12/29。
まずは「七寺」へ。
○こちら===>>>
「稲園山七寺」 - べにーのGinger Booker Club
↑以前の記事です。
御朱印いただけるのですが、ちょうど参拝客の方がいらっしゃったので、またの機会に。
さてはて、さらにぶらぶらしましょうか、ということで「大光院」へ。
○こちら===>>>
「大須観音」「興国山大光院」 - べにーのGinger Booker Club
↑以前の記事……っていうか、何も書いていないに等しいですね。
このブログの超初期の記事なもので。
○こちら===>>>
http://www.ohsu.co.jp/myo1.html
↑もご参考に。
いきなり本殿前。
『明王伝レイ』……我が業は我が為すにあらず……じゃなくて「明王殿」。
御本尊は「烏枢沙摩明王」、東司の守護神です(厠のことです)。
「大光院
興國山と号し、曹洞宗の寺院である。もと清善寺と号し、松平忠吉(清洲城主、徳川家康の第四男)が崇敬していた明嶺理察和尚を開山とし、清須に創建した。忠吉亡き後その法名をとり大光院と改め、慶長十五年(一六一〇)の清須越でこの地に移された。
境内の明王殿に祀る烏瑟沙摩明王は、世の中の一切のけがれや悪を清め、霊験あらたかであるといわれる。尾張名所図会に「毎月二十八日を縁日として参詣の諸人羣集(群集)をなす」とあり、そのにぎわいは今も続いている。」
おっと、「烏瑟沙摩明王」の文字が違っていましたね、↑のやつ……。
『密教辞典』によれば、
「烏枢沙摩明王(略)一切の不浄・悪を焼尽する偉力のある明王(台密系では。五大明王の北方に配して金剛夜叉明王の代りに用いる)。両部曼荼羅には見えず、空海の将来以後、産褥の穢れ、枯木の精、毒蛇の害、悪鬼の祟り除外など、単独に信仰されたから異像が多い。中国でも盛んに造像されたらしく別尊雑記などに唐本図像が多い。現存の敦煌画には、各臂・両足に蛇が巻付き、髑髏を瓔珞、頭髪は逆立ち、火焔光を負う。像の上方左右に阿閦・阿弥陀両仏を配して火頭金剛と記す。(略)」
となっています。
不浄を焼き尽くすことから、厠の守護神につながっていったものと思います。
「不動明王」、「孔雀明王」辺りと役割が被っている感じがします。
参道、「明王殿」。
門。
「赤門」ですね。
「大光院」の近く、斜向かい辺りにありますのが「陽秀院」。
○こちら===>>>
http://www.ohsu.co.jp/ohsu/youshu.html
曹洞宗で、「隣松山」が山号のようです。
天狗の団扇が寺紋、ということで。
「紙張地蔵」というのが有名なようです。
本堂。
「秋葉大権現」。
門を入ったすぐの左手に「紙張地蔵尊」がいらっしゃいました。
この真っ白のお方です。
○こちら===>>>
↑中区の史跡散策路HPより。
「曹洞宗の寺院だが、境内にまつられるお地蔵様の信仰で知られる。これは、境内の石地蔵に濡らした紙を張りつけて祈ると、 地蔵が代わりに病苦を受けてくれるという地蔵信仰で、寛永年間の霊験談が現代にまで生きているもの。」
身代わり、触穢、接触呪術、というやつですね。
……うん、淡白。
引用などは次回にします〜。