7/17。
我ながら、飛んだなぁと思いますが、いろいろあったもので、時間がとれなかったです。
というわけで、「上宿山神社」付近に行ってまいりました。
◯こちら===>>>
↑一応コースに入っていますが、あまり説明はありません。
鳥居。
社格は村社でしたか。
「上宿山神社発足は北朝文和三年(約七百年前)那古野城城下御深井丸の内にありましたが名古屋城落成の際今の地に武島天神社と共に移って参りました。
境内神社は上宿山神社(祭神 大山祇神)
末社 豊丸稲荷社(祭神 宇迦之御魂命)
末社 金刀比羅社(祭神 大国主命)
末社 武島天神社(祭神 少彦名命 菅原道真)(以下略)」
おキツネ様。
「豊丸稲荷社」。
朱色、というか、赤です。
鳥居。
手水鉢。
狛犬さん。
「金刀比羅社」。
覆屋……というのか、この近代感よ。
本殿を向かって右側から。
うーん、一応、尾張造っぽいといえばいいのか……。
拝殿。
江戸時代の瓦葺きな建物、でしょうか。
橿原神宮遥拝所がありました。
拝殿、向かって左手前から。
拝殿、向かって右手前から。
「金刀比羅社」正面から。
「豊丸稲荷社」正面から。
遠景。
ここからは「武島天神社」です。
こちら……は何社だったか……この覆屋にノスタルジーを感じる世代です。
セミ、発見。
こんな感じでした。
狛犬さん。
新しい、ということは氏子が機能しているということかな。
拝殿正面。
拝殿というか幣殿か……妻入り……。
ちょっと寄ってみました。
もっと寄ってみました。
うん、尾張造っぽくしてあるのですね、多分。
天神様なので、牛発見。
こちらは霊石ですかな。
おっと、おしゃれな幟が。
ふっくらした石灯籠、新し目だと思ったら、「支那事変記念」ですって。
社標。
こちらも村社でした。
遠景。
「町内安全」。
向かって左手前から。
ここからは、「深島神社」のお写真を。
ちょっと寄ったので。
さて。
◯こちら===>>>
名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
『名古屋市史』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
265ページです。
「八 山神社
山神社は西区五平蔵町一丁目の北側(もと武島といひしと伝ふといふ)にあり、境内百十七坪八合一勺(略)あり、勧請の年時詳ならず、北朝文和三年(略)の棟札ありきといへば、蓋し其以前の鎮座ならん、初め名古屋御深井丸(略)の内に在りしが、慶長遷府の際、今の地に遷座す、明暦二年、寛文二年、元禄三年に各重修遷宮あり、明治初年村社に列す、祭神は大山祇神なり、殿宇には神殿、祭文殿、拝殿、神饌所等あり、境内神社は神明社(祭神は天照皇大神、従前より鎮座)、稲荷社(祭神は宇迦之御霊命、従前よりの鎮座)、金刀比羅社(略)の三所あり、(以下略)」
遷座先に選ばれたのは、もともと「神明社」「稲荷社」が鎮座していたから、ということでしょうか。
「九 武島天神社
武島天神社は西区泥町一丁目の北側(もと武島梅の木地と云ひ、次いで五平蔵町、上宿六軒町、天神町と稱せり)に在り、境内百五十三坪九合二勺(略)あり、武島一に竹島に作り、武島天神、武島天満宮又は天満天神社と號す、勧請年時詳ならず、一に応安元年頃の鎮座となす、初め御深井丸の辺(此地は御深井なる宗像三社の一なる武島社の旧趾なり、尾張志には「武島の旧趾は五平蔵町の東北の方、田圃の字に弁才といふ地にて、東西四十二間、南北八間ばかりあるを水田として、ここの神主(略)掌れり」と記せり、但し天神社と宗像社との関係に就いては、一切明かならず)に在りしが、慶長遷府の際(一に藩主光友の時とす)今の地に遷座し、以来五平蔵町山神社の末社となる、万治四年修造遷宮、明治十三年三月、独立して村社に列す、祭神は少彦名命(尾張志に中央は菅原神、左は中将殿、右は吉祥天とあり)なり(以下略)」
うむ……これは『尾張志』も見ておきましょうか。
13ページです。
◯こちら===>>>
尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション
「天満天神社
五平蔵町にあり(此地もとは武島梅の木地といへり)勧請の年月知られす祭神中坐は菅原神にて左中将殿右吉祥天也といふ(略)」
「山神社
同所にあり大山祇神を祭る勧請の年月詳ならす府志には伝云此地云武島遷府以前今金城之地有呼猿屋陌民家当時民人十一月集此祠修祭事といへるが如し
摂社 神明社 稲荷社(略)」
……「梅の木」とか言ってるし、祭神が「中将殿」「吉祥天(女?)」とあるし、「北野天満宮」から勧請したものと思われますので、当初から「天神様」だったのではないかと思うのですが、明治の神仏分離で「少彦名命」に祭神を架け替えたのかな……「天神社」のご祭神が「少彦名命」に替えられたらしき例はあちこちにあった、気がします(理由はよくわかりませんが、「少彦名命」は「高御産巣日神」の御子神と伝えられているので、「天神(あまつかみ)」で、そこから来ているのではないかと考えられています……ちょっと、神仏分離の勉強が足りていません)。
住宅地の中にあり、かつては鎮守の森なんかが広がっていたんだろう、と想像させる場所でした。