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「八幡社」を後にしまして、えらい細い道をつらつらとナビに従って進んでいきましたところ、「六生社」に到着。
○こちら===>>>
↑中村区の史跡散策路のHPです。
この辺り、名古屋駅から見ると西側辺りは、あまり開発が進んでおらず、いわゆる下町というやつなもので、結構道がぐねぐねしていて狭かったりします。
鳥居。
うん、「栄生」という駅から近いところにあるのですが、見たことも聞いたこともなかったなぁ……小さい頃は結構うろうろしたのに。
「村社六生社
一 鎮座地 名古屋市西区栄生町
一 祭神 塩土老翁命
一 祭日 十月六日例祭
一 由緒 創建の年代不詳なると雖も往古には愛知郡栄村当時松裏に祀られしものにして慶長八年現在の地に遷座し祀れり明治四十年十月神饌幣帛供進指定村社に列せらる
祭神は古来安産の神として世俗の崇信殊に篤く其の御神徳は弘く伝はれり
(安産祈祷五月六日)」
(※ブログ筆者により旧字、カタカナを改めている)
ふむ、「塩土老翁命」とな……普通「鹽竈神社」が思い浮かびますが(名古屋市にも2箇所ほどあります)、それ以外だと「八幡」様の摂社末社辺りに御祭神としていらっしゃるイメージで、主祭神というのは珍しいのかな、と。
お猫様発見(○)。
手水舎。
参道正面。
狛犬さん。
拝殿正面。
妻入でこの感じは、やっぱり尾張造でしょうか……にしては蕃塀がなかったかな……。
社殿右手に行ってみますと、「石上社」「白山社」「津島社」。
……うん、なかなか謎な取り合わせです……「白山社」はいいとして、「津島社」は「牛頭天王」でしょう、で「石上社」……急にまた飛び道具的な……ええと、「経津主神」ってことでしょうか……ううむ。
狛犬さん。
ちょっと、近くに寄れなかったもので、この距離から。
本殿、幣殿……あれ、幣殿でしたっけ……どちらも平入。
ちょっと角度を変えまして。
そう、フェンスがあったのであまり近寄れなかったんだった……まあ、いたずらする人が多いかもしれないので。
摂社の続きは、「金毘羅社」と「鹿嶋神社」。
うーん……ああ、「石上社」と「鹿嶋神社」で、「経津主神」と「武甕槌神」、ですか……?
参道正面遠景。
灯篭がやばそう。
で、こちらが参道右手にあるのですが……「大峰山大権現」ってなんだろう……大峯山だと「蔵王権現」ですかね……でも、いらっしゃるのは明らかに「役行者」なので(「前鬼」「後鬼」付)、江戸期には修験系の拠点になっていたということでしょうか。
この人はなんだったかな……ええと、多分御嶽講系だと思いますが……猿?だと庚申講だしな……富士講でもなさそうだし……とにかくお山系の講の神像ではないかと思います。
崩れかけても狛犬さん。
入口付近に戻りまして、なんか賽銭箱を発見したので見てみると、「熱田神宮」の遥拝所でした。
まだいましたお猫様。
入口ちょっとワイドに。
お猫様は、由緒書の下辺りにいます。
さて。
といっても、大したことはないのですが。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡
↑『尾張志』の「愛知郡」、18コマです。
とありまして、これが「榮村」にあったと書いてあります。
「榮村」ですから、多分この「六所社」が「六生社」になったんじゃないかなぁ……と思います。
なかなか「役小角」なんてはっきり書かないですからね。
ただ、現在の御祭神である「塩土老翁命」はいないし、なんなら境内末社のうち、「白山」と「金毘羅」は一致していても、「石上」「津島」「鹿島」が『尾張志』にはないし……そもそも、『尾張志」の書き方は、主祭神どうこうではなく、六つの社を指しての「六所社」ですから……ひょっとして違う神社なのかも。
もし、「六所社」が「六生社」になったとしたら、『尾張志』の編纂後だったわけですが……弘化年間に編纂が終了している、つまり幕末ですので、いつものように神仏分離が引っかかったのかな、でも「六所社」のままでも引っかかりそうにはないんですけれども……ああ、修験系か……どっちにしろ「役小角」はまずいですからね、朝廷に従っていなかったので……そうか、老人キャラということで、無理やりな感じで「役小角」から「塩土老翁命」に御祭神をすり替えた……ってのは無理がありますかね……。
やっぱり違う神社かもしれません。
ちょっとした謎の神社、修験の残滓がうかがえるなかなか素敵スポットでした〜。