10/30。
野波の「八劔社」の参拝を終えまして、そのままうろうろして、うまい具合に発見した「菅田神社」へ。
○こちら===>>>
久々に史跡散策路……名古屋市、いいホームページを作っているんですが、もうちょっと詳しいとありがたいです。
鳥居。
これは、駐車場側ですね……多分(わりと、駐めるにぎりぎりな駐車場でした)。
で、いきなり本殿ですが……あれ、拝殿の脇あたりに出てきたんだったか……。
摂社末社もいくつか見えます。
狛犬さん。
表参道まで出てきました。
向かって左手に手水舎があるのですが、駐車場からはその辺りに出た、と思います。
社標。
鳥居の下からこんにちは。
拝殿。
シンプル……。
さて。
先ほどの史跡散策路のHPから、
「祭神は仁徳天皇を主とし、ほかに天照大神、応神天皇など9祭神を祀る。創建不詳。明治5年7月28日村社となった。古来若宮八幡社と称していたが、明治42年3月16日島田の熊野社と合祀し、島田神社と改称。そして大正12年11月15日現在の菅田神社に改称された。」
とのことで、
○こちら===>>>
尾張志. 5 愛知郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション
『尾張志』5の16コマを見てみますと(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)、
「熊野社
嶋田村にあり熊野櫲樟日命事解之男神速玉之男神三坐を祭るといふ当村上郷下郷の本居神也境内に末社秋葉のやしろあり
神明社 支邑池場島の氏神也境内に秋葉の社あり 天神社 神明社より南の方にあり少彦名命を祭るといへり 若宮八幡社 仁徳天皇をまつれり 山神社 三所
この六社も同村にあり」
とあります。
記事の取り上げ方を見ても、当時は明らかに「熊野社」が嶋田村でも大きな社だったようで、「若宮八幡社」はそうでもなさそう……その後の合祀→改称の過程でいかなる力学が働いたのか……ちょっとよくわかりません。
○こちら===>>>
「島田神社」(名古屋市天白区)〜高速初詣その2 - べにーのGinger Booker Club
で、こちらが現在の「島田神社」なのです。
かつての嶋田村の神社が合祀されることになり、一旦は「島田神社」で落ち着いたところを、大正になって分裂した、ということでしょうか。
明治時代は、神社が整理された時代だ、というのは見聞きするのですが、大正になると分離とか許されるようになったのでしょうか……この辺りの近代神社史は、神仏分離・廃仏毀釈もそうですが、地域差が大きいので、その土地その土地で情報を集めないことにはなんとも……ちゃんと情報が残っているのかもわかりませんし……って、地元のことなんですけどね。
というわけで、謎は謎のままで、宿題ということで。