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「片山八幡神社」の参拝を終え、スマートフォンで地図を見てみると、歩いていけそうな雰囲気の場所に「片山神社」があります。
◯こちら===>>>
途中、どうやら学園祭をやっているらしい高校の近くを通りました……いいおっさんが休日の昼間から神社散策か……いや、いいおっさんだから仕方ないか……(遠い目)。
「式内」と堂々と書かれていますが……これは開かずの門なのか。
「片山神社
社伝によれば和銅二年(七〇九)の創建とある。延喜式神名帳にもみえている古社で、山田郡鎮座、十九座の首位にあり、又国内神名帳には従三位片山天神とある。祭神は安閑天皇と国狭槌尊の二神を祀る。安閑天皇の御生母が尾張連の祖の媛であったところからこの地に祀られたと伝えられる。」
ほほう……「安閑天皇」とはまた……「継体天皇」の御子ですね。
「国狭槌尊」は、『日本書紀』であれば神代の冒頭、『古事記』では国生みの後、「大山津見神」と「野椎神」から生まれた「国之狭土神」のこと、でしょうか。
いずれにしろ、珍しい御祭神ですね。
参道入り口の鳥居。
区画整理の影響を受けているのか、境内地の形がいびつなようです。
狛犬さん。
元は彩色されていたようです。
また狛犬さん。
社殿前、です。
こちら拝殿。
妻入ですね。
比較的新しい造営なのか、修繕なのか。
黒々として、何やら威厳が醸し出されているような気がします。
拝殿向かって……ええとどっちだったか、左手奥かな、境内末社が。
狛犬さん。
向かって左から、「稲荷社」「津嶋社」、
「金刀比羅社」、
「香良須社」「秋葉社」、
「白山社」「龍神大神」。
拝殿方向を。
ご神木らしき大樹は、折れてしまったのでしょうか。
鬱蒼。
神楽殿……かな。
拝殿向かって右手にある、「浅間社」と「観音大神」……おや、「観音大神」、なかなか聞かないかたですね。
ちょっと離れたところから。
社殿がぎゅっと密集している感じがよろしいですな(?)。
要塞みたいで(??)。
もっと近づいてみました。
拝殿の奥は、平入の幣殿でしょうか……翼廊っぽいものがあるので、本殿ではなさそう。
ほぼ真横に回ってみました。
拝殿、瓦葺きでしたか。
手水舎。
拝殿の手前にあります(そりゃそうだ)。
結構しっかり作られているので、江戸の頃にはかなり旺盛だったのでしょう。
参道を戻っております。
左にゆるいカーブを描いています。
うーん、敷地の関係でしょうか。
参道を曲げるのは、「怨霊対策」なのか、さもなければ「できるだけ参道を長くすることで、期待感を煽る演出」なのか。
現実的には後者だと思いますが。
参道から右手のほうに伸びる道は、社務所に通じているようです。
それにしても、緑が深い。
境内から出て、拝殿の正面に立ってみました。
うーん、なかなかありえない感じです……やっぱり、真正面では参道が短くなってしまったんでしょうね。
こちら、その左手にある鳥居。
奥は先ほどの神楽殿っぽいのですが……ひょっとして神楽殿じゃないのかも。
参道入り口の鳥居を出て、左手に行きますと、こんな感じの細い道。
今ひとつわかりませんが、坂が結構な角度で降っています。
裏手に回りました。
コインパーキングがありましたよ……(泣)。
社殿は、この丘の上です。
結構な高さです。
裏手から、敷地の西側に。
じっと目をこらすと、木々の向こうに本殿がうっすらと……見えるはずなんですが……写真はなんでも写してしまうので、肉眼とは違いますね。
これならどうでしょう。
ええい、これなら。
もうこれしか……。
式内社で、規模も大きく、なかなかのワンダーランド。
御朱印は……いただけるのでしょうか(神職さんがいらっしゃる気配がなかったもので……)。
うーん……「片山八幡神社」とどちらが式内社にふさわしいのか、なんてことは私にはわかりません。
次回、いくつか文献を引用してみますです。
この日はこのあと、四間道の「浅間神社」に突進し、御朱印をいただいてきましたです。
好日哉好日哉。