べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「松洞山龍泉寺」(再)+「强巴林」(名古屋市守山区)

12/17。

年内に「尾張四観音」をめぐるべし、という御神託があったわけではないですが……守山区方面へ。

もちろん、「尾張四観音」最後の一つ、龍泉寺を目指しまして。

 

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「龍泉寺」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑前回はほぼ三年前の参拝。

お猫様天国だったなぁ……まだいらっしゃるのかしら……。

 

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四国八十八ケ所巡礼、だと思われます。

 

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参拝していると、縁起を発見。

あれ、前回も同じような内容を……ともかく。

 

「松洞山大行院龍泉寺
伝(熱田の宮の奥の院として創建)
本尊 厄除開運馬頭観世音
脇侍 大聖不動明王 毘沙門天
三剣(熱田の宮の八剣の内)

桓武天皇の御代延暦年間僧最澄(傳教大師)僧空海弘法大師)の創建なるも建造物は天正十二年兵火に全焼し慶長十二年七堂伽藍を再建したが、明治三十九年二月五日放火にて全焼(仁王門、塔を残す)
参拝の心得
拝禮し柏手を打つてお参り下さい
本尊御真言
オンアミリ トドハバウン バツソワカ

 

「伝(熱田の宮の奥の院として創建)」「三剣(熱田の宮の八剣の内)」

 

↑改めて、この辺りが気になりますね……。

 

「参拝の心得
拝禮し柏手を打つてお参り下さい
本尊御真言
オンアミリ トドハバウン バツソワカ

 

↑……これも「?」ですね、一見。

神仏習合時代を思わせますが……なかなかそういった寺社は残っていないと思います。

 

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何の絵なのかはわからない……宝船ではなさそう……。

 

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拝殿……あれ拝殿なのかな。

 

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「でんわ」はともかく「でんぽう」……レトロです。

 

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本堂の主瓦。
2015年に、本堂などの大改修が終わったのだそうです。
平成の大改修が、ここ十年くらいあちこちで行われていますよね……思い出す限り、「日光東照宮」でも遭遇、「香取神宮」でも遭遇、「松平東照宮」でも遭遇、「田縣神社」でも遭遇、岡崎「六所神社」でも遭遇……はぁ……文化財を残すためですので致し方ありません(が、遠方に出かけて遭遇すると、さすがにちょっとへこみます……事前に調べろ、と)。

 

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多宝塔。

確かに、美しくなっております。

 

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本堂遠景。

 

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仁王門。

 

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狛犬ならぬ、狛馬……などという言葉はありません。
そうか、ご本尊が「馬頭観音」だから、なのですねきっと。

 

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仁王門遠景。

 

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「龍泉辨財天」。
水は相変わらず枯れております。

 

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そして、お猫様遭遇!
一匹さんだけだった……ああ残念。

 

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御朱印
あれ、前と文字が違う気がします……いや、達筆に過ぎるだけか……。

 

さて。

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会


↑『尾張名所図会』の「春日郡下」より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
結構忘れがちなんですが、守山区は江戸時代には名古屋ではないし、愛智郡でもないんですよね。
103コマです。

 

「松洞山龍泉寺 吉根村にあり。天台宗、野田密蔵院末。延暦年中伝教大師、熱田宮に参籠して修法ありしが、ある夜童女一人来り、大師に逢うて告げて曰く、是より東北にあたれる地に龍泉あり、我は其池に住む龍女なるが、師の法恩をうけて、永く無生を證せんと思ふ、願はくは我為に一妙句をしめし給へと、かたりもあへず忽然と見えずなりぬ。大師其童女がいひしままに、跡を尋ねて当山に至りしに、山の西南に池ありて、其中より俄に浪を起し、龍女出現して大師にいふやう、前の日熱田にて契りまゐらせしに、今かしこくも尋ね来り給へる事、謝するに言葉なし、此上は我累劫の苦患を救ひ給へと請ひしかば、大師則法華一実の妙旨授けられき。龍女悦ぶ事かぎりなく、今より後旱魃あらば、必ず甘雨を降して、普く人民を救はんと誓ひ、終りて池に入りぬ。其池を多羅々が池といふ。扨池中より閻浮檀金の馬頭観音の尊像湧出して、側なる椎の木の梢に飛び懸り給へり。大師感喜の思をなし、茅堂をいとなみ、其像を安置せられしが、幾程なく本堂を造立し、(龍神威力を現じて造立せりといひ伝ふ。) 本尊と崇め、龍泉寺と名く。[沙石集]に、尾張国龍山寺は、むかし龍王の一夜のうちにつくりて供養せる寺なり。夜明けければ壍はほりさしたりとて、当時も其跡見え侍り。馬頭観音にて霊仏におはしますと見え、熱田の旧記に、当寺を熱田の神の内院とし、八剣のうち三剣を此地に埋めし故、今に至るまで印刻の観音の像の傍に、三剣を図するよしいへり。其後弘法大師熱田の神宮寺にて、本地供を百箇日修しけるに、日毎一人の童子来りて、樒と閼伽の水とを奉れり。大師あやしみて、童子が帰るを見送りしかば、此山の麓の多羅々が池に入りぬ。大師はじめて龍神なりける事をさとり、夫より結夏のあはひ、此山に十度参詣し、彼観音の金像を供養し、結願の日、熱田の榊を折り来りて、堂の南に植ゑ、当寺繁栄のしるしとせしとぞ。其榊枝葉茂りて、今に遺れり。此故に当寺を伝教・弘法両大師の開基とす。今百度の夏参をし、あるひは四月五日と七月六日と、此山に詣づる事は、ひとへに弘法大師の遺例によるものなり。今当国四観音のうちに列し、三十三観音の一所とす。中昔より度々の兵火にかかり、天正十二年長久手合戦の時、秀吉公の軍卒殿堂を焼きしかば、什宝旧記悉く失せたりしを、慶長三戊戌秀純和尚再興し、本堂・二王門・多宝塔を造立したりしより、むかしに倍して繁昌の霊地となれり。殊に近年は、開運厄除等の守札を賦与す。正月十八日又節分の日などは、諸人群参して札守を受くる、幾千人といふ数をしらず。
本尊 馬頭観音は上にいへるが如く、凡工の鎔鑄ならねば、霊験いちじるし。
多羅々が池 山内にあり。たららの名義解しがたし。たたらを誤り伝へにしや。たたらは周防国の地名にもあり、[海邦名勝志]にはたたらとかけり。考ふべし。
椎木 たたらが池の側にあり。むかし本尊観世音、此木の上に飛び上り給ひしよしいひ伝へし古跡なれども、中世枯木して、株のみ残りしを、天和年中の暴風にて吹倒れて、今は名のみ残れり。
榊木 堂の前にあり。むかし弘法大師夏中日参百度の結願に、植ゑ置かれしよしいひ伝へしが、是又枯れうせて其跡のみ残れり。
西国三十三所観音堂 近年の建立にて、山内所々に小堂をいとなむ。春の頃はとりわけ参詣多く、此堂を巡拝する者少からず。
当山は勝川の流れに傍ひたる山岸にて、書院及び本堂の後なる裏山より、西北の眺望いかばかりなく、西に金鱗の光あざやかにして、小牧山尾張不二・本宮山はさらなり、尾北をはじめ、近国の連山波濤をなし、近くは勝川の緑水清冷にして、曠野の平遠なる篠木の村落、枰面に石を下せるが如く、寸馬豆人の往来ふさままで、風光他に増りて、実に城東第一の絶景、雅俗帰路を忘るるの勝地なり。しかのみならず、此山は龍の御山とて和歌の名所なり。(略)」

 

龍神が池から出てきたので「龍泉寺」。

ストレートで素晴らしいと思います。

 

「熱田の旧記に、当寺を熱田の神の内院とし、八剣のうち三剣を此地に埋めし故、今に至るまで印刻の観音の像の傍に、三剣を図するよしいへり」

 

↑こんなことが書かれておりました。
「熱田の旧記」というと『熱田太神宮縁起』でしょうか……『群書類従』に入っているんですが、確認していないな……。

ざくっと検索して見たら、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 熱田旧記

 

↑そのままのが引っかかりました……内容をざっと見てみましたが、「伝教大師」と「弘法大師」は出てくるのですが、「龍泉寺」云々は見えなかったので(見落としの可能性はあります)、別の「旧記」なのかもしれないです。

伝教大師」も「弘法大師」も、「熱田神宮」へ参籠した、という伝承は、江戸時代までには有名になっていたようです。

現代人はあんまり知らないかも……。

尾張名所図会』、次のコマには絵図が掲載されているのですが、どうも、

 

「西北の眺望いかばかりなく、西に金鱗の光あざやかにして、小牧山尾張不二・本宮山はさらなり、尾北をはじめ、近国の連山波濤をなし、近くは勝川の緑水清冷にして、曠野の平遠なる篠木の村落、枰面に石を下せるが如く、寸馬豆人の往来ふさままで、風光他に増りて、実に城東第一の絶景、雅俗帰路を忘るるの勝地なり」

 

↑寺院がどうこうよりも、風光明媚なほうがお知らせしたかったようで(名所図会、観光案内の側面も大きいです)。

伽藍の絵図も残してほしかったな……。

いつも頼りの『尾張志』は、ほぼ同じ内容(字句まで……)なので、今回は割愛。

神仏習合をひっそり残した名刹です。

 

これで「尾張四観音」巡りは終了〜。

すぐに年も明けようというのに……年明けてからにすればよかったかな……。

 

せっかく守山区まで来たので、気になっていたところにも。
「强巴林(チャンパリン)」という、チベット仏教の寺院です。

 

○こちら===>>>

強巴林とは│チベット仏教│良縁成就・恋愛成就・人脈開運のチベット仏教寺院 強巴林

 

」は「強」の異体字なもので、環境によっては表示されていないかもしれません……。

 

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寺院内の写真はありませんが、チベット仏教の絵画が飾られており、エスニックでビビッドな雰囲気を味わうことができます。

設立の経緯などは、↑公式HPをご参考いただいて、日本ではなかなかお目にかかれないマニ車があったり、世界史の教科書でしかお目にかからない「ツォンカパ」師や「ソンツェン・ガンポ」師の肖像なんかも(確か)あったと思います。

ちょっと入りづらいですが、興味のある方はどうぞ。

修行をされている僧侶のかたが、簡単な解説と案内をしてくださいました……いつもしていただけるのかはわかりませんが……。

 

私は、中学生の頃に、チベットやネパールの仏教に興味がありまして(?)、それっぽい本も持っていました(がどっか行っちゃったな……)。

あちらの仏教はまた独特でして、「十二観自在」とか「へールカ神」とか、若干中学生には刺激の強い仏様なんかもおられますが、もうちょっと勉強してみようかな……。

昔、NHKスペシャルか何かで、今のダライ・ラマ師が、ポタラ宮で、砂絵で時輪曼荼羅を描く、っていうのをやっていた気がするんですが……これも記憶違いかも、です。

 

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御朱印
書き置きをいただきました。

 

さて、これで2016年分が……まだ終わっていなかった……高速初詣の記事は、夏頃になるかもしれませんです……。