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相変わらず昨年の記事に追われていますが、多分休日で、多分朝からふらっと出かけて、いってみました「大井神社」。
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えっと……なぜか、拝殿横の狛犬さんから始まっておりますね……なんでだろう。
社殿。
新しくなっているようです。
尾張造かな、と思われます。
社殿正面……拝殿。
瓦屋根に銅板葺きの向拝……後から足してみました感。
拝殿向かって左より。
こちらの狛犬さんには近寄れず。
あ、ちょっと近づいてみました……石灯籠の苔生した感じがなんとなくよろしいかと。
近景。
こうして見ると、力強い。
境内摂社。
向かって右から、「猿田彦神社」「直会社」合殿、「白山社」「厳島社」合殿、「富士社」「天神社」合殿、「八幡社」「津島社」合殿、「神明社」「御嶽社「山神社」合殿、と。
随分合わせてしまいました……おそらく江戸末期〜明治の頃に集められたのだと思いますが、それ以後も境内減少とか、社殿老朽化とか、いろいろ理由はあるのか、ちょっと切ないですね……。
蕃塀。
「式内 大井神社
(略)
御祭神 罔象女命 速秋津彦命 速秋津姫命
相殿髪 塩竈六所大明神
(略)
由緒
御祭神
社伝によてば、和銅・養老年間(七〇〇年代)に、現社殿の北西にあった大井の池のほとりに産土神として勧請せられ大井神社と称し祀る。中世、大水の難を避けて現在地へ鎮座される。
延喜式神名帳(九二七年)に山田郡大井神社と記録される式内社である。尾張国神名帳に従三位大井天神と見え、神社に保存される社名額・棟札に六所大明神・大井塩竈神社とあり、古来より如意の氏神として崇敬され現在に至る。
塩竈六所大明神
石黒大炊助藤原重行は、後醍醐天皇の皇子宗良親王を貴船城に迎え、建武の中興に功績のあった越中国奈呉郡貴船城主石黒越中守藤原重之の子で、勤皇の志を継ぎ度々兵を挙げたが、遂に越中国を去り一時奥州へ移る。後亀山天皇の明徳四年(一三九三年)に至り、奥州千賀に鎮座される塩竈六所大明神の御分霊を奉戴して、尾張国春日郡如意郷に来て潜居し大井神社に合祀する。以来氏神とともに崇敬され現在に至る。
(以下略)」
昭和62年に、コンクリート造にしたそうです。
百度石越しの遠景。
鳥居のところの狛犬さん。
鳥居。
駐車場の方にぐるっと回ってみると、確かに本殿、渡り殿、幣殿がコンクリート造になっています。
御朱印は不明(いただける日もありそうです)。
さて。
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大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション
↑『尾張名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
93Pです。
「大井神社 如意村のうち、大井といふ地に鎮座あり。今六所明神と稱す。[延喜神名式]に山田郡大井神社、[本国帳]に従三位大井天神とある官社なり。[塩尻]に山田庄如意村六所明神は、式内大井神社なり。六躯の神形を蔵む。男體三躯女體三躯。社説は筒男の神・海童の神三所なりと云ふ。然れば住吉・和魂・荒魂なるにや。社の西に若宮と稱する社あり。是には神形二躯、男體・女體を安置す。是 神功皇后・応神天皇なりといへり。住吉の神によせあれば、さも侍るにや。両社の間に昔観音堂あり。聖観音・如意輪を安置せしが、如意輪は盗人にとられ侍る。聖観音は堂破れし後、鶏足坊に移し安置す。如意輪の像は今愛知郡尾頭澤妙安寺に安置する像なりとかや。おもふに是は社の本地仏にて、六観音なども有りけん。昔此村は神戸と稱す。[和名抄]に山田郡神戸とあるはここなり。然るに大井神社の本地仏に如意輪堂ありし故に、村名を如意と呼び初めしと云々と見えたり。[蜷川親元日記]寛正六年のくだりに、武庫御被官尾州神戸弾正貞則、また尾州神戸七郎などあるは、みな此地の人なり。」
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↑『神社覈録』はといいますと。
788pです。
「大井神社
(略)◯祭神在所等詳ならず
集説に、山田庄如意村六所明神、此有大井池と云り、然れど張州府志に、如意村六所祠、嘉吉二壬戌年藤原朝房建之と載せたれば、必大井神社とは定めがたし、猶考ふべし(略)」
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『特選神名牒』は、というと。
261pです。
「大井神社
祭神 彌都波能賣命 速秋津日子命 速秋津比賣命 (略)所在 山田庄如意村 今属春日井郡(西春日井郡楠村大字如意)」
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尾張志. 6 春日郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション
「大井神社
如意村のうち大井といふ地に鎮座也今は六所明神と申す延式神名式に山田郡大井神社本国帳に従三位大井天神とある官社也」
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『西春日井郡誌』はいかがかと。
326pです。
「大井神社 楠村大字如意字北浦二千百五十一番地にあり、罔象女命、速秋津彦命、速秋津姫命を祀れる村社にして鎮座年代詳ならず、されど旧記によれば、往昔は大井天神と稱せり。延喜式神名帳に山田郡大井神社、本国神名帳に従三位大井天神とあるは此の官社なり。然るに明徳四年石黒大炊助重行、奥州塩竈六所明神の尊像を負ひて尾州に来り、春日部如意郷に潜居し、宅地を構へ姓を変じて、長谷川重行と稱せり。重行の子、石黒右馬頭藤原朝房、嘉吉二年壬戌三月、本社を改めて造営し相殿に六所明神を勧請せしかば、何時しか天神の名は消えて、六所明神と唱ふるに至れり、尾張誌に「如意のうち大井といふ地に鎮座あり、今は六所明神と申す云々」とあり。
爾後慶長十四年迄百数十年間は、代々石黒家奉仕せしを以て、社殿修復の棟札には悉く石黒某の姓名を記せり、其後数十年を経て慶安元年戊子正月社殿修復の際より村民の寄附となる、爾来如意村の氏神社として今日に至るまで二百七十餘年を経たり。
境内五百十三坪、老樹少なからず、神殿、相殿、祭文殿、廻廊、拝殿、社務所等あり、境内神社には合殿四社あり。即ち神明社、御嶽社山神社覈録、合殿(祭神天照大神、国常立命、大山祇命)八幡社津島社合殿(祭神大鷦鷯尊、須佐之男命)富士社天神社合殿(祭神木花咲哉姫尊、国常立尊)白山社厳島社合殿(祭神菊理姫命市岐島姫命)是なり。例祭は十月十八日とす。」
記事の内容をまとめると、
・『延喜式神名帳』の「大井神社」(『本国神名帳』の「大井天神」)がここだと思うよ。
・石黒某が、宮城の「鹽竈神社」から「鹽竈六所明神」を勧請したよ。
・近くに池があったみたいだし、元々は水の神様だったっぽいよ(でも大水の難を逃れるために遷座されたよ……水の神様じゃなかったのか……)。
といったところでしょうか(おおざっぱ)。
「大井」というのは、「大きな井戸」というよりは、「大池」からきたんじゃないか、と思ったりします(普遍的な名前ですよね)。
名前のない水の神様が、「罔象女神」などになっていったのだけれど、大池が失われて、神徳も弱まり……という感じでしょうか。
式内社は、御祭神がよくわからないのですよね困ったことに……わかりやすいのもありますが……『延喜式神名帳』もどうせなら御祭神までちゃんと書いてほしかった……(書いていない、ということは逆に神社名で誰でも御祭神を認識できたのか、そもそも名前のない神々だったのか……)。
いずれ尾張の式内社は制覇してみたいところです。