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神社仏閣ラブ(弛め)

「徳王稲荷金刀比羅社」(愛知県岡崎市)〜岡崎ちょいぶら〜

4/2。

真福寺」をぶらっと堪能し、そこから「大樹寺」にもう一度行こうか、でもあそこの資料館は魔境だしな……と思って、近くまで行って駐車場が見つからずに断念した「徳王稲荷神社」へ行ってみることに。

 

◯こちら===>>>

okazaki-kanko.jp

 

岡崎市の観光スポットHP。

おっと、「徳王稲荷金刀比羅社」というのが正しいのかな……。

 

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いきなりの由緒書き。

 

「御由緒
徳王稲荷社
祭神 宇気比売神
例祭日 四月十一日
永正三年二月、今川修理大夫氏親の発願により、稲熊の郷、石山に村人が稲荷大神を勧請した社という。明治十一年、常に稲荷大神を尊崇する伊勢国の人中川つね子、岡崎に居を移すと共に人々に神助加護を仰がしめ、明治二十五年、両町に宏荘なる社殿を造営し、遠近より祈願参詣する多勢の信者で隆盛する。

金刀比羅社
祭神 大穴牟遅神
崇徳天皇
猿田彦神
例祭日 十月十日
建保年間、本間三郎重光の臣、伴隼人、この地に住し北野天神の祠官として奉仕する。永禄の世に至り、伴孫太郎、徳川家康公に弓弦を献上し、弦指屋敷と呼ばれ家康公と射的の為数度訪れ、お手植の椿があったと伝える。文化九年十月、金刀比羅社を奉祠する。境内の藤の大樹はこんぴら藤と称えられ、花房の長さ六尺に及び、東海道一の名声を挙げる。五月の藤花祭は近郷より参詣する人波が続き社頭大いに賑わう。昭和二十年七月、両社共戦災に遭遇し、荘厳なる社殿の全てを消失したが、昭和四十一年四月、合祀の議が定まり旧金刀比羅社境内に新社殿を造営して今日に至る。」

 

……あれ、「徳王稲荷社」がメインかと思ったら、社地は「金刀比羅社」ですか……。

 

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拝殿……というかほぼ門。

新しい社殿ですから。

 

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別角度。

社紋が二つ、合祀の象徴でしょうか。

 

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おキツネ様の宝珠。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

顔が大きいです。

 

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境内社の「秋葉神社」。

 

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明らかに「稲荷神社」系の造形ですけども……。

 

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金山神社」。

 

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御嶽神社」。

 

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天神地祇社」。

 

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こんな感じで並んでいます。

 

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ひっそり、「秋葉神社」「金山神社」の社標。

 

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「岡嵜徳王稲荷神社」の社標。

 

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鳥居。

 

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おキツネ様

つん、という感じ。

 

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「金刀比羅社」の社標。

 

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別角度の遠景。

 

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こちらが大鳥居になるのかな……一つ前の写真の、向かって左側。

ちょうど、という言い方は変かな、区画の角地にありまして、そのためこんな感じになっています。

御朱印、あるようですが、御神職不在だったようで、いただいておりません〜。