(※2016/10/2追記)
5/14。
円頓寺商店街からは、四間道という歴史的な風情を感じる道に出ることができます。
○こちら===>>>
街並み自体は写真がないのですが、屋根神様をいくつか。
地球堂という、骨董屋さん。
恐ろしくて中には入れませんでしたが、屋根神様だけぱしゃり。
軒下の面とか、夜は恐ろしい感じですね。
こちら、案内もある屋根神様。
「屋根神
この屋根神さまは、津島神社・秋葉神社・熱田神宮を祭神とする。屋根の上に小さな社を祭るという形態は、名古屋独特のものである。これは、疫病や火災などの恐怖から身を守るために、庶民の祈りをこめて創られた。」
洋の東西を問わず、屋根には守り神的なものがおかれるもののようです。
あちらであればガーゴイル(あれは雨樋だろう、とか)、こちらであれば鯱、鬼瓦。
鴟尾、鰹木なんかもそうでしょうか(鰹木は建築用法上の理由から、だんだんと変化していったようです)。
何故名古屋だけなんでしょう……それほど土地が広くないのか、防犯上の理由でもあるのか。
四間道というのも、火災のときに延焼を防ぐため広い道路を整備したとかなんとか。
江戸だと火除け地が作られましたけど、人口規模が違いますからね……。
現代の名古屋も、中心部の道路が広いことで有名ですが(そのため、名古屋走りなどと称される運転が全国的にも嫌われておりますが)、あれも大災害時に緊急車両を通りやすくするため、なんだそうです(他にも理由はあるでしょうけれども)。
そんな四間道をぶらぶらします。
結構、観光客が多いのに驚きます。
本当に、人気スポットらしいです(名古屋市民なのに知らなんだ〜)。
で、到着するのが「浅間神社」。
○こちら===>>>
四間道の南の端になります。
「浅間神社
「尾張志」によると、正保四年(一六四七年)この地に遷座したとある。境内に樹齢三百年を越すクスノキやケヤキが七本あり、市の保存樹に指定されている。毎年十月一日、二日に大祭が行われる。」
こちらも同じような内容です。
境内社は、
「富士光稲荷社 祭神 宇迦之御魂之大神
恵比須社 祭神 恵比須神
津島社 祭神 建速須佐之男命」
となっています。
↑の写真を見ていただければわかりますが、縦長の敷地に、きゅっと詰め込まれた感じです。
境内図。
鳥居をくぐると、まず小さな狛犬さん。
拝殿の前に、大きな狛犬さん。
拝殿。
拝殿向かって左手奥に進むと、「稲荷社」があります。
本殿をぱちり。
神明造っぽいです(屋根の比率は流造っぽくもありますが……さてどちらでしょう)。
戻って、向かって右手奥に進むと、
「津島社」。
左は社殿、右は倉庫。
さらに手前に、「浅間八大龍王」の碑が。
真言が書かれているのが珍しいです。
すぐ近くを堀川が流れていますので、その関係でしょうか。
石灯籠。
富士山っぽい絵柄。
境内にある石灯籠が、どれも個性的だったのでつい。
わりと新しいのでしょうね。
向かって左手の道沿いに全景。
こうして見ると、樹木の勢いが確かにあります。
さて。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋
↑親切に案内されていたので、『尾張志』から引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
13コマです。
「浅間社
大船町の西にあり木花開耶媛神を祭る 鎮座の年月しられす もとは廣井村のうちなる阿原といふ地に在しを正保四年■■に移せり
摂社 稲荷社 恵比須社 天満天神社 遷宮 正保四年元禄十四年享保二年 例祭 正月十二日五月十二日九月二十二日 神主 正六位上森駿河介藤原政信」
すみません、変体仮名がどうしても読めず……たぶん「ここ」とか、そんな感じだと。
一応、
○こちら===>>>
↑も見ておきましょうか。
20コマです。
「【浅間祠】在大船陌西 元在管下瓶陌 正保四年移于今地 祭禮八月二十二日」
……地名はさっぱりですが、廣井というのは、
○こちら===>>>
「泥江縣神社」(中区) - べにーのGinger Booker Club
↑「泥江縣神社」があった辺りのようですので、堀川を東から西に移ってきた感じなのでしょうか。
いつもの、
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑『尾張名所図会』には記事はないのか、と思ってめくっていたら、110コマに絵図だけがあるんです。
文は読めないんですけどね……これも活字にしてある本があったような気がするんですが……とりあえず、昔の四間道の雰囲気を見るにはいい絵だと思います。
これを見る限り、江戸末期も、敷地的には今とあまり変わらないようです……狭かったんですね。
もうちょっと続きます〜。
▼2016/10/2追記▼
10/1。
秋の例祭の日、ということで立ち寄ってみました。
広くない境内では、氏子のみなさんが集まってみたらしが売られていたり、くじ引きがあったり。
ほのぼのとした風景でした。
書き置きでしたが、御朱印がいただけました。
神社の正面は「中橋」という橋で、堀川にかかる七つの橋のひとつだったそうです。
↑であげた『尾張名所図会』にも、「中橋裏浅間社」とあります。
傍らには橋神様っぽい祠が。
橋から見ると、社の様子はほとんどわかりませんが、杜がこんもりと残っているのはよくわかります。
天気は決してよくありませんでしたが、無事お祭りを終えられることをご祈念申し上げまして。