べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「青山熊野神社」(東京都渋谷区)

7/14。

とある宴のために上京しまして、久々に上野辺りに行ってみたのですが、たまには違うところに……ということで、青山熊野神社へ。

 

◯こちら===>>>

www.tokyo-jinjacho.or.jp

 

相変わらず、東京神社庁のHPは素晴らしい……。

 

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参道入口。

 

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提灯……葵の紋。

 

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扁額。

 

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拝殿正面。

権現造っぽい豪奢な感じ。

 

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境内社、読めませんが……左から「秋葉神社」と、「伏見稲荷神社」、「御嶽社」。

 

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です。

 

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文政期の天水桶……でいいのかな。

「浄性院」は、この神社の別当、ということでしょうか。

 

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稲荷の社標……「伏見稲荷」と、「赤房稲荷」。

 

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狛犬さん。
造形的に、近代のものっぽいです(ちゃんと見てきてない)。

 

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ご神木……かな。

 

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拝殿遠景。

 

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手水鉢にも葵紋。

 

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さらに遠景。

 

御朱印は……いただけるようですが、神職さんが不在だったのかな……。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第4編 江戸名所図会 第2巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『江戸名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

84コマです。

 

熊野権現
同所東南の方三町計を隔てて原宿町にあり。祭る所南紀熊野権現に同じく三社なり。青山の総鎮守にして、祭礼は、隔年九月二十一日に修行す。別当真言宗にして、浄性院と號す。」

 

うむ、わりとあっさり……。

さきほどの、東京神社庁のHPによれば、御祭神は、

 

「五十猛ノ命(いだけるのみこと)
大屋津姫ノ命(おおやつひめのみこと)
抓津姫ノ命(つまつひめのみこと)
伊弉冊ノ命(いざなみのみこと)」

 

とのことです。

由緒も引用させていただきますと、

 

「当神社は、元和五年徳川頼宣卿の邸内(現在の赤坂御所)に奉斎されていた御宮を町民の請により正保元年正月七日現在地に移遷し、翌年四月本殿拝殿その他造営し完成。青山総鎮守と仰ぎ奉り熊野大権現より神仏分離の令により社号を青山熊野神社と改称された。」

 

ということです。

確かに、現在の御祭神を見ると、建築関係の神々が多いのですが、熊野の神ではないですよね……『江戸名所図会』で「熊野権現」と同じ、と言っているのに……というわけで、神仏分離に際して何か操作があったかな、と思います。

『新編武蔵風土記稿』も探したのですが、私、こちらの「御府内」を書いたものが今は存在しないことを知らず、原宿村を探しても「あとは御府内のほうを見ろ」としか……。

なかなか妄想も浮かびませんが、いい狛犬さんに会えたのでよし、です。

「大鳥神社」(東京都豊島区)

6/17。

ふう……ついに周回遅れになりましたが、まだ昨年の六月の記事です……気にしない気にしない……。

さて、「長崎神社」「金剛院」の参拝を終えて、結局歩いたんですよね……で、もちろん「鬼子母神」にも伺いましたが、今回の目的地は大鳥神社

 

◯こちら===>>>

www.tokyo-jinjacho.or.jp

 

↑東京神社庁のHPです。

 

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参道入口。

ここから神社までが結構あって、最初だまされたかと思いました。

 

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鳥居と社標。

 

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狛犬さん。

うむ、しゃちほこみたいにお尻をあげていらっしゃる……なかなか面白い造形。

巻き毛の意匠も、表現が面白いですね。

狛犬さんもちらっと……かわいい……。

 

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ええと……読めるか……。

 

「古来三杉稲荷大明神と称し、宇迦之御魂神を奉斎す。元日出町都電通りに鎮座し同方面の旧家総代として崇敬篤く、近時地元有志◼︎◼︎例大祭に参列報賽の誠を効せり。今般高速五号線の新設により社地◼︎地其用地となりたれば崇敬者の総意を以て大鳥神社に合併その境内神社として鎮祭せんとして工を進め茲に正遷座祭を奉仕す。(略)」(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)

 

境内社の「三杉稲荷神社」の由来だったようです(現地では気付かず)。

 

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「三杉稲荷神社」。

 

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その鳥居。

 

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本殿。

 

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どうやら「雑司が谷七福神」のうち「恵比寿」様となっているようで、割と新しめの「恵比寿」様が。

 

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拝殿遠景。
記憶によると、何かのイベント(ハンドクラフト的な?)が行われていて、境内にブースが出ていたりしたので、そちらの写り込みを避けるために写真はあまりないです。

 

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それでも狛犬さんには寄りましたが(蛙……?)。

 

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社紋が巾着袋……。

 

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手水鉢にも。

これで大根もあれば、「聖天」関係かな、と考えることもできますが、そもそも社紋の古さがわからないし、もし御祭神が(後述の通り)「日本武尊」だとするならば、火打石をいれていた袋、と考えることもできるわけで……ちょっと苦しいかな……。

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御朱印都電荒川線つき)

これだけか……。

 

というわけで、とりあえず先ほどの東京神社庁のHPから、現在の御祭神は、

 

「日本武命(やまとたけるのみこと)
倉稲魂命(おいなりさま)
蛭児大神(えびすさま)」

 

となっている、とのこと。

「三杉稲荷神社」と七福神の「恵比寿」様を除くと、主祭神は「日本武尊」ですね……まあ、「大鳥神社」ですから。

では、と。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第5編 江戸名所図会 第3巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『江戸名所図会』の「鬼子母神堂」のところから引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

101コマです。

 

「鷺大明神(さぎだいみょうじん)祠 堂前左の方にあり。祭る神詳ならず。或は云ふ、出雲国神戸郡鷺村の鷺浦に鎮座し給ふ素盞嗚尊の妾女皐諦女なりといふ。此神は疱瘡の守護神にして、正徳の頃、松平羽州侯神告に依て是を勧請す。疱瘡寄願の輩、広前の小石を拾ひ得て、守護とす。例年八月朔日祭あり。また毎月朔日を以て縁日とす。」

 

◯こちら===>>>

「長崎神社」(東京都豊島区) - べにーのGinger Booker Club


↑「長崎神社」のところで引用した「十羅刹女」の中に、「皐諦」という神がおられまして、そちらが単独で祀られたということになっている……どうやら「十羅刹女」の中でも、「皐諦」はトップだと考えられていたようですので、そのことが関係しているのか……もちろん「鬼子母神」に勧請されたということなので、その娘である「十羅刹女」も祀られて不思議ではない、と。

「素盞嗚尊」と習合した「牛頭天王」は、ある意味で疫病神としては最強、もう全部の流行病をその身に受けているといっても過言ではないわけですが、「櫛名田比売命」が「鬼子母神」と習合したのがよくわからず……ああ、「牛頭天王」系の本がすぐに取り出せないのですよね……。

 

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「雑司が谷鬼子母神」(再・補)「稲荷鬼王神社」(再) - べにーのGinger Booker Club

 

鬼子母神」のところで、『新編武蔵風土記稿』の引用をしていたのですが、ここでは御祭神が「瓊瓊杵尊」になっていて謎……「瓊瓊杵尊」に疫病神としての属性が見当たらないのですよね……じゃあなんで今は「日本武尊」なのか、というと、これは神仏分離の際に、「鷺大明神」、つまり白鷺で、「日本武尊」を引っ張ってきたのではないかと思います。

氷川神社」系の勢力といいますか、「大鳥」とか「鷲」とか「鷺」とかの、鳥の名前のつく神社の勢力が関東地方で広がっているので、それに引っ掛けて「日本武尊」にしたんじゃないかと思うのです……でも、元々は疱瘡神、それも出雲から直々にお招きしている……わりに、ちらっと調べてもその神社の存在がはっきりしない……疱瘡神にしても、「疱瘡神社」なんてたくさんあるわけで、それと一線を画す意味での「鷺大明神」だとすると、祭神を「日本武尊」にしちゃうのはどうなんでしょうね……まあ、実際のところは、「祭神詳らかならず」、なんでしょうけれども(「鬼子母神」の境内社だったのに「詳らかならず」というのも引っかかりますが……歴史というのはそこまで親切ではない、ということでしょうかね)。

江戸時代の、「鬼子母神」流行の余波、なんでしょうか(天台宗日蓮宗の隆盛、とも言えるのかもです)。

 

いろいろと、調べてみたいことが残りました〜、出雲の勉強、したいなぁ……。

 

 

 

おまけ。

 

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……キョンシー

 

「金剛院」(東京都豊島区)

6/17。

さて。

「長崎神社」の参拝を終えて、お隣の「金剛院」へ。

 

◯こちら===>>>

www.kongohin.or.jp

 

その前に、

 

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「「長崎不動尊」案内板
このお堂は、「長崎不動尊」と呼ばれ、ご本尊に不動明王、脇仏には明王を護る従者である制咜迦、矜羯羅の二体をお祀りしております。不動明王が剣や索、火焔を備えて忿怒の強い形相を示されておられるのは、煩悩を滅して私たちを救い、降魔を払うためです。
(略)
「長崎不動尊」は、昭和二十一年十月に地域の守護仏として、そのご加護を頂けるよう当地へお祀りされました。また同時に長崎不動講を結成し不動尊の運営と管理にあたってきました。
このたび堂宇の老朽化に伴い再建建立を発願して、併せて慈悲深い観音菩薩像を造立しました。清浄水にて観音さまの御仏体を洗い流しながら、観音菩薩真言、あるいは宝号を唱えてお参りください。
(略)」

 

……ナータくん……ちょっと、なんというか、なんだろうなぁ……「不動くん」ではいかんかったのか……まあ可愛いからいいのかもしれないですが(「不動明王」の梵名「アチャラナータ」より)。

 

 

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地蔵尊の由来
この舟型浮彫地蔵尊は、寛政八年(一七九六)八月二十四日に道標をかねて造立された道標地蔵尊です。地蔵尊の石中には「念仏供養」、その左右には「北・下板橋道 南・ほりの内道」という文字が刻まれています。ほりの内というのは、杉並区堀ノ内のことです。江戸時代には、宿場町として栄えた中山道板橋区仲宿方面、また厄除け祖師の堀ノ内・妙法寺へ、お参りする人々の道しるべになっていて、南北に通じる道があったことを教えてくれています。また、この地蔵尊の御仏体は、江戸城築城の時に使われた石の一部であると言い伝えられています。
(略)」

 

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こちらは、味のある……というより、空襲にでも晒されたような痕の残る「地蔵菩薩」像。

六道の導き手である「地蔵菩薩」は、「馬頭観音」、「猿田彦」などと並んで、道標に選ばれやすい御仏なのでしょうか。

 

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というわけで、

 

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ええと、あれ、いきなり本堂です。

 

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石仏や、宝篋印塔(かな)などがあちこちに見られました。

 

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灯篭には……狛犬じゃないかな、邪鬼か……。

 

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大師堂。

 

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こちらにもまたいろいろと。

 

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うーん、梵字は読めない……『密教事典』はあるので、見てみましたが、「a」かな……「胎蔵界大日如来」の種字……違ったらすみません。

 

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こちら「お砂踏み」参拝所。

八十八ヶ所巡りをぎゅっと圧縮して体験できる、という例のやつです。

いつかお遍路してみたい……。

 

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庚申塔、と「馬頭観音」と書かれています、どちらも道標、だと思われます。

 

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案内板……が、さすがに小さくて字が読めない……。

 

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こちら、赤門。

 

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こっちも小さいなぁ……。

 

「金剛院は、聖弁和尚によって大永2(1522)年に開創された真言宗豊山派の寺院で、正式には蓮華山金剛院仏性寺という。本尊は、観世音菩薩と勢至菩薩を脇侍として配した阿弥陀三尊である。開創当時は現境内地から北西方向に800mほど離れた。長崎三丁目の観音堂(現在は当寺の境外仏堂)の位置にあったといわれており、宝永6(1709)年ごろに当地へ移転した。
宝暦8(1758)年には、「百字真言梵鐘」と呼ばれる釣鐘が鋳造されている。その後の安政年間(1854〜60)には、寺子屋が開設され、長崎地区の庶民教育の拠点となっていたほか、明治元(1968)年の神仏分離令までは長崎神社を管理する別当寺でもあった。さらに、明治34(1901)年には、境内に長崎村役場が置かれていた。
薬医門様式の山門は、安永9(1780)年に建立されたものである。その装飾は彫りが深く、意匠的にも優れているため、平成6(1994)年6月に豊島区指定有形文化財になった。
本堂は、昭和29(1954)年に建てられた鉄筋コンクリート造で古典建築の造形を単純化しながらまとめられた点に特徴がある。客殿は、昭和9(1934)年の建築で、客殿の主室に洗練された造作の座敷飾を備えてあるのが特徴である。これらの点が評価され、二つの建物は平成26年に国の登録有形文化財となった。
境内にある2基の板碑のうち、1基には阿弥陀如来の画像が、もう1基には永享12(1440)年の年号が刻まれている。また、宝永4(1707)年に長崎村の村人が造立した庚申塔も1基残されており、いずれも地域の歴史と文化を伝える貴重なものとして、豊島区登録有形文化財になっている。」

 

なるほど、本殿はコンクリート造でしたか。

 

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赤門から境内を。

向かって右隣にあるのは、お寺カフェの「赤門テラス『なゆた』」です。

いろいろなイベントも行われているようです。

こうして、地域の中で生きているお寺、というのは、神社仏閣好きというだけで参拝しているものには敷居が高い……また、高くてもいいのだと思っています(お寺の側がどう思われているのかはわかりません)。

そして、ホームページの充実ぶりがすばらしい……昔、どうしても独鈷杵が欲しくて、高野山に行ったときに仏具屋さんに寄りたいと親に言い出せなかったことを後悔したことのある私です……(孔雀王』の影響です……荻野真先生、合唱……)……当時、こんなものがあったらな……。

 

御朱印はいただいておりません(いただけるかどうか、未確認)。

 

さて。

 

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大日本地誌大系. 第5巻 風土記稿1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『新編武蔵風土記稿』より。

139コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「金剛院
新義真言宗多磨郡中野村宝仙寺末、蓮華山仏性寺と號す、本尊五智如来中興僧は貞享五年寂す、鐘楼 鐘は寛文年中鋳造なり ◯地蔵堂 金剛院持」

 

公式HPによれば、現在の御本尊は「阿弥陀三尊」です。

五智如来」のほうが、密教的ではありますね……。

 

HPの記述がとても詳しくわかりやすいので、そちらをご参照していただいて(特に、江戸期の寺社の場合、妄想を働かせる余地があまりないもので……いかんいかん……面白そうなんですけれどね、寺子屋を開設した比丘尼さんの話とか)。

 

次は、飽きもせず雑司が谷の「鬼子母神」……と思わせておいて、その周辺です〜。

「長崎神社」(東京都豊島区)

6/17。

池袋からしばらく歩いて(といっても、結構あった気がしますが……)、やっとこさ「長崎神社」に到着。

 

◯こちら===>>>

www.tokyo-jinjacho.or.jp

 

↑東京神社庁さんのHP(いい仕事だ……愛知県神社庁さんも頑張ってくだされ……)。

 

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鳥居。

 

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「長崎神社
長崎神社の創建年代は不詳ですが、元来、櫛名田比売命を祀り、武州豊島郡長崎村(現在の豊島区長崎・南長崎・千早・要町・高松・千川と、目白四・五丁目、西池袋四・五丁目、池袋三丁目の一部)の鎮守として信仰を集めました。江戸時代の中期には十羅刹女社とも称せられ、境内には享保十八年(一七三三)に奉納された「十羅刹女」と刻まれた手水鉢が残されています。隣接する金剛院は、明治元年(一八六八)の神仏分離令まで、長崎神社の別当寺でした。
その後、明治五年(一八七二)には村社と定められ、同七年須佐之男命を合祀して長崎神社と改称し、今日に至っています。精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永二年(一八四九)に、拝殿は明治三二年(一八九九)に建立されたもので、旧社殿は絵馬を納める額堂として使われています。ほかに山岡鉄舟揮毫の神社額と祭礼幟などがあります。(以下略)」

 

ふうむ、「十羅刹女」と……。

 

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扁額……これは山岡鉄舟揮毫ではないと思います。

 

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参道。
なかなかの敷地を誇っております。

 

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狛犬さん。

溶けちゃった……わけではないと思います。

幾星霜風雨にさらされて……それでも残っておられるのに感謝、ですね。

 

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そして、獅子山も。

 

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鳥居。

こちらが山岡鉄舟揮毫……ではないと思いますが(?)。

両部鳥居(四脚鳥居)、でしょうか……真言宗別当のようなので、さもありなん、というところか。

 

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脚の向こうに、かつての石鳥居の基部と思われるものが……となると、もともと両部鳥居ではなかったか……。

 

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いきなり、境内社の「小柳稲荷神社」へ。

おキツネさまが、屋根の狛犬さんっぽくて、飛んでます。

 

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ちらりと覗く本殿。

 

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こういうの、なんていうんでしたっけ……。

 

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本殿向かって左側でした。

 

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拝殿。

瓦の装飾がよろしいかと。

 

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拝殿正面。

 

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巴。

 

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木鼻の狛犬さん。

 

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こちらはなんだったか……。

 

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打ち捨てられた感じの案内板。

 

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拝殿向かって左からの遠景。

 

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こちらが、案内板にあった額堂でしょうか……バケツの並びが……。

 

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こちら、火消しの役割を書いた額、のようです……なかなか面白い。

 

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狛犬さん。

 

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十羅刹女」の手水鉢。

 

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ポンプ。

 

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参道から、拝殿遠景。

絵になる……。

 

御朱印は……いただけたのかと思うのですが、神職さんがいらっしゃらなかったのか……あまり記憶しておりません。

 

さて。

 

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大日本地誌大系. 第5巻 風土記稿1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑今回も『新編武蔵風土記稿』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

139コマです。

 

十羅刹女 金剛院持」

 

……うむ、まあ、致し方ないな……『江戸名所図会』も探してみたのですが、残念ながら見つからず……ただ、板橋辺りの記事に「十羅刹女祠」とか「十羅刹女宮」とかありましたので、江戸ではあちこちに見られたのではないか、と思われます。

その「十羅刹女」について、『密教辞典』から、

 

密教辞典

密教辞典

 

 

法華経陀羅尼品に説く、法華経を守護する鬼神。尼藍婆(にらんば)・毘藍婆曲歯華歯黒歯多髪・無厭足・持瓔珞皐諦奪一切衆生精気の10で、天台・日蓮両宗で信仰され、儀軌には法華経十羅刹法(略)があり、蓮華三昧経(法華経密教的に解説した偽経、以下略)や孔雀経に説くが異説が多い。(以下略)」(p354)

 

という感じです。

『日本の神様読み解き事典』

 

日本の神様読み解き事典

日本の神様読み解き事典

 

 

という本でも項目があり、そこでは他の名前も記されていますが、漢訳されたときの意訳と音訳、誤伝でこうなった、みたいな感じを受けます。

 

「『法華経』第十、総持品には、「時に一魅あり、有結縛と名づけ、また離結と名づけ、また施積と名づけ、また施華と名づけ、また施黒と名づけ、また被髪と名づけ、また無著と名づけ、また持華と名づけ、また何所と名づけ、また取一切精と名づく。仏所に往詣し、鬼子母と諸子と倶なり。」とある。」(p363)

 

どうも、天台宗日蓮宗系で尊崇されたようで(『法華経』の守護神なので)、

 

日蓮宗の開祖・立正大師日蓮上人は、『日女品供養』で、「十羅刹女と申すは十人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。又十羅刹女の母あり、鬼子母神是也。鬼のならひとて人を食す。人に三十六物あり。所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五臓と六腑と髪と毛と気と命等なり。而るに下品の鬼神は糞等を食し、中品の鬼神は骨等を食す。上品の鬼神は精気を食す。此十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す。疫病の大鬼神なり。鬼神に二あり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す」と書き残している。」(p363)

 

という感じに「日蓮」上人は考えていたようです……まあ解釈は人の数だけありますから。

で、案内板に、「元来、櫛名田比売命を祀り」とあるのですが、あんまり「櫛名田比売命」を単独でお祀りしている神社ってないと思うのですよね……関東独自の事情として、「氷川神社」の勢力が非常に大きく、そこではもちろんお祀りされております。

で、なぜ「十羅刹女」なのか……「須佐之男命」といったら、かつては「牛頭天王」と習合しており、「櫛名田比売命」もその妻の「婆利采女」と習合、「八王子」も日本神話の五男三女神と「牛頭天王」と「婆利采女」の子である八柱の天王が習合……どこにも「十羅刹女」の出番がない、しかしなぜか、「須佐之男命」の娘が「十羅刹女」だ、という伝承があったりする、と。

日蓮」上人としては、「疫病の大鬼神」と考えている、と。

疫病神つながりとして、「須佐之男命」と「十羅刹女」がつながるのはまあ、わからないでもない。

しかし、嫁さんの立場も、「八王子」の立場もない……と、ここで「氷川神社」なのかな、と。

牛頭天王社」でも、「八坂社」(祇園系)でも、「津島社」でもなく、「氷川神社」として尊崇されていた一大勢力が、女神信仰を取り入れる際に、「婆利采女」=「櫛名田比売命」を持ってくるのは差別化が図れない、というところで「十羅刹女」に白羽の矢が立ったのかな、と。

江戸では天台宗がかなりの勢力だったでしょうし、日蓮宗も強かったことでしょうから、『法華経』を信仰する人たちに説教しやすくなりますし。

しかし、「須佐之男命」の妻が十人います、というのはなかなか(いや、実際には複数いるんですけれど)説明しづらいので、御子神にした、ということなのかな。

 

まあ、わかりませんけれど。

 

この、関東(武蔵、相模)での「氷川神社」系の独特さ、というのも勉強してみたいところですね。

 

時間がない。

 

というわけで、次はお隣「金剛院」です。

「(池袋)御嶽神社」(東京都豊島区)

6/17。

宴の翌日、目的地は雑司が谷、また「鬼子母神」さんに行くつもりなのですが、池袋周辺に宿をとったこともあり、近くを攻めてみよう、ということで、御嶽神社へ。

 

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mitakejinjya.p2.weblife.me

 

若い頃、巣鴨に住んでいたのですが、池袋周辺の神社仏閣などとんと興味がなく、もったいないことをしたものです……。

 

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遠景。

やや曇り。

 

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社標……?

おや、昔は「三嶽神社」だったのですね……関東に多いですかね、「三嶽神社」は。

 

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社標。

村社だったようです。

 

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これは……火消しの幟、ではなさそうですね……なんだろう、町内の神輿かな……。

左側は火消しのやつか……。

「池袋木遣睦」……木遣唄関係の何かでしょうかね……「睦」(これを、ボク、と読むのかどうか、詳しくないのでわかりません)というのは、何かでも観たことがあるのですが、「組」という意味合いなのか……そうではないのか……ちらっと検索しても浮かんでこないので、腰を据える必要がありますよ(誰が?<私ではありません)。

 

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境内社の「子育稲荷神社」。

 

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神輿。

普段から見られる、というのは個人的にはよいと思います(もちろん、大切に保管しておく、ということも大事だと思いますが)。

ふらっと参拝したら目に付くことで、みなさんの意識に残るのではないかと。

 

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拝殿。

 

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木鼻……でしたっけ、この部分……狛犬さんの彫刻がお見事です。

 

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竜もいます。

 

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拝殿遠景。

 

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狛犬さん。

 

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いけぶくろう……あれ、違ったかな……。

 

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うーん……ちょっとこれは、読むのはしんどいです……。

 

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御朱印

 

さて。

公式HPより、御祭神は、

 

「倭建命 神武天皇 武甕槌命

 

で、「子育稲荷神社」は、

 

保食神

 

とのこと。

由緒は、

 

「御鎮座の年代ははっきりしていないが、第百六代正親町天皇の御世天正年間(1573~1592)頃といわれ、その百年後の貞享四年(1687)に社殿創建(岸野六之助氏の調査)といわれる。また、古老の話によると武田勝頼(1546~1583)の家臣団が甲州より池袋の地に逃れ、持参してきた神宝でこの地に神社を造営したという伝承も残っている。爾来池袋下上の丘に鎮座し池袋駅西口一帯(池袋・西池袋)の鎮守の社として崇敬されてきた。
嘉永六年(1854)に社殿が造営され、幕末明治期には絵師 堤等川による大絵馬が数面奉納されている。昭和13年(1938)には村社に社格が昇格し、社名が三嶽神社から御嶽神社に改称される。」

 

なるほど、「三嶽神社」ではまずかったのでしょうか……「御嶽神社」だと「御嶽(おんたけ)」信仰とごっちゃになりそうな気がしますけれども。

「平成14年(2002)梟親子像が設置された。池袋の袋と鳥の梟の発音が良く似ており、また梟は苦労を除き福を呼込む(不苦労・福籠)神様とも言われる事から、近年梟のお守りが授与されている。」

 

フクロウは御祭神でも神使でもない、と……そういえば、西洋では人気者のフクロウ(アイヌの信仰でもいましたかね、フクロウの神)、日本ではあまり……どうしてなんでしょうね。

ちょっとだけ、「両面宿儺」っぽいなぁと思っています(いや、首がぐるぐる回る、というだけなんですが)。

 

というわけで、

 

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大日本地誌大系. 第5巻 風土記稿1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』では見つからなかったので、『新編武蔵風土記稿』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

135コマです。

 

「三嶽社 是も鎮守とす、雑司ヶ谷村法明寺地中観静院持、
末社稲荷」

 

……うん、まあこれだけです……検討のしようもない。

東国では「日本武尊」(とされる人物)の人気が高く、後付けとはいえ様々な伝承が残っています。

神代に片足を突っ込んでいるような存在の「日本武尊」が、なぜ人気があるのか……判官贔屓か……。

 

おまけ。

御嶽神社」から、「長崎神社」を目指して歩いていたのですが、途中で発見、「羽黒神社」。

 

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「由来書
羽黒神社の創建年代は不詳ですが
山形県出羽三山羽黒山・月山・湯殿山)の出羽三山神社より分霊されております。
明治二年(西暦一八六九年)の社寺取調書によりますと武蔵国豊島郡長崎村の一社であり、御祭神は倉稲魂命
(うかのみたまのみこと)で、農業や商業に関係の深い神様であります。
(以下略)」

 

なるほど、東国だ……私の住んでいる東海地方では、出羽三山系の神社にはほぼ出会えません。

山岳信仰としては御嶽山、白山がありますし、高野山比叡山などは、出羽三山に比べれば全然近いですから。

 

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江戸前期延宝年間(一六七六年)八幡神社御嶽神社羽黒神社のお社を当時の村の有志の方々のお力で建立された。(略)」

 

御嶽神社」の由緒とはややずれておりますが、江戸の街の発展とともに、宗教インフラも整備されていった、ということなのでしょうか。

ここに書かれた「御嶽神社」が、今回の「御嶽神社」とは異なるとすると、やはり東国では「日本武尊」大人気、ということなのだと思います。

やっぱり歩いてみるものだ……けれども、まあ、そうですね、自転車ほしいです……。

近況

さて、職場が変わってなかなか時間がとれません……。

というわけで、まだ昨年六月の記事を書いておりますので、とりあえず近況なぞを。

 

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年明け、初詣は1/3、ちょっとした会合のために名古屋駅へいきまして、ちいさなお社へ。

 

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「須佐之男社(すさのおしゃ)」 - べにーのGinger Booker Club

 

闇の中の河童さんがいい感じでした。

 

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1/5、「三輪神社」へ月参。

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御朱印

続けて、1/14にも「三輪神社」へ。

 

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御朱印

 

さらに、1/26にも「三輪神社」へ。

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三輪鳥居、好き。

 

そして、2/9も……「三輪神社」へ。

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黒字にピンクの御朱印帖。

 

2/16は、ふらふらと「朝日神社」へ。

 

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「朝日神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

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神職さん不在で御朱印はいただけず。

 

3/2、「三輪神社」へ月参。

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御朱印

 

3/21、またも「三輪神社」へ。

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連作御朱印、私には縁のないご縁が結ばれます。

 

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春分の日御朱印、素敵ですね。

 

4/6。

中区の「古渡稲荷神社」から、

 

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「稲荷神社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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「闇之森八幡社」へ。

 

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「闇之森八幡社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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桜が綺麗でございました。

で、近くの「白龍神社」も参拝、

 

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ぶらっとお花見。

 

4/13、「三輪神社」月参。

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5/3、連休中の楽しみといえば「三輪神社」参拝。

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屋根の葺き替えは順調に進んでおられるようで何より。

そして、8代目は白の御朱印帖。

 

10連休は、さすがに参拝客も多く、時間があまりなかったので、書置きのものだけいただきました。

 

このところ、御朱印をめぐるニュースがちらほらと見られ、基本的にあまりポジティブなものではないのですが……。

資本主義かつ自由主義の世の中に生きるものとして、転売というのは致し方ないものと思っています。

けしからんと思うのは自由ですが、であれば、転売するのもある意味自由なわけです。

自分でしようとは思いませんし、そうやって御朱印を手にすることにさして意味も感じてはおりませんが、資本主義かつ自由主義というのはめんどくさいんです。

レアな御朱印を求めて列を成している時点で、どこか共犯でもあろう、と思いますし。

「なんで転売なんかするんやろう」と思いつつ、買わなければ需要がないことはわかるわけで、そうして個々人が対策をとるしかないのではないかな、と。

一方で、御朱印を求めるがあまり、時間がかかると文句を言うだの、書き手のみなさんに暴言を吐くだの、そういったものは許容できません。

心情的なものとしてはもちろんですが、新型スマフォやら夢の国やらラーメン屋やらで並んでいるのに、何で神社仏閣では文句を垂れるのか、資本主義的にも意味不明です。

レアなものには、お金と時間をかけるものなのです。

 

「三輪神社」さんも、初めて参拝させていただいた頃に比べると、ずいぶん待つことも多くなり、それどころか後日お渡し、郵送対応等々、大変になってきているようで……単に「大神神社」好き、三輪鳥居好き、で「三輪神社」に月参しているだけなので、無理して御朱印を求めることもなかろう、と思い始めております。

今後はのんびりお参りするかな……。

 

というわけで、

 

「三輪神社」ばっかりやないかい

 

な近況でした〜。

「鳩森八幡神社」(東京都渋谷区)

6/16。

日比谷の野音で宴があったので、上京したわけですが、その前に、ということで、鳩森八幡神社にご参拝。

 

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www.hatonomori-shrine.or.jp

 

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曇りがち、でした。

社標と鳥居。

 

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なぜか、境内社の「神明社」から(参拝されるかたが多くて、写真が撮りづらかったのだと記憶しています)。

千駄ヶ谷太神宮」と呼ばれて、権田原にあったものが、明治四十一年に末社となったそうです。

 

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本殿ちらり。

流造……っぽいですが、どうでしょう。

 

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神明社」の鳥居、だったと思います……(もう記憶が……)。

 

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「将棋堂」。

由来記によると、「昭和六十一年、日本将棋連盟から、山形県の駒師・香月氏の政策による欅製の大駒が奉納された」とのことです。

六角の御堂、屋根の飾りは「くちなし」の実の形だそうで……将棋盤の足がそうなのですね……折りたたみの将棋盤しか知らない……。

 

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神輿庫ずらり。

地域で大切にされている神社だなぁ、と感じ入ります(江戸の祭り好きの気風も残っているのか)。

 

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狛犬さん。

写実的(狛犬の写実的、ってなんなんだろう)、渋い。

 

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甲賀稲荷社」。

 

甲賀組組屋敷の武士が崇敬していた甲賀稲荷社は、かつて青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座していましたが、明治十八年に、青山練兵場設置のため当社境内に遷座・合祀されました。
昭和二十年五月の戦災で社殿を消失、本殿の中に八幡大神、諏訪大神とともに奉られていましたが、復興を望む声が高まり、昭和四十五年この場所に欅造りの社殿が完成し、遷座されました。」

 

甲賀組……響きにロマンがあります。

鉄砲場とか、練兵場とか、どこかで習ったな…くらいの知識しかないです。

 

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社殿。

 

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小祠。

 

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……何塚だろう……筆かな……。

後ろに狛犬さんが……。

 

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ぎりぎりまで近寄らせていただきました。

ちょっと欠けてしまわれて……。

 

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境内図。

 

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千駄ヶ谷富士塚」。

 

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拝殿側面から。

 

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富士塚入口の狛犬さん。

物言いたげ。

 

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千駄ヶ谷富士塚
(略)
この富士塚は寛政元年(一七八九)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒◼︎(※石卜)(富士山の溶岩)は頂上近くのみ配されている。山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられている。頂上には奥宮を安置し、山裾の向って左側に木造の里宮の建物がある。
頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて怪談としている。七合目には洞窟が作られ、その中には身禄像が安置されている。塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。
この富士塚は大正十二年(一九二三)の関東大震災後に修復されているが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものではもっとも古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な資料である。

(以下略)」

 

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階段。

 

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お題目。

 

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「同行」。

 

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里宮。

 

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享保十六年寄進の手水鉢。

 

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享保十九年のハート。

 

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「小御嶽石尊」。

 

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頂上付近からの社殿。

 

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頂上。

結構高かった……。

富士塚を登ったのは、「品川神社」以来かな……あ、全景を撮り忘れている……。

 

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これは……能楽殿かな。

 

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拝殿正面向拝。

 

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天水桶。

 

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狛犬さん。

流麗かつ躍動的で、素敵。

彫りが深い系。

 

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……あれ、どうなされた……。

 

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尻尾が二股、珍しいかも。

 

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参道入口付近から境内を……と思ったら、緑深く、社殿がまったく映らない、と。

 

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そして、紫陽花が美しい季節でした……天気が良いと、もっとよかったのですが。

 

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境内を出て、裏側からの富士塚

 

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もう一つの鳥居。

大銀杏の樹勢が素晴らしい……全然画角に収まってないですけれども。

 

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御朱印

富士塚登拝記念のものもいただきました。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第4編 江戸名所図会 第2巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑公式HPでも紹介されていますが、『江戸名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

148コマです。

 

千駄ヶ谷八幡宮 同所一町許西にあり。此辺の惣鎮守にして、例祭は九月二十七日なり。別当真言宗高雲山瑞圓寺と號く。
鈴懸松 門前に松の老樹有り。寛永の頃、大樹此地に御放鷹の時、御鷹の鈴此松の枝にかかりしとなり。故に名とすと。社記に云く、往昔此地深林の中に、時として瑞雲現じける。又或時、碧空より白気降りて雲上に散ず。村民怪しんで、彼林の下に至るに、忽然として白鳩数多、西をさして飛びされり。依て其霊瑞を称し、小祠を営み、名けて鳩森といふ。貞観二年慈覚大師東国遊化の頃、村民等大師に鳩森の神体を乞ひ求む、依て宇佐八幡宮城州鳩の峯に移り給ふ古を思ひて、神功皇后応神天皇・春日明神等の尊体を作り添へて正八幡宮と崇め給ふ。遥に後久寿年間、渋谷正俊領地に鎮座の御神なるを以て、金王丸生前随身の本尊、恵心僧都の作の弥陀如来の像を本地仏とし、社を造営して此地の産土神と称し奉りしより、霊応は照々として日に新なり。南向亭の云く、当社の前路は鎌倉街道の旧跡にして、今も鎌倉路と字せり。青山の原宿より此地をへて、大窪へかかりしなりとぞ。北条家分限帳島津孫四郎所領の中に、千駄ヶ谷の名有り。」

 

ふむふむ……「金王丸」というのは、

 

◯こちら===>>>

kotobank.jp


コトバンクの『日本人名大辞典+』によれば、

 

土佐房昌俊 とさのぼう-しょうしゅん
?-1185 平安時代後期の僧,武士。
大和(奈良県)興福寺西金堂の堂衆。のち土肥実平(どひ-さねひら)の仲介で源頼朝にしたがう。文治(ぶんじ)元年10月頼朝の命で京都六条室町の源義経邸を襲撃するが失敗,鞍馬(くらま)山ににげるが捕らえられ,10月26日六条河原で処刑された。「平治物語」では,渋谷重家の子で金王丸といい,はじめ源義朝につかえたとする。」

 

ということで、『平治物語』に登場するようで。

渋谷つながり……なのでしょうか……ああ、「金王八幡宮」がありますね、そういえば……うむ、不勉強……あれ、「渋谷正俊」は「渋谷(土佐房)昌俊」のことなんでしょうかね……。

いずれまた、この辺りを参拝させていただいたら調べてみたいと思いますが……そうか、『平治物語』も読まないと、なのか……『平家物語』すら……とにかく日本史に疎いので。

良き神社でございました〜、ということで、水無月東京小巡り〜、です。

 

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画像修正後の紫陽花。