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西区とか言っておいて、中村区ですが。
「泥江縣神社」の近くに駐車場がなかったので、ちょっと離れた場所に止めたら、その駐車場のすぐ側に「神明社」があったので、そちらへ。
○こちら===>>>
↑の(4)です。
旧社格は村社。
こちらも街中にありますが、「泥江縣神社」よりは下町というか、住宅街でした。
鳥居の隣の軍人さんの像が気になって……「還らざる社頭の勇姿を偲びて」……戦死されたようです。
ちょっと写真の順番がぐちゃぐちゃですが、
拝殿と狛犬さん。
狛犬さんはシンプルな意匠です。
超詳細な栞が貼られていました。
「神明社の栞
(略)
神社名 神明社(旧社格指定村社、現社格八級社) 豊国神社と同級社
祭神 天照大御神
例大祭 十月第二土曜日・日曜日
(略)
由緒 此の地もと廣井村四間道と称し勧請の年月日不詳といえども、廣井村神明記に依れば「寛文三年(1663)九月修造とあり是より前は修造年月相知れ申さず」と見へたり。其の前より斎ひ祀りありしこと明なり。後、貞享元年(1684)十一月修造、元禄十三年三月類焼、同年九月修造、明治初年(1868)村社に列せられ、明治二十六年十月修造遷宮す。明治四十年十月二十六日神饌幣帛料供進指定神社となり祭禮毎には山車四輌引出し極めて盛なり。昭和八年隣接地を買収して御造営計画中戦争の為見送り、幸戦禍を免れしが、昭和二十九年九月御本殿改築、拝殿新築等造営移築工事、昭和三十年十二月二十五日、愛知県神社庁に等級昇級願を提出(現等級十二級)昭和三十一年四月一日附にて八級に昇級の認証を得た。昭和三十三年九月社務所増修築して、現在御本殿、祭文殿、拝殿、神楽殿、手水舎井戸屋形、社務所、斎館、神饌所等完備し境内も整備、今日に至る。」
ひとまず本社の部分だけ。
寛文年間からあったことは確かなようで、350年の歴史と考えれば、十分古いです。
あまり逸話が残っていないのが残念。
石灯籠……あ、年代を写真にとっていない……んですけれど、星と桜っぽいので、戦前のものではないか、と思います。
「倉玉稲荷社」。
賽銭箱の隣に、宝珠が(おもかる石的に用いるのでしょうか)。
↑先ほどの栞より、
「稲荷社 祭神名 倉稲魂命(略)
由緒 不詳
総本社は京都の伏見稲荷大社で、主祭神は宇迦之御魂神、和銅四年(711)二月七日初午の日の鎮座と伝えます。宇迦之御魂(略)神は倉稲魂(略)命とも書きます。稲荷は稲生(いねなり)或は稲成(いねなり)の意味で、神像が稲を荷っているところから「稲荷」の字があてられたといわれています。稲(米)は食物の中心であり、食物は生命のもとでありますから、その「みたま」(魂)を宇迦之御魂神とたたえあがめているわけです。」
……う〜ん、まあ、お稲荷様の説明でした。
「倉玉稲荷社」の隙間から、本殿。
金属製の灯篭と狛犬さんが見えました。
神明造かな。
「倉玉稲荷社」から、境内を見てみました。
なかなか鬱蒼です。
拝殿左手にある摂社です。
手前の鳥居を奥に行くと、
「三社宮」。
こんな具合に三社並んでいます。
こちら「三社宮」の狛犬さん。
ちょっとパグっぽいですか?
↑の栞より、
「三社宮 祭神名 不詳
花車町字鎌倉の地主神と云ふ。」
……あれ、どれのことだろう……一番左の、朱塗りの社殿にしておきましょうか。
あと二社は「秋葉社」と「津島社」で……あれ、「津島社」が朱塗りの社殿かなぁ……。
「社宮司」「三狐」など、「ミシャグジ」系のお社かと思われます。
「三社宮」側からの本殿。
神明造でした。
こちらは、池に島ですから、はいそうですね「弁天社」か「厳島社」か、でしょう。
すごい。
ちゃんと体裁が整っています。
池、島、亀……いや亀はいいか。
↑の栞より、
「宗像社 祭神名 田心姫命(略)
由緒 氏神神明宮、辨才天社は慶長十五年(1610)十一月藤田民部、百姓屋敷を検地せられし時社内御除地を附らる。清洲遷府以前は八幡宮を氏神とする由いひ伝えり、これは廣井村百姓今の堀川東上原にありし時の事なるべし、其後船入江開鑿し百姓西田面へ漸々家を移せしにより神明宮を氏神とす祭事は正月、九月、両度執行す。八幡神主宰之(尾張徇行記より)」
うーんと……今ひとつ位置関係がわかりません。
とりあえず、「宗像社」のようです……あ、「田心姫命」は「市杵島姫命」のお姉さんですが……いえ、「宗像三女神」はいずれも水の神なので、誰が「弁才天」と集合していてもおかしくはないわけですが、なかなか珍しいのかも……。
これは、神楽殿かな……。
境内に「坤現不動」ということで、「大聖不動明王」がお祀りされています。
下の写真の、敷石ですが、
「大聖不動明王(坤現不動)こんげんふどう
昭和五十四年正面参道敷石中央に忽然と天降り給ひ、氏子を始め御神威を畏み慕う崇敬者等を諸事萬難より守護せんとの御指示あり(ちょうど参詣に来ていた○○○○さんが、その足をとられて動けなくなりました。世に云う不動金縛り)依って即時現在の位置に奉斎せり。」
というわけで(栞より)、極めて最近に顕現めされたようです。
不信心な私にははっきり見えませんが……不信心ですからね……。
もう一つ、参道すぐわきにある「天光龍王弁財天」。
こちら、白蛇がやはり「おもかる石」的に……いや撫でるのかな。
↑の栞より、
「天光龍神社(御神木椋の木霊神)
神明社のシンボルとも云ふべき樹齢八百年の椋の木はり。残念ながら枯れてしまいました。参拝者その木に手を触れ祈念す。」
とあります。
どこで「弁財天」と一緒になっちゃったのかがよくわかりません。
ここからは、ちょっとしたワンダーランド的な。
手水舎の瓦。
ぼろぼろですが、「神」の文字が。
東側の鳥居の前の石灯籠。
けっこうな大きさです。
御神木を横から。
枯れて、ばっさり平らに。
さきほどの石灯籠。
名古屋開府三百年の記念奉納のようです。
椋の木にあったと思うんですが、何しろ読めません……。
逆光ですが、右手が手水舎。
境内の、南東方向を写しています。
再び手水舎の瓦。
修繕できないのかな……。
正面から遠景。
あ、これは軍人さんの像の基部です。
こちら、東側の鳥居。
入れませんが。
外に出て、一周するときに発見。
境内の南西方向にありました。
なんのお社だか……。
境内のまわりをぐるっとしてみたのですが、他にシャッターチャンス(?)はなし。
さて。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋
↑の13コマより引用(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「神明社
廣井四軒道にあり天照大神を祭る鎮座の年月詳ならず
……いや、多分これだ、というだけで、実際のところはわかりませんです。
修造(遷宮)年月が大体あっていますから。
記述もこれだけ……。
それにしては、ワンダーランドでした。
古い、とか由緒ある、とかではない、なんといいますか、妖しい感じ。
「宗像社」がしっかり池と島で残っているところとか。
こういう空間が町の中にあると、なんだか嬉しいですね。
「三社宮」の辺りなんて、夜に来たら意味もなく怖いですよあれ。
御朱印はありませんが(いただけるのか?)、良いところでした。