べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「多賀大社」

9/7。

薄曇りの天気ではありますが、ちょっと遠出。

近いようで遠い、遠いようで近い、そんな近江の辺りを攻めてみようかと。

というわけで、ひとまず「多賀大社」。

 

◯こちら参照===>>>多賀大社

 

大社とついているのに、一の宮でもない(近江国三宮、とされています)、不思議なところ。

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参道前に、駐車スペースが。

とりあえず500円、お支払いしました。

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昔からの参道が今ひとつはっきりしないのですが、街道筋から一本入ってくるときには、見事に直角に曲った気がします。

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祭神は、「伊邪那岐命(いざなぎのみこと)」、「伊邪那美命(いざなみのみこと)」。

高天原別天津神の諸神を除けば、日本という国の祖先神、といってもいい二柱の大神です。

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「当神社は『古事記』にその名が記され、『延喜式』には「多何(多賀)ノ神ノ社ニ座」とあって古くから鎮座していたことがわかります」

とあります。

「大正から昭和にかけての造営については『多賀神社造営誌』に詳しく記載されています。これによると、明治以降、建物の再建・撤去が無計画になされたため、社殿配置に統一性が欠けておりました。そこで、大正八年(1919)に明治神宮造営局技師・大江新太郎が境内を(1)神聖(2)神厳(3)清厳(4)清雅(5)自由区域の五段階に分けて設計を行い、その計画をもとに壮大な造営事業が進められました〜(中略)〜表門から本殿まで、参道に沿って一直線上に配置された建物は巧妙に計算され、なかでも拝殿から本殿にかけて段々状に重なった桧皮葺屋根は、華麗で変化に富んでまとめられており、気品ある神々しさを醸しだしております。多賀大社は、近代につくられた神社建築の中でも、最も優れた社殿として高く評価されています」

なるほど、比較的新しい造りでしたか。

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近畿地方の神仏霊場を書いた地図。

京都、奈良は、一年くらい住んで攻めたいですねぇ……(無理)。

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境内全景。

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「そり橋」。

「太閤橋」と呼ばれていますが、実際には「太鼓橋」だそうです。

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川に橋がかかっていますねぇ(当たり前)。

人も渡れますが、滑るそうです。

「酒を飲んで渡るな」と書いてあります。

さて、頓知でどう解けばよいのでしょうか……いや頓知じゃねえし。

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控えめな神門のそばに、立派な灯籠が。

由来書きが写真に撮れてない、という……。

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概略が書かれております。

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神門から拝殿が覗けます。

確かに、計算された造り、という感じがしますね。

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拝殿。

パノラマってみました。

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近代の造営ということで、まだ100年経っておりません。

境内の空間の使い方に、近代的合理性を感じます……とか書いとくとそれっぽくないですか?

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本殿はなかなか拝めませんが、流造っぽいですね。

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本殿向かって右手に行きますと、「金咲稲荷神社」があります。

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ちょうど雨が降ってきたので、写真が適当です。

祭神を「宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)」としています。

日本書紀』では、「イザナギ」「イザナミ」両神の御子神です。

古事記』でも、「須佐之男命」の御子神なので、孫神ですね。

創世の神が、穀物の神を生む、というのは、世界でもポピュラーな神話でしょうか。

「金咲」っていう名前が少々気になりますね……金属精錬に関係のあるものっぽいですが。

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さて、お次は、本殿横にありますお社。

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向かって左から、「熊野新宮」、「天神神社」、「熊野神社」。

普通、こういう並びだと、熊野三山を勧請しているものなんですが。

真ん中に「天神神社(あまつかみじんじゃ)」というひっくるめましたネーミング。

祭神は「造化三神」。

何やら意図を感じますが……私では何とも。

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お次は、

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「聖神社(ひじりじんじゃ)」と、

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三宮神社(さんのみやじんじゃ)」。

「聖神社」のほうは、「スクナヒコナノミコト」。

「聖」は「ひじり」、「日知り」のことだと言われています。

聖なるものは、日のことをよく知っていたのでしょう、というわけですね。

三宮神社」は、あまりメジャーではありませんが、「神世七代」の神々を御祭神としています。

イザナギ」「イザナミ」以前に生まれた神で、世界創世の段階をそれぞれ象徴しているのではないか、と言われています。

オモダルノカミ」は、六番目に生まれているので、神仏習合の頃には第六天魔王他化自在天と習合していたそうです。

強引ですな。

そして、

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「竃神神社」と「年神神社」。

どちらも穀物、食料に関係する神です。

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本殿脇には「寿命石」なるものがありました。

囲いだけがあると、ちょっと不気味ですね。

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多分、神楽殿です(多分て)。

違った、「能舞台」でした(嘘つき)。

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「神馬舎」にいらっしゃったのは、作り物です。

最近はなかなか、神馬を常に境内に、という神社は少ないんでしょう。

さて、本殿向かって左手に進んでいきますと、他にも建物やらがあったりしますので。

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まずは「大釜」。

「御湯神事」ってなんでしょうね……「クガタチ」かな。

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「神輿庫」。

御神輿が入っています。

なかなかモダ〜ンではないでしょうか。

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「つり鐘」。

神社なのに鐘。

神仏習合の、かすかな名残り、です。

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「太閤庫」。

豊臣秀吉の崇敬も厚かったようです。

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「夷神社(えびすじんじゃ)」。

小さなお社ですが、彫刻がかなり立派だったので思わず近寄ってしまいました。

何となく、新しい感じがしますね。

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「夷神社」のある辺りには、元々神宮寺の一つ、「般若院」があったようです。

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さて、そのまま進みますと、「日向神社」があります。

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式内社」、ということは『延喜式』のその名が見られる、ということなので、かなり古くからあるのでしょう。

元々は、独立したお社だったのが、昭和九年に「多賀大社」の摂社となったようです。

祭神は「瓊瓊杵命(ににぎのみこと)」ということで、「ひむかじんじゃ」と読むのが正しいのだと思います。

「瓊瓊杵命」を単体でお祀りする、というのはなかなか珍しいという気がします。

天孫降臨の主役なんですが、信仰対象としては今ひとつだったようで。

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あわせて、「子安神社」と、その隣で造営中の「神明両宮」がお祀りされておりました。

「子安神社」の御祭神は「コノハナサクヤヒメノミコト」。

「瓊瓊杵命」の妻神です。

子どもは無事に生んだのですが、「本当に俺の子か?」的な嫌疑をかけられて、自ら産屋に火を放った、という激の人です。

自分では子どもを育てられなかったので、子育ての守護神になっていることが多いです。

「両宮」というのは、多分伊勢の内宮外宮のことだと思います。

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「日向神社」の本殿です。

大きな神社では、あまり近くで本殿を見ることができませんので。

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さて、「多賀大社」に戻りましょう。

途中で出会った、見事に苔生した灯籠。

他にも、こんな灯籠が並んでいました。

それだけで素敵ですねぇ。

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「奥書院」ははっきり見せませんので、参集殿。

こんなものがあるんですから、相当な崇拝を集めているんですねぇ。

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御朱印を待つ間、休憩所(?)。

「棒の手」の棒。

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多賀講の名簿、でしょうか。

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これを見たら、湖東にも見るべきところがたくさんあって、ちょっと絶望しました。

ちなみに、御朱印は「スタンプラリー」ではないので、注意しましょう。

コレクションしたくなるのは人間の性ですが、適当に扱ってはいけません。

私が適当に扱っていないのか、と言われると返答に困りますが

琵琶湖の竹生島には、行っておきたいですねぇ。

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東参道入り口。

青銅製の(とおぼしき)狛犬が勇壮です。

結構、大きいです。

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こちらは、神門外の「秋葉神社」と「愛宕神社」。

この年まで意識しなかったのですが。

秋葉神社」と「愛宕神社」、対でお祀りされることが多いんですね。

私、「秋葉神社」だけでいいじゃん、と思っていたのです。

しかし、「秋葉神社」、「火伏せの神様」、つまり「鎮火」なんですよね。

そして、「愛宕神社」はといえば、「防火」

そりゃどっちも大事だわ。

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どこへ行っても稲荷と天神、でおなじみの「天満宮」です。

さて、『古事記』には、「淡海の多賀に坐すなり」と書かれる「イザナギノミコト」です。

あわせて、「イザナミノミコト」を祀っている、というのはちょっとおかしなお話で。

なぜなら、「イザナミノミコト」は、「黄泉の大神」になられているはずなのです。

「地上の人草を一日に1000人殺す」と宣う、大いなる黄泉の神であり、生き返ったという話は聞きませんので、まだ黄泉平良坂、伊賦夜坂の果てにおられるはず。

とはいえ、実際のところは、日本中で「イザナミノミコト」を祀っていたりしますが。

その辺りのことはおいておいて。

イザナギノミコト」、これがまた偉大な方、国生みの主神であり、三貴子の親でもいらっしゃる方なので、もっと盛大にお祀りされていてもいいと思うのですが。

祖先信仰からいえば、日本の祖神ですから、伊勢神宮出雲大社クラスの大きいお社で祀られていてもおかしくないんです。

ところが、どうもそんな気配がない。

大して大事にされていない。

古事記』によれば「多賀大社」、『日本書紀』では「淡路島」にお隠れになったそうですが(どっちにいらっしゃるんでしょうかね)。

イザナミノミコト」は、荒ぶる黄泉の大神です。

怨霊とはちょっと違うのですが。

では、「イザナギノミコト」はどうでしょう。

作家・高田崇史氏の小説の中で、この話が取り上げられています。

ネタバレになってもいけませんが、「怨霊を祀っている神社」の条件というのがいくつか書かれています。

「参道が直角に曲っている」というのもそうなんですが、他に「川を渡る」というのもあるんですね。

川を渡った先は何か。

他界、もはやそれは「黄泉」の国と同じ、なのです。

その川がある限り、「イザナミノミコト」が道返神に遮られてこちらにこられなかったように、現世には出てこられないのです。

……信じるか信じないかは……やめとこう。

 

 

ちなみに、「多賀」という地名も象徴的だと言われています。

「タガ」は「箍(たが)」に通じます。

「締めつけて、出られないようにする」んですね。

そんなことをしなければならないほど、我々の祖先は「イザナギノミコト」に非道なことをした、のかもしれません。

とすれば、少なくとも、「天照大神」に祈るよりは「イザナギノミコト」に祈る方が、全うな気がします(「天照大神」は所詮、皇室の祖先神でしかありませんが、「イザナギノミコト」は日本の親神ですから)。

が、そんな話がとんと出てこない、というのはどうしてなんでしょうねぇ。

我々の国の祖先ではないから、なんでしょうか。

 

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日本の神様読み解き事典

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