べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「(味美)白山神社」(愛知県春日井市)

7/23。
やや曇りがちの空の下、ちょっとばかり遠出……といいつつ、春日井市なので名古屋のお隣なのですが、「味美二子山古墳」と、そのそばにある白山神社に行ってまいりましたよ。


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「国指定史跡 二子山古墳
二子山古墳は、墳長九十四m、盾型の周溝を含む全長一一六mの前方後円墳で、六世紀前葉の築造と推定されます。付近には白山神社古墳、御旅所古墳、春日山古墳が現存し、総称して味美古墳群と呼んでいます。
平成四年の発掘調査で周溝の外側に幅約四mの溝状遺構を確認し、一〇〇点を超える埴輪や土器が出土しました。埴輪には、円筒埴輪や人物・馬・家・蓋などの形象埴輪があり、周溝と溝状遺構との間に配列され、儀礼などの場面を再現していたと考えられます。
これらの埴輪は、須恵器の製作技法を用い、窯を利用して灰色・硬質に焼き上げられており、ここから北東へ約八km離れた下原古窯跡群(東山町)から供給されたと考えられています。」

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古墳は素人の私です。

 

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石標があります。
近くで撮影しても、古墳かどうかはさっぱりです。

 

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周溝が手前に見えます。

 

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ううむ……巡っていますが……何がなにやら……。

 

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ハニワの館。
中も興味深かったので、御立ち寄りの際は是非。
のんびり休んでいたかったですが、時間もないので。

 

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こちら、公園内にある「御旅所古墳」。

 

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御旅所、かつ相宮とな……なんといいますか、御旅所というには、「白山神社」から近すぎる気がしないでもないですが。
ご祭神は、「白山神社」なので、という感じですが、「可美真手命」が入っている辺りが地域性でしょうか。

 

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登れます。

 

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なるほど、御旅所っぽい……。


さて、「白山神社」です。

 

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「ご由緒
白山神社養老元年(七一七)泰澄(たいちょう)大師が加賀(石川県)白山(二、七〇二m)に初登拝し白山比咩大神(シラヤマヒメオオカミ・菊理比売命)の鎮座まします霊山を神体山として開山し、現在全国に二千七百十六社の分霊社を擁し総本社(根元社)を白山比咩神社(石川県石川郡鶴来町)としています。愛知県にも分霊社が二百二十社あります。
わが白山神社は、万治二年(一六五九)、元春日井郡味鋺村(現名古屋市北区楠町五)白山藪より、この地に遷座し、また二子山古墳にあったといわれる物部神社を合祀して建立されました。
この神社は県指定文化財(史跡)白山神社古墳(前方後円墳)の上に祀られていることから、本殿が西向きの珍しい神社となっています。
なお同じく県指定になっている御旅所古墳(円墳)の上にある御旅所は寛延年間(一七五〇頃)までは西方、稲置街道(県道)を越えた春日山古墳の上にあった春日神社でしたが、街道を横断し通行の妨げになるとのことで今の場所に変更されました。その後大正七年(一九一八)春日神社も白山神社に合祀され今日に至っております。
(略)
御祭神
伊邪那岐命イザナギノミコト)
伊邪那美命イザナミノミコト)
菊理比咩命(ククリヒメノミコト)
可美真手命(ウマシマデノミコト)(物部神社
天児屋根命アメノコヤネノミコト)

境内社
神明社天照大神
御鍬社(豊受比咩命)
国府宮尾張大国魂神)
津島社(須佐之男命)
秋葉社(火具都知命
熱田社(倭建命)
金比羅社(大物主命)
厳島社(市寸島比売命)」

 


ううむ……なるほど。

 

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社標と鳥居。

 

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鳥居と参道。
そうですね、古墳に向かって一直線、なかなかない参道かと思います。

 

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ニノ鳥居、かな。

 

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階段で古墳をのぼります。

 

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白山神社古墳・御旅所古墳」の案内。
地図を見ていただけば、合祀されている「春日神社」がもともとあった「春日山古墳」の場所がわかります。
古墳の配置的に、何かしら意図はあるかと思われますが、いわゆるレイラインだの星座だの、ということではなさそうです(そうだったらエンタメ的に面白いのですが)。

 

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古墳頂への階段。

 

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蕃塀……はいいのですが、そこに照明を置くのか……。

 

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末社の案内、本殿向かって左手前。

 

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本殿。
西向きなので、午前中は眩しいですね。

 

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狛犬さん。

 

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本殿手前の幣殿(か神楽殿)。

 

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並び的に尾張造ですね。

 

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急に葵の御紋。

 

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白山神社」の案内板、本殿向かって右手前。

 

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狛犬さん。

 

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境内末社
秋葉社」「天神社」「津島社」。

 

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狛犬さん。
堂々たる造形。

 

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拝殿。
茅の輪あり。

 

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牛さん。

 

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読めませんが、「旧御神木」です。

 

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階段下の狛犬さん。

 

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池があるので、「厳島社」もあります。
もともとは、古墳の周溝じゃないのか……。

 

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神田越しの「白山神社古墳」。

 

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参道の脇にありました。

 

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一の鳥居のところの、狛犬さん。

 

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現役御神木さん。

 

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……あれ、これが一の鳥居のところの狛犬さんかな……さっきのは……。

 

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すぐ近くの「日輪寺」にも参拝。

 

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白山神社古墳」の裏手に回ってみたのですが、うっすら社殿が見えるくらい……。

 

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これは「厳島社」を裏から、です。

 

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遠くに鳥居があったぁ……。

 

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最初の鳥居に戻ってきました。

 

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こちら、二子山公園の、古墳・埴輪絡みのいろいろなもの。
なんだか、微笑ましくてよいですねぇ……。


さて。


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東春日井郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション


東春日井郡誌』より。
630pです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

白山神社
所在 (略)
社格 (略)
祭神 伊邪那岐命
伊邪那美命
可美直手命
菊理比売命
(合祀したる祭神)
天児屋根命
例祭日 十月十二日
由緒 万治二年八月味鋺村より遷座し、同時に附近にありし物部神社を合祀せり、物部神社は、尾張国神名帳に、春日井郡二十座中、即ち従二位上物部天神と載せたる社なり、されど合祀の後は、漸く其伝を失ひて、遂に其所在さへ世に知られず、尾張志の如きは、物部神社延喜神名式に見へたり、在所定かならず、豊場村の八所社をそれなりといふ説されど據なし、と云へり、而るに尾張名所図会は之を八所明神に係けたり。
かくて大正七年一月十五日、更に同所字南立石(略)鎮座無格社春日社祭神天児屋根命を合祀したり、
神名帳考証に曰く、信友云、物部氏祖味間見命の子に、宇麻志麻治命などあるに対へて按ふに、味鋺も宇麻志麻里ならんか、されど村名の命唱には叶はず、物部氏当国によしあることおもひ合わすべし、又曰く、物部神社、愛智郡又式外中島国帳従三位物部天神集説味間見命之子、宇麻志麻治命也、
明細帳に曰く、当社者万治二巳亥年八月十七日味鋺村ヨリ遷座ノ由、古記ニ現存セリ、又古老ノ伝ニ曰、二子山ニ鎮座有之候、物部天神社ヲ右同時遷座、隨而致合祭候趣申伝、而方今ニ至ル迄相殿ニ祭祀来候、右二子山者該社地ヨリ一町計東南ニ在、而大ナル塚也、塚ノ上二ツニ分故ニ二子山ノ名アリ、巡リハ池ニテ、岸々ハ蘆生ヒ茂リ、四時清水湧出漲流シテ、田地数町ニ灌漑シ又魚鳥多シ、此者物部氏ノ遠祖可美真手命之御墓之由緒、先哲之考アリ、此物部神社者、延喜式神名帳ニ記載之社ニテ、本国神名帳従三位物部天神ト有之候、而此社者谷川士清ノ説ニ春日井郡味鋺村ニ在ト云即チ是ナランカ、氏神ノ神輿ハ、宝暦六年丙子八月ヨリ春日山ヘ、例祭八月十七日御幸ス、右春日山ハ本社ヨリ一町余リ小牧往来ノ西ニ在リ、南西北ノ三方ハ田ナリ、現場二反歩余ノ塚山ナリ、此塚中ニハ大石数多アリ、往古ヨリ掘出シ本社ニ用ヒシ事、両三度ナリ、今ニテモ二三尺穿テハ大石見ハル、当時例祭御幸毎ニ、往来ヲ遮リ通行ヲ妨ケ不便ニ付、寛延ノ頃ヨリカ今ノ春日社へ御幸スト、古老の言伝ヘナリ。」


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「味鋺神社(北区)」 - べにーのGinger Booker Club

「味鋺神社」(名古屋市北区)(再)〜高速初詣その1〜 - べにーのGinger Booker Club


↑「味鋺神社」の昔の記事です。
さて、どうも二子山古墳が、かつては物部氏の祖「宇麻志麻治命」の陵墓であり、「物部神社」があり、「味鋺神社」からの神輿渡御も行われていたのではないか、という説があります。
それが、今では「白山神社」に合祀されてしまった、という。
古墳の上の神社、というのが、時代が過ぎるにつれて重視されなくなっていった、ということなのかもしれません。
日本各地には古墳の上の神社が残っていますし、愛知県でも「尾張戸神社」等は有名です(志段味の古墳群、春日井とも近いですので、かつて「百塚」といわれたこの辺りは、同族の古墳がたくさんあったということでしょう)。
それが流行らなくなったのか……しかし、この、古墳の上の神社、という形式もまた、本当に古いのかどうか、私は調べられておりません……故人の神格化が、仏教流入以前、ケガレの思想がそこまで強くなかった時代に進んだ、ということであれば、伝承といえど巨大な山のような墓をそのまま神社にする、という発想は理解できますし、墓というのはモニュメントというだけでなく、「祈り」の対象として存在したわけですから、そのまま神社を置く、という発想もまた理解できます。
かつては栄華を誇った物部氏の祖先を祀った(と伝承される)神社といえど、時代の流れには抗えず、後発の流行り神白山神社」に合祀されちゃう……というところまではまあわかるのですが、ここで再度「古墳の上に神社」という発想になったのはなぜなのか……当時のメンタリティがよくわかりません。
二子山古墳から遷座するにあたって、同じ古墳の上に置こう、という話になった……にしても、二子山古墳と現在の「白山神社」は目と鼻の先、それこそ歩いて数分とかいう距離でもないくらい近いのです。
なぜそのままではいけなかったのか……「白山神社」も、別の場所から遷座してきているわけですし、なんなら御旅所もわざわざ円墳の上に遷している……思想がとっ散らかっているようにしか思えないのですよね……。
二子山という名前も、ありがちな名前ではありつつ、言い伝えによれば「山が二つあった」ように見えた、つまり前方後円墳を遠くから見たらそう見えた、ということなのでしょうから、見たまま……由緒正しい物部氏祖の墓ならそれなりの名前が伝わっていてもよさそうなものなのに……(地名には、物部氏の残照が見られますから)……実際には既に「宇麻志麻治命」の陵墓だったという伝承は廃れていて(あるいはそもそもなかった)、後からとってつけたんじゃなかろうか……とさえ思えてきます。
謎……というか、考えすぎ……しかし、「物部神社」が「白山神社」に合祀され、そのままだということが、時代の流れを反映している、というのはあながち間違いではないように思います(「白山神社」が流行ったことには、江戸期被差別民が絡んでいるのではないか、という説もありますが……さて、どうなのか……)。
うむ、やはり古代史が絡むと妄想が面白くなります。
よい神社でした。