12/3。
車の点検に外出したもので、ちらっと西区へ。
以前も訪れました、「白山神社」。
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「白山神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club
↑桜の頃の「白山神社」です(ちょっと写真が汚いです……申し訳ない)。
むきむきたくましい狛犬さん
たら狛犬さん。
この手の造形はあちこちで見かけるので、人気がある(あった)のでしょうか。
拝殿。
神馬。
赤銅製でしょうか、珍しい。
狛犬さんたら
狛犬さん。
目元キリッと。
「弥栄」の柱。
国家神道時代の名残でしょうか。
石灯籠。
狛犬さんたら
狛犬さん。
こちらもむきむき。
参道に三対の狛犬さん、なかなかに豪華です(?)。
狛犬さ……痛ましい……。
摂社末社。
榎の木。
こちら「榎権現」とも呼ばれている神社ですもので。
灯篭。
末社「田道間守社」。
合わせて薬祖として「大己貴命」が祀られているのは、昔はお菓子も薬も同じだった、と見るべきか、「トキシクノカクノコノミ」絡みと考えるべきか。
鳥居。
権現橋の欄干。
昭和十二年の天長節紀念の碑。
遠景。
いい天気。
もっと遠景。
斜め遠景。
さて、ということで、近くに神社はないものか〜とちょっとうろついていたら発見。
「平安山正信寺」というお寺と、その境内の「津島神社」。
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「津島神社」。
狛犬さんたら
狛犬さん。
新し目の狛犬さんたら
狛犬さん。
鳥居。
社殿を斜めから。
さて、では、
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国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編
↑『名古屋市史 社寺編』より引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
150コマです。
「白山神社
白山神社は西区押切町五丁目の北側 もと愛知郡山田庄鴛鴦喜里村、俗に榎町と稱せり にあり、(略)、もとは白山権現社と云ひ、俗に榎権現と称す、文明九年、斯波治部大輔義廉、加賀の白山権現を勧請す、元禄十二年十二月、文久二年六月、明治二十年三月に各、改造遷宮あり、明治初年村社に列す、祭神は、菊理媛命に天照皇大神、豊受比賣命 二神はもと境内神社たる神明社の祭神なりき、神明社はもと兒玉村(今西春日井郡金城村大字兒玉)に在り、文明元年伊勢大神宮を勧請す、寛永年中本社境内に遷座し、その跡に庚申塚を築きしが、享保八年四月、其塚をも本社境内に移せり、元禄十二年十二月修造、明治三十年10月に本社へ合祀す 、迦具土命 もと境内神社たる秋葉社の祭神なりき、明治三十年十月、本社へ合祀す 、を配祀す、殿宇には、神殿、祭文殿、玉垣、神饌所、手水屋形、祭器庫 明治四十二年寄附 、金刀比羅社拝殿(略)、境内神社は金刀比羅社 祭神大国主命、菅原贈太政大臣、文政三年再建す 、稲荷社 祭神宇迦之御魂神 、戸隠社 祭神手力雄命 の三所あり、例祭は七月十七日、市より供進使参向、十八日湯立神事あり、両日とも神楽を奏し、楽車一台を出す(略)、別当は福満寺(略)
織田信長、今川義元を桶狭間に攻むるや、先づ本社に奉幣し、戦捷の後、亦本社に詣して、太刀一口を寄進すといふ、今其太刀無し、また徳川家康の家臣志水甲斐守も奉幣す、諸大名通過の際は必ず本社に参拝し、福満寺書院を以て其休憩所となしきといふ(略)」
以前の記事では『尾張名所図会』から引用していますが、「美濃路」の解説が神社にあるように、様々な人たちがこの辺りを通過したのは間違いないようです(必ず参拝したかどうかはわかりません)。
「津島神社」については、
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↑でごく簡単に解説が。
「鐘と太鼓を打ち鳴らして町内を練り歩く石取まつりが毎年5月に行われます。」
……うーん、もうちょい何かあるだろう、という感じがします。
○こちら===>>>
↑「石取祭」というのは、もともと桑名のお祭りのようで、ユネスコ無形文化遺産にも登録された日本の祭りの中にも含まれています(あれは、無形といいながらも、山車が重要視されたんでしたっけ)。
今では小さな社ですが、氏子さんの手でしっかり守られているようですので、よしとしましょう(?)。
御朱印はありません〜。
妄想も特にありません〜。
ときにはこんな記事も。