べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「闇之森八幡社」(中区)

8/1。

夏、本番です。

かといって、今年はとりあえずひたちなかまで遠征するのをやめましたので(?)、近所をぶらぶらしようかと。

というわけで、「闇之森八幡社」に。

「くらがりのもり」と読みます(かっこいー)。

 

○こちら===>>>>

www.facebook.com

 

あ、Facebookだった。

 

闇之森八幡社 - Wikipedia

 

wikipediaでご勘弁ください。

 

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離れたところに車を止めて、北から歩いてきたら、右手に朱塗りの鳥居が。

 

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そういえば、森があるだけに、神社ってセミの幼虫が出てきたあとが多いですよね。

 

「空蝉の 力強さに おののく子」

 

昔詠んだ気がします。

 

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正面。

「名古屋十名所」の一つです。

 

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「白山神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑の記事の下の方で紹介しています。

大正13年に、新愛知新聞社が選定した、らしいです。

 

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祭神は、応神天皇仁徳天皇神功皇后である。江戸時代の書「尾張志」では、創建を源為朝としており、本殿の西に為朝使用の武具を埋めたといられる鎧塚が残っている。

享保十八年(1733)、ここでおきた心中未遂事件を題材にした浄瑠璃「睦月連理𢢫(むつまじきれんりのたまつばき)」(※最後の文字が表示されない場合は、「椿」の下に「心」だと思ってください)が上演され、名古屋中の大評判となった。」

 

「鎮西八郎為朝」が何故こんなところに神社を創建したのでしょうね。

ま、名古屋は「源頼朝」が生まれたところ、とも言われていますので、源氏由来の伝説があってもおかしくはないのかもしれません(というか、そんなの全国にありますな)。

なぜ「源為朝」が創建した、ことにしたのか、に興味があります。

 

あ、似たようなところがあった。

 

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下中八幡宮(しもなかはちまんぐう) - べにーのGinger Booker Club

 

↑中村区の神社です。

どうやら、名古屋に共通の伝承なのか、一つの伝承から派生して、「うちもうちも」になったのか。

そのあたりはよくわかりません。

 

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鳥居と蕃塀。

 

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内側の鳥居。

木々が多いです。

 

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「浄闇の杜で特別祈祷

闇の森八幡社は御鎮座850年(平安時代1163年以前)をお迎えになられる由緒ある神社であります。御祭神応神天皇(十五代)で国家鎮護、成功勝利、悪病災難除去等の諸祈願成就で廣く信仰を集めてきました。そして母である神功皇后は月読之神の御神託応神天皇を懐妊したまま朝鮮半島新羅に遠征し平定の任にあたられた鎮懐石の神話が有り以後安産の神として讃えられ子宝、子育の聖母神として崇められ生命の源である力強さで総べての病を癒す深い信仰が生まれお二人方を御一緒にお祀りすることで漲る力を戴くことが出来る。(略)」

 

やはり、昼尚暗き森、というのがこちらのお社の特徴のようです。

 

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拝殿。

妻入です。

 

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順番間違った。

狛犬さんたちです。

ユーモラスなかたたち。

 

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本殿を横から。

尾張造っぽいですが、こんなに密着していましたっけ。

 

境内摂社にまいります。

本殿右手に、「福守稲荷社」。

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その、さらに右手……だったかな……に「奥の院」。

 

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 東側の鳥居。

 

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 由緒書……ですがなかなか読めません。

 

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……あれ、こちらはなんだったっけな……。

 

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 神楽殿。

 

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神馬。

 

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続いて、本殿左手。

絶妙に幣が隠して神社名が読めません……。

 

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左手からの本殿。

 

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北側入口。

 

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苔むした手水鉢。

 

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「山神社」。

 

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源為朝」の鎧塚。

埋まっているんでしょうか……(いた、かな?)。

 

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鎧塚の由来。

翻刻がほしい……。

 

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「尾頭神社」。

 

○こちら===>>>

「住吉神社」 - べにーのGinger Booker Club

「須佐之男神社」&「尾頭橋神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑このあたりで紹介していますが、「尾頭橋」とか「尾頭町」がわりと近くにあるのでこちらも……あ、しまったそうか、「須佐之男神社」&「尾頭橋神社」の記事で紹介していますが、「「源為朝」の子供という言い伝えのある「尾頭義次」」という人がいらっしゃったのでした。

こちらの「尾頭神社」もおそらくその関係ですね。

 

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テニスボールが。

 

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「楠黒龍神社」。

 

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「当社は樹齢千数百年を経し楠の老樹に宿り給ひその霊威灼然なる雌雄(男女)二体の黒竜様を奉斎する社にして昭和十三年神雷此の樹に天降り給ひて今は楠の岩根を残すのみといへども、其の後御姿を拝せし氏子人の語るところによれば男女二体の黒竜様坐し坐し此の社に祈念せば必ず入学出来る由 亦男女二体の神御鎮座さるるに起因して縁結びの神と信仰せられその円満相よりして商業繁昌の神と慕はれ信仰する者跡を絶たず楠黒竜社の御復興申上げ灼然なる御神徳の一部を記載して由緒とするものなり。」

 

……結構新しいのかな。

 

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正面鳥居を入って左手、「弁天社」です。

島ですから。

手すりも赤いのば芸細ですが、渡れないですよ多分。

 

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正面鳥居入って右手。

露出の関係ですごい色になっていますが。

 

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秋葉社、香久土社」、「熱田社、天王社」、「春日社」。

秋葉社」と「香久土社」は、むしろ習合したほうが早いんじゃないのか、という感じがしますね。

もともとは別々に祀られていたから、しかたないのか。

 

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「境外社」……の、え? 何?

 

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「蛇形の藤」、だそうです。

季節が終わってるから、何のことやら。

 

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社務所の前から、拝殿。

 

おまけ。

少し歩いたところに、

 

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「榎白龍明神」。

伊勢山中学の東側、だったかな。

おそらくかつては、この辺りまで社地だったのが、いろいろと分断されたのでしょうね。

今も木々は豊かですが、とても「くらがりのもり」ではないですから。

 

さて。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑からの引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

93コマです。

 

「闇森八幡宮
古渡橋筋の北側にあり。祭神 応神天皇神功皇后なり。又鎮西八郎為朝の霊を合せ祭るともいふ。永正十八年鶴見道親以下六人の僧俗、力をあはせて重修す。元禄の頃、石黒某が母
その昔植ゑにしきぎの年を経て月さへもらぬくらがりの森
とよみしごとく、今も古木森々として、白昼もをぐらき神祠なり。
末社 春日社・稲荷社・神明社・弁天社。
例祭 二月初午。烏祭十一月初辰。」

 

あっさり……図絵もあるのですが、森しか見えません。

神社でいただいた由緒書によると、

 

平安時代後期頃(1164)当地に御鎮座になられ、平成26年に御鎮座850年を迎えました。当社には二条天皇の御宇(長寛年間1163〜65)石清水八幡宮を勧請し、尾張藩の「張州府志」には「闇之森社は古渡に配祀する。祭神応神天皇神功皇后仁徳天皇で、俗に若宮八幡宮とも称する。また鎮西八郎為朝の勧請とある」と記されています。その後、永正7年(1511)室町時代に市部荘総鎮守として永正11年(1515)には鶴見直親・鬼頭源氏等により重修されたと記されています。時代は下がって織田信長の父、織田備後守信秀が古渡城築城の時には領内守護として、天文11年(1543)には社殿の修築がなされました。江戸時代になると、尾張藩主初代徳川義直が名古屋に入府以来、特に崇敬され、享保9年(1725)には6代目藩主徳川綱友が市川太郎左衛門尉近長に命じて社殿の改築をなさっています。明治時代になり徳川義禮は石垣修築の献金をされ、本社南の第一鳥居は徳川義親直筆による弊額が掲げられています。当社はこうした歴史により、昭和6年(1934)12月に社格も郷社と昇格になりました。以来幾多の戦火や変遷を経て今日も変わることなく人々の崇敬を集めています。」

 

とあります。

なるほど……と、歴史はとりあえずおいておいて、最初の案内板にあった、

 

浄瑠璃「睦月連理𢢫(むつまじきれんりのたまつばき)」

 

というのが気になったので、国会図書館デジタルコレクションを漁ってみたのですが、残念ながら発見できず。

 

○こちら===>>>

nagoya-namo.jp

 

↑が非常にすっきりまとまっていたので、ご覧ください。

要約すると、

 

「1733(享保18)年11月頃、闇之守八幡社境内で、畳屋・喜八と遊女・小さんが心中未遂事件を起こす。

心中は御法度、失敗した場合には三日間晒し者にした上で身分を落とすのがご定法。

しかし、当時の徳川藩主は七代宗春公。

二人は晒し者にはされたが、許されて親元に帰され、そのあとで結婚した、という」

 

という事件です。

これを基にして作られた浄瑠璃なので、おそらくハッピーエンドなのでしょうけれども……となるとますます原文が読んでみたいですね。

鶴舞図書館かなぁ……。

いずれにしても、「宗春公のおかげ」、というのがまたなんともできすぎた感じがします。

心中先に選ばれるくらいに、森が深かったはずだろうに、どうして助かったんでしょうね。

 

 

 

 

ああ、深読みはいけません。

ロマンはロマンですから。

 

 

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何度見ても、名前が素敵です(ばちかぶりめ)。