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神社仏閣ラブ(弛め)

「饒津神社」(広島県東区)〜初夏の広島巡り〜

6/3。

「鶴羽根神社」をあとにして、再び歴史の散歩道を川の方へ進んでいきます。

途中、噂の「明星院」(「鶴羽根神社」の記事参照)の側を通り過ぎ、突き当たったので大通りの方へ出てみると、饒津神社を発見。

 

◯こちら===>>>

www.nigitsu.jp

 

↑公式HPです。

何が驚いたって、「饒津神社」が一発で変換できるところです。

 

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案内板。

 

饒津神社
にぎつさん
天保6年(1835)、浅野9代藩主斉粛が始祖長政を祀るため広島城鬼門(東北)の方向に、明星院境内の西半分を割いて造営しました。
時代は天保の大飢饉、藩財政の苦しい中、敢えて壮大な神社を造営したのは、始祖を祭神とした神社を建立することで藩士の結束を固めようとしたためと伝えられています。なお、幕末に創建された神社のうちでは、全国最大を誇るものでした。
昭和20年8月、原爆被災により建物は全焼し、石灯籠、手水鉢などの石造物のほか、十数本の松(最後の1本も平成15年1月に松枯れし伐採)のみが残る甚大な被害を受けました。
戦後、仮殿、本殿などが再建されましたが、昭和59年本殿、拝殿、瑞垣が戦前の姿に復興され、遂に平成12年(2000年)を機に、悲願の向唐門が復元されました。この向唐門は武家を祀る神社などに使われていましたが、その大きさは全国2位の大きさを誇っています。」

 

……「明星院」の境内西半分……豪腕を振るわれましたな、浅野殿……。

 

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社標と参道入口。

 

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参道。

長い。

なんだこのパース。

 

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被爆した松、の切り株。

 

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参道から鳥居。

 

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狛犬さん。

珠に足をかけた姿が特徴的です。

やっぱり、広島なのか、中国地方なのか、こういう様式が多いんでしょうか。

 

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写真じゃ今ひとつわかりづらいですが、鳥居との対比から狛犬さんの大きさがわかっていただければ……。

 

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向唐門。

立派な造りです。

 

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被爆して数日の写真。

 

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被爆した手水鉢。

何か……物言わぬ雄弁さ、とでもいうのでしょうか……迫力があります。

 

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向唐門と扁額。

再建されて月日は経っていないので、素木の風合いがまだ若い感じですね。

 

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扁額アップ。

 

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拝殿。

平入、間口は一応五間ですかね。

 

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拝殿左手に回りますと、最後の浅野殿、「浅野長勲」公の頌徳碑があります。

 

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その奥の本殿。

常若(……かなぁ)に彩られてうっすらと。

 

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拝殿向かって右手にある、「稲荷神社」だと思いましたが……。

 

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左手からの本殿……見えず……。

 

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社務所付近から、拝殿方向。

幅広の階段が、ちょっと普通の神社にはない感じの様子です。

 

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饒津神社の石垣」……喜ばれそうだなぁ(誰が?)。

 

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境内側から、鳥居。

 

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二葉山山麓七福神めぐりの「恵比須天」。

 

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正面から鳥居、狛犬さん。

うん……ちょっと、狛犬さんの大きさが把握できず、鳥居が小さく見えてくる……。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図録. 広島県之部

 

↑「尾長天満宮」「鶴羽根神社」同様、『大日本名所図録・広島県之部』に図絵があります(18コマ)。

文章も多少読めるのですが……神社の由緒書を見ていただいた方がよいかと。

境内の配置なんかは、現在の再現されているものと比べていただくと面白いかと(図絵のどこかに「鶴羽根神社」があります……多分)。

 

◯こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 広島みやげ : 附・安芸の宮島

 

↑『広島みやげ:附・安芸の宮島』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

19コマです。


「◎饒津神社 二葉山の麓、二葉公園に在り、旧芸州藩主浅野家の祖、従五位下侍従弾正少弼浅野長政を祀る所なり、此社は浅野家十一世左近衛権少将兼安芸守斎粛、祖先追考の爲め、特に造営せしものにして、天保六年建築成る、頗る宏壮なり、敷地総て六千六百六十一坪、明治五年十二月県社に列せらる。宝物には征韓の役、幸長の分捕したる陣太鼓、馬具三個、砲器一挺及び陣中に用ゐたる自然石の手水鉢等あり、孰れも見るに足る。殊に幾十の石燈籠並びに石階の如きは、世多く見ざる処のものなりといふ。」

 

手水鉢は、もともとは陣中で使われていたと……けっこうな大きさですが運んでいたんでしょうか……。

 

地元愛知では、大抵「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」関係が出てきてしまって、案外尾張藩主って地味なんですよね……(最近、「金シャチ横丁」で再発見される……のかもしれないです……)。

由緒によれば、大変な時代に結構なお金をかけて整備したようです……なんか、「東大寺」の大仏みたいですよね……ちょっと違うか。

長い参道を抜け、階段を登って、社殿への参道が右手に折れ曲がっているのは、二葉山を神体山として背負っているからなのか、「鬼門封じ」なのか……高田崇史氏的には「怨霊」になるんでしょうが、「鬼門封じ」に「怨霊」を使うのは一石二鳥みたいなものですから……多分、神体山を背後に控え、ということに何か意味があるのだと思います。

 

いや、いい空間でした……(境内とられちゃった「明星院」さんは気の毒ですが……)。