べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「氷川神社」

10/20。

よんどころない事情まで時間があるので、これを機に行っておこうと思いまして。

氷川神社

 

◯こちら===>>>

武蔵一宮 氷川神社

 

昨日から降り続く雨がやむ気配もなく。

しかし、ジャケットもバッグも撥水仕様、雨には負けません。

というわけで、大宮駅まで……がけっこう遠かったので驚きました。

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駅からも、地図を見る分にはわりと近そうでしたが、これが遠い遠い……。

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よくわからないところで曲ってしまったので、とりあえず参道に出ることに。

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降ってます……。

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境内図。

これぞ一宮、という感じの大きさです。

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「由緒

氷川神社は今から凡そ二千有余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月末の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊敬も篤く、景行天皇の御代日本武尊東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り、又臨時祭にも奉幣に預っています。武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行なわれました。

明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。次いで明治四年には官幣大社に列せられました。(後略)」

どうやら出雲に関係のある神社のようで、『新編武蔵風土記稿』には、「社伝によれば、孝昭天皇の時代、出雲の杵築大社(出雲大社)を遷して祀った。杵築大社が氷の川上に鎮座していたので『氷川神社』の名を賜った」とあるようです。

「氷の川(ひのかわ)」というのは、「簸の川」(「紀」)、「肥の河」(「記」)のことで、今の「斐伊川」だと考えられています。

どうやら音によるもののようですので、「氷の川」と字を当てたことには大きな意味はないのかも知れません。

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朱塗りの鮮やかな門。

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祈祷殿は新築中。

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暗い……ちょうど雨が激しくなりました境内。

正面は「舞殿」、

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その奥に拝殿です。

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どちらの神社仏閣も、本当に工事中のところが多いんですよねぇ。

祭神は、「須佐之男命」「稲田姫命」「大己貴命」。

稲田姫命」は、「クシナダヒメ」のことです。

出雲の主神と、その御子神(あるいは、何代かあとの神)をお祀りしている、という極めて出雲な感じ。

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パノラマってみましたが、いやぁ暗い……。

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お参りを済ませまして、摂社末社を回ることに〜。

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境内から出て左手に行きますと、向かって左が「門客人神社」、右が「御嶽神社」。

「門客人神社(もんきゃくじんじんじゃ)」は、「足摩乳命(あしなづちのみこと)」「手摩乳命(てなづちのみこと)」、「御嶽神社(みたけじんじゃ)」は「大己貴命(おおなむちのみこと)」と「少彦名命(すくなひこなのみこと)」がそれぞれ御祭神です。

アシナヅチ」「テナヅチ」は、「クシナダヒメ」の両親ですね。

スクナヒコナ」は、「高御産神」(あるいは「神御産神」)の御子神で、「オオクニヌシ」(=「オオナムチ」)の国土経営の片腕となった神です。

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楼門を潜りまして、橋を渡って入り口に戻ります。

川ではなく、池にかかっている橋です。

よーく見ると、橋と楼門の中心がずれているように感じますが、何ででしょうね。

高田崇史的に言えば、「川を渡って、参道が曲っているのだから、中にいるのは怨霊だろう」ということになりますか。

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松尾神社」は「大山咋神(おおやまくいのかみ)」をお祀りしています。

大年神」の御子神、ということは「スサノオノミコト」の孫神です。

いくつかお名前があり、「松尾神社」「日枝神社」の御祭神とされています。

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おなじみ「稲荷神社」。

倉稲魂命」をお祭りしています。

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「稲荷神社」の手前にあった祠の石碑。

猿田彦大神」と彫られていますので、本来は道祖神だったのだと思います。

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「宗像神社」もおなじみ、「宗像三女神」がお祭りされています。

それにしても、止みませんなぁ……。

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「六社」、ということで六つのお社が合わせて祀られています。

山祇神社」(大山祇命)、「石上神社」(布都御魂命)、「愛宕神社」(迦具土命)、「雷神社」(大雷命)、「住吉神社」(住吉三神)、「神明神社」(天照大御神)。

オールスターという感じですね。

珍しいのは「大雷命」を祀った「雷神社」でしょうか。

黄泉から逃げ出した「イザナギ神」を追いかけてきた「イザナミ神」の全身に、八柱の雷神がくっついており、そのうち頭にいたのが「大雷神(おおいかづちのかみ)」です。

蛆のたかっていた、つまり死んでいた「イザナミ神」に、何で雷の神がくっついていたのか。

神威の現れとしての「雷」、という意味があるでしょう。

もう一つは、死体に絡み付く「蛇」のイメージがあったのではないか、と言われています。

「雷神」は「竜神(蛇神)」でもありましたので。

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天津神社」。

祭神はまた「少彦名命」。

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他、境内には「力石」というものがありまして。

立て札が読めないんですが、力自慢が持ち上げた、という奴だったと思います。

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よく見ると、それぞれの石には名前がついていました。

これは「八雲石」。

出雲っぽいな、と思って撮影。

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参道を歩いてきて、二の鳥居から見た景色。

うーん……雨のせいにはしたくないですが、きちんと回れなかったなぁ……。

氷川神社」は関東に多いです(というか、ほぼ関東にしかないです)。

この大宮の「氷川神社」から勧請されていったのだと思われます。

元々は、水の神を祀っていたところに、誰かが「スサノオ神」を引っ張ってきたのではないか、と言われています。

スサノオ神」を祀るだけなら、「出雲神社」でも「杵築神社」でも「須賀神社」でもいいはずで。

それをあえて、「氷川神社」と、水に関係のある名前を残しているのですから。

 

 

 

……多分、です。

 

他の地域でも「スサノオ神」は祀られておりますが、多くの土地では「スサノオ牛頭天王」という習合がなされ、「牛頭天王社」だとか「天王社」、「祇園社」といった名前だったと考えられます。

これに対して、「氷川神社」という独立性を持っていることも、本来の「スサノオ神」信仰ではない、別のベクトルの信仰がルーツにあるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

……多分多分

天気のよい日に来たかったです……。

 

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