べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「大縣神社」「田縣神社」(再)

9/30。
天気はそれほどよくはなかったのですが、そういえばご挨拶にいっていないな、と思い、大縣神社」「田縣神社へ。

 

◯こちら===>>>

「大縣神社」 - べにーのGinger Booker Club

「田縣神社」 - べにーのGinger Booker Club



↑以前の記事です。

 

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大縣神社」から。

 

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「大国恵比須神社」。

 

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狛犬さん。

 

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「姫之宮」の本殿。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。

 

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社務所前より。

……肝心の本社拝殿の写真がない、と。

どうしてだっけな……。

 

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続いて「田縣神社」。

 

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拝殿。

修繕が終わり、屋根はすっかり赤銅色ではなくなっておりますね……。

 

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鈴まで……。

 

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狛犬さん。

 

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「珍宝窟」。

 

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社務所より。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑「大縣神社」のほうは引用していなかったので、『尾張名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

349ページです。

 

大縣神社
二ノ宮村にあり。俗に二之宮大明神と稱す。[延喜神名式]に大縣神社 名神大。 と見え、[本国帳]に正一位大縣大明神としるせり。垂仁天皇二十七年の御鎮座にて、天武天皇朱鳥元年、勅して再建し給ひ、清和天皇貞観元年、御修理あり。其後星霜を経て、永正元年回禄にかかり烏有となりしを、同十五年織田弾正左衛門平久長再建し、やや旧貫に復しぬ。然ありしより神威昭々として、諸人の崇敬他に異なるの官社たり。
続日本後紀]に曰く、承和十四年十一月癸亥朔癸酉。奉授尾張国無位大縣天神従五位下。[文徳実録]に曰く、仁寿元年十一月辛巳。詔以尾張国大縣神列於官社。同三年五月辛亥。尾張国無位 一本従五位下。 大縣神授従四位下。[三代実録]に曰く、貞観元年二月十七日癸卯。授尾張国従四位下大縣神従四位上。同月十九日乙巳。遣正五位下守右中辨兼行式部少輔大枝朝臣音人。向尾張国大縣神社。奉神位記財宝。同十五年八月十三日乙巳。授尾張国従四位上大縣神正四位下
本社 祭神 国狭槌尊・活目入彦五十狭天皇国常立尊豊斟渟尊を合せまつれり。
瑞牆 廻廊 祭文殿 拝殿 舞殿 御供所 御井 祭庫 鳥居。
別宮三名神社 本社の東山上にあり。祭神豊斟渟尊。[本国帳]に正一位名神と見えたり。[同書]に従三位田宮天神とあるも、当社の摂社たりしが、中世廃して旧址のみ存せり。
末社神明社 本社の西にあり。 祭神天照皇大神宮
戸坂若宮社 同所にあり。祭神景行天皇
多賀社 同所にあり。祭神伊弉冊尊
中宮社 同所にあり。祭神天御中主尊
弁財天四社 同所西のかたにあり。
毘沙門社 本社の東にあり。
大黒社 同所にあり。
白山社 同所にあり。祭神菊理姫命。
瘡神社 同所にあり。祭神倉稲魂命
神宮寺社 同所にあり。
妙見社 同所にあり。祭神建稲種命
伽藍祭社 同所にあり。
例祭 八月朔日。児山一輌・人形山二輌を出す。九月九日。流鏑馬并笹踊等あり。当社は古より大社にして、年中の祭事多かる中に、田打祭・清祓烏喰神事・祈年祭新嘗祭・大和舞・鎮座祭・奏楽・傘廻等ことに大祭なりしが、今悉く廃絶して、近村に供祭田等の旧号あまた字のみ残れり。
(略)
神主 むかしは大荒田命の裔孫爾波縣君司りしが、其末はいかがなりけん。中昔より尾張氏にて重松と称する家代々奉祀す、これ歴仁元年十二月の尾張国諸社神領廳宣に、左衛門尉尾張俊村仮名重松分。一乗寺保三十七町六段云々とある重松氏なり。其外祠官成時氏・元方氏・稲吉氏・常吉氏等数十家、神官・中臈・神楽座・神子数人あり。
(略)
[鹽尻]に、我尾州二の宮は、古盛なりしとき、四至も広く、祭祀もめでたくおこなはれしと見ゆ。大縣宮地打越明神の傍、字針とよぶ地に勅使宿館の跡あり。いにしへ神主の宅地も爰なりとかや。御休といふ地、二の宮と楽田の間、道の北にあり。是祭祀の日、神輿御幸の地なりしよし。夫より西跡に二の鳥居の跡あり。宮地よりここまで五町ばかりなり。これ近四至と見えたり。一の鳥居の跡は青塚にあり。 (略) 是は遠四至にや。此邊に舞台と称ふる田あり。是むかし舞台ありし所といふ。楽田村の名もこれにかなへり。凡楽田のうち、田の字に御供田・直会田・注連切田・燈明田・経田等の名あり。又傘廻田と呼ぶ地あり。古神事に、傘さして付きてまはりし事あり。其米を出しし所といふ。また東方の山岳に西福寺・浄福寺・真蔵寺・不動寺・小西寺など呼ぶ所、いにしへ供僧の役所といふ。小西寺の旧跡塔の壇の名、今のこれり云々。」

 

ふう、ちょっと長め……。

「瘡神社 同所にあり。祭神倉稲魂命。」……「瘡」といったら普通「疱瘡神」なのですが、何故に「倉稲魂命」……。

「妙見社 同所にあり。祭神建稲種命。」……これは「内々神社」が妙見信仰と混ざり合っていたからでしょうね。

「伽藍祭社 同所にあり。」……もう謎でしかない。

祭事に関してはほとんど伝承も失われているという様子ですが、そうすると例の「豊年祭」はどうなってたんでしょうね……ますます謎……。

 

◯こちら===>>>

尾張志. 7 羽栗郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑お久しぶりねの『尾張志』。

23ページです。

 

大縣神社
二宮村にます大縣はオホガタと訓へし 今は二宮大明神と申す (略) 大縣は此地の旧名なれとも二宮という称のおこれるよりうつりて社号にのみ地名を残せり 扨此處は旧事紀に邇波縣と見えたる地にてすなわち爾波縣君祖大荒田命を祭れるにもやあらむ 大荒田命は同紀五巻尾張氏の世系を書る條に十二世孫建稲種命此命は邇波縣君祖大荒田女子玉姫爲妻生二男四女とあるに明し 此事を本国帳集説にも引て本宮座山頂号真神山(略)本州二宮也 按旧事紀曰邇波縣君祖大荒田命云々姓氏録曰倭建尊三世孫大荒田命云々(略)といへり されと阿良多と阿賀多と語近乎といへるはあたらす アラタアガタは元来異なるものをや 又姓氏録なる大荒田命は同名異人なるものをここに並挙たるも縁なし 此大荒田命の荒田といふは当郡の地名なるを負ましし御名なるへし 其地は旧は丹羽郡なりしか今は春日井軍に隷る久保一色村に荒田といふ地あり 又今も当郡なる羽根村の支村にも荒田という郷あり 此両處ともにこの大縣よりいとも遠からぬが久保一色なるはことにまちかくて田縣神社の坐地也 きはめてこれに據れる神名なるへし (略) 今は此祭神を国狭槌尊とそいふなる是は二宮と称するより出たる後のことなり 社説に垂仁天皇二十七年勅建なるよしいひ伝へたるは古く尊し 其後あまた年を経て永正元年消失して旧記神宝も存らすなりぬるはをしむべくなけかしき事也(略)
例祭 正月二日田打祭伽藍祭といふ御酒神饌を備へ神主祝詞をよみ田作りのわざをなす(略)二月八日天王祭をいひ社前に松を植ゑ鳥魚神饌を備へ神膳を徹して後烏を呼て食はしむ俗に烏食祭といふ(略)
摂社 三名神社(略) 神田社(略) 天王社 天道社 山神社 多賀社 倉神社 神明社 戸坂社 弁天社(略) 本宮社 八幡社 熊野社 浅間社 雨宮社 風宮社 西宮社 舞殿王子社 一王子社 多度王子社 高社 美濃国木村高社の遥拝所 鷲岩穴社 なとあり又境外に 打越神社 仲哀天皇を祭るといへりむかし僧正遍照歌をよみて此處にみまかれりといふ説ありとうけかたし 大黒社 毘沙門堂 すべて摂社ともは天武天皇の朱鳥年中創建の由いへり 神楽所 御供所 廻廊 釣殿 天武天皇御陵 本社の西の方にありゆゑしられす(以下略)」

 

あ、「瘡神社」は、「倉神社」の間違いなのかな。

御祭神は「大荒田命」……なのかどうか……周辺には尾張氏関係の大小の神社がありますので、どこかの時点でそのように変わったのかと思います……がまあここまで整っていると、本来の信仰を伺うのも難しいものです。

アガタとアラタは違う、という話はどうなんでしょうね……いろいろ混同があったということは否定できず、しかし『延喜式』の頃から「大縣」であって、なぜ「アガタ」ではなく「オオアガタ/オオガタ」と「大」がついているのか……国名(地名)がつくのであればそれこそ「丹羽縣」でもいいわけで……しかし「大縣神社」という名称から「大荒田命」が作り出されたのかもしれず、でも荒田って結構ありそうな地名だしなぁ……開拓者であればふさわしい感じもするし……という具合に、知識がないもので行ったり来たりです。

そうだなぁ……「大碓尊」が絡んでくるとちょっと面白いのになぁ、とは思ったりします(単に「大」つながりですが……「大」であれば、「大国主命」と「少彦名尊」の対比、「大碓尊」と「小碓尊」の対比から、「小荒田」もあってもいいのになぁ……とか……「田縣神社」がその対比なのかなぁ……)。

迷路迷路。

 

同じく、

 

田縣神社
今春日井軍久保一色村に坐す當郷往古は丹羽郡に属るなるへし 今も丹羽郡の境にいと遠からす 俗人此處を縣の森といふ 延喜神名式に丹羽郡田縣神社本国帳に丹羽郡従三位田方天神とある是なり 扨此神は田地の豊穣を守ります女神なるよし郷人申伝へ来て毎年の初に此神事を行ふに男莖形あらはせる人形を造り儲て村民いどみ笑ひ祭祀終て神符を此村の田毎にさし建て五穀豊饒をいのるならはしありといへり(略)」

 

やはり「田縣神社」の「男莖形」については江戸末期には知られており、一方で「大縣神社」の豊年祭の「女陰」については言及がない、ということは比較的新しい祭りなのかなぁ……「田縣神社」の祭りからヒントを得て作られたという感じがします。

ちゃんと調べれば、結論が出ている話かもしれませんけれども、そこまでの余裕はないもので……いずれもうちょっと……。