べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「日牟禮八幡宮」〜近江めぐり〜(再作成)

(2016/9/8再作成:うっかり消しちゃったもので)

 

4/30。

「兵主大社」を切なく後にして、時間的にもそろそろ帰路に着かなければいけなかったのですが、ここはひとつ近江八幡へ行ってみよう、と。

意気揚々と検索しても、「近江八幡宮」などという神社は引っかからず……。

「おっかしいなぁ……」と、スマートフォンで調べてみると、なんと「近江八幡市」に「近江八幡宮」はない、という衝撃の事実が判明。

「日牟禮八幡宮のこと、なのだそうです(汗)。

 

○こちら===>>>

日牟禮八幡宮 − ひむれはちまんぐう

 

近づいていくと、「兵主大社」とは大違いの人出。

公営らしい駐車場に車を入れ、「近江兄弟社」(メンソレータムの)などを横目に見ながら「日牟禮八幡宮」へ。

 

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楼門前の道を、(写真では)向かって右手のほうからやってきました。

楼門正面に、元々の参道があります。

 

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勇壮な楼門。

 

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この垂木の連続性といい……組物といい……構造美。

 

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彫刻もまた立派なのです。

 

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楼門内側にも、象……あるいは獏の彫刻。

素敵。

 

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楼門をくぐって右手の能舞台

能楽「日觸詣(ひむれもうで)」は、明治時代に作られた観世流の演目だそうです。

ご神馬の像が、躍動的です。

 

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傍に、寛文年間の手水鉢がありました。

 

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拝殿遠景。

 

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こんもりかわいい、キノコのような石灯籠。

苔生すさまもまたかわいい。

 

と、いうわけで、本殿周辺が混雑していたので、まず本殿前の脇参道かな、を境内境まできてみました。

 

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奥に見えるのが本殿です。

この参道の右手に境内末社が並んでいます。

 

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恵比須神社

祭神 事代主神金山毘古神

摂津西宮神社の分霊でもと新町に鎮座されていたのを移したもの。

祭礼は七月十五日。大正三年針の神を合祀す。」

 

 

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「針塚」です。

金山毘古神」が、「針の神」なのだと思います。

 

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「八坂神社

祭神 建速須佐之男命 少彦名命

祇園さんと称え牛頭天王社といった。

宇津呂と大林の両村により四月祭礼の巳の日に鉾渡りの神事があった。大正五年粟島神社を合祀す。」

 

 

 

須佐之男命」と「少彦名命」を合祀する、とはなかなか大胆な感じです。

あ、「粟島神社」のご祭神が「少彦名命」です。

 

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「繁元稲荷

祭神 宇迦之御魂神

享保二年稲荷山に勧請天保十三年尾張領となるや山祇神を合祀し爾来代官所の鎮守となり盛大な祭りが行われ稲荷信仰を集め盛大であった。明治二十年常盤神社と共に今の境内に移建された。

宮内稲荷金刀比羅稲荷板屋稲荷を大正五年に合祀す。」

 

 

こちらでは「宇迦之御魂神」と「大山祇神」が合祀ですか……敷地の問題なのか。

それ以外にも、たくさん稲荷を集めています(明治以降、神社の整理が行われたことを示しています)。

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大島神社

祭神 大国主命 大鷦鷯命

境内社中第一の社。八幡宮勧請以前の地主神と伝え、徳川時代までは大嶋大明神又は両宮といい、神戸六ヶ村の氏神であった。大正十三年若宮神社を合祀す。」

 

 

若宮神社」のご祭神が「大鷦鷯尊(仁徳天皇)」です。

大国主命」がご祭神となっていますが、地主神としての名前はわかりませんね……「大島神社」ということは、この辺りに島があったのでしょうか。

かつて琵琶湖がまだ広かった時代の記憶……だったら面白いですね。

 

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本殿。

背後に山が迫っているのがわかるかと思います。

 

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左義長の由来が解説してありました。

 

「(略)

元来左義長支那から伝わった爆竹・弄餅等色々と伝えますが吾国では仁明天皇承和元年(八三四年)鎮護国家安泰の宮中行事が京都を中心としてとんど焼きとはやされた民間行事となりましたものを氏神様の祭りとして行う事になったのが八幡の左義長祭です。

(略)」

 

 

禊は流水で行う、という思想のあった日本で、何かを盛大に燃やすという祭りが始まったのは、仏教の影響なのかな、と思います(密教では護摩を焚きますもので……もっと遡ればゾロアスター教にたどり着きますけれども)。

 

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こちらは八幡まつりの由来です。

祭りの起源は、応神天皇行幸に求められるようです。

 

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ご祈祷所の入り口にあった灯籠。

「両宮太神宮」は、↑にあった「大島神社」のことでしょう。

「日牟禮」は、「日觸」とも書いたようです(もっといろいろ書いたでしょうけれども……昔は今ほど表記にも厳密ではなかったですから)。

 

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一旦、拝殿の近くまで降りてきました。

 

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入母屋造の堂々とした拝殿です。

写真右手に見える、本殿の向かって右手の部分、渡り廊下をくぐりますと、

 

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「鏡池」があります。

どうもこれ、参道から一直線で突き当たりにあるようで……ということは、ここが正面、ご神体……?

 

「世に傳ふ長命寺松ヶ崎に相通ずと云う。嘘偽の心にて顔を水に写すと池に没すと云う。後ろの大岩は鏡岩又は屏風岩と云い、神座を護る岩として天下に名高い。」

 

長命寺」というのは、「日牟禮八幡宮」から北西3キロほどのところにある仏閣です。

ええと……もちろん覗きませんでしたよ、嘘偽の多い心なもので。

 

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苔。

 

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本殿廻り縁の彫刻。

荒々しい一刀彫のような狛犬さんです。

 

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そしてなんと、本殿後ろを通り抜けることができるのです。

なかなか珍しい……鏡岩を間近に見ることができます。

 

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通り過ぎ、振り返っての鏡岩。

 

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本殿向かって左の廻り縁の彫刻。

 

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拝殿すぐ左手の「岩戸神社」。

ご祭神が微妙に読めない……「撞賢木厳之御魂天疎向津姫命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)」……ああ、「神功皇后」が三韓征伐に出向く際に降りた神の一柱ですね。

天照大神」の別名、と言われています。

どうしてまたこんな書き方をしたんでしょうね……明治以後の呼び方のような気がします。

もちろん、ここが「八幡様」だから、ということが関係しているのでしょうけれども。

どうやら「伊勢神宮」の遥拝所として機能しているようです。

 

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「岩戸神社」からの拝殿、本殿、背後の山。

 わりといい構図ぽくないですか。

 

拝殿向かって左手に向かうと、また境内末社が。

 

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天満宮

祭神 菅原道真

元宮内町に独立して祀った。慶長六年勧請、大正五年現慰霊殿敷地から移建、昭和二十八年より現在の姿で祀る。宮内天神、庄六天神とも伝え、文麟の灯籠と鉄斎の一筆の牛が名高い。大正五年慈元天満宮を合祀す。」

 

 

ということで天神様。

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牛。

 

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宮比神

祭神 天宇受賣命

安政五年より稲荷山に祀ってあったのを、明治八年に移建した。古くより百太夫神社を合祀している。天河枝比賣は当社に祀られ本社との関係をもっている。」

 

 

「百太夫」と呼ばれる神社は、傀儡師の守護神だったり、小児の守護神だったりします。

「天宇受賣命」と重なるのもうなずけるかな、と。

「天河枝比賣」についてはよくわかりませんが……本社との関係というのですから、何かしら「八幡神」とつながりがあるようです。

これは宿題、と。

 

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「常盤神社

祭神 天照大神豊受大神熱田大神・津嶋大神

天保十三年、八幡が尾張領となったのを機会に惣年寄建設祭祀することを誓い、嘉永元年城山に創建、尾張地方に関係の諸神を祀ったのも八幡の歴史の一つである。明治二十年二月繁元稲荷と共に今の境内に移建された。」

 

 

水戸にある、

 

○こちら===>>>

「常磐神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑「常磐神社」は、水戸藩主を祀った神社ですので、関係ありません。

そうですか、八幡は尾張領になっていたことがあるのですね……さっきも書いてあったな……なかなかの奇縁です。

熱田大神」「津嶋大神」に関してはなるほどな、というところですが、「天照大神」「豊受大神」はどうなんでしょう……伊勢も尾張領だった頃が……聞いたことないなぁ……。

 

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埋もれるように牛。

 

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こちらが三末社の参道です。

真ん中が「天満宮」、右に「宮比神社」、左に「常盤神社」。

後付けでお祀りしました、な感じが否めません。

 

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拝殿、本殿。

 

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拝殿を真横から。

 

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いい姿です。

 

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鯉のぼりが風に洗われて……いませんねあまり。

穏やかな日でしたもので。

 

さて、楼門まで戻りまして、

 

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狛犬さん。

木造でしょうか……珍しい。

スマートですね。

 

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スマートフォン用の望遠レンズを買ったので、楼門の獏さんをあらためて。

いや、象かな……。

躍動感の溢れる彫刻だと思います。

門の守護獣なのか、屋根を支えているのか……。

 

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裏から見た獏さん。

 

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まったく知らなかったんですが、八幡山にのぼるためのロープウェイがあるそうです。

なるほど、昔から景勝地だったんですね。

 

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ロープウェイ入り口付近にある鳥居。

 

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そこからの楼門。

 

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近江八幡市慰霊殿」。

ちょっと、おいそれと中に入れる感じではありませんでした。

 

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楼門前の参道を戻る途中の脇道。

ここを突っ切って、駐車場に戻ろうと思います。

あ、神社のすぐ近くにはいろいろとショップなんかがありまして、その中に「クラブ・ハリエ」があるものですから、観光客も多かったようです。

もちろん、一顧だにせず(並んでましたもの)。

 

ここからは、近くにあった神社などを。

 

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「稲荷神社」。

 

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八幡まつりで使われる太鼓のモニュメント。

 

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「圓満寺」。

寺なのに鳥居がありますが、どうやら「金刀比羅」さんのようで。

 

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破風の金具に「金」の文字。

 

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そして「金比羅王咒」。

 

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謎のお堂。

 

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地蔵堂。

 

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こちらも地蔵堂でしょうか。

 

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鳥居には文化年間の文字があります。

 

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鳥居の奥に手水舎があるのですが、なぜかその屋根だけ撮影していました……あ、屋根が豪華な造りだったからだった、思い出しました。

特に一枚目のほう、屋根瓦に波と船があるんです。

こういった建築にはまったく詳しくないので、これが珍しいものかどうかさっぱりわかりませんが、私の住む近隣ではあまり見かけない造形で、興味深いです。

往時は、かなりの勢力だったのでしょうか……「日牟禮八幡」の神宮寺……だったのかな。

うーむ。

 

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で、これが「圓満寺」本堂のほうの門だったと思うのですが……やっぱり立派ですね。

これは是非、地元の郷土史家の方にいろいろ聞いてみたいところです。

 

 

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……あれ、また「稲荷神社」だ。

↑で出てきた「稲荷神社」の本殿だった……と思うのですが。

こちらも、金具や彫刻の精巧なことに驚きます。

 

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御朱印。

ううむ、やはり近江は一筋縄ではいきません。

名古屋からは比較的近く、京都ほどは混んでいないところが多いので、思い立ったらときどき行ってみたいと思います。

引用などは次回に〜。

 

 

(※ここ数日、ネットの調子が悪いのと、はてなブログの調子も悪くて、なかなか更新ができませんでした……)

 

 

(※※うっかり間違って、記事そのものを消してしまいました……幸い、キャッシュで表示されていたものがあったので、それをコピペして再作成……ああ、いらん時間を使った……)