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やっと2022年に入りました……初詣です(え?)。
とりあえず、久しぶりの「豊川稲荷」さんへお詣り。
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「豊川稲荷」 - べにーのGinger Booker Club
「豊川稲荷」(再)(豊川市)〜高速初詣三河編〜 - べにーのGinger Booker Club
記事にしたのはこれだけか……。
で、実は本命は、いつも東名高速を東京方面に走っていくと、岡崎インター付近で発見する、「岩津天神」に行ってまいりました。
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案内板。
山の上にあるのです。
ええ……と、そう、ちょうど受験シーズンですね……ですので、参拝客の方が多く、写真が少なくなってしまいました。
狛犬さん。
天神様なので、やっぱりありました。
牛さん。
お稲荷さん。
「岩津観音」。
ちょっと、閉じ込められちゃった感じがありますが。
本当はこちらから登ってくるのです、の参道。
駐車場に停めると、ショートカットできます。
遠景。
節分のものは限定だったかと思います。
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「霊鷲山降劔院真福寺」(愛知県岡崎市)〜岡崎ちょいぶら= - べにーのGinger Booker Club
実は、すぐ裏が「真福寺」だということを、駐車場から出て初めて知りました。
さて。
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額田郡神職会 編『参河国額田郡神社誌』,額田郡神職会,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション
http:// https://dl.ndl.go.jp/pid/1214266
(参照 2023-06-15)
『参河国額田郡神社誌』より。
そうそう、この時期はまだ額田郡なんですよね……。
p109です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「無格社 天神社
(略)
一 祭神 菅原道真
一 由緒
桃園天皇宝暦九年正月、岩津信光明寺第二十二代の住職一譽上人、年頃の賀を申すべく江戸へ下る。其の途中病起り難儀の折節、里人の勧に依り、鎌倉なる荏柄天満宮に祈願して、忽ち平癒、出府年賀も滞なく、帰途鎌倉に立寄り、仝社前に報賽し、御分霊を勧請し、仝所の名匠に属して菅公の木像を彫刻せしめ、奉持して帰寺、境内の観音堂に合祀して、崇敬怠らさりき。後三年、仝上人夢想に感じて後方の山嶺に本殿、拝殿、渡殿等を造立し、遷座し奉る。是れ即ち当社創立の由来となす。信光明寺上人系譜に「第廿一代一譽上人、明和丙戌秋九月、建立天神社於山上。」と見ゆ。後三十余年、光格天皇文化三年、社殿を改造し、天保四年石階を建設し、仝七年参籠所を建築す。仝八年八月十八日暴風の為社殿破損す。仝十三年大修繕を加ふ。嘉永二年本殿を修営し。仝三年石鳥居を建設し、廻廊を建設し、安政三年唐門を造立す。これより先、大黒天、毘沙門天、不動尊、陀吉尼天等を合祀し、信光明寺住職累代奉仕して明治維新に及べり。維新後大政官の布達に遵ひ、仝九年仏像仏具等は全部信光明寺に撤回し、公然神社の班に伍し、無格社に列せらる。明治十九年十一月祝融の災に罹り、建造物悉皆烏有に帰す。仝二十年、本殿拝殿其他旧に復せしが、明治の末年に至り、境内大に廃頽せり。茲に碧海郡新川町に服部長七といふ者あり、曾て当社の神徳を仰ぎ、霊験を蒙りたる報賽の為、当社の維持奉祀に留意し、社殿再建を発起し、本澤徳次郎等の翼賛を得、乃ち現今の社殿を建造したるなり。時に大正二年なり。大正六年五月二十日会計法指定神社に指定せらる。昭和四年四月神楽殿を建造す。(以下略)」
存外に新しかったです。
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↑「荏柄天神」はこちらでしょうか。
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額田郡教育会 編『三河国額田郡誌』,額田郡,大正13. 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2023-06-15)
p366です。
「天満宮
岩津村大字岩津に在り、芭蕉天神と称し宝暦九年信光明寺第廿二世一譽上人の勧請に係る三河名勝志に曰、芭蕉天神祠は信光明寺境内後の山にあり、当寺先代上人伊豆国芭蕉天神に信仰厚く寺境の内に一社を創造し乃ち芭蕉天神を祀り後今の所に移し奉ると云ふ天神の来由を尋ぬるに往古久我大納言駿州富士浅間宮へ奉幣使の命を蒙り下向し給ふに途中はからず疝癪に罹り薨じ玉ふ其時供奉せし者に伊豆国人あり。公の薨じ玉ふを悲哀し御装束を受領し伊豆国へ持ち帰り芭蕉山に埋め天神と崇奉ると云ふ芭蕉山にあるを以て後世芭蕉天神と称し奉るより、近頃茲の岩津芭蕉天神を諸病ある人祈るに霊験顕著なり、依て正五九月の祭日には貴賤郡参して往来路を塞ぐ、参詣の者小瓶に酒を入て寳前に捧奉る、当時東三河に豊川の稲荷明神あり西三河に岩津天神ありて其繁昌伯仲す云々是を以て考ふれば岩津天神は久我大納言を祭るを以て本旨とすれども今の祭神は菅原道真公なり。」
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↑「芭蕉天神」はこちらのことでしょうか。
ふむ、さて、由来が「荏柄天神」か「芭蕉天神」か、という論はあるようですが、いずれにしろ比較的近世の勧請のように思われます。
ここのところの、『どうする家康』での、岡崎の盛り上がりにはあまり関係なさそうなのが残念。
しかし、地元の方にはしっかり崇敬されている、と思いました。
あと、受験シーズンに、下手に天神様には行ってはいけない……と。