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「菅生神社」を後にして、天気も良くなったので岡崎をぶらっとしてみようと検索検索……したら、そういえば前に行こうと思ってやめたところがあったので、そちらへ。
「真福寺」です。
◯こちら===>>>
ナビの通りに走っていくと、やたら山の中に連れて行かれる感じ……駐車場の看板を見つけてほっとするも、何か正面な感じがしない……。
とりあえず、駐車場から上がっていく道すがらの花なぞを。
まずは、開山堂。
いきなり扁額。
どうも、ご本尊は「毘沙門天」のようで。
おっと、これが遠景。
「長者毘沙門天」と呼ばれているようです。
石灯籠、苔むして、なかなか素敵。
木鼻に狛犬さんと象さん(かな)。
開山堂の向かい側にある神社、「八所神社」。
狛犬さんたら、
狛犬さん。
「八所神社の由緒
(略)
祭神 五男三女神 大物主命 須佐之男命 加具土神(白山比咩命)
由緒 創立年代は明らかでない。真福寺創建以前すでに御霊を祀った祠があり、その祠を八所権現と称し白山比咩命を祀る白山社を、奥の院と称した。徳川家康の崇敬厚く御朱印をもって社領とした。古い棟札によると慶長十七年(一六一二)拝殿が建立され宝暦五年(一七五五)に白山宮が災害により大破したので真福寺学頭の協力を得て再建されたという。
その後の営繕管理は真福寺が行ってきた。明治維新後には八所権現を奥の院と称する白山宮へ遷座し八所神社と称するに至る。金比羅社秋葉社津島社の三社を相殿として合祀した。(略)」
どうやら氏神様のようですが、この文章だけでは位置関係がよくわかりませんね……。
遠景。
こちらが拝殿……なのか神楽殿なのか。
社殿配置的には尾張造っぽいですが、近代の配置だと思うので、意味があるかどうかは不明です。
拝殿正面。
すみません、位置関係がちっともわからない写真が続きますが、「八所神社」へ上がっていく階段です。
鳥居を内側から。
鳥居と社標。
開山堂を別角度から。
「八所神社」の入り口遠景。
多宝塔。
「多宝塔
本尊 釈迦如来 多宝如来
「法華経」見宝塔品の説によって釈迦・多宝の二仏が並座する。
人々が望めば何時でも何処でも現れ、法を説き、方便によって様々な苦しみを除くとされる。
(略)」
わりと小さめですが、その分間近で見られて面白いです。
亀石。
あれ、案内がないぞ……。
本堂への階段。
途中。
はっきり見えませんが、「瑠璃殿」、ですので「薬師如来」ですね。
敷地の関係で、正面から本堂が撮影できず……。
裏手に回ってみると、
「大師堂
本尊 慈恵大師良源(元三大師・角大師・鬼大師・魔滅大師) 国重要文化財
平安中期の僧で第十八代天台座主。叡山中興の祖。観音菩薩の化身。
霊験や伝説は多く残っており、中でも鏡に映った大師を書き写した護符は、非常に強い顕現があり、正月にはこの護符を玄関に貼る信仰が、いたる所で各宗を通じて続いている。また、おみくじの祖、念仏信仰の祖でもある。
当山では千手観音の化身とされ、「十二支めぐり」子年の道場となっている。
(略)」
というわけで、やっと天台宗だと気づきました。
「慈恵大師」の坐像はやっぱり国の重文になっているようです。
大師堂。
奥の方に小さい祠発見。
「福寿竜王」ということで、湧き水が井戸か神木か、そういったものだと思います。
と思ったら案内板が。
「龍神(白大蛇)
むかし、真福は子供がいじめている青へびを助けたところ、夢枕に美しい女の人が現れ「私は助けていただいた青へびです。実は海の龍王の娘です。お礼に白い犬をさし上げます。毎日、三升のお米を食べさせてください。」と言い、目が覚めると真福のそばに犬が座っていた。言われた通り、三升のお米を食べさせると三升の砂金を吐き出した。お金持ちとなり長者と呼ばれるようになった。
真福長者が犬を飼っていた所を犬飼畑、蔵を建てたところを蔵前という地名になっている。
また、当山でお籠りをしている信者が、夜中に奇妙な泣き声を聞いた。次の朝、大師堂にお参りに行こうとすると、大師堂の裏から本堂の縁の下へ伸びる、三尺あまりの太さの轍のようなものが続いていた。不思議に思い行者に相談すると、大蛇がご霊水を飲みに現れたのだといい、この祠に封じ込めた。(略)」
三升、が近代の「升」の単位と同じなのかはともかく、毎日三升って結構な量です。
つまり、「真福」(「真福寺」を開山したと言われている人物……だと思います)は、犬を手に入れる前からお金持ちだった、ということになります(何しろ「米」ですから)。
魔法の犬がいなくても長者だったのに、砂金を手にしてより長者になった、という話なのでしょうか。
あるいは、「米」の価値がもう少し下がった時代に作られた伝説なのでしょうか。
まあいいんですけれど、後段の話、霊水を飲みに来ただけで封印されちゃった大蛇が不憫です……「真福」の頃とは違い、もう龍王の眷属ではなくなっていたんでしょうか……。
大師堂から本堂を。
このあと、帰りの順路を行きますと、最初に登った階段が眺められる通路に案内されます。
もうちょっと通路を進むとこんな感じ(右下が「八所神社」)。
で、その先を散策して見ると、宝篋印塔(だと思いますが)とか、
「ほら貝の穴」とかがあります。
「ほら貝の穴
ほら貝伝説
むかし、伊勢の海から地下をくぐってきたほら貝が、境内で七日七夜鳴動して後、天に昇った。そのほら貝の大きさは三斗七升入(一俵が三斗五升で60kg)であった。以来、この穴は伊勢とつながっていると言われている。」
伝説にツッコミを入れてもしかたないのですが、「なんで伊勢から来た貝ってわかったの?」。
深い穴がどこか遠くの海とつながっている、という伝説はよくありますね。
ほら貝がやってきた、というのは珍しい気がしますが……そうですね、荒行をしていた山伏がほら貝を鳴らしたけど、誰も助けてくれなかったんだ……というような妄想にどうしても行き着いてしまいます、私の場合。
それが何故、伊勢だったのか、というのはわかりませんが……この辺りが伊勢と関係していたのかな。
それに、「むかし」って、どのくらいむかしなのか、も教えてほしいなぁ。
穴。
うん、結構な異界情緒。
遠景。
他にも、盆栽展をやっている建物、名物の「竹膳料理」を出す料亭(?)、など、かなり広い敷地で、実は正面のほうまで歩いていっていないので結構中途半端な参拝になってしまいました……いつかリベンジ。
御朱印。