べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「伊勝八幡宮」(名古屋市昭和区)

さて、いろいろありまして、なかなか更新できずの日々でしたが、再開再開。

11/9です(一昨年の)。
昭和区と聞いてちょっと驚いた場所にあった(千種区だと思い込んでいた)、「伊勝八幡宮に出かけてきました。

 

◯こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

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北側の参道入り口。

 

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思いの外新しい、本殿と拝殿かな……八幡宮なのに尾張造のイメージなのか……。

 

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牛さん、「伊勝天神」。

 

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狛犬さん。
真新しいですが、朱色は流れてしまっているようです……これはこれで、この時代っぽくてよいですね。

 

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拝殿。
尾張造じゃないですね……。

 

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御祭神として、「正八幡宮」は「品陀和氣命」、「天王社」に「素盞嗚尊」、「白山社」に「菊理姫命」、脇殿……ってあまり聞かない気がしますが、「熊野社」は「五十猛命」、「天神社」は「菅原道真公」。
大集合といった感じですね……「熊野社」で「五十猛命」は、もちろんあるのですが、ちょっと珍しいかも。

 

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「伊勝八幡宮
尾張志』に応神天皇を祭神とするとあり 拝殿の東西に摂社である白山及び熊野大権現が合祀されている
当社には陶製の狛犬一対と一体を蔵している その一対の台座裏に「応永廿五戊戌歳十二月朔日熊野願主浄通」(一四一八)と墨書の寄進銘文があることから狛犬の制作年もその頃のことと推察できる 銘文のある狛犬一対は愛知県有形文化財 もう一体の狛犬名古屋市有形文化財に指定されている」((引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

狛犬ハントをしている身としては、見てみたい……ですが、文化財ですから、ほったらかしにはされていないでしょうからねぇ……難しいかな。

 

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拝殿遠景。
一段上がっています……そうそう、所在地自体が、高台にありますので、神社としての好立地でしょうか。

 

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狛犬さんその2。

 

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こちらの境内社狛犬さんでした。
「山神社」「富士浅間社」、あと一つ、見えませんな……。

 

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忠魂碑。

 

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狛犬さんその3。
こちらはまた真新しい感じです。

 

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南側に出てきました。
左手、赤いコーンの奥が、

 

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「別社 伊副神社」となっております。

 

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「御祭神」は「龗神」と「罔象女神」。
クラオカミ」と「クラミズハ」。

 

延喜式神名帳に記載されているが、鎮座年代は不詳 伊勝八幡宮所蔵の棟札には「伊副神社 天明三年癸卯年春伊勝村神主」と記されている。
江戸時代の絵図等さまざまな記録を調べると伊勝八幡宮正面(現在の前山町三丁目付近)に伊副池(通称イイバ池)が有り小山に社祀られていた 「尾張地名考」に「伊勝は井河津の約なり」と記されており副は「寄り添い助ける分ける」の意がある
伊副大神は生きとし生ける者全てに最も大切な清らかな水を豊富に授け給い又多くの恵みをもたらし給える大神と崇められて来た
その貴い御神徳を称え第六十二回伊勢神宮式年遷宮の良き年に世の中の恒久平和と国や此里の安全弥栄を祈りここに再建した」

なるほど、再建でしたか……式内社にしても、古くに失われたっぽいですね……。

 

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あ、こちらは「伊勝八幡宮」の南側からの参道です。

 

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鳥居……黒い文字が珍しいけれど、石造りだからまあしょうがないか……。

 

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第二の鳥居。
実は、かなり広い境内なのです。

 

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狛犬さんその4。
階段下に鎮座まします。
ひょっこり仔狛犬……蛙っぽいけども……かわいい。

 

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御朱印には、文化財の陶製狛犬の姿がありました〜。

 

さて。

◯こちら===>>>

神社覈録. 上編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

まずは「伊副神社」のことということで、久々の『神社覈録』、409コマです。

 

「伊副神社
伊副は仮字也◯祭神在所詳ならず
考証、集説共に、姓氏録曰、伊福部宿禰尾張連同祖、火明命之後也と云り、当国葉栗郡伊富利部神社同神歟と云り(以下略)」

 

……ふうむ、さっぱりです。
「伊福部」については、

 

◯こちら===>>>

「大神神社」(考々々々) - べにーのGinger Booker Club

「穴師坐兵主神社」「相撲神社」(考々々々々々々) - べにーのGinger Booker Club


↑この辺りで触れておりますがそれはさておき、所在は不明、祭神も不明、ということで、式内社制定の時代ですらどの程度栄えていたのか判然としませんが、古い神だったことは想像に難くありません。

 

◯こちら===>>>

dl.ndl.go.jp

 

こちらもお久しぶりの『特選神名牒』より、168コマ。

 

「伊副神社
(略)
今按昔円融帝の朝郡司藤原元命と云暴悪の吏丈六の地蔵大士を彫せしめ伊副神社の傍に安置すと云事或書にみゑ如意寺由来記に元命伊副宮司に命じて祭りせしを是より毎年正月十五日御宝前に於て流鏑馬を行ふ其後星霜を経て社跡なく廃し終に祭事断絶せり中興地蔵尊の宝前に於て毎年の正月二十四日漁父驛士の輩集ひて的を射給をささげて放生会を執行すとあるを張州府志に是は伊副神社の本地仏なるお故に其祭礼の遺意を修むと云る如く応永二年寺を遷すとき神社も遷てありしを此後社は絶て祭のみ遺れるなるべし其他同郡祐福寺村また春日井郡宇福寺村又愛知郡沓掛村上高根村伊副狭間の若王子と云ひ又相原村のいふかねにます熊野社などいささかの縁語を以ていへる説あれど皆うけがたし」

 

◯こちら===>>>

円融天皇とは - コトバンク


コトバンクによれば、「円融天皇(帝)」というのは、

 

「959-991 平安時代中期,第64代天皇。在位969-984。
天徳3年3月2日生まれ。村上天皇の第5皇子。母は藤原安子(あんし)。同母兄冷泉(れいぜい)天皇の譲位をうけ11歳で即位。藤原氏が政治を牛耳り,在位中は藤原氏内の政権争いに翻弄(ほんろう)された。26歳で譲位して仏門にはいり,円融寺に住した。正暦(しょうりゃく)2年2月12日死去。33歳。墓所は後村上陵(のちのむらかみのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は守平(もりひら)。法名は金剛法。歌集に「円融院御集」。
【格言など】春日野に多くの年はつみつれど老いせぬ物は若菜なりけり(「拾遺和歌集」)」

 

ということで、同じくコトバンクから、

 

◯こちら===>>>

藤原元命とは - コトバンク


「生年:生没年不詳
平安中期の貴族。経臣の子。村上朝(946~967)の蔵人藤原雅材の異母弟,花山朝(984~986)の蔵人藤原惟成の叔父。従四位下。寛和2(986)年,尾張守に任じられて赴任したが,租税調庸の不法な増徴をはじめ,公費の横領,息頼方や一族郎等による狼藉,官物の京宅への運送など,苛斂誅求の限りを尽くしたとして,永延2(988)年11月8日,郡司,百姓らから31カ条にわたる罪状を訴えられた(「尾張国郡司百姓等解文」),悪徳受領の典型。その結果翌永祚1(989)年4月5日の除目で罷免されたが(代わって藤原文信が任命),長徳1(998)年4月,吉田祭の上卿(行事の責任者)が不参のため散位の元命が代わりにこれを勤めており,罷免は当面のトラブルを避けるための糊塗策であったか。もっとも『尾州鳴海地蔵縁起』には,元命は解任されたあと「術ツキテ東寺門ニテ乞食ケルガ,終ニハ飢死タリケリ」とあって,史実ではないが,その暴政ぶりが語りつがれ説話になったことが知られる。<参考文献>阿部猛『尾張国解文の研究』」

 

……やばい、「藤原元命」、(悪名のほうで)有名人だった……そんな人が丈六の「地蔵菩薩」を祀った、というのは、どんな意味があるのでしょう……何か裏があるかもしれないですけれども、「伊副神社」とは直接関係なさそうです。
で、肝心の「伊勝八幡宮」ですが、神社にあった案内板の文章と、↑の歴史散策路のHPからの引用、

 

「古くから伊勝村の氏神様として崇敬される伊勝八幡宮は、熱田神宮とほぼ同じ時代に創建されたと言われています。主祭神は、品陀和気命(ほむだわけのみこと)です。宝物の一つである狛犬は、瀬戸で焼かれた陶製で、底部に応永25年(1418)の墨書きがあることから室町時代のものと推測されます。愛知県指定文化財として、現在は名古屋市博物館に保管されています。
 境内には、千年以上の樹齢を持つ御神木のアベマキ(名古屋市指定保存樹)や、秋に小さな白い花を咲かせるリンボクが自生しています。」

 

……あ、狛犬さんは博物館か、よかったよかった……じゃなくて、「熱田神宮」と同じ時代の創建ということであれば、いっそのことこちらが式内社でもおかしくなさそうですけれど、『尾張名所図会』には掲載されていないようなので、それほど大きくはなかったのか……。
とはいえ、室町時代奉納の狛犬さんが残っているのですから、大切にされてきたのは間違いないようで、地域の宝ですね。