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今度こそ西区、というわけで向かってみました。
そういえば、行ったことないなぁ、と思い出し、「円頓寺」を目指すことに。
あ、読みは「えんどんじ」です。
○こちら===>>>
↑名古屋ではなかなか有名な「円頓寺商店街」に面して門が開かれています。
「えんどうじしょうてんがい」と読みます。
どうしてお寺の名前と違っているのか……はよく知りません。
「長久山圓頓寺
日蓮宗。承応三年(一六五四年)普敬院日言上人により創建。当初は普敬院と称したが、圓頓寺と改められた。
本堂脇の堂には、子どもの守護神にと藩祖義直公の側室より寄進された鬼子母神像を安置している。名古屋城天守閣棟木の余材に刻まれたこの像は、毎月十八日に公開される。」
しかも、5月18日はご開帳法要が営まれるそうで……さすがに平日には来られません。
「鬼子母神講」の石碑。
お題目。
扁額。
本堂……と呼べばいいのか。
もちろん、中に入ってお参りはできますのでご安心を。
単に、お寺には尻込みしているので、これ以上近くで写真が撮れなかっただけです。
境内のお社。
多分、お稲荷さんだと思います。
おっと、「名古屋十名所」。
ええと……いくつかありましたね、いくつか巡っています。
パッと思い出せないのですが……。
○こちら===>>>
「白山神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club
「闇之森八幡社」(中区) - べにーのGinger Booker Club
↑自分の記事検索で引っかかったのは2つでした。
ぎゅっとしてみました手水鉢。
お寺でいただいたパンフレットによれば、
「【尾張家初代藩主】徳川義直さまと春姫さまの間にはお子様が授かりませんでした。そこで側室を取り、授かったのが【2代】光友さま。「跡取りが無事に産まれますように、すくすく育ちますように」と円頓寺住職にご祈祷を頼まれました。その折によりどころとされた御尊像が子育て安産の霊言あらたかなる鬼子母神様。このお像は名古屋城築城のために運ばれたたくさんの木材の一本を使って造られていると伝えられています。」
↑とあります。
○こちら===>>>
↑公式HPには写真もあります。
御朱印、いただけると思うのですが、住職さんに巡り会えず。
「鬼子母神」御開帳の日が狙い目なのかもしれません。
さて、「円頓寺商店街」を歩いていると、「金刀比羅神社」に遭遇しました。
○こちら===>>>
↑どうも、「名古屋弁おみくじ」で有名になったところのようです。
……さすがに、ちょっと読めませんが、御祭神が「大国主命」「須佐之男命」「加具土命」といったところはわかります。
ひっそり。
大国主命を主祭神として須佐之男命、加具土命を配祀として祭る。名古屋城築城当時より城内三の丸の重臣大道寺氏邸に祭られていたが、安政六年(一八五九年)この地に移された。
毎年十月十日は大祭が行われる。」
全景。
むむ……押し込められた感じが、ちょっと痛々しくも、コンパクトで可愛いともいえますか。
パンフレットによれば、
「約六十年ほど前、金刀比羅神社はもっと広い敷地で、狛犬もありました。そのご利益を求め、遠くからも参拝者がやって来たそうです。しかし都市計画によりその敷地は約三分の一となり、社殿なども改築されました。現在は小さな敷地となりましたが、春には桜の花が咲き、四季折々を感じることができます。」
とのこと。
地域の講のみなさんが支えておられるようで、「名古屋弁おみくじ」も振興のために考えられたそうです。
下町の商店街として「円頓寺商店街」が様々に紹介される中、こちらの「金刀比羅神社」も結構テレビに登場したりしています。
案外、有名になってきたのではないでしょうか。
これが、敷地の広いままだったらどうだったでしょう……未来はよくわからないものです。
「金」。
さて。
ちょっとだけ引用を。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会
↑『尾張名所図会』より、106コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
「長久山圓頓寺
五條橋通の西北側にあり。日蓮宗、京都北野の立本寺末。境内に鬼子母神堂ありて、毎月二十九日参詣群集す。
本尊 法華三寳。」
……以上です。
○こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋
↑一応、『尾張志』も(69コマ)。
「上畠裏町の北側にありて長久山と号し京都北野の立本寺末寺也承応三年の建立にて納屋うら町にありしを享保年中焼失の後同十年三月ここに移せり」
……以上です。
「金刀比羅神社」については、国会図書館デジタルコレクションでは見つけられませんでした。
「円頓寺」の公式HPでは、歴史を辿ることができますので、
○こちら===>>>
↑参考に。
名古屋大空襲で、かなりのものが焼けてしまったんですね……西区辺りは、周辺の工場と近かったでしょうから、空襲もひどかったのかもしれません。
ちなみに、「円頓」というのは仏教用語(というか天台宗の用語なのか)、『摩訶止観』に説かれる「円頓止観」(一気呵成に悟りに到達する)から取られているものと思われます。
が、仏教の思想的なことはさっぱり理解ができていませんので、「なんじゃそりゃ?」と思われたかたは、おのおの検索なり修行に入るなりしていただければ。
所詮は凡俗の蒙昧でございます。
さて、もうちょっとぶらぶらしますか〜。