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神社仏閣ラブ(弛め)

「廣瀬神社」(広島市)〜広島参拝記(補)

12/3。

三姫のために、三女神の島へ参拝に行った帰りに、まだグリーンアリーナに行くには早すぎたので、「廣瀬神社」へ行ってみました。

 

◯こちら===>>>

www.hirosejinjya.jp

 

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絶賛、七五三。

 

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狛犬さん。

勇壮だ……。

 

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きのこチックな石灯籠。

 

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参道。

 

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再びの狛犬さん。

広島は、球に足をかけている狛犬さんが多いですね。

 

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三度の狛犬さん。

ほら。

 

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四度の狛犬さん……普通だった……。

 

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参道。

 

 

 

……あれ?

そうか、確かお宮参りか何かの祭祀が行われておりまして、写真をぱしゃぱしゃ撮るのは遠慮したのでした。

 

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御朱印

季節によって異なる、とのことですが、今公式HP見たら予約制だって……催事で忙しい中、突然おしかけてしまい申し訳ない……(平成30年12月からはまた変わるようですので、ご確認を)。

 

神社でいただいた由緒書きより。

 

「祭神 市伎島毘賣神・多紀都毘賣神・多紀理毘賣神
相殿 天照皇大神須佐之男神・神日本磐禮彦髪(神武天皇
境内社 稲荷社(略) 恵美須社(略) 天神社(略) 幸神社 祭神 猿田彦
境内社は原爆投下前、廣瀬神社境内に祀られていたが、原子爆弾のために消失し、現在は廣瀬神社本殿に合祀されている。

由緒
天正年間(一五七三〜一五九二)毛利輝元(元就の孫)広島築城の以前に沼田郡広島新開広瀬村に大小の神社があり、大の神社は廣瀬弁財天と称え、小の神社を小森別宮といった。
大の神社は五箇の庄の一である広瀬の庄の総鎮守として氏子の崇敬も篤く、毛利家にいたり、廣瀬市伎島大明神と改められ、社領もつけられる。福島正則入国後に社領は没収されるが、浅野の治世になると廣瀬社の祭礼は厳島神社(住吉さん)祭礼・白島の清正公・尾長の東照宮祭・白神社氏神祭・胡子大祭とならび殷賑をきわめ、広島の主要祭事となった。
享保八年(一七二三)廣瀬大明神と改める。同九年四月神祇官領吉田兼郷から染筆の額を賜る。その時藩主浅野家より銀十枚及び紋章入りの幌幕・提灯などの寄進を受ける。
社地は毛利家在城の時、高田郡吉田町にあった同家菩提寺洞春寺を移し、大部分を寺域としたその跡地であり、そのためここらあたりを洞春寺と呼び、一説に弁財天は同寺の鎮守であったといわれる。
明治五年大明神号が廃止され、廣瀬神社と称するようになり、同年十一月、村社として定められる。それ以前は広島東照宮の御旅所として正徳(一七一一〜一七一六)、明和(一七六四〜一七七二)、文化(一八〇四〜一八一八)年度の式年祭には御神幸があった。当社は古来より、社殿及び境内の広大な神社で、境内には樹齢三百年以上という大樹が森をなし、諸々の社殿が甍を連ねていた。
明治四十年二月一日に、神饌・供進神社として指定され、昭和二十年八月十五日の終戦前までは、廣瀬町・十日市町・天満町・観音町・福島町に至る広島西部一円の氏神として崇敬され、毎年九月十九日(陰暦)の大祭は盛大な賑わいを呈したといわれる。後に例祭日は十月十九日(陽暦)に改められる。現在は十月第三土曜日・日曜日に定められている。(以下略)」

 

……他にもういらない感じですな……。

 

◯こちら===>>>

広島みやげ : 附・安芸の宮島 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑前回も引用した『広島みやげ』という本から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

21ページです。

 

「廣瀬神社 廣瀬村にあり、市杵島姫命田心姫命湍津姫命を祭る、当社は安芸国一の宮厳島神社の配祀なり、最も古き勧請なりと云へど、創建年間詳かならず、天正年間毛利輝元之を崇敬し、社領五十石を寄附したり、其頃廣瀬市杵島大明神と唱へしを、享保年間廣瀬大明神と改め、明治六年更に今の名に改めたるなり。」

 

なるほど、「厳島神社」を島から勧請したのですね。

その時期はわからない、と……。

 

地域の中でひっそり、という感じが、とても好ましい神社でした。

神職さんに、「また来月も」と言っていただいたのですが、なかなか愛知から毎月は……申し訳ない。