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べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「大神神社」(考々々々)

さてさてさてさて。

 だんだんと、記紀神話の講義みたいになってきましたが、めげません(?)。

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

 

 

↑「神武天皇」と三輪山のつながりは、他にもありまして。

橿原神宮」「久米寺」のところでも書きましたが、皇后選定に関するお話ですね。

 

「(略)然れども更に大后とせむ美人を求ぎたまひし時、大久米命曰しけらく、「此間に媛女あり。こを神の御子と謂ふ。その神の御子と謂ふ所以は、三島溝咋の女、名は勢夜陀多良比賣、その容姿麗美しくありき。故、美和の大物主神、見感でて、その美人の大便まれる時、丹塗矢に化りて、その大便まれる溝より流れ下りて、その美人の陰を突きき。ここにその美人驚きて、立ち走りいすすきき。すなはちその矢を将ち来て、床の邊に置けば、忽ちに麗しき壮夫に成りて、すなはちその美人を娶して生める子、名は富登多多良伊須須岐比賣命と謂ひ、亦の名は比賣多多良伊須氣余理比賣 こはそのほとと云ふ事を惡みて後に名を改めつるぞ。 と謂ふ。故、ここをもちて神の御子と謂ふなり。」とまをしき。」

 

「赤く塗られた矢に化けた「大物主神」が、比賣が厠にてものしているときにその女陰を突いた」というお話です。

日本書紀』に採用されていないのは、対外的に「ちょっとなぁ……」という説話だったからかもしれません(「富登多多良伊須須岐比賣命(ほとたたらいすすきひめのみこと)」から「比賣多多良伊須氣余理比賣(ひめたたらいすけよりひめ)」に改名した、というのもそんな理由っぽいですし)。

日本書紀』は海外を意識して編纂されていますから、それも致し方ないかと。

これまでのところ、三輪山に関わる姫神は、「勢夜陀多良比賣(せやだたらひめ/「神武天皇」の皇后の母)」、「活玉依媛(「大田田根子」の母あるいは先祖)」、「倭迹迹百襲姫命(第七代「孝霊天皇」の皇女)」と三柱いらっしゃいます。

みな、「大物主神」の妻です。

それぞれ、「丹塗矢神話」、「苧環(おだまき)神話」、「箸墓神話」として語り継がれています。

 

「箸墓神話」は、「櫛笥」に入っていた神の正体を見て「驚いた」ために、神の夫と別れ、かつ姫は女陰を箸で突いて死んでしまいます。

「たまくしげ」と入力して変換すると、「玉匣」という文字になります。

「玉手箱」みたいなものです。

つまり、封印されているものを「見る(顕現させる)」ことで、呪が発動する「見るなの禁忌」の一種です(「浦島太郎」「鶴の恩返し」など、日本の昔話ではたくさん見られるタイプの説話です)。

ただ、相手が超祟り神「大物主神」だからなのか、「見ても驚くな」という二段仕掛けの禁忌になっているところが面白いです(驚かなかったら結婚が続いていたのかもしれません)。

 

「丹塗矢神話」では、赤い矢が登場します。

「赤」は、古来日本では呪力の強いものと考えられており、「赤土」を施した船を使った「神功皇后」の話もありました。

「丹」は水銀(硫化水銀)のことを表しているともされるので、金属精錬集団との関わりもむにゃむにゃなのですが、難しいのでやめときます。

とにかく呪力が強い、と(大陸由来の考え方、とする人もいるようです)。

「矢」は、その形から「蛇」の象徴、飛び来る様から「雷」の象徴とも考えられます。

よって、「大物主神」は、非常に強い力を持った蛇神であり、雷神でもあり、さらには金属精錬集団ともつながっている、という最強クラスの神なのです。

矢に化けて厠に流れ着いたというのは、当時の厠がまさしく「川屋」だったからで、蛇は基本泳ぎますから、その姿が「流れ来る矢」のように見えた、というメタファーなのでしょう。

で、「矢」で女陰を突かれて懐妊した「勢夜陀多良比賣」と、「箸」で女陰を突いたがために亡くなった「倭迹迹百襲姫命」、この違いはなんだったのでしょうか。

「神の妻」としての能力の差だったのか。

当時の「箸」ってどんなものだったのか、いまひとつわかりませんが(この時代には、大陸から渡ってきていただろうと思われます)、元の伝承は同じで、二つの結末があったのではないかとも思えます。

なお、「箸」も川を流れてくるものらしく、『古事記』では、「須佐之男命」が、出雲の肥の河に流れてきた「箸」を見て「このあたりに人がいるらしい」と探すと「足名椎」「手名椎」に出会ったとされています……ただ、もしこれが神代の話であれば、「箸」はまだ中国から伝わっていなかったのではないか、という説もありますので、「箸墓神話」から遡って作られた話かもしれません。

 

苧環神話」は、正体不明の夫を探るために糸をつけて、たどっていくとそこに○○がいた、というパターンの神話です。

 

日本神話事典

日本神話事典

 

 

↑によれば、 東南アジア系に見られる神話だということです。

また同書によると、

 

風土記 (平凡社ライブラリー)

風土記 (平凡社ライブラリー)

 

 

↑には、三輪山の神話に類似のものがいくつか収められているらしいです。

ということで、引用してみますと、「肥前国風土記」には、

 

「褶振(ひれふり)の峰 (略)

さて弟日姫子が狭手彦連と別れて五日たった後、ひとりの人があって、夜ごとに来て女(弟日姫子)とともに寝、暁になると早く帰った。顔かたちが狭手彦連に似ていた。女はそれを不思議に思ってじっとしていることができず、ひそかにつむいだ麻(の糸)をもってその人の衣服の裾につなぎ、麻のまにまに尋ねて行くと、この峰の沼のほとりに来て寝ている蛇があった。身は人で沼の底に沈み、頭は蛇で沼の岸に臥していた。たちまちに人と化為って歌っていった、

 

篠原の弟姫の子ぞ   (篠原の弟姫子よ

さ一夜も率寝てむ時や  一夜さ寝たときに

家にくださむ      家に下し帰そうよ)

 

その時弟日姫子の侍女が走って親族の人たちに告げたので、親族の人はたくさんの人たちを連れて登って見たが、蛇と弟日姫子はともに亡(失)せてしまっていなかった。そこでその沼の底を見るとただ人の屍だけがあった。みんなはこれは弟日姫子の遺骸だといって、やがてこの峰の南のところに墓を造って納めて置いた。その墓は現在もある。」

 

という話があります。

三輪山の「苧環神話」にかなり似ていますが、この蛇は神とはされていないようです。

「身は人で沼の底に沈み、頭は蛇で沼の岸に臥していた。」とありますので、ほぼモンスターです。

大陸由来の蛇神には、「人面蛇身」という方がいらっしゃるのですが、その逆というのは珍しい気がします。

 

続いて「常陸国風土記」には、

 

「那珂の郡

(略)

茨城の里。ここから北に高い丘がある。名を晡時臥(くれふし)の山という。古老がいうことには、「兄と妹の二人がいたが、兄の名は努賀毗古、妹の名は努賀毗売といった。その当時、妹は屋内にいたら、姓名(素性)も知らぬ人があって、常に来て求婚した。夜来ては昼帰る。そこでしまいに夫婦になって一夜のうちに懐妊した。月みちて産むべきときになると、ついに小さな蛇を生んだ。あかるい日のうちはまるで啞のごとく、闇くなると母と語らう。そこで母と伯(略)とは驚き不思議に思い、心ひそかに神の子だろうという考えを抱き、すなわち浄めた杯(食器)に(小蛇)を入れて、祭壇をこしらえて安置した。すると一晩のうちに早くも杯一ぱいに満ちた。こんどはさらに瓮(皿)に代えて入れて置くと、また瓮のうち一ぱいに満ちた。こんなことを三べんも四へんもするうちに、入れることのできる容器がなくなった。そこで母は子供につげて『お前の器量をみると、神のみ子であることが自然にわかる。もう私たち兄妹の力では養育しきれない。父上のおいでになるところに行ってしまいなさい。ここにいてはいけません』といった。その時子供は泣き悲しんで、涙をふいて答えるには『つつしんで母上の仰せは承りました。あえて拒否しようというつもりはありません。しかし、私だけ一人で行って、一緒に行ってくれるものがありません。お願いですから私を哀れんで一人の従者をつきそわせて下さい』といった。母がいうことには、『わが家にいるのは母と伯父だけで、このことはお前もまたあきらかに知っているとおりです。お前に従って行くべき人はおりません』。これをきいて子供は恨みにおもい、一言もいわない。そして別れる時になって憤りを我慢できず、伯父を震殺(雷撃)して天に昇った。母はびっくり仰天して瓮を投げつけると、瓮は子どもに触れて、子どもは昇ることができない。それでこの峰にとどまった。小蛇を盛った瓮と甕は今も片岡の村にある。その子孫は社を立てて祭を致し、代々相続して絶えないでいる」。」

 

「そこでしまいに夫婦になって一夜のうちに懐妊した。月みちて産むべきときになると、ついに小さな蛇を生んだ。」……蛇、産んじゃいました。

これは、「山城国風土記逸文」にある「賀茂の社」の話と非常によく似ています。

「賀茂の社」の方には川を流れる「丹塗矢」も出てくるし、「玉依日売(たまよりひめ)」という「活玉依媛」っぽい方も出てきますので、同じ伝承を基にしているか、「丹塗矢」に象徴される神の勢力が三輪から山城まで広くあったのか、といったところでしょうか。

ちなみに「賀茂の社」の「丹塗矢」は、「乙訓神社」の「火雷命(ほのいかづちのみこと)」とされており、どっちにしろ雷神なのでした。

 

その他、「土佐国風土記逸文」には、

 

「土左の国の風土記にいう、ーー神河は三輪川とよむ。源は北の山の那珂から出て伊予の国にとどいている。水が清いので大神のために酒を醸造するのにこの河の水をもちいる。それ故に河の名とする。

世に神の字を訓じて三輪とするのは、多氏の古事記によると、崇神天皇の世に、倭迹々姫皇女が大三輪の大神の妻となった。夜ごとに一人の男子があってひそかに来て、暁に帰った。皇女は不思議に思って綜麻(麻糸の巻いたもの)を針に通して、男子が暁に帰るときになって、その針をもって衣服の裾に通した。翌朝になってみると、その意図はただ三輪だけ器(入れ物)に遺っていたという。だから時の人は称して三輪の村とした。社の名もまたそうよんだ。云々。」

 

とあります。

古事記』では「活玉依媛」となっている部分が、「箸墓神話」の「倭迹迹百襲姫」とごっちゃになっている辺りに、何か作為のようなものを感じますが。

 

そして、「常陸国風土記逸文」には、

 

「績麻

常陸国記に、ーー昔、兄と妹と同じ日に田を作っていたが、「今日植え遅れるようなことがあったら、伊福部神(古墳石室築造者の神)の災難がふりかかるぞ」といっているあいだに、妹は田を植えるのがおそくなった。その時雷が鳴って、妹を蹴殺した。兄は大いになげき、怨んで、かたきを討とうとするが、その神の在りかがわからない。すると一羽の雌の雉が飛んで来て肩の上にとまった。(その兄は)ヘソ(麻糸をつむいで巻いたもの)をとって雉の尾にひっかけたところが、その雉は飛んで伊福部の丘にあがった。それでそのヘソを尋ねてたどってゆくと雷の寝ている岩屋に着いた。大刀を抜いて神雷を斬ろうとすると、神雷は恐れおののいて、生命だけは助けて下さいと頼んだ。「お助けくださったらあなたの命令にしたがって、百歳ののちにいたるまで、あなたの子孫の末の末まで落雷のおそれがないようにいたします」と。それで許して殺さなかった。その兄は雉の恩を喜んで「生々世々いつまでもその徳は忘れますまい。もしそれに違背することがあったならば病にとりつかれて一生不幸なことになるだおう」と誓った。そういうわけで、その所の百姓は今の世にいたるも雉を食わないということである。このことを書いたところに「取績麻(俗に倍蘇(へそ)という)繋其雉尾」といっている。」

 

苧環神話」と雷神つながりです。

ただ、雷神、超弱いですけれど。 

また、「一羽の雌の雉が飛んで来て肩の上にとまった。」

……雉が神の使いである、というのは「天稚彦命」の神話を思い出させます(あのときは、雉は「天稚彦」に射殺されてしまいますが……これも「矢」つながりなのか)。

 

同じく「常陸国風土記逸文」には、

 

「大神(おほかみ)の駅家

常陸の国の風土記にいう、ーー新治の郡。駅家がある。名は大神という。そう称するわけは大蛇が沢山いる。それで駅家に名づけた。云々。」

 

という部分があります。

「大神」の由来が、「大蛇が沢山いる」から。

これは、三輪山に「蛇がたくさんいた」ということなのか、「大神」といったら「大蛇」だということなのか。

 

というわけで、どうも三輪山の神話とその周辺を見てみると、「矢」「蛇」「雷神」、というキーワードが抽出できるようです。

大物主神」は、「蛇神」であり、「雷神」であり、ついでに「祟り神」。

しかも、記紀神話通りに考えるならば、「神武天皇」の皇后にすでに娘を送り込んでいるのですから、天皇家との姻戚関係ばっちしです。

なのに、十代たったら「崇神天皇」に祟る、という……この辺りのことからも、「神武天皇」と「崇神天皇」が同一人物の業績を二つにわけたのではないか、あるいは十代も離れていないんじゃないか、という感じがなんとなくしてきます。

 

めげずに続けます〜。