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「白山比咩神社」を後にして、すぐ近くの「金剱宮」へ。
◯こちら===>>>
思いのほか参拝者が多く、駐車場に停められるかどうか、ドキドキしました。
ちょっと待ちました。
いきなり扁額でした。
拝殿。
案内板(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
御祭神は「瓊々杵尊」で、「大国主神」「大山咋命」「日本武尊」「事代主神」「猿田彦神」などを合わせて祀る、と。
「鶴来町の発生と同時にこの地に鎮斎せられたもので鶴来町の古地名は劒と記し社名又古く劒宮・劒神社と唱えた」ということのようで、近世になって「金剱宮」と呼ばれるようになったそうです。
「中世以来白山七社の一に数えられ内、白山本宮・三宮・岩本と共に本宮四社と称した」ともあるので、かなり大切にされたものと思われます。
名前が名前だけに、武将の崇敬が厚かったようで、「源義経」「源義仲」なども参拝している、と。
……昔から「剱神社」なんて呼ばれていたのだとしたら、それに関する伝説なんかが残っているはずです(私が知らないだけ)。
「日本武尊」は怪しいですが、石川県の辺りは通ってないよな……。
境内社には「乙剱宮」「金刀比羅宮」「丈六宮」「粟島神社」「金剱宮恵比須社」などがあります。
狛犬さん。
武神に相応しい。
拝殿遠景。
「義経腰掛石」と「天忍石」。
影向されたというのであれば、どんな神霊が降り立ったのでしょうね……。
山を背中に建っているので、境内が狭く、なかなか謎の構造になっています(何かを隠蔽している、というわけではなく、立地条件上致し方のない構造なのでしょうが、ひょっとすると陰謀めいたものがあるかもしれません……ないかもしれません)。
本殿ちらり。
おお、これは良い狛犬さんだ。
「乙剱社」。
「恵比須社」の本殿。
「天の真名井」。
「恵比須社」拝殿。
「金刀比羅社」。
「丈六神社」。
「粟島神社」。
二社遠景。
こちらは「招魂社」ですね。
未だ「招魂社」なのは珍しい……こともないか。
さて。
◯こちら===>>>
鶴来保勝会 編『鶴来案内』,鶴来町,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2024-11-08)
↑こんな本を観ておきましょう。
p14です。
「金剱神社
町の東方社の岡にあり、当町産土の神にて、当町の発祥は同社の創祀に始まる。天津彦穂瓊々杵尊を祀る。今より二千年前、崇神天皇の創祀にして、其創立年代は白山比咩神社と殆ど時を同ふするが如し。中古は金剱宮又は剱大神宮と称え、支社末院尠からず、所謂七堂伽藍は雲表に聳え、神人衆人多く時には白山比咩神社と勢力伯仲の間にあり。後村上天皇興国五年二月十日夜寅尅に鐘楼、講堂、彼岸所、曼陀羅堂、大行事、荒御前仮殿炎上とあるに徴すれば、当時其隆盛なりし事想像に難からず、聖武天皇神亀四年僧泰澄之を重修す、承平中祀官社僧散在せんとしを、僧道澄勧化して弘仁十四年本殿を建立せしが享禄四年焼亡し後また再建す。永観四年正一位の神階を授けらる。明治五年郷社に列し、同十三年白山比咩神社摂社と定められ、同二十八年県社に昇格す。明治維新後は宮の文字を神社號に改む。拝殿は明治十六年の改造にして本殿は同四十三年の改築にかかり、幣殿は大正九年の新築に成れり、南北百餘段の両参道は昭和三年十一月御大典紀念事業として改造せられ、境内には乙剱社、金比羅社の末社あり。
本社は其昔白山七社の一にして霊験著しく、源義経が奥州下りの砌終夜神楽を奏ぜし事。又木曾義仲が平氏を倶利伽羅に攻むるに当り遥に祈願を寄せし事は史乗に明かなる所なり。」
「宮」から「神社」になり、また「宮」へ。
本社に当たる「白山比咩神社」と並ぶ勢力だったことがあると……「伊勢神宮」の「内宮」「外宮」の対立や、「諏訪大社」の「上社」「下社」の関係性など、想起されるものはたくさんありそうです。
何故「金」なんでしょうね……豪華だからつけちゃったのか……金でも出たのか……それならもっと、全国的な話題になってもよさそうです。
◯こちら===>>>
金沢市 編『稿本金沢市史』 社寺編,金沢市,大正5-14. 国立国会図書館デジタルコレクション
稿本金沢市史 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2024-11-08)
↑こんなものも見てみましょう。
p86です。
「久保市乙剱神社
(略)
乙剱といふは神号なり、貞享二年の由来書に、祭神は白山第四の御子神にて、古来久保市に鎮座すと、此神は白山記に金剱宮は白山第一の王子、又云、金剱宮は大行事乙剱ともありて、今石川郡鶴来町金剱宮の末社に鎮座ある乙剱の神是なりと云、加賀古跡考に、久保市権現は鶴来金剱宮乙剱明神を勧請すといへり、三州志に、或云、其始め日神三剱を嚼て、三神を化生す、其一は鶴来の金剱宮、其二は松任の金剱宮、其三は久保市の乙剱宮なりといへり、平次按に、此は日本紀神代の巻に載せたる宗像三神化生の故事に據て附会せしものなるべし、鶴来の金剱宮は、諸神記に崇神天皇御宇天降三年三月社立、末社乙剱とあり、されば乙剱は金剱宮の御子神ならん、貞享の由来書に、白山第四の御子神と載せたり、これ実に古伝説ならば、金剱宮の第四の御子神にて、乙子なるに依て、乙剱の神とは称したるならんか。
(略)」
というような話も載っております。
結局、何故、剣の神になったのか、というのはよくわかりませんが。
本来、地名の「鶴来」の方が古く、そこから「剣」が連想された、というじゃないかと……何となく、鶴が来そうだし……急に「剣」が出てくるよりはわかりやすいでしょう……近くに湖とかあったのかな……。
で、験を担ぐ人たちが、「剣」にしてしまって、戦勝祈願なんかをしたら勝ったりして、盛り上がった……という感じかな、と。
案内板と真逆のことを書いております……「剣」を好字にするために「鶴来」にした、ということなのか……じゃあ神社も「鶴来神社」でいいと思うのですが、そうではない……つまり元々「剣」のほうが古いのだと……ううん、モヤモヤ……『風土記』が残っていれば……。
全国の「剣」という古地名を調べれば、何かわかるかもしれません(調べない)。
さて、金沢に向かいますよ〜。