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「豊国神社」への参拝を終えて、せっかく中村区まできたので、とぶらぶら。
比較的近くに「油江(あぶらえ)天神社」がありました。
……。
え〜、公式なサイトやブログが見当たらなかったもので……なかなか珍しい名前なので、あっても面白いのですが。
中村区は、名古屋駅周辺を離れると、下町風情が残っており、そんな街並みの中に溶け込んでいるお社です。
樹が立派ですね。
「歯痛・腰痛・ に霊験あらたか
祭神・薬の神様・少彦名命
神話では大國主命と協力して國土開発に当たつたとされており一般には「医薬の神様」として親しまれてきました。この神社では特に歯痛に霊験あらたかとされています。明治時代に「尾張國愛知郡誌」はこの神社を取上げ次のように紹介しています。
「今歯痛アレハ此社ニ油ヲ供シテ祈願ス。必ス霊験アリト云フ油壺社前ニ堆積ス」
かつては多くの人が菜種油を奉納し油を塗って痛みの去るのを願ったそうです。
古い話では郷土の武将織田信長公も歯痛の祈願をされたと言い伝えられています。
神社創建年代は分かっていまえんが「貞治三年」(一三六四)奥書の「尾張國神名牒」には「従一位上油江天神」と記されています。かなり古い神社であることは確かです。
時折市内市外ご遠方より家族が歯痛で苦しみこの神様に助けられたとお礼詣りにご年配者等お年よりも訪れておられる事実もございます。
今痛い個所あれば一度おためしあれ」
認識として、天神さまとはいっても「菅原道真」公の「天満宮」ではなく、「天神地祇」の「天神」のほうみたいですね。
村社でした。
子供が遊ぶには、ちょっと境内地が小さいかなと思いますが、いい風情です。
↑の案内と特に変わりません。
こちらも↑↑の案内と同じです。
「天罰はあなたです」
恐ろしいですね……。
拝殿。
そういえば、この辺りの古めの神社には珍しく、蕃塀がありませんね。
今も、菜種油の奉納があるようです。
拝殿を横から。
本殿は窺えませんでした。
手水鉢。
「漱水」と書かれています。
蓋には「水漱」ですが……横書きのように思われがちですが、これは一段組の縦書きなんですね(だから、普通の縦書き文書のように、右から左に読むのが正しいのです……ということを私も30代半ばまで知りませんでした)。
ざっとこじんまり。
さて。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑いつものようにこちらから引用を(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
261コマです。
「油江天神社
同村の東二町ばかりにあり。[本国帳]に従三位油江天神とある是なり。今土人油天神といふ。」
あっさり……「歯痛」とか「油を供える」とか、結構面白そうなワードだと思うんですけれどね。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡
↑こちらも引用を。
6コマです。
「油江天神社
上中村にまして今は油の天神と称す 本国帳に愛智郡従一位油江天神 元亀本正四位とし明応本従三位上とし貞治本従一位とし一古本に従三位とす とある是也 油江はここの地名なれとも今は廃れて此社号にのみ残れり 当社に寛永八年五月廿五日かける棟札あり それに南無天満大自在天神之御社とあり かの本国帳に某天神と書るは神階によりて名神天神地神と差別ある三等の名目なる事をも辨へす天神といへは皆菅神とこころ得あやまりて式内帳内等の官社を菅家とあてたる類国中甚多しよく考へわくへき也 此棟札を見てゆくりなく菅天神に思ひあやまる事なかれ かかれは今世にさたする祭神と云ものの故縁ありけにきこゆるは却て近世の好事の人の考へ充たる新設にて信かたく式内帳内の明證ともなるべき社記棟札なともたえてなきよしもあらねは近世のさかしらともすれば相交りて実に正しと見ゆるたぐひはいといとまれ也」
『尾張國本國帳』での位階がまちまちなのは、正式なものではなかったからなのか、上がったり下がったりしたのか。
「菅原道真」公、つまり「天満大自在天神」の社と書かれた棟札があるけれど、それはまちがっている、といったことが書かれていますね。
ここでも「歯痛」と「菜種油」の話はなし、と。
ご祭神もはっきりしていなかったのか、ただ「菅原道真」公とは違う「天神」だ、としかないですね。
うーむ……。
『尾張国神社考』(津田正生著/発行ブックショップ「マイタウン」)によれば、
「従三位油江天神
一本無此社又一本作泥江 又 [集説云]上中村天神歟 村東二町餘 油は泥の誤字なる歟、或は重出歟 [正生曰]愛智郡の本國帳は、尤誤おほければ然るべくおほゆ。」
『尾張神名帳集説』という、天野信景翁の書いた本を、最近まで式内社だけを載せているものだと思っていたのですが、どうも『尾張國本國帳』に掲載されている社にも言及しているらしく。
その訂正本でもある『尾張国神社考』でも、式外社が扱われていて当然ですね。
その扱いは寂しく、ご祭神はなく、油江の話もないみたいですね……こりゃ『尾張神名帳集説』を見てみないといけないのか。
『尾張国愛智郡誌』は見つからなかったもので……。
「油」という字がつく神社は結構珍しいと思うのですが、津田正生翁的には、「油は泥(ひぢ)の間違い」ということのようで、実際「土江」とつく神社、「泥江」とつく神社が市内にはあります。
地名が「油江」だったから、「泥江」と混ざってしまったのか。
やはり単なる誤りだったのか。
しかし、「油江」という地名があったのは確かなようで、そこから「歯痛に菜種油を供える」という信仰が始まっているのだと思います。
比較的新しい、と(昔は、菜種油とはいえ貴重だったと思いますので、お供えできるようになるのは近世なのかな、と)。
しかし、油なんか備えたらね……危ないと思います。
いずれ「泥江」「土江」の神社にもお参りしたいと思います。