べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「日吉大社」(考)〜その6

さて。
ちょっと妄想の燃料が足りないので、ぶらぶらと検索をしていると、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 史料通信叢誌. 第9編

 

↑『史料通信叢誌』というシリーズの第9編に収録されている『日吉社禰宜口傳抄』という書物を発見。
こちらからも引用してみようと思います(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える/返り点は省略)。
159コマです。

 

「日吉 比叡 稗衣 日枝
上代日吉神申者。今八王子社也。此岑在比叡山東尾。又曰牛尾。又曰弁天槌。其五百津石村者。山末之大主神之陵也。世人曰牛尊。山末之大主神者。又ノ名大山咋神。又曰鳴鏑大神。其妻鴨玉依姫神相殿云云。神宮寺御蔭大巌者。鴨玉依姫之陵也。又曰鴨玉依姫之陵者。在比叡山西日尾之前。今御蔭社云々。神宮寺御蔭大巌者。降臨之地云々。別雷神昇天之時。丹塗箭鳴動飛去。在比叡社。其後飛去。在乙訓社。又飛去在松尾社。今猶現在。云々。」

 

もともとの「日吉の神」は、今の「八王子社」ということは「牛尾宮」ですね。

八王子山の山頂で、いろいろと呼び方があり、ついでに「山末之大主神」の陵がそこにある、と。

今もある、「金大巌」のことでしょう。

世人は「牛尊」と呼んでいたらしいですが、「大山咋神」にしろ「山末之大主神」にしろ、牛とはあまり関係なさそうですけれども。

丹塗矢の神話は「山城国風土記逸文」にある、いわゆる「上賀茂神社」「下鴨神社」の由来の話によっています。

ただ、丹塗矢が「比叡山」に寄った、というのは「風土記逸文」にはなく、一方で『古事記』には「大山咋神」は「日枝の山」にいらっしゃるとはっきり書かれていると……うーん。

あ、この丹塗矢というのが、賀茂氏伝承では「大山咋神」のことなんです……「風土記逸文」では「火雷神」、「乙訓神社」にいらっしゃる神になっていますけれども……。

賀茂建角身命」は、「下鴨神社」つまり「賀茂御祖神社」の神で、「八咫烏」となって「神武天皇」を導いたとされています。

その御子神に、「玉依彦」「玉依姫」という神がおられまして、この「玉依姫」が丹塗矢に遭遇することで生まれたのが、「賀茂別雷命」。

「別雷命」が成人した際に、「賀茂建角身命」が「父に酒を飲ませてあげなさい」と言ったところ、天井を突き破ってどこかに行ってしまった、と。

で、父神が「火雷神」であれば、「乙訓神社」、「大山咋神」であれば「日枝の山に行った」、ということになるはずなんですが、『日吉社禰宜口傳抄』ではいい感じに、「丹塗矢はまず比叡に飛んできて、次に乙訓に行って、最後は松尾(※「大山咋神」の別名としてあげられている「鳴鏑神」を御祭神とする「松尾神社」のこと)に行ったんだよ〜」とつなげてまとめています。

しかも、移動したのは丹塗矢で、「別雷神」のことはここではスルー。

さて、どれが古い伝承なのか……。

 

「大比叡宮
大宮相殿四座。中央大己貴神。左大玉咋神。右田心姫神。正面掛天照大神御體於天津眞坂木。安置之。
天智七年戊辰三月三日。詔鴨賀島八世孫宇志麻呂。祭大和国三輪坐大己貴神比叡山口。曰大比叡宮。九年庚午負祝部姓於宇志麻呂。被附粟津御戸代。
天武三年依先帝御願。被造別宮於大宮之東。奉移田心神姫。相殿祭下照姫。世人曰宇佐宮。後曰聖眞寺宮。聖眞寺者。在別宮之南。創立之年月未詳。夏僧通夜于此。中古配祀天之忍穂耳尊。亦年月未詳。弘仁年中伝教大師。自大唐帰朝。又祭応神仲哀神功三座。云々 

竃殿。
天智七年大宮造営之刻。造御炊殿於其東。宇志麻呂請小比叡御炊殿之二座祭之。」

 

「西本宮」の記事。
「大玉咋神」は、「大山咋神」の誤記だと思います。
大和国三輪山からやってきた「大己貴神」をお祀りしている、という伝承はわりと一貫しているので、当初からそうだったのではないか、と思われます。
合わせて「聖真子」すなわち「宇佐宮」についても書かれています。


「早尾社
天武三年與別宮同時造御殿。云々素盞嗚尊猿田彦命相殿二座。」

 

修復中だった「早尾社」。
現在の祭神は「素盞嗚尊」。
かつては、一緒に「猿田彦命」が祀られていることになっていたようです。


「小比叡宮
二宮 大山咋神自神代領此地。故曰地主明神。相殿四座。大山咋神玉依姫神。玉依彦神。別当神。
崇神天皇七年。有詔祀弁天槌之和魂於山本。以鴨鹿島爲祝。被附神戸。
天智七年大宮造営之後。以当社曰小比叡宮。大小之名始于斯矣。山中法師有波母山之感見以来。配祭国常立尊年月未詳。」

 

「東本宮」ですね。
別当神」とあるのは、「別雷神」の誤記だと思われます(旧字で「当」は「當」なので)。

認識としては、「地主明神」、つまり元々の神はやっぱり「大山咋神」だと。

ここまで書かれているんだから、きっとそうなんでしょう。

 

「小比叡別宮相殿三座。鴨玉依姫神。玉依彦神。別雷神三柱坐。曰樹下宮。又曰十禅師宮。件名宝亀年中内供十禅師之延秀於香積寺蒙神託。造小比叡別宮。奉移本宮之玉依姫玉依彦別雷神三柱。云々山中法師殊加崇敬。毎於舞殿爲論議決択。又配祀天津産々瓊々杵尊。年月未詳。又伝曰賀茂中社在田中。田主挿苗。其苗俄変槻木。玉依姫在此樹下爲神。故曰樹下宮。云々。」

 

こちらは「十禅師」とのことなので、「樹下宮」ですね。
「樹下宮」の名前の由来が書かれていますが、なんか普通の伝承ですよね……。


「大行事社。祭大年神。此神者大山咋神之御父也。陵在御後。山曰旋臺。又曰華縵臺。私云華縵臺者御母陵歟。」

 

こちらは「大物忌神社」。

どうやら、社の後ろには陵があるようですが……あったかなそんなもの……。


この続きは、

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 史料通信叢誌. 第10編

 

↑『史料通信叢誌』の第10編に収められています。
149コマです。

 

「新行事社。祭天知加流水姫神。此神者大山咋神之御母也。
竃殿祭奥津彦神奥津姫神。相殿二座。大山咋神之御兄神也。小比叡御炊屋坐見也。
以上。
崇神天皇御宇被附神戸云々
仁和年中大物忌行事秋主。新物忌行事弘津。造営御殿二座。故世擧曰大行事社。新行事社。云々竃殿以下。小比叡御眷属。前社数多坐。失伝。強不可沙汰。云々新行事社。中古配胸形瀛津姫爲三宮之若宮。年月未詳。」

 

「新物忌神社」ですね。

御祭神は今と同じです。

この文献を中心として御祭神の整理が行われたのでしょうか。

 

「小禅師社。祭玉依彦神。延暦年中香積寺延秀弟子延暹。依宿願造別殿。自樹下宮奉写一柱世俗曰小禅師宮。延秀延暹俗姓賀茂縣主。中古配彦火々出見尊。年月未詳。」

 

こちらは「樹下若宮」。

 

「王子宮。別雷神降誕産屋之権殿也。在禰宜祝等斎館之北中島之地。四月未日御祭。小比叡宮荒和之神四柱神幸。被遣降誕之仮儀。昇天之仮儀。終日厳儀。在地警固厳重也。入夜神宴将終取兒間案上酒盞擲地。在地人々作鯨波聲。傔仗一人棒白羽箭趨出。四柱神輿競先出御於大比叡宮。云々
貞観年中。慈覚大師感見文殊師利於中島之地。造聖経蔵。又祀熊野不思議童子神。及眷属之神云々弁天宮相殿二座。在山末之大主神荒魂。右玉依日女神荒魂。或説云。自古御殿二座。世俗皆略山末之三宇。曰大主尊。又曰牛御子。
天智七年三月三日夜。慶雲薄靡于比叡山之東尾。八人童子天降于弁天槌之上。漸々歌舞而降于小比叡宮之華縵臺。又歌舞于大比叡宮之神庭。歌曰。宇禮志美津夜。彌津本能夜久邇。伊摩佐加邊。宇禮志母彌津々夜。多邊須美津々母夜。云々
天智天皇潜龍之時。御願之由。人々皆曰五男三女神之化身。私建八柱小社於弁天槌之傍。其後配五男神於左宮。配三女神於本宮。故曰八王子宮。三宮奉移其小社。祀于小比叡之南門之前。又其後配祀国常立尊於二宮時配国狭槌尊以下惶根尊以両宮者歟。年月未詳云々。」

 

「産屋神社」と、途中から「牛御子社」や「三宮」、「八王子」つまり「牛尾宮」の話が混ざってきています。

降臨した「八人童子」を「弁天臺(金大巌)」の側に祀ったので「八王子」というのですけれども、あくまで「金大巌」は「大山咋神」の磐座、五男三女神はその後、「東本宮」の南門の前にお祀りし、それが「下八王子」つまり「八柱社」だと……ああ、何だかよくわからなくなってきました。

 

「下八王子社。祀天照大神奇魂前五柱。所謂五男神之幸魂。曰矢取早取。若宮。彌高之御子也。岩船者、大神之荒魂也。悪王子社。素盞雄尊奇魂也。前三柱所謂三女神之幸魂。曰巌瀧。相殿二座祀市杵島姫。瀛津島姫也。田付社田凝姫也。即其社前石村者。素盞雄尊荒魂也。天智七年三月三日。八童子歌舞畢。時及暁天頃。明星赫耀。八童子自内馬場召御馬向東方去。宇志麻呂送之到天岩船下。而不見神影。但被遣御馬一匹。云々其後造神殿於岩船之邊。云々前八社者。自弁天槌奉。云々或説云。下八王子祭明星。即天御中主神也。云々」

 

「八柱社」です。
『近江輿地志略』でも取り上げられていた、御祭神「天之御中主神」説が、ここにもあげられています。
妙見信仰とか、いろいろごちゃごちゃと混ざった後に出てきた話じゃないかな、と思います。


氏神社 祝部之始祖賀茂建角身命。即大山咋神之舅神也。在小比叡宮南門之外。
持統御宇。宇志麻呂男赤丸。祀父宇志麻呂之霊於大比叡宮之東門之外。但用弁天槌。山末之大主神旧殿修造之。故世人擧曰山末社近来祝岩遠依霊託奉移于氏神社。相殿二座。」

 

今も「氏神神社」です。
なぜかつては「山末社」と呼ばれていたか、の説明が一応されています(「牛尾宮」の古い社殿を使った、ということのようです)。

 

「客人宮 所祭白山比賣神。又名菊理姫神。則伊奘奈岐伊弉奈美之奇魂也。天安二年夏六月十八日。相応和尚感得相樹霊誥祭之。此日大霊。云々被造本宮與劔宮於大比叡別宮之東。内殿所祭九座。中央白山比女。左方自東安置。佐羅王宮 賀寳 禅師 劍宮 兎(兒カ)宮六柱。但劍宮空座也。右方自西安置。小白山 別山行事 大己貴三柱。中古右方三座被造別殿。云々」

 

「白山宮」ですが……内殿に祀られているらしき神々が謎すぎて……どんな文献に当たればいいのやら。
細かい祭祀を研究しないことには……でも、古い祭祀なんてわかりゃしないのです「日吉大社」の場合……文献が残っていないというのもさることながら、ほら、尾張の大うつけが焼いちゃったもので……。

うーん……全然妄想の燃料になりませんでした……。
次回はあるのか……(別の神社の記事になっていたら、放棄したと思って生暖かく見守ってくださいね……)。