(2021年、あけましておめでとうございます。まあ時間のないことで、まだ一昨年の記事を書いております。神社仏閣巡りもなかなかできません。細々と更新していきますので、初詣の参考にしていただいたり、なんか、そんな感じでお願いします)。
10/30。
ぶらぶらしているうちに、南のほうへ下ってきたので、コインパーキングへ車を置いて、散歩がてら、「南区史跡散策路」に沿って、まずは「村上社のクスノキ」を拝見。
○こちら===>>>
ううむ、確かに威風堂々という感じで、素晴らしいシルエット……。
「村上社の境内には、幹回り10.8メートル、樹高20メートルにおよぶ巨大なクスノキがあります。樹齢千年といわれ、昭和62年(1987年)市の天然記念物に指定されました。この樹は古鳴海と桜の地を結ぶ、船人の目印にもなっていたと伝えられています。また、『万葉集』高市連黒人の歌の碑が、建てられています。」
↑の「史跡散策路」のHPより抜粋。
歌碑までちゃんと見なかったなぁ……「信長攻略」というのがありましたが、それも見なかった……まだそこまで戦国時代に興味がなかったからなぁ……いけませんな、またいずれ。
で、さらに歩いて、「桜田八幡社」へ。
鳥居から参道を。
拝殿。
朱塗り……珍しいといいますか、何か意味があるのか……。
狛犬さん。
ものすごい厳重に囲われている「秋葉神社」。
「桜田勝景碑」というのがありまして、
「この辺りは、『万葉集』に、
「桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る」
の歌に見える景勝地と推定される。
「桜田」は桜の田の意で後の桜村一帯の水田を意味する。「年魚市潟」はかつて南区の低地部から熱田までの入海であった。
鶴が、餌を求めて鳴きながら桜田の遠方にある潮の引いた年魚市潟へ向かっていく光景を見て歌ったものであろう。」
と。
この神社の辺りは高台になっておりまして、かつて熱田の辺りまで海が入り込んでいた、そこまで見通せたのでしょう……か。
今は、いろいろ建物も建っており、なかなか見通すのは難しい、という感じでした。
この地方の民俗芸能(というか武術というか)の「棒の手」の一流派の発祥の地でもあるようです。
で、こちら「桜田勝景」の碑。
○こちら===>>>
「稲荷山長楽寺」(名古屋市南区) - べにーのGinger Booker Club
「長楽寺」(補) - べにーのGinger Booker Club
↑こちらの記事で書いているのですが(記憶にはない)、「桜田勝景」が、「名古屋十名所」の一つになっています。
再び、鳥居から参道。
御祭神は「応神天皇」、「比賣大神」、「神功皇后(大帯姫命)」、といたって八幡さまです。
建立が「文化十癸酉年十二月」となっていますので、江戸の半ば頃、ですか(「史跡散策路」では、「創建不詳」となっています)。
弥生時代から古墳時代にかけての遺跡で、断面V字状の溝や貝層が見つかっている。このあたり一帯は、南側にある見晴台遺跡や西側の扇田町遺跡などとともに古くから集落が営まれていたところである。
ここから出土した魚形土器は弥生時代後期のもので、壺形土器の胴の部分を魚形に作った全国的にも極めて珍しいものであり、市指定文化財となっている。」
貝塚があった、ということは、やはり結構海岸に近かったのでしょう。
現在は高台ですが、かつては海水面が高く、居住に適した場所だったということでもあるのかと。
社標と鳥居を、向かいの学校前から撮影。
さて……も何も、検索してみると、個人で書かれているブログは見つかりますが、不勉強な私には他の情報が見つからず……。
○こちら===>>>
「桜神明社」(名古屋市南区) - べにーのGinger Booker Club
↑「桜神明社」というところには、古墳があります。
「史跡散策路」のHPを見ていただければ、古墳がいくつかあるのがわかります。
かつての海辺に近く、高台で、居住に適していて、という場所に古墳が集まるのは当然ですし、のちにそこに寺社が作られるのもまた必然なのかな、と思います(人が集わないところに作ってもしょうがないので)。
そうすると、古墳は、単なる墳墓ではなく、海運のランドマークのような役割を果たしていたのかもしれない……という話もあながちあり得ないことでもない……まあ、大山古墳みたいなでかいのならともかく、小さな円墳とかでそうなり得たのか、はわかりませんが……。
おまけ。
この頃はまだ、「三輪神社」の月参りにいけていたんですよね……いろいろ事情が変わりまして。
御朱印帳袋、もあまり活躍していない……今は、どのくらいの御朱印帳の種類があるのでしょうね……またそんな日々に戻りたい、と思いつつ、御朱印集めもこのコロナ禍で、参拝することの意味合いが変わってきているような気もするので……事情が許せば、また神社仏閣巡りを再開したいものです。