べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「雑司が谷鬼子母神」(再・補)「稲荷鬼王神社」(再)

3/31〜4/1。

間にお誕生日会をはさみまして、「雑司が谷鬼子母神」と「稲荷鬼王神社」の写真を。

 

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「雑司が谷鬼子母神」 - べにーのGinger Booker Club

「稲荷鬼王神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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雑司が谷鬼子母神」。

何かお祭り的なものが行われていたので、あんまり写真はないですが、メインは狛犬さんだったので、これはこれで。

赤い木鼻がいいです。

 

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御朱印

 

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「稲荷鬼王神社」。

力様の前に花が落ちていて、なんとも乙な写真になってしまいましたとさ。

狛犬さんの台座にも狛犬さん……。

富士塚もいろいろ撮影してみました(前回の写真が、あまりにもあまりに、だったもので)。

 

さて。

 

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大日本名所図会. 第2輯第5編 江戸名所図会 第3巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

そういえば「雑司が谷鬼子母神」のほうの引用をしていないので(「稲荷鬼王神社」のは、『新編武蔵風土記稿』をじっくりあたらないと見つからないかなぁ……と。ちらっとは探したのですが)、『江戸名所図会』から。

101コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

鬼子母神
雑司谷にあり。法明寺の支院大行院の持なり。
本殿鬼子母神 銅像なり。鬼子母神一名を訶梨帝母天と称す。
相殿 圓満具足天、鬼子母神の夫なり。十羅刹女、同じ御子なり。
鷺大明神祠 堂前左の方にあり。祭る神詳ならず。或は云ふ、出雲国神戸郡鷺村の鷺浦に鎮座し給ふ素盞嗚尊の妾皐諦女なりといふ。此神は疱瘡の守護神にして、正徳の頃、松平羽州侯神告に依て是を勧請す。疱瘡寄願の輩、広前の小石を拾ひ得て、守護とす。例年八月朔日祭あり。また毎月朔日を以て縁日とす。
稲荷明神祠 堂前右の方にあり。天照太神宮と八幡太神宮とを相殿に合祭す。地主の神なり。
銀杏樹 社前にあり。世に子授銀杏といふ。
石像二王尊 和田戸山盛南山と云ふ寺より、自證院殿ここにうつされしとなり。
華衣 紫銅を以て製す。額に「鬼子母神」と畫せしは、本阿弥光悦の門人日光上人の筆なりといふ。
(略)
縁起に云く、此本尊は永禄四年辛酉五月十六日、此地山本氏・田口氏なる者(略)、池水に星の現ずるを見て後、其地を穿ち、鍬下に是を得奉りしとなり。今護国寺の西に、其出現の旧跡あり。星の清水と称す。依て東陽坊第五世日性師に贈る。東陽坊は今の大行院の事なり。乃ち仏殿に安んすゑて、十有余年を経たり。然るに安房国の沙門某(略)日性師に仕へけるが、いかに思ひけん、密に是霊像を盗み故郷に帰るに その年天正五年なり 忽病を発し、一日自口ばしりていへらく、我は元武州雑司谷にあり。彼地の衆生機縁既に熟す。正に済度すべき時を得て、泥中より出現せしを、ここに移す事我意にあらず。直に元の地に帰すべしとなり。時に村人大に怖れ畏み、再び東陽坊に遷し奉る。仍て諸人霊威なる事を知つて、ひとつの草堂を営まんとて、往古より稲荷の社跡と云ひ伝へたる叢林を開き、竟に天正六年戊寅四月十日に始て斧を下し、同五月朔日経営落成し、ここに安置す。其後寛文六年に至り、自證院殿新たに宝殿を造立せらる。今の本殿是なり。自昌院殿は加州黄門の息女にして、安芸太守の令室なり。
此地は遥に都下を離るるといへども、鬼子母神の霊験著明く、諸願あやまたず協へ給ふが故に、常に詣人絶えず。依て門前の左右には賃食店軒端を連ねたり。十月の会式には、殊更群集絡繹として織るが如し。風車・麦藁細工の獅子・川口屋の飴を此地の名産とす。又当山は花の名所なり。近年境内に桜数多植ゑて、往昔に復せしめんとす。北條家分限帳、江戸雑司谷太田新六郎所領とあり。
麦藁細工角兵衛獅子 は昔高田四ツ家町に住みし粂といへる女子、製し初めたりといふ。此粂女に母一人ありしが、家貧しく、孝養心のままならざりし事をなげき、常に雑司ヶ谷鬼子母神へ詣し、深く此事を祈願し奉りしに、其至孝の冥慮にかなふにや有りけん、寛延二年の夏、麦わらを以て角兵衛獅子の形を造りそめたりしが、其頃雑司谷の鬼子母神、ことに参詣多かりし頃なれば、此獅子を買ふ人夥しく、竟に麦藁細工のために其身さかえければ、夫より後は心やすく母を養ふといふ。
百度参 寄願あるもの、其社前を往返して、百度参拝す。是を俗に百度詣と號す。或人云く、此事は当社鬼子母神を以て權輿とす。其ゆゑは十羅刹女を始とし、千人の御子にねぎたてまつる意にして、十と千の間を取り、百度詣するといへり。千団子・千疋猿のたぐひ、皆此故なりとぞ。」

 

ものの本によれば、「鬼子母神」の夫は、「毘沙門天」配下の八大夜叉の一人「半支迦」、別名を「散支(脂)大将」になっています。

「円満具足天」、謎です……。

「角兵衛獅子」って聞くと、『鞍馬天狗』を思い出し……ませんか?(そんな年齢でもないんですけれども、私……)。

 

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近況その3〜「三井寺」「三尾神社」 - べにーのGinger Booker Club


あ、「千団子」……といえば、「三井寺」の「護法善神堂」で行われる「千団子祭」ですね……そうか、「護法善神」は「鬼子母神」でしたか……。

「千疋猿」については、「住吉大社」が検索に引っかかりましたが……これも「鬼子母神」に絡んでいる、ということなのでしょうか?

……以前の記事の中に、「おせんだんご」というのが名物だ、と書きましたが、「千団子」のことなんでしょうか……うむむ。


◯こちら===>>>

大日本地誌大系. 第5巻 風土記稿1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

図絵もありますのでみていただくといいのですが、鳥居です。

仏教系で、「〜神」と言われるかたはあまりいらっしゃらないのですよね。

だから鳥居、なんでしょうか……「鬼子母神」……。

 

『新編武蔵風土記稿』のほうはどうでしょうか。

162コマです。

 

鬼子母神社 村の鎮守なり。圓満具足神大黒天を配祀せり。相伝ふ当社造立の由来は、永禄四年五月村民丹右衛門と云もの、村内小名清土の畑中より一の仏像を掘出し地主柳下某かもとへ持行てかくと告けるに、仏像なれば法明寺々中東陽坊へ納め然へしとて彼坊に安置せり。其後安房国の旅僧来て彼像を奪去しに、帰国の後狂乱して云、我は是雑司ヶ谷鬼子母神なり、いかてか此地に移るへき、急ぎ旧地に復すへしとなり、よつて其由を懺悔して東陽坊へ返せしより、僧俗ともに参詣するもの夥し、斯くて天正六年四月今本地堂と唱ふる稲荷の社地へ仮初の社を営み安置せり、
(略)
其五寛文六年、松平安芸守光晟の室法名自昌院英心日妙か寄進にて、今の如く宮殿拝殿等新に造営ありしより世に聞ふる霊地となれり、(略)
末社稲荷社 弘治年中の勧請にて別に除地を附す、天正年中始て鬼子母神を此社地へ祀る故に、当社を土人は本地堂と唱ふ、因て有徳院殿御成の時は必当社へ成らせられ、夫より鬼子母神へ御立寄ありしと云、 鷺明神社 疱瘡守護神なり、祭神瓊瓊杵尊、正徳年中の勧請と云、神体は一寸五分許の白茶色の小石なり、 妙見社 石像仁王 銀杏樹 楠木正成関東下向の時此所に松銀杏の二樹を植しが、今は此の銀杏のみ残ると雖、幹は枯れて蘗なりと寺伝に記せり」


だいたい内容は同じですけれども、「鷺明神社」が、御祭神「瓊瓊杵尊」になっております。

『江戸名所図会』のほうは、不詳としながら「出雲国神戸郡鷺村の鷺浦に鎮座し給ふ素盞嗚尊の妾皐諦女なり」だと。

ううむ……名前的には、「素盞嗚尊」というよりは「牛頭天王」関係のように思いますし、ちょっと「訶梨諦母」っぽい字を使っていたり……あ、こっちも調べないといけない、ということなのかな……ううむ。

また勉強したいと思います……。