べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

『萬松山泉岳寺』(東京都港区)

4/24。

宴は感動的に終了し、品川周辺をぶらりとする、ということで、泉岳寺へ。

 

◯こちら===>>>

www.sengakuji.or.jp

 

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門。

中門で、三門のうち中門と山門が残っている、ということです。

扁額は、明の僧侶「為霖道霈」によるもの、だそうです。

 

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こちらが山門。

二階部分に「十六羅漢」が安置され、天井には龍の彫刻(銅彫大蟠龍)が取り付けら

れています。

扁額は、「大野約庵」によるもの、だそうです。

 

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案内板。

 

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大石内蔵助銅像

 

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「萬松山泉岳寺
泉岳寺曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県永平寺、もう一つは横浜鶴見の総持寺です。
道元禅師の主著は仏教の真髄を表した「正法眼蔵」という九十五巻に渡る書物です。

さて、泉岳寺は慶長十七年(一六一二年)に「門庵宗関」(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝情して徳川家康が外桜田に創設した寺院です(現在のホテルオークラの近く)。
しかしながら、寛永十八年(一六四一年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。

一般的には赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶二百名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三ヶ寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。

その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。」

 

なるほど、再建時から浅野家との縁があったのですね。

 

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本堂を臨む。

御本尊は「釈迦如来」とのこと。

秘仏として、「大石内蔵助」の守り本尊「摩利支天」も祠められているそうです。

 

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「萬松山泉岳寺の縁起

当萬松山泉岳寺は、慶長十七年(一六一二)、徳川家康が幼年、身を寄せた今川義元の菩提を弔うため、江戸城に近接する外桜田の地に送検し、門庵宗関和尚(一五四六〜一六二一)を迎えて開山となした。宗関和尚は永平寺道元禅師によって開かれた曹洞宗の第四代瑩山禅師開創の総持寺の門派である太平山大中寺(栃木県)の十一世建室宗寅和尚(義元の実弟)の高弟であり、今川義元の孫と云われる人物で、度々登城を請われ法問を聴取されたと伝えられている。当寺の萬松山は松平の松より、「松萬代に栄ゆる」の意から、寺号泉岳寺は、徳川に因み、「源の泉、海岳に溢るる」の意からつけられたと旧梵鐘の銘に記されている。
将軍によって建立された当寺も、寛永十八年(一六四一)の大火によって伽藍が消失、三代将軍家光(一六〇四〜一六五一)の命により現在の高輪の地に移転再建された(一説に移転は正保年間(一六四四〜一六四八)とも)。この移転に際しては、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名が尽力して完成し、その因縁より以後この五大名が共に檀越となり外護の任に当った。
江戸時代、当寺は曹洞宗の江戸三ヶ寺(青松寺・総泉寺と泉岳寺)の一つとして、大僧録たる関三利(埼玉県龍穏寺・千葉県総寧寺・栃木県大中寺)の下、特に本寺大中寺の下で触頭として曹洞宗の行政面の一翼を担った。
また、吉祥寺栴檀林・青松寺獅子窟とならぶ江戸三学寮の一つとして重きをなし、宗内外の碩学によって仏典・祖録・漢籍等が講じられ、曹洞宗僧侶の要請に大いに寄与した。山門から中門の両側には出身地別の九棟の寮舎が並び、常時二百名程の学僧が修学していたという。
また、赤穂藩主浅野家の菩提寺であったことから元禄十五年の義挙(一七〇二年十二月十四日)の後は、赤穂四十七義士の墓所としても知られ、討入り約五十年後より上演された歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の興行が盛んになるに伴って一層多くの参拝者が訪れるようになった。
(略)
明治初期には廃仏毀釈の余波を受けて、やや荒廃を余儀なくされたが、当寺四〇世圓頓霊巌和尚の地道な努力と創意工夫とによって本堂・庫院を恢興し、また煉瓦造りの義士宝物館を創設し、現存の石巒師資制作の義士像を展示する木像堂と共にこれらを公開することによって広く衆望を集めて、寺運の再興を果し、次代の四十一世普天霊明和尚がこれを継承して関東大震災に崩壊せる義士宝物館を再建し、書院を新築して、寺域の拡張・整備に努め、明治・大正・昭和に跨る当山の隆昌期が築かれた。
(以下略)」

 

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本堂別角度。

 

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山門から、本堂向かって右側に進むと、赤穂義士の墓や記念館などがあります。

忠臣蔵』、『仮名手本忠臣蔵』や討ち入りにそれほど興味がないのですが、ひとまずお参りはしておかねばな、ということで。

 

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あ、門の蟠龍、はこちらです。

 

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山門から本堂を。

 

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こちらは……なんだっけな……。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第3編 江戸名所図会 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

久々に『江戸名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

いや、『新編武蔵風土記稿』は、目的の記事に達するまで結構大変で……今の高輪辺りは昔何郡だったのとか……歴史というのはそういうめんどくささを避けては通れないものなのですがね……時間が……。

156コマです。

 

「萬松山泉岳寺 海道の右にあり、野州富田の大中寺に属す。曹洞宗。江戸三箇寺(略)の一員たり。坊舎三宇、学寮九宇あり。当寺は往古慶長年間、台命を奉じて、門庵宗関和尚、外桜田の地に創建する所の禅刹なり。後寛永十八年辛巳再命ありて、寺を今の地に移したりといふ。本尊釈迦如来は、座像二尺計あり。夾士は文殊・普賢なり。総門の額『萬松山』の三大字は、華僧閔沙門道霈の書にして、康熙辛酉孟冬上浣と記せり。
当寺は浅野家の香花院にして、其家累代の兆域あり。又浅野内匠頭長矩及び義士四十七人の石塔あり方丈より南の丘の半腹にあり。傍に当寺住僧建つる所の石碑あり。其旨趣を注す。二月・三月の四日、及び正月・七月の十六日等には、英名を追慕して、ここに集ふ人少からず。又当寺に義士等の遺物を収蔵する事多し。
元禄十四年三月十四日、浅野内匠頭長矩、吉良上野介義英を刃傷に及ぶにより、長矩に死を賜ふ。後其家の長臣大石内蔵助良雄、本国播州赤穂に在りて、君の讐には倶に天を戴くべからずと云ふの義により、血盟を以て同志の者をかたらひ、終に元禄十五年十二月十四日、讐家に至り、義士四十七人、義英の所在を捜して、其首級を得、当寺に至つて、亡君の墓前に祭るの後、誅を待つて、翌十六年二月四日自殺せし事は、諸書に詳なるを以てこれを省く。」

 

図絵もありまして、墓所は、現在と位置関係はあまり変わらないことがわかるかと思います。

名所図会は、討ち入りが巷間に広まっている、江戸末期以降に書かれたものなので、「もうみんな知ってるっしょ?」的な感じが見えますね。

それだけ、江戸時代の人も熱狂し、現代でも多くの人が知る事件になった、と。

うーむ……いや、時代劇、結構好きなんですが、そういえば歴史ものはそれほど見たことないなぁ……大河も見ていたのは『独眼竜政宗』くらいか……『大江戸捜査網』とか『影の軍団』が好きだったので……ですので、『忠臣蔵』、あんまり知らないんですよね……本当に、「大石内蔵助」が雪の中、陣太鼓を叩いているシーンくらいしか浮かんでこない……残念な脳みそです……『仮名手本忠臣蔵』は、観てみたい……全部で何幕なんだか……。

あまり時間がなく、あちこち見ていられず……。