べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「鳩森八幡神社」(東京都渋谷区)

6/16。

日比谷の野音で宴があったので、上京したわけですが、その前に、ということで、鳩森八幡神社にご参拝。

 

◯こちら===>>>

www.hatonomori-shrine.or.jp

 

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曇りがち、でした。

社標と鳥居。

 

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なぜか、境内社の「神明社」から(参拝されるかたが多くて、写真が撮りづらかったのだと記憶しています)。

千駄ヶ谷太神宮」と呼ばれて、権田原にあったものが、明治四十一年に末社となったそうです。

 

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本殿ちらり。

流造……っぽいですが、どうでしょう。

 

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神明社」の鳥居、だったと思います……(もう記憶が……)。

 

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「将棋堂」。

由来記によると、「昭和六十一年、日本将棋連盟から、山形県の駒師・香月氏の政策による欅製の大駒が奉納された」とのことです。

六角の御堂、屋根の飾りは「くちなし」の実の形だそうで……将棋盤の足がそうなのですね……折りたたみの将棋盤しか知らない……。

 

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神輿庫ずらり。

地域で大切にされている神社だなぁ、と感じ入ります(江戸の祭り好きの気風も残っているのか)。

 

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狛犬さん。

写実的(狛犬の写実的、ってなんなんだろう)、渋い。

 

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甲賀稲荷社」。

 

甲賀組組屋敷の武士が崇敬していた甲賀稲荷社は、かつて青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座していましたが、明治十八年に、青山練兵場設置のため当社境内に遷座・合祀されました。
昭和二十年五月の戦災で社殿を消失、本殿の中に八幡大神、諏訪大神とともに奉られていましたが、復興を望む声が高まり、昭和四十五年この場所に欅造りの社殿が完成し、遷座されました。」

 

甲賀組……響きにロマンがあります。

鉄砲場とか、練兵場とか、どこかで習ったな…くらいの知識しかないです。

 

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社殿。

 

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小祠。

 

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……何塚だろう……筆かな……。

後ろに狛犬さんが……。

 

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ぎりぎりまで近寄らせていただきました。

ちょっと欠けてしまわれて……。

 

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境内図。

 

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千駄ヶ谷富士塚」。

 

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拝殿側面から。

 

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富士塚入口の狛犬さん。

物言いたげ。

 

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千駄ヶ谷富士塚
(略)
この富士塚は寛政元年(一七八九)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒◼︎(※石卜)(富士山の溶岩)は頂上近くのみ配されている。山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられている。頂上には奥宮を安置し、山裾の向って左側に木造の里宮の建物がある。
頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて怪談としている。七合目には洞窟が作られ、その中には身禄像が安置されている。塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。
この富士塚は大正十二年(一九二三)の関東大震災後に修復されているが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものではもっとも古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な資料である。

(以下略)」

 

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階段。

 

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お題目。

 

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「同行」。

 

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里宮。

 

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享保十六年寄進の手水鉢。

 

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享保十九年のハート。

 

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「小御嶽石尊」。

 

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頂上付近からの社殿。

 

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頂上。

結構高かった……。

富士塚を登ったのは、「品川神社」以来かな……あ、全景を撮り忘れている……。

 

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これは……能楽殿かな。

 

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拝殿正面向拝。

 

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天水桶。

 

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狛犬さん。

流麗かつ躍動的で、素敵。

彫りが深い系。

 

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……あれ、どうなされた……。

 

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尻尾が二股、珍しいかも。

 

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参道入口付近から境内を……と思ったら、緑深く、社殿がまったく映らない、と。

 

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そして、紫陽花が美しい季節でした……天気が良いと、もっとよかったのですが。

 

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境内を出て、裏側からの富士塚

 

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もう一つの鳥居。

大銀杏の樹勢が素晴らしい……全然画角に収まってないですけれども。

 

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御朱印

富士塚登拝記念のものもいただきました。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第4編 江戸名所図会 第2巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑公式HPでも紹介されていますが、『江戸名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

148コマです。

 

千駄ヶ谷八幡宮 同所一町許西にあり。此辺の惣鎮守にして、例祭は九月二十七日なり。別当真言宗高雲山瑞圓寺と號く。
鈴懸松 門前に松の老樹有り。寛永の頃、大樹此地に御放鷹の時、御鷹の鈴此松の枝にかかりしとなり。故に名とすと。社記に云く、往昔此地深林の中に、時として瑞雲現じける。又或時、碧空より白気降りて雲上に散ず。村民怪しんで、彼林の下に至るに、忽然として白鳩数多、西をさして飛びされり。依て其霊瑞を称し、小祠を営み、名けて鳩森といふ。貞観二年慈覚大師東国遊化の頃、村民等大師に鳩森の神体を乞ひ求む、依て宇佐八幡宮城州鳩の峯に移り給ふ古を思ひて、神功皇后応神天皇・春日明神等の尊体を作り添へて正八幡宮と崇め給ふ。遥に後久寿年間、渋谷正俊領地に鎮座の御神なるを以て、金王丸生前随身の本尊、恵心僧都の作の弥陀如来の像を本地仏とし、社を造営して此地の産土神と称し奉りしより、霊応は照々として日に新なり。南向亭の云く、当社の前路は鎌倉街道の旧跡にして、今も鎌倉路と字せり。青山の原宿より此地をへて、大窪へかかりしなりとぞ。北条家分限帳島津孫四郎所領の中に、千駄ヶ谷の名有り。」

 

ふむふむ……「金王丸」というのは、

 

◯こちら===>>>

kotobank.jp


コトバンクの『日本人名大辞典+』によれば、

 

土佐房昌俊 とさのぼう-しょうしゅん
?-1185 平安時代後期の僧,武士。
大和(奈良県)興福寺西金堂の堂衆。のち土肥実平(どひ-さねひら)の仲介で源頼朝にしたがう。文治(ぶんじ)元年10月頼朝の命で京都六条室町の源義経邸を襲撃するが失敗,鞍馬(くらま)山ににげるが捕らえられ,10月26日六条河原で処刑された。「平治物語」では,渋谷重家の子で金王丸といい,はじめ源義朝につかえたとする。」

 

ということで、『平治物語』に登場するようで。

渋谷つながり……なのでしょうか……ああ、「金王八幡宮」がありますね、そういえば……うむ、不勉強……あれ、「渋谷正俊」は「渋谷(土佐房)昌俊」のことなんでしょうかね……。

いずれまた、この辺りを参拝させていただいたら調べてみたいと思いますが……そうか、『平治物語』も読まないと、なのか……『平家物語』すら……とにかく日本史に疎いので。

良き神社でございました〜、ということで、水無月東京小巡り〜、です。

 

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画像修正後の紫陽花。