べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「物部神社」(名古屋市東区)(再)

6/10。

近在で、そういえば最近行ってなかったなぁ、と思いまして、「物部神社へ。

 

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「物部神社」(補・「高牟神社」) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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正面。

 

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手水鉢。

 

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拝殿の狛犬さん。

ときどき見かける、この口が赤い狛犬さん、これがそれなりの作法に乗っ取ったものなんでしょうか。

昔は、どんな狛犬さんも、色を塗る感じだったのか……。

 

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こちらは境内摂社の「物部白竜社」、の狛犬さん。

 

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由緒。

 

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「物部白竜社」全景。

 

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社標。

 

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境内から「物部白竜社」方向を。

 

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境内摂社「物部天満社」の牛さん。

 

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「物部天満社」全景。

 

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他摂社と狛犬さん。

 

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同じタイプの狛犬さんが並んでいて、ちょっとしたトリックアート。

 

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こちら「大黒社」の、「大黒」様、と狛犬さん。

えらく漫画チックな狛犬さんで、よろしいのではないかと。

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 上編

 

式内社、ということなので、『神社覈録』をみておきましょう。

409コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

物部神社
(略)○祭神宇摩志麻治命、府志○古井庄古井村に在す、俗石神堂と称す(略)

集説云、在高牟神社西北崇一巨石為神霊、古有祠荒蕪者歟、元禄中故権中納言綱誠卿新建社、姓氏録、物部氏有神別皇別二種、物部首、天足国忍人命之後也、物部連、饒速日命之後、而與尾張氏同祖也、文徳実録曰、斉衡二年十二月、大僧都傳灯大法師位實敏、姓物部氏尾張国愛智郡人也、云々、当知当郡昔日有物部氏人、当社蓋其氏神祠歟(以下略)」

 

……前回の記事で、神社の由緒を読んでいただければわかると思いますが、「大きな石」(磐座?)を信仰していた、その痕跡に新たに祠を作ったものが、「石神堂」と呼ばれていたのだけれど、どこかで「物部神社」と呼ばれるようになったらしいです。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

お久しぶりね、の『尾張名所図会』ではどうなっているのか、というと。

274コマです。

 

物部神社 俗に石神堂といふ。建中寺の東南、車道の東にあり。自然に地より出でたる一巨石の上に社をたてたり。[延喜式]に愛智郡物部神社、[本国帳]に従三位物部天神とあるこれなり。祭神宇麻志麻知命。古社は荒蕪衰廃せしを、現六年中、国君祠を重修し、石碑を立てさせたまへり。

物部郷 [和名類聚抄]に愛智郡物部とあるは、何れの地なるにや今定かならねど、物部神社の近くあたり其旧地なるべし。」

 

『和名類聚抄』に「物部」の地名がある、それがどこかはわからないが、「物部神社」の近くだろう、と『尾張名所図会」では言っているのですが、そもそも「石神堂」と呼ばれたものが、『延喜式』で「物部神社」と呼ばれたものなのかどうか、がよくわかりません。

ただ、名古屋市北区の「味鋺神社」しかり、物部氏の系統の勢力が、濃尾平野辺りに広がっていた、という痕跡は見られるので、「物部神社」があっても不思議ではない、と。

延喜式』の時代、「氏族名+神社」という呼称が結構観られるので、物部氏が特別だったわけではない、と同時に、氏神ととらえられるほどに地方に根をはった、という意味では、中央からしてみれば「大した影響はない」と考えたのかもしれません。

なかなかなインパクトですよね、「物部神社」って。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

尾張志』も観ておきましょうか。

3コマです。

 

物部神社
古井村にまして石神堂と称す大なる石を神霊と崇祭る故にこの号あり 延喜神名式に愛智郡物部神社本国帳に同郡従三位物部天神とある是也とそ扨物部といふ舊はモノノフベといふ意モノノフとは武勇職を以て仕奉勇士の通称にて部とは其群を総呼名也 かくて姓名とも致命ともなれり此處は致命にて和名抄に愛智郡物部と見えたる郷なり されとも彼抄に載られたるはいとふるき郷なる故に既その名廃れて今の世に存らぬたぐひ諸国にいと多あり此處も其定也また物部氏は神饒速日命の後にて其類族甚だ多し精しくは姓氏録及天孫本紀を見て知べし(略)」

 

この時代「モノノフ」といえば、ももいろク……あ、なんでもないです……まあ、やっぱり大きい石を祀っていた祠があった、というのは事実のようで、それが古代の磐座なのか、あるいは古墳の石室のものだったりするのか……さて、どうでしょう。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

これもお久しぶりの『名古屋市史・社寺編』も観てみましょうか。

183コマです。

 

物部神社
物部神社は愛知郡千種町字北浦(もとは古井村)に在り、境内五百四十八坪あり、俗に石神堂又は山神ともいふ、延喜式神名帳愛知郡の部に物部神社あり、国内神名帳従三位物部天神あり、張州府志、本国神名帳集説、寺社志、加藤博庸の祠碑文(天明七年◼︎、今境内に在り)、尾張志等は略、之を本社に充て、尾張国地名考は此説を誤なりとし、尾張国式社考草稿は之を疑問に附せり、垂仁天皇の御代始めて社殿を造営すといふ、元禄中藩主綱誠(泰心院)重修遷宮す、明治初年式内に治定し、尋いで村社に列せしが、(略)今、無格社たり、祭神は宇摩志麻遅命なり。
略……『張州府志』を引用して、「神武天皇」がこの地の凶魁を打ち、巨大な石を国の鎮めとした、という由緒が書かれている……

殿宇には神殿、社務所等あり、例祭は秋の山の講、春の山の講、及び四月六日、七日なり、(以下略)」

 

さすが、いくつも文献を引用しているだけあってまとめのようになっていてありがたい。

神武天皇」云々、というのは牽強付会で、巨石信仰があっただろうことは日本中そうなので疑いなく、となると結局は、「物部神社」にしろ「物部郷」にしろ、(『延喜式』や『和名抄』当時の)場所がはっきりしないことには、「石神堂」が「物部神社」なのかは同定できない、ということですかね。

仮に「物部神社」だったとしても、俗称「山神」とも呼ばれていたということですし、お祭りが「山の講」になっていて、「物部神社」っぽさ(物部氏氏神としての側面)は失われていると考えるのが自然かな、と。

 

 

 

で、多くの郷土史家のかたが、多分頭を悩ませるのは、延喜式』にはですね、愛智郡と春日部郡に、「物部神社」と「高牟神社」、という同じ神社名が並んでいること、ではないかと思います。

いえ、同じ国内に同じ名前の神社がある、という例は他にもあるのでしょうけれど、隣同士の郡で、それも二つですからね……

 

 

 

……おっと、鋭い人はもうお分かりでしょうか、そうですね、「どっちかが最初にあって、どっちかは勧請した」、というだけではないのか、それほど悩むことなのか……

 

 

 

……いや、まあ実際そうなんだろうなと思いつつも、こういう些細なことで悩んで楽しむのが陰謀論……じゃない古代史のロマンってやつで……。

いえ、私も不勉強なので、そのことに関する論考など読んでいません、ひょっとすると何か文献的に確認できる理由、が見つかっているかもしれませんので、いずれ考えてみたいと思います。

 

 

 

あ、御朱印はいただけると思いますが、前回は書き置きのもので、今回はいただいておりません。

特に理由はないですが……何か急いでいたのか……(もう思い出せません)。