2/12(あ、2024年です)。
何を思ったのか、ちょっとドライブがしたくなったのですが、あまり時間はなく、行けそうなところで検索し、そういえばあったな……というわけで、「海山道(みやまど)神社」へ。
◯こちら===>>>

ほとんど予備知識なしで、ただ近鉄の「海山道」駅から見えるというだけの理由で気になっていたので、行ってみました。


お稲荷さんだったか……よい爪だ……荼枳尼天の眷属はジャッカルだった説を思い出す……。

連なる朱の鳥居。

「開運稲荷大明神」。

お百度石って左右にあるものなのか……。

ちょっと、境内図が思い出せないのですが、かなり広い敷地だったと思います。
その中にいくつかの神社がある、という感じ……。

本殿……だけど、どこの本殿だろうか……。

「助四郎稲荷神社」。
「助四郎稲荷さまは、海山道稲荷さまの神使狐総本家のお宮です。
二月の節分にはこの総本家助四郎家の子狐助太郎と福徳家の娘狐福子の日本一ほほえましい「狐の嫁入り道中神事」が執り行われます。開運成就はもちろん厄除、縁結び、恋愛、出世などに御霊験あらかたなお稲荷さまとして広く崇敬を集めています。」
……なるほど、総本家……。

……赤い狐!
赤い狐!!

猫!!(急に?)

「大漁清助稲荷大明神」。

お稲荷さんと大漁はどこで結びついたのか……。




こちらが「開運稲荷大明神」か。

おっと、「みやまど天神」様です。
天神様も朱塗りか……。

かなり大きい天神様像のようです。
近代以後、あまり神像というのは作られていないと思います(そういう対象じゃなくなったので)。
でも、耳目を集めるには、こういったものも必要でしょう。

天神様と梅。

そうそう、思い出した、これがあったんでした……多分、日本でここだけの「四角鳥居」。
三角鳥居はいくつかありますが。
こちらは、建てられ方からして、参道のどの方向からでも鳥居をくぐることができるようになっているのだと思われます……。
次は五角鳥居を探しに行くか(ないない)。

「報国稲荷神社」。



とにかく、お稲荷さんを詰め込んだ感じですね。

「足留稲荷大明神」。

小さい……。

「安全稲荷大明神」。

「合格稲荷大明神。

「福寿」「厄除」「助一」……。

「必勝」。

「玉富」。

「伏見」「出世五社」。
……おお、やっと「伏見」が。
「成功」。

「福龍」。

「助六」「白龍」。


……絶対、弁天か宇賀神だったんじゃないかと思いますね。

「日興」「春熊」……「春熊」ってなんだろう……。

「金生」。

小さい……。

「熊鷹」。
また熊か……。

「真弓」「長谷川」……どこかの家神様だったかな……。

「招福」。

やっと入り口付近……境内図がありました。


で、境内図をみていただけるとわかりますが、かなり大きめのお社なのに、お稲荷さんの存在感に負けている感じのある、「洲崎浜神明宮」。
海が近いんですね。

郷土の偉人のことは、たくさん勉強しておきましょう(私も含めて)。
100年前も、そろそろ歴史学の範疇です。

立派な鳥居も社標もあるじゃないか。




狛犬さんたち。
何故塗った……。

「洲崎浜神明宮」遠景。
天水桶がよい。
今気づいたけど、瓦葺なので、江戸の頃かな。

遥拝所。




「海山道神社」本殿(だと思う)。
地方の中規模クラスの神社は、本殿の後ろにまわれることが多いような印象。


手水鉢。

鳥居越しの駅。

駅からの鳥居。


こちらが正面でした。

拝殿とその周辺。

鳥居の並び具合に節操を感じないな……。
さて。
国会図書館オンラインで、いろいろ文献を検索してみたのですが、ぱっとしたものが見つからず……ううむ……。
で、公式HPをみていたらですね、
「当社は、洲崎濱宮神明神社(すざきはまみやしんめいじんじゃ)の境内社で海山道開運稲荷神社と称し、丁度、前社は伊勢の内宮さま、後社は外宮さまに当り、境内社の方が著名であるのは誠に尊いことです。
俗に“みやまどさん”(総称海山道神社)とよばれるのは、伊勢路の伏見稲荷総社として高遠なる御神徳を称えて此の土地の地名で代称されているのです。
その昔、西行の「昨日たち今日立ちみれば日永なる洲崎に見ゆる森のひとむら」と詠まれたと言うそのままの森は、神々しさ自ら身に迫る思いがします。
また、江戸時代には徳川家のあつい崇敬により葵の御紋を許され、神戸侯を始め水谷検令(代官水谷九佐衛門)等からも崇められ、古くから全国崇敬者の信仰をあつめています。」
らしいんです……あ、「洲崎濱宮神明神社」のほうがメインだったんですね。
「西行」法師が歌を詠んだくらいなのですから、何か文献残っていないかな……私が見つけられないだけだとは思うのですが。
一応、調べてみると、かつては「日永村」、「東海道」から「伊勢参宮街道」に分岐する「追分」という辺りに位置しているようなのですが……。
◯こちら===>>>三重県神職会 編『三重県下の特殊神事』,三重県神職会,昭13. 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2025-09-12)
↑こちらでは、「洲崎濱宮神明神社」の神事が、わりと紙幅を割いて紹介されているので、昭和初期には存在感のある神社だったと思われます。
他にも、「日永村」で検索すると、井上円了先生の『妖怪学』がヒットしたりしまして、それはそれで非常に興味を引かれているのですが……肝心の「海山道」が引っかからず……。
◯こちら===>>>
伊藤清太郎 編『神戸平原地方郷土史』前編,河曲同窓会,昭11至13. 国立国会図書館デジタルコレクション
神戸平原地方郷土史 前編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2025-09-28)
↑こんなのを観てみるとですね(p34)、
という記載があって、もはやしっかり郷土史をやらないとわからない……。
◯こちら===>>>
鎌井松石 著『三重管内博物誌』巻16,鎌井松石,明治13. 国立国会図書館デジタルコレクション
三重管内博物誌 巻16 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2025-09-28)
↑では(59コマ)、
「狐 音胡 俗称 射干
管内處々山野ミナ住ム就中三重郡馳出村海山道ノ社域其夛数百狐窟アリ心願ノモノハ赤豆飯油揚ヲ供フ若シ人ニ托キ或ハ狐ノ為ニ魅サレ大害ヲサス等ノモノハ海山道ノ神宮霊符ヲ以テ禳クトキハ忽チ退狐ス」
という記事がありまして……狐が多かったから、稲荷……まさか……。
◯こちら===>>>
小菅敏治 編『三重の山水を廻りて』,太田書店,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2025-09-28)
↑では(p130)、
「海山道稲荷は流行神である。此村の代官縄と殿縄との中間は、永禄中長野城主工藤具藤が、国内の諸将と合縦し、亀山城主関盛信と血戦し、大に之を敗つた址といふが、今は耕地である。此辺一たい能く耕地が整理されて居る。再び折返して日永を過ぎ四郷村に入る。西日野に安国寺址がある。此の日野も室山も巨商富豪の巣窟である。両伊藤家の如きは、共に日本の名家として、産業界に赫々たる名声を発揚されて居る。八王子には小さな遊園がある。(略)」
……まあ、詳しいことは書かれていなかったですが……。
とりあえず、「狐が多かったから、稲荷神社が栄えた」説について、地域の方にお伺いしたいところです……。
伊勢国は、掘ると大変ですね……妄想考察するにも、地域の図書館とかに行かないと……皇學館に行けばいいのかな(やめときなさい)。
というわけで、参拝したのはすっかり去年ですが、やっと記事を書けました……。