かつては物部氏の祖「宇麻志麻治命」の陵墓であり、「物部神社」があり、「味鋺神社」からの神輿渡御も行われていたのではないか、という説があります。
それが、今では「白山神社」に合祀されてしまった、という。
古墳の上の神社、というのが、時代が過ぎるにつれて重視されなくなっていった、ということなのかもしれません。
日本各地には古墳の上の神社が残っていますし、愛知県でも「尾張戸神社」等は有名です(志段味の古墳群、春日井とも近いですので、かつて「百塚」といわれたこの辺りは、同族の古墳がたくさんあったということでしょう)。
それが流行らなくなったのか……しかし、この、古墳の上の神社、という形式もまた、本当に古いのかどうか、私は調べられておりません……故人の神格化が、仏教流入以前、ケガレの思想がそこまで強くなかった時代に進んだ、ということであれば、伝承といえど巨大な山のような墓をそのまま神社にする、という発想は理解できますし、墓というのはモニュメントというだけでなく、「祈り」の対象として存在したわけですから、そのまま神社を置く、という発想もまた理解できます。
かつては栄華を誇った物部氏の祖先を祀った(と伝承される)神社といえど、時代の流れには抗えず、後発の流行り神白山神社」に合祀されちゃう……というところまではまあわかるのですが、ここで再度「古墳の上に神社」という発想になったのはなぜなのか……当時のメンタリティがよくわかりません。
二子山古墳から遷座するにあたって、同じ古墳の上に置こう、という話になった……にしても、二子山古墳と現在の「白山神社」は目と鼻の先、それこそ歩いて数分とかいう距離でもないくらい近いのです。
なぜそのままではいけなかったのか……「白山神社」も、別の場所から遷座してきているわけですし、なんなら御旅所もわざわざ円墳の上に遷している……思想がとっ散らかっているようにしか思えないのですよね……。
二子山という名前も、ありがちな名前ではありつつ、言い伝えによれば「山が二つあった」ように見えた、つまり前方後円墳を遠くから見たらそう見えた、ということなのでしょうから、見たまま……由緒正しい物部氏祖の墓ならそれなりの名前が伝わっていてもよさそうなものなのに……(地名には、物部氏の残照が見られますから)……実際には既に「宇麻志麻治命」の陵墓だったという伝承は廃れていて(あるいはそもそもなかった)、後からとってつけたんじゃなかろうか……とさえ思えてきます。
謎……というか、考えすぎ……しかし、「物部神社」が「白山神社」に合祀され、そのままだということが、時代の流れを反映している、というのはあながち間違いではないように思います(「白山神社」が流行ったことには、江戸期被差別民が絡んでいるのではないか、という説もありますが……さて、どうなのか……)。
うむ、やはり古代史が絡むと妄想が面白くなります。
よい神社でした。