べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「泥江縣神社」(中区)

5/14。

天気も良いし、近場をぐるっとしてみよう、ということで、まずは「泥江縣神社」へ。

 

とりあえず、紹介するウェブページがない、という珍しい展開に。

 

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ずっと「どろえ」だと思っていたのですが、「ひじえ」と読むのです。

 

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「泥江縣神社

祭神は、応神天皇神功皇后と三女神。尾張本国帳には、「泥江縣天神」とある。

社伝によれば、清和天皇の貞観元年(八五九)に、豊前国宇佐(大分県宇佐市)の八幡宮の分霊として勧請したという。

当時は、八丁四方の広大な社域を有したが、慶長の検地・町割、戦後の道路整備等で減少してきた。天正のころから広井八幡宮と呼ばれ、藩主を始め広く民衆の崇敬を集めた。七代藩主・宗春のころには、境内に芝居小屋も作られた。

祭礼日は、神輿が傘鉾を従え、丸の内一丁目の白山社へ渡御し、山車も出たという。」

 

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道標。

明治の年号と伊倉町の文字があります。

 

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石灯籠いろいろ。

 

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正面から。

街中、という感じが伝わるかと思います。

 

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さざれ石。

 

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天保の年号の入った……百度石かな……。

 

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狛犬さん。

 

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扁額。

「八」は、鳥の向かい合った姿で表現されています。

 

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拝殿正面。

 

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由緒書。

最初の案内板とほぼ同じ。

「昭和二十年三月十九日の戦災で烏有に帰し」「昭和四十一年不審火に依り再度消失した」とのことで、社殿が新しいのもうなずけます。

ご苦労なさっている。

 

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社殿の向かって右奥に、「錦稲荷社」。

名古屋栄の繁華街といえば、いわゆる「錦三」、錦三丁目ですが、この辺りも錦なのです。

 

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こちらが……御神木だったと思いますが、どういった謂れでお祭りされているのかが、とんと思い出せません。

木の皮っぽいですね……安産の神様のようですから、胞衣とダブらせているのか……。

 

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社殿向かって左手には摂社が。

この感じを見ていただければ、いかに社地が削られていったか、何となく想像ができます。

 

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狛犬さん。

ちょっとポップな造形です。

 

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摂社のうちでも一位と思われる「蛭子社」。

 

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え〜……現代では差別用語になっている言葉がどどんと。

歴史的表現ということを踏まえて、お読みください。

「エビスさま」は耳が遠い、という話はどこかで聞いたなぁ……と思ったら、

 

○こちら===>>>

「稲荷鬼王神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑新宿の「稲荷鬼王神社」の神職さんからうかがったのでした。

関西の「エビスさま」は耳が遠いので、音を出してからお参りするのだ、ということです。

拝殿前の鈴も、そういった役割(参拝にうかがった、と神様にお知らせする)があるのでしたっけ。

私、ほとんど鈴を鳴らさないもので……。

 

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愛嬌のある、というか……。

 

○こちら===>>>

www.obakusan.or.jp

 

↑で見られる、木魚の原型(開梛/かいばん)に似ています。

あちらは「布袋さま」ですが……お魚ということで「エビスさま」に結びつけたのでしょうね。

 

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「蛭子社」の向かって左に、「菅原天神社」「秋葉社」「住吉社」。

 

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向かって右に「五條天神社」「金刀比羅社」「八神社」「楠社」。

 

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そのさらに右に、「大楠公」の碑と……楠?

楠木正成」のことですね。

 

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摂社の向かいにあるのが、「昇龍見返り楠」という御神木。

見事な姿です。

 

御朱印はありません(いただけるようですが、神職さんが普段はいらっしゃらないようで……神事の際を狙いましょう(?))。

 

さて。

 

簡単ではありますが、引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

↑より(114コマ)。

 

「廣井八幡宮
袋町・御園町の西の北側にあり。[本国帳]に従三位泥江縣天神とある是なり。
本社 祭神 応神天皇神功皇后玉依姫命
末社 神明社・熊野社・熱田社・洲原社・三狐神社・浅間社・兒御前社・恵比須社、其外小祠多し。また観音堂も一宇あり。
例祭 八月十四日試楽、同十五日祭禮、神輿材木町白山社まで渡御。延宝四年より車樂を出せしが、享保九年閏四月十三日の火災に、山車焼失せしより断絶して、今は近辺の町々より、傘鉾あまた渡すのみ。」

 

かつての広大さを思わせる末社の数々。

当時の例祭の様子が、今も再現されているようです。

 

続いて、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋

 

↑の12コマより。

 

「泥江縣神社
廣井八幡町に坐て八幡と称す 尾張国神名帳従三位泥江縣天神とある是なり 泥江を後に廣江と呼しが又うつりて廣井といふ也 舊は江といひしを後に井といふは当國葉栗郡玉ノ江を玉ノ井 愛智郡横江を横井 中島郡阿古江を阿古井といふおなじ例也 鎮坐の年月しらすれ社記に古称廣江明神応永以来至永禄梁牌末書八幡天正七年造替前後而称廣井八幡宮 とあり 祭神は中坐を応神天皇とし右神功皇后 左姫大神なりといふは八幡といふより出たる中世己後のさたなり
正殿 幣殿 廻廊 拝殿 神門 鳥居 額一面二品尊純法親王 摂社 神明社 熊野社 熱田社 洲原社 浅間社 三狐神社 兒御前社 辨才天社 稲荷社 戸隠社 住吉社 稲荷己下の三社はいと近世にまつる 遷宮応永二十六年三月永禄四年十月天正七年十月慶長十年八月寛永三年九月正保二年五月寛文二年五月貞享四年八月元禄十四年八月 例祭八月十五日材木町白山社に神幸あり車樂練ものなどありて供奉の行粧きらきらし 神主正六位上安井但馬守源重熙

 

「泥江を後に廣江と呼しが又うつりて廣井といふ」

 

「ひじえ」→「ひろえ」→「ひろい」と音が変わっていった、という説があるようです。

 

○こちら===>>>

「油江天神社」(名古屋市中村区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑でも書きましたが、「泥(ひぢ)」が「油」となったために「油江」という呼称が出た、と説もあります。

つまり、「泥江(ひじえ)」という言葉が古く、そこから訛ったり、間違ったりするうちに、「廣井」とか「油江」とかになっていったんじゃないか、ということですね。

尾張国神社考』(津田正生編/ブックショップ「マイタウン」発行)によれば、

 

従三位泥江縣(ひぢえかた)天神

[瀧川弘美曰]集説に袋町の西八幡宮といへるは取かたし [一人曰]上宿泥町(かみすくどろまち)に武島天神とて小社あり。上宿は神宿歟、泥(ひぢ)とどろと同。疑らくは此小社歟 [弘美曰]三津蔵筋御園町の邊に、乳花薬師と呼小堂あり村民は是也といふ。一説に堀切の西なる不動堂也ともいふ。二所ともに今社頭あらねど本地堂の遺るもの歟。後人なほ尋ぬべし。」(p113)

 

となっており、そもそも「廣井八幡」じゃないだろう、って言っているんですが、これは『尾張国本国帳集説』を書いた天野信景公に軍配が上がっている、ということなんでしょうか。

うーん……。

字面で考えれば、「泥江」は「泥の(沈殿したような)川、水辺」のことですよね。

湿地帯か。

大きな河川の氾濫を受けていた場所か。

それに続いて「縣」とあるのが、もし「かた/がた」だったとするなら、「縣」は後世になってあてられた文字で、本当は「潟」なのかもしれないです。

「ひじえかた」。

うーん……でもこれが「廣井」になるのかなぁ……。

古くから存在する神社であれば、水辺にあって不思議ではないので、そんな場所を探してみると、もともとの「泥江縣天神」が見つかるんじゃないでしょうか。

まあ、偉い人たちが探していらっしゃると思いますけれども。

 

ここからしばらく、西区をぶらぶらしてみました〜、の続きはまた次回。