あけましておめでとうございます。
ええと、平常営業です。
3/3。
前回の「白山神社」から、通りを挟んで南東方向にある、「山神社」にご参拝。
小さな神社です。
鳥居。
社標あり、村社ですね。
境内の様子。
写真ではわかりづらいのですが、大通りからはちょっと高い場所にあります。
社殿。
狛犬さん。
どちらも耳が欠けているのは、何かの呪いではなくて、多分欠けやすいからなんでしょうね……。
ちょっと見逃してしまいそうな、小さな神社です。
さて。
◯こちら===>>>
尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション
『尾張志』を見てみましょうか(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
16コマです。
「山神社
日置白山社の東にあり大山祇命を祀るこの社邊なる小坂を三年坂といふ」
うむ、短い……んですが、一応項目立てられているところを見ると、かつてはもっと規模も大きかったのではないか、と思われます。
◯こちら===>>>
名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
↑『名古屋市史』の社寺編(お世話になります)も見てみましょう。
290ページです。
「二五 山神社
山神社は中区西脇町 (もとは日置町) の北側に在り、境内八十五坪一合五勺あり、勧請の年月詳ならず、明治三十年頃改造遷宮し、四十四年十二月重葺す、今村社に列す、祭神は大山祇神、火之迦具土大神、武速須佐之男大神なり、殿宇には神殿及び周囲石垣 (明治四十五年春落成す) あり、境内神社は迦具土社、津島社合殿 (祭神は火之迦具土大神、武速須佐之男大神なり、創立年時詳ならず、もと同町にありて、無格社なりしが、明治三十五年十二月、本社境内に遷座す) の一所ありしが、大正二年二月、本社へ合祀せり(以下略)」
うむ、『尾張志』は江戸末期、『名古屋市史』は戦前ですから、明治以後の神社の整理で、いくつかの神社が「山神社」に集められたようですね。
結局、本社に合祀されているので、社殿は残っていない、と。
うむ……「津島社」系の神社は、地域的に多い、というのは頷けます。
「迦具土社」は、多分もともと「秋葉権現」系の神仏習合の社だったものを、明治以後に名前を変えたものが多いのでhないか、と思います。
つまり、火伏せの神なので、これもまた時代的に多くて当たり前。
では「山神社」、全国的な広がりがよくわからないのですが、東海地方ではわりと多いのではないかな、と思います。
神社分布に見られる地域性は結構面白いもので、特に山岳信仰系は、近いお山の勢力図が何となく見えてくるものだと思います。
東海地方では、「三峰社」系の神社が少ないのですが、関東にいくと、小さな神社も含めると多かったりします。
東海地方で多いのは、御嶽信仰(御嶽講)の祠なんかでしょうか(関東も多いですが、距離的に東海地方のほうが近いです……し、御嶽信仰の中興をもたらした「覚明」は尾張の人ですし……)。
尾張でいいますと、なにしろ濃尾平野ですから、霊山と呼ばれるものはあまり近くにはないのですよね(天狗が少ないのかもしれません)。
で、距離的に近いところで、「御嶽」「比叡山」「吉野」「秋葉山」、今ひとつメジャーじゃないところだと「鳳来寺山」、なんかは信仰の対象の霊山なのですが、「山神社」が結構多く見られるとすると、「比叡山」系の勢力が強かったのかな、と(まあ、日本最強に近い「天台宗」総本山ですからね、勢力云々の話でもない気がします)。
そういうことを研究していらっしゃる方がたくさん見えると思うので、もう少し勉強してみたいところではあります。