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よんどころない事情で大阪に出かけまして、目的地の近くにあったのでお参りしてきました「福島天満宮」。
◯こちら===>>>
わりとこじんまりとした境内に収まる拝殿。
狛犬さん。
境内社は、(奥から)「事平神社」「安廣神社」「野見宿禰神社」「住吉神社」「勇神社」。
拝殿遠景。
「吉高稲荷神社」、かな。
(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)
「福島天満宮社記
御祭神 菅原道真公
相殿 大国主大神 事代主大神 中之社大神
(略)
畧由緒
菅公筑紫へ御左遷の砌風待の遺跡にして、公配所に薨去の後自から描き残されし御影を延喜七年◼︎霜月十五日斎き祀り翌八年◼︎正月十三日相殿の神を勧請すと、即ち当社の起源と伝ふ
御社殿・建物
明治四十二年七月北区大火に類火炎上して一木をも残さず、大正十年再築、昭和四十一年都市計画による道路拡張に伴ひ御社殿移築改装境内全境改修の大工事を起し、四十二年四月竣工して現姿となる。」
正面。
横の入り口。
……裏?(記憶が……)。
御朱印はいただいておりません。
さて。
◯こちら===>>>
大日本名所図会刊行会 編『大日本名所図会』第1輯第5編摂津名所図会,大日本名所図会刊行会,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション
大日本名所図会 第1輯第5編摂津名所図会 摂津名所図会. 上,下巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2023-09-06)
↑『摂津名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
p345です。
「福島天神祠 上福島・中福島・下福島三所にあり。何れも菅神を祭る。毎歳六月二十五日天満祭の時、神輿供奉の船此所より出づるなり。往昔鉾流の神事の遺風なりとぞ。此地に勧請のはじめは、菅公つくしへさすらへ給ふ御時、此島に船がかりましまし、里人に所の名を尋ね給へば、餓鬼島なりと申上ぐる。是不祥の名なり。改めて福島と名乗らば、後世繁昌すべしとの仰によりて、福島といふ。異名を葭原島ともいふ。」
……何がすごいって、元々が「餓鬼島」だったというところですね。
ホラー漫画始まりそう……その由来が気になります(船が島に引っかかったということは、浅瀬でよく船が座礁でもしたのか……それと「餓鬼」とのつながりがどうも……)。
◯こちら===>>>
『大阪府誌』第5編,大阪府,明36.4. 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2023-09-06)
↑『大阪府誌』も見てみましょう。
88コマです。
「福島天神社
福嶋天神社とは上ノ天神、中ノ天神、下ノ天神の総称にして、共に福嶋に在りて菅原道真を祀れるを以つて此の名あり。上ノ天神は上福嶋二丁目に在りて相殿に少彦名命及び大国主命を祀り、氏子三千五百餘戸を有し五百二十六坪の境内に六座の末社を駢ね、伝へて道真出船の旧跡にして延喜七年の創建なりとし三社中最壮観なり。中ノ天神は上福嶋三丁目字樋ノ下に在りて道真を相殿に少彦名命を祀り、境内二百十五坪末社三座ありて氏子六百四十戸を有し前社と同年の創建なりといふ。又、下ノ天神は下福嶋二丁目に在りて祭神創建共に中ノ天神と同じく、氏子は八百餘戸あり。」
公式HPには、もう少し詳しく縁起が書かれています。
「餓鬼島」も「鹿飢島」だったようで……それはそれで由来が気になる……。
「下ノ天神」は健在のようですが、「中ノ天神」はこちら「上ノ天神」に合祀されているようで(「下ノ天神」も行きたいところです……)。
それにしても、「少彦名命」と「菅原道真」公って、何かつながりがありましたっけ。
あまりピンとこない……のは私の浅学故なのですが……何かあるのかも……。