べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「榊森白山社」(名古屋市中区)

5/5。

「伊勢山神明社」をあとに、もうちょっとぶらぶら……「榊森白山社」にたどり着きました。

公式HP的なものは特になし……うむ。

 

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……なんだっけ、これ……本殿を横から、だったと思います。

 

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「世界唯一の縁結びの神様です」、だそうです。

 

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境内社……社名がわかりませんでした。

 

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「出世稲荷大明神」。

 

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「出世稲荷大明神」の鳥居。

 

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社殿遠景。

 

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狛犬さん。

うっすら笑いな感じがとても可愛らしい。

 

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社紋。

 

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境内遠景。

なんでしょう、初夏の緑の色合いと、時間的なものか陽光の具合がとても素晴らしく、個人的に非常に好みな色調の写真になっていて満足です。

 

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葉陰がまた美しい。

 

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鳥居。

 

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「榊森御祭神
本社 白山社
菊理媛神
伊弉諾尊
大己貴命
右 松尾社
大山咋神
左 天王社
建速素戔鳴尊
秋葉社
火之迦具土神
境内稲荷社
宇迦之御魂神
(略)」

 

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石灯籠の社紋。

 

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由緒……光の反射具合によっては読めることもあるのですが、今回はちょっと失敗……。

御朱印情報は不明です。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『名古屋市史』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

コマ数がわからん……294ページです。

 

「二八 白山社
白山社は中区古渡町五丁目の東側に在り、(略)、もと榊ノ森白山比咩神社といひ、(榊ノ森の名義は地理編名所の條を参照)又洲原神社(今俗に「おすはらさま」といふ)、松尾神社等の通称ありき、明治十二年、今の名に定む、仁和三年九月、加賀の白山(今加賀石川郡河内村国幣小社、白山比咩神社なり、別本海邦名勝志、市譜、尾張名陽図会には美濃の洲原権現(今美濃武儀郡洲原村郷社洲原神社)を勧請すといふ、本社に洲原神社の通称ありしは蓋し之が為めなり)を勧請して創建する所なり、(略)、明治十二年七月、村社に列し、同年九月、古渡町民決議の上、古渡町五丁目より七丁目までを以て、本社の氏子と定む、祭神は中央は菊理媛命(また白山比咩神といふ)、左は伊弉諾命、右は大己貴命(初め三神を一殿に奉祀して、三殿並立せしが、明治九年十二月、一殿に合祀遷宮せり、尾陽雑記にはいなりの神社を勧請すとあり)なり、殿宇は神殿、拝殿、玉垣、神饌所、神楽殿社務所、木鳥居(略)、宝庫(略)等あり、境内神社は松尾社(祭神大山咋命にして、山城葛野郡官幣大社松尾神社の分体なりといふ、寛政年中旧古渡(今の橘町二丁目)の酒造家(尾張名陽図会には伝馬町の酒屋福澤屋草創とあり)の勧請にして、其の屋敷内にありしが、後本社の境内に遷せり、此社維新前迄は城下の酒造家の崇敬多く、為めに其の勢力本社を凌ぐに至れり、本社を通じて俗に松尾神社と呼びしは之が為めなり)、須佐之男社((略)の二所あり、(略)
往古熱田神宮へ参拝する者は、先づ東は鈴御前(熱田伝馬町鈴之御前社)、西は紀太夫(熱田旗屋町下知我麻神社)南は源太夫(熱田市場町上知我麻神社)、北は榊の森に参詣して、禊を行ひ、而る後社参する例なりといふ(古渡志、金鱗九十九之塵、尾張志)」

 

ふう……元々の御祭神がなんであるかはともかく、時代の移り変わりの中で、中心となる御祭神がいろいろ変わっているような感じがありますね……それに伴って、神社の通称もいろいろとある、と。

摂社のほうが盛り上がってしまって、そちらに名称を取られてしまう、なんてこともあったようで。

最後の、「熱田神宮」との関係はちょっと引っかかります……というわけで、

 

◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑一番見やすい『尾張志』を。

19コマです。

 

「榊ノ森ノ社
古渡むら町家の東側にあり、中央正殿は祭神菊理媛神左右二座は伊弉諾尊大己貴命を祭るよしいへり 当社は光孝天皇仁和三年丁未九月当所吾湯市村ノ住人福岡某はしめて加賀国石川郡白山比咩神社を移してここに創建したるよしいへり もとは此地に榊木いとおほかりしより賢木の杜といひならはせりとそ いにしへ熱田諸祭の日毎に此森の榊をとり用ひけるよしもいひ伝へたり 故に熱田社参の人まづ此森にて解除したるよしもいへり 今は此処より榊を熱田神宮に取用ゆる事なし
摂社 松尾社 天王社 (略)」

 

どうも、かつてこの辺りで榊が繁殖していたので「榊の森」と呼ばれるようになった、その榊を「熱田神宮」での祭祀に使用していたので尊重された、ということのようで。

「仁和」は西暦では885〜889年、白山信仰は既に始まっていたようですので、勧請したとしても不思議ではないわけですが、榊が自生していたことと白山信仰とはあまり関係なさそうです。

そもそも、榊が自生していたことにより神域となっていた(あるいは神社があったかもしれないです)ところに、「白山比咩神社」を持ってきて、その頃まだ榊を「熱田神宮」に奉納していたのであれば、「熱田神宮」側もそれを許したと……。

なぜ「白山比咩神社」だったのでしょうね……個人的な信仰心だとすると土地の属性はあまり関係なさそうです……土地(地域)の要請であれば意味もあるのでしょうが、ううむ、難しい……「白山社」はかなり多いですからね……。

 

とにかく、いい写真が撮れたので満足、でございます。