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神社仏閣ラブ(弛め)

「王子神社」(補)

さて。

 

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大日本名所図会. 第2輯第5編 江戸名所図会 第3巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑お久しぶりねの『江戸名所図会』です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

264コマです。

 

「王子権現社
飛鳥山の北の方、音無河を隔ててあり。
本殿 祭神 伊弉冉尊 左速玉男命・右事解男命 三神鎮座。
社記に曰く、若一王子社は、紀伊国熊野権現を勧請す。後醍醐天皇の御宇元亨年中豊島何がしの主とかや、新に祠宇を建てて崇めけるが、風霜ふり、歳月深うして、朝の霧は香を焚くかとあやしみ、夜の月は燈を挑ぐるに似たり。霊神は人の敬ふによりて其威をまし、境致は霊神の徳によりて其名を顕す。つらつら此神の本を尋ぬれば、伊弉諾伊弉冉の尊と申す二柱のみこと、国土をうみ、萬の物をうめり、其広大の功徳既に成りて後、伊弉冉尊神退りましければ、紀州熊野の有馬村にをさめまつる。熊野大神是なり。此神を祭るには、春は花をもて祭り、鼓うち、笛吹き、旗立てて、諷ひ舞うて祭る。白河院の御製に、『咲き匂ふ花のけしきを見るからに神の心ぞ空にしらるる』とよみ給へるは、花しづめの事なるべし。此神の御子を熊野早玉男とまをす。其第二を泉津事解男と申す。延喜の帝の御時、諸国の神社を記されしに、紀伊国牟婁郡、熊野早玉男神社とあるは是なり。此故に伊弉冉尊・早玉男・事解男、是を熊野三所権現といひならはせる事になりぬ云々。
按ずるに、当社縁起に、元亨年中豊島氏、新に祠宇を建てて崇めけるよし記せり。当社別当金輪寺に収る所の大般若経の奥に、文保二年とあれば、勧請は文保より以前にして、元亨に初て社を営みしならん。小田原北條家分限帳に、王子領、江戸上平川・下平川・牛込の内にて、以上二十八貫八百六十文の地を附すとあり。」

 

ええと、まあ、ほとんど熊野の本社の話ですね……。

 

「祭礼 例年七月十三日にして、十二番の拍板あり。此日王子村の童子、手毎に竹の鉾を持ちて警固す。祭終つて後、参詣の貴賎彼鉾を携へて帰り、火災盗難を除くの守護とす。是も古よりの習俗とぞ聞えし。其外一季七十餘度の祭祀、連綿として、国家安寧五穀豊饒の祷怠慢なし。
本地堂 本社の左にあり。弥陀・薬師・千手大悲を安置せり。
若一王子宮 本社の右にあり。新宮天照大日孁貴尊を鎮る。
飛鳥祠 同所に並ぶ。祭神は事代主の命なり。元亨年中豊島左衛門なるもの勧請す。始は飛鳥山にありしが、寛永の頃、台命に依て当社の境内に遷座す。
康家清光社 同本社の左にあり。是豊島太郎康家・同権頭清光父子の霊を鎮る。其餘末社多しといへどもここに略す。
(略)
当社はすべて紀州熊野山の地勢を写し、前に音無川の流をうけて、風色真妙なり。花の時は花をもて祀るといへる神慮に因るにや、社頭に多く桜樹を植ゑて、春の頃は境内殊に観賞あまりあり。亦冬月雪の眺望も、他に勝れたり。」

 

241コマには図絵が掲載されていますが、現代の様子とはかなり違っていて驚きます。

ざっと見る限り、楼門から舞台(舞殿かな)、本社とありまして、境内には本地堂、鐘楼、荒神若一王子、白山・八幡・蔵王、氷川、冨士、山王、番神天満宮、康家・清光、聖宮、などあるんですが、本社の後ろが石垣になっていて、向かって右手に「大神宮」、左手に「東照大権現」とあります……この構造がなかなか謎で……まあ「東照大権現」はわかりますが、「大神宮」ってなんでしょ……本社に「熊野三神」がいて、「若一王子宮」は「天照大神」だと言っているのですから、それ以上の大神となると「伊弉諾尊」くらいしか思いつかないんですけれど……配置がね。

あ、単に「伊勢神宮」の遥拝所って可能性もありますけれど。

それにしても、明治になって、准勅祭社に選ばれる理由がわかる大きさです。

豊島氏以前のことはよくわからないんでしょうねきっと……現在は「槍祭」と呼ばれている祭礼も、何故「槍(鉾)」なんでしょうか……これは、熊野の本社と関係があるのか(淤能碁呂ごろごろ〜の「アメノヌボコ」でしょうか)。

徳川吉宗」が桜を植えた、というのも『江戸名所図会』では触れられていないわけですが……「鎮花祭」って「大神神社」だけのものではない、んでしたっけ、「白河天皇」の御製にあるようなものだとすると、熊野でも行われていて、それを再現するために八代将軍がんばりました、ってことなのか……「花の窟神社」と関係ありますか?

ううむ……江戸も熊野も、ちょっと勉強が足りませんが、中世の関東地方の知識なんてもうすっぽり抜けてますし、熊野は行きたい行きたいと思いながら、名古屋からは微妙な距離なんですよね……できれば一泊したい……時間がなかなかないもので……本もろくに読めやしない……。

おっと、そうだ、これでおそらく、「東京十社」を制覇(?)したような気がします。
どうしても、出かける頻度として東京が多いので、その周辺を巡っていますが、そろそろ北陸とか行きたいなぁ……ますます時間とお金がね……。