べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「花園神社」(東京都新宿区)

4/1。

さて、お告げの日でしたね、そういえば……(今年もお告げはあるのかな……)。
「稲荷鬼王神社」まで出かけたので、行ってたっぽくて行ってなかったっぽい、「花園神社」へ。

 

◯こちら===>>。

www.hanazono-jinja.or.jp

 

結構朝早い時間帯だったのに、アジア系外国人ツーリストがバスから降りてきた集団に遭遇し、何だかな。

まあ、いいんですが。

 

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とりあえずこちらの鳥居から(靖国通りの方、でしたっけ)。

 

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いろいろ飛び越えての、拝殿。

 

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そうだ、去年は桜が綺麗でしたね……今年はどうだろうか。

 

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桜。

 

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桜。

 

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境内社の「祐徳稲荷時神社」……だったと思います。

 

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お狐様。
ちょっと艶っぽいですね。

 

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境内の写真が少ないのは、ちょうど骨董市が開かれていたからでした……。

 

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朱色、緑、桜。
ちょっと桜が薄い……んですが、私は葉桜へのグラデーションが出始める頃が好きでして。

 

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ほぼ緑。

 

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狛犬さん。

明治通り沿い側にある鳥居、でしたね。

 

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まだ桜(割と朝早いので、ちょっと陽光が若くていかんですね)。

 

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桜。

 

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桜。

 

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拝殿向かって右側からの境内。

 

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向かって右側からの拝殿。

 

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社標。

 

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「内藤トウガラシとカボチャ」の案内。

そうですね、新宿といったら「内藤新宿」なのです(東京の歴史にはさほど詳しくないのでいいのですが)。

 

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「花園神社の唐獅子像」の案内。

 

「文政四年(一八二一)に造立された雌雄一対の銅造の唐獅子像である。
内藤新宿の氏子たちにより奉納されたもので、台座には発願者・援助者・世話人等の名が刻み込まれている。
像高七十五センチ、台座高一三七センチ。彫工佐脇主馬の製作した原型により、鋳工村田整珉(初代)が鋳造したもので、注連縄が浮彫された台座は石工本橋吉平衛の手になるものである。
頭部は四つの部分(上頭部・顔・後頭部・たてがみ)に分けて鋳造し、身体も胴から後足、前足、尾の三つの部分をそれぞれ左右に分けて鋳造したものを接合して製作されて射る。(以下略)」

 

 

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そう、この狛犬さん(唐獅子さん)が見たかったのです……いえ、見たことあるんですけども、写真には納めていなかったもので。

かっこいい……ひたすらかっこいい……。

 

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御朱印

 

というわけで、ほとんど境内の写真もなかった、なんだかよくわからない記事ですが、最後の唐獅子さんが目的だったのでよしとしていただきまして。

『新編武蔵風土記稿』の内藤新宿のところを探してみたのですが、お「稲荷」さんのことがちらっと触れられていただけだったので、

 

◯こちら===>>>

東京府豊多摩郡誌 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『東京府豊多摩郡誌』という本から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

116コマです。

 

「華園神社 村社 内藤新宿添地町百五十番地に在り、内藤新宿町の鎮守社なり。此地は昔尾張侯の別邸にて其花園たりしを以て名く、祭神は宇迦御魂主命、相殿素盞嗚尊及菅原道眞公にして、もとは三光院稲荷、又は華園稲荷と稱す、四谷なる愛染院の隠棲所三光院之が別当たりしに由れり、当社は慶安元年尾張侯の創建せし所なりと云伝ふ、延享五年の江戸分間絵図には「尾張トノ」とありて傍に「イナリ」と記せり、此頃既に世に知られたるものなるべし。当社古くは享和亥年正月二十四日類焼し、近く明治十年一月新宿大火の際類焼して今の社殿は其後の再建にかかる、(略)古くより広き社地を有せしものと知らる、社背なる華園尋常高等小学校の敷地は社地の一部なり、また社殿西方の地を、明治三十八九年の頃まで御神田田畝と称し居りたる由なれば、当社の神料りしこと知るべき也、明治五年十一月社格村社に列せらる、大祭は六月七日より十一日に至る五日間之を執行す、末社九宇あり。
(略)
直進すれば三層の石壇上に銅獅を置く、文政四辛巳年二月宿内氏子中晴雨十日毎夜勤化云々と鐫す、次に石燈籠、石獅、石狐各一双を置く、正面拝殿は素材造り檜板葺にて千木を掲げたり、稲荷神社の墨字額と華園社の黒地金字額とを掲ぐ、墨字は従三位千家尊福の筆なり、本社は土蔵造りにて其後に摂す、社前鉄製貯水盤を双置す、境内東に巨大なる彰忠碑を建つ、陸軍大将正三位勲一等功二級子爵大島義昌書と署し、水雷鑵一箇と砲弾一箇を配す、水雷鑵の傍に榜示して云ふ「明治三十七八年戦役に際し露国海軍に於て旅順湾口防御に使用したるもの」と、(略)

 

稲荷神社 無核社 内藤新宿南町一番地にあり、世俗呼で雷電神社と言ふ、祭神は宇迦之御魂命なり、当社はもと天龍寺の造立せる所にて、遠江の故地より移したるものありと、或は云源義家公当時の創建にして天明年間に再建せりと、社伝詳ならず。(略)此社を雷電神社と唱ふる所以は、往昔義家公奥州征伐の途中、雷雨を避けて此社に憩へるに、何処よりか白狐一頭現はれ、義家の前に来りて三顧するや。雷鳴忽ち歇み一天霽れ渡れり、故を以て里人此社を雷電神社と言ひ伝ふと(略)

 

稲荷社 無核社 華園神社の境内に在り、もと追分にありしものにて、往昔天龍寺境内の一里塚と相対して築きたる一里塚の趾へ建立したるものなりといふ、新風土記に云「子安稲荷と號す嘉永年中まで一里塚あり、塚上の榎枯し後塚を崩して平地となし、宝永七年願上て当社を営造すといふ、神体及本地仏十一面観音共に弘法大師の作なり、秋葉歓喜天を相殿とす、秋葉歓喜天小野篁伽羅を以て作れる像なり」と。

 

御嶽神社 無核社 内藤新宿北裏町にあり、祭神国常立命、もと尾州藩邸の中にありしが、上地して町に属し、現に村社華園神社の境外末社なり(略)」

 

ふう……そういえば、写真にも「雷電稲荷神社」の社標があったりとか、「祐徳稲荷神社」の写真の社殿の柱に「男女和合の御守りあります」的なことが書かれていたりしますね……百年前とあまり変わっていない、ということでしょうか。

 

私の「花園神社」のイメージは、写真で見ただけですが、唐十郎の紅テントですね……思い入れは特にありません(ただ、写真、何だか強烈に覚えていまして……ひょっとしたら、状況劇場の時代か、天井桟敷と間違えている可能性もあります……)。

新宿は危ない町、というイメージの中、ぽつねんと存在する「花園神社」を不思議に思っていたものです。