1/6。
三河をせめるぜ、とかのたまいながら、さっそく尾張に返り咲く。
「深川神社」です。
◯こちら===>>>
「深川神社」(瀬戸市) - べにーのGinger Booker Club
↑過去の記事です。
鳥居。
摂社「深川奥宮稲荷」のおキツネさまったら、
おキツネさま。
おキツネさまったら、
おキツネさま。
おキツネさまったら、
おキツネさま。
なでこまいぬ。
陶器製の狛犬さんたら、
狛犬さん。
狛犬さんが続きます。
織部の瓦。
やっぱり美しいです。
拝殿前の狛犬さんたち。
鳥居。
神社の近くに「招き猫ミュージアム」という招き猫ショップがあるのですが、そこの社用車が猫だったので。
なお、正月は御朱印の頒布はなし、だそうです……残念。
さて。
◯こちら===>>>
国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 6 春日郡
以前の記事では、『尾張名所図会』だけだったようなので、とりあえず『尾張志』の「春日郡」から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
53コマです。
「深川神社
瀬戸村にありて今は八王子社と申す祭神は五男三女神なりそは天忍穂耳尊天穂日命天津彦根命活津彦根命熊野橡樟命田心姫命湍津姫命市杵島姫命の八はしら也 本社造替は慶長元年五月元和九年二月正保四年九月延宝二年八月元禄元年十月同十四年九月遷宮あり例祭九月五日神楽を奏し湯立を執行す拝殿鳥居等厳重也神宝狛犬◼︎藤四郎春慶が作りて奉納したりしとそ青ぐすりの陶器にていと古きものなり二疋ありしが中世うせて今は片方残りたるが足さへ折れて形全からず(略)末社 白山社 八幡社 神明社 陶彦社 文政七年申十月おほやけに申こひて藤四郎春慶の霊をまつる」
◯こちら===>>>
↑『特選神名牒』も見てみましょうか。
166コマです。
以上……おい。
『神社覈録』も似たような記述でして……。
◯こちら===>>>
↑最近お世話になっている『東春日井郡誌』はどうでしょう。
392コマです。
「深川神社
(略)
(合祀したる祭神)
建御名方命
御祭日 十月十五日
由緒 旧に八王子社と称し、延喜式に載せられ、往古より鎮座まします社なり、而して社記によれば、宝亀二年(人皇四十九代光仁天皇御宇)勧請の由見ゆれども、其詳は得て知るべからず、古へ両部神道行はれたりしより、此社亦塔を建て、鐘楼さへ備へたりしが、後世火災に罹り、社殿其他を失へり、即ち神官二宮家系に記する所の、慶長元年丙申年、森林中より火を発し消失したるもの是也、後之を再建し現在の地に映して、其旧跡を東屋敷と称せり、而後屡々再建を重ねて今の社殿とはなれり、かくて明治五年五月郷社に列し、其末社六社あり、明治四十五年七月二十八日許可を受け、同所字剝田千百三番無格社諏訪社祭神建御名方命を合祀せり(略)藤四郎作の狛犬のみ残れり、狛犬は始め陶祖此社に祈りて祖母懐の土を得しかば、陶祖御神徳に感じ、是に於て手親ら一対の狛犬を製作し之を寄附したり、中世其雌犬を失ひ所在不明となり、今存する所の雄犬は足害はれて其形完からず、後享保年間加藤民吉春慶の作を模して、之を作り、乃ち神前に備へたりと云ふ、而して原作狛犬は、大正二年四月十四日国宝に指定せられたり、又永禄年間織田信長の今川義元を討ち振る旅してより後、此地に來り鷹野の遊びをなし、此社に詣でたる時、斎藤龍興の臣某、竊かに信長を刺殺せんと欲せしが、社司守弘式部太夫之を知り、密かに信長に告げたりしかば、幸に其難を避くるを得たり、信長則ち大に喜び、七十五石を供米となしたりきと言ひ傳ふ。
(略)
陶彦社
祭神 陶祖加藤藤四郎左衛門春慶 五行神 明細帳に曰く、陶器窯を当所に始て焼發せし元祖にて、往古より祭祀せり。(略)」
ふう……『張州府志』『尾張志』『尾張名所図会』などからの引用もありますので(引用では略しています)、これを読めばいいんじゃないかな……って感じです。
「陶彦社」の
「五行神」
ってのがちょっと気になりました。
にしても、江戸時代(明細帳は江戸末期〜明治に書かれたもの、だと思いましたが)の感覚で、
「往古より祭祀せり」
ってどのくらい前のことなんでしょう。
『尾張志』によれば、公認されたのは文政年間ですが、それより前ということは、陶祖「加藤藤四郎」の活躍したすぐあとくらいの年代でしょうか。
それでも、往古ってほど昔なのかな……。
◯こちら===>>>
補遺「瀬戸」(『尾張名所図会』より) - べにーのGinger Booker Club
↑「加藤藤四郎」に関しては、こちらの記事で引用していますので、よろしければ。
狛犬さんとおキツネさま天国だった、ということを確認し、今度は「なでこまいぬ」さんを買って帰ろう(いや帰っちゃだめでしょ)と思った私でした。
それでは次は……やっぱり尾張です。