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三が日の朝も早くから自宅を出るのを家族にやや不審がられました。
とりあえず、名古屋市内をうろうろするぞ、ということで、天白区の「島田神社」へ。
○こちら===>>>
http://j-e-01.com/2simada.html#2_2
↑素敵サイトです。
どうやら、この辺りの歴史を学ばないといけないようですが……とりあえず、何も考えずに、ご参拝。
曙光。
こちらの入り口は正面ではないです。
社標。
境内をぐるっと南の方へ回っていくと、参道正面があります。
おっと、村社でしたか……。
門松。
狛犬さんたら、
狛犬さん。
新しい造形で好ましい……変形しそうなパーツ割です。
参道正面。
鳥居付近にありました、「産之神社」。
「産土」という意味でしょうか。
二の鳥居。
ほんのりまだ提灯に灯りが灯っています。
狛犬さんたら、
狛犬さんは拝殿前。
拝殿。
現代的です。
この色あい……クリーム色っていうんでしょうか、あんまり好みではないです……のっぺり感が。
拝殿右手奥に進むと、境内摂社が。
撫で牛さん。
というわけで、正面は「天神社」。
右手は「秋葉社」。
狛犬さんたら、
狛犬さん。
左手は「天王社」。
「牛頭天王社」でしょうね。
「鷽かえ」の……これ、ウグイスですかね……。
ちょっと遠景。
神楽殿、かな……。
神馬。
「招魂社」。
「島田神社由緒記
本社は伊邪那岐之命、伊邪那美之命、事解之男命、速玉之男命、、天照大神、大山祇神、鵜葺草葺不合命、応神天皇、少彦名神を祀る
摂社に菅原道真公を祀り、末社素盞之男命、迦具土之神を祀る
古来是の処に熊野権現、池場地内に神明祠、八幡祠、天神祠の四神祠あり末社を祀る
熊野権現は貞治年間島田城の守護神として城主牧高経公の崇敬殊に篤かり
文政年間の記録に本郷氏神熊野権現境内二反歩、池場氏神神明祠境内一■四■二十歩、池場島■八幡祠境内二十八歩あり村民の崇敬を受くとあり
明治四十二年に到り前記四神祠をすべて合祀の上黒石地内に一時移転鎮座す
大正十二年に到り再び是の地に移転鎮座し給う 昭和四十八年十月本殿、摂社、末社、社務所、神楽殿、御手水舎の改築境内整備に着工昭和五十年十月完工し奉る
創建年代不詳
(略)」
……まあ、よくわかりませんが、最初は「熊野権現」だったようです。
拝殿を向かって左手から。
この石灯籠が大きいのです。
入り口まで戻りました。
御神紋。
独特というか……屋号みたい?
御朱印。
地元の氏子さんがたくさんいらっしゃって、これから賑わうのだろうな、という時間に御朱印をお願いするのがちょっと忍びない……と思ったんですが、平時は結構な早い時間しか受付していないようで。
三が日でよかったのか何なのか……。
さて。
そのものずばり、の文献がぱっと見つからなかったもので、今回はとりあえず、
○こちら===>>>
↑天白区の史跡散策路のHPから。
「祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命を始め九柱を祀る。創建不詳。この神社には、島田城主であった斯波高経(牧氏の祖)が貞治年間(1362から1367)島田城を築くにあたり、城の鬼門除けの守護神として熊野権現を祀っていた。明治42年池場の神明社、八幡社、天神社を合祀の上、さらに黒石の山神社、天神社を合祀し黒石に移る。大正12年現在地に鎮座し、同15年天神社、秋葉社を境内に祀り、名称も島田神社と改めた。」
さっきから登場している、黒石という地名がどこなのかよくわからないんですよね……池場はなんとなくわかりますが……。
どうも、この辺りのことを真剣にやろうとすると、斯波氏とか調べないといけなさそうなので、今回はちょっとスルーでお願いします……(記事が先に進まなくて……)。
ただ、村社なのに『名古屋市史』をざっと見ても掲載されていなかったんですよね……例の当時はまだ名古屋じゃなかったオチですかね……うーむ。
というわけで、高速初詣その2の開幕〜。