べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「長崎神社」(東京都豊島区)

6/17。

池袋からしばらく歩いて(といっても、結構あった気がしますが……)、やっとこさ「長崎神社」に到着。

 

◯こちら===>>>

www.tokyo-jinjacho.or.jp

 

↑東京神社庁さんのHP(いい仕事だ……愛知県神社庁さんも頑張ってくだされ……)。

 

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鳥居。

 

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「長崎神社
長崎神社の創建年代は不詳ですが、元来、櫛名田比売命を祀り、武州豊島郡長崎村(現在の豊島区長崎・南長崎・千早・要町・高松・千川と、目白四・五丁目、西池袋四・五丁目、池袋三丁目の一部)の鎮守として信仰を集めました。江戸時代の中期には十羅刹女社とも称せられ、境内には享保十八年(一七三三)に奉納された「十羅刹女」と刻まれた手水鉢が残されています。隣接する金剛院は、明治元年(一八六八)の神仏分離令まで、長崎神社の別当寺でした。
その後、明治五年(一八七二)には村社と定められ、同七年須佐之男命を合祀して長崎神社と改称し、今日に至っています。精緻な彫刻物を有する本殿は嘉永二年(一八四九)に、拝殿は明治三二年(一八九九)に建立されたもので、旧社殿は絵馬を納める額堂として使われています。ほかに山岡鉄舟揮毫の神社額と祭礼幟などがあります。(以下略)」

 

ふうむ、「十羅刹女」と……。

 

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扁額……これは山岡鉄舟揮毫ではないと思います。

 

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参道。
なかなかの敷地を誇っております。

 

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狛犬さん。

溶けちゃった……わけではないと思います。

幾星霜風雨にさらされて……それでも残っておられるのに感謝、ですね。

 

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そして、獅子山も。

 

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鳥居。

こちらが山岡鉄舟揮毫……ではないと思いますが(?)。

両部鳥居(四脚鳥居)、でしょうか……真言宗別当のようなので、さもありなん、というところか。

 

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脚の向こうに、かつての石鳥居の基部と思われるものが……となると、もともと両部鳥居ではなかったか……。

 

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いきなり、境内社の「小柳稲荷神社」へ。

おキツネさまが、屋根の狛犬さんっぽくて、飛んでます。

 

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ちらりと覗く本殿。

 

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こういうの、なんていうんでしたっけ……。

 

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本殿向かって左側でした。

 

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拝殿。

瓦の装飾がよろしいかと。

 

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拝殿正面。

 

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巴。

 

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木鼻の狛犬さん。

 

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こちらはなんだったか……。

 

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打ち捨てられた感じの案内板。

 

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拝殿向かって左からの遠景。

 

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こちらが、案内板にあった額堂でしょうか……バケツの並びが……。

 

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こちら、火消しの役割を書いた額、のようです……なかなか面白い。

 

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狛犬さん。

 

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十羅刹女」の手水鉢。

 

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ポンプ。

 

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参道から、拝殿遠景。

絵になる……。

 

御朱印は……いただけたのかと思うのですが、神職さんがいらっしゃらなかったのか……あまり記憶しておりません。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本地誌大系. 第5巻 風土記稿1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑今回も『新編武蔵風土記稿』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

139コマです。

 

十羅刹女 金剛院持」

 

……うむ、まあ、致し方ないな……『江戸名所図会』も探してみたのですが、残念ながら見つからず……ただ、板橋辺りの記事に「十羅刹女祠」とか「十羅刹女宮」とかありましたので、江戸ではあちこちに見られたのではないか、と思われます。

その「十羅刹女」について、『密教辞典』から、

 

密教辞典

密教辞典

 

 

法華経陀羅尼品に説く、法華経を守護する鬼神。尼藍婆(にらんば)・毘藍婆曲歯華歯黒歯多髪・無厭足・持瓔珞皐諦奪一切衆生精気の10で、天台・日蓮両宗で信仰され、儀軌には法華経十羅刹法(略)があり、蓮華三昧経(法華経密教的に解説した偽経、以下略)や孔雀経に説くが異説が多い。(以下略)」(p354)

 

という感じです。

『日本の神様読み解き事典』

 

日本の神様読み解き事典

日本の神様読み解き事典

 

 

という本でも項目があり、そこでは他の名前も記されていますが、漢訳されたときの意訳と音訳、誤伝でこうなった、みたいな感じを受けます。

 

「『法華経』第十、総持品には、「時に一魅あり、有結縛と名づけ、また離結と名づけ、また施積と名づけ、また施華と名づけ、また施黒と名づけ、また被髪と名づけ、また無著と名づけ、また持華と名づけ、また何所と名づけ、また取一切精と名づく。仏所に往詣し、鬼子母と諸子と倶なり。」とある。」(p363)

 

どうも、天台宗日蓮宗系で尊崇されたようで(『法華経』の守護神なので)、

 

日蓮宗の開祖・立正大師日蓮上人は、『日女品供養』で、「十羅刹女と申すは十人の大鬼神女、四天下の一切の鬼神の母なり。又十羅刹女の母あり、鬼子母神是也。鬼のならひとて人を食す。人に三十六物あり。所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五臓と六腑と髪と毛と気と命等なり。而るに下品の鬼神は糞等を食し、中品の鬼神は骨等を食す。上品の鬼神は精気を食す。此十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す。疫病の大鬼神なり。鬼神に二あり。一には善鬼、二には悪鬼なり。善鬼は法華経の怨を食す。悪鬼は法華経の行者を食す」と書き残している。」(p363)

 

という感じに「日蓮」上人は考えていたようです……まあ解釈は人の数だけありますから。

で、案内板に、「元来、櫛名田比売命を祀り」とあるのですが、あんまり「櫛名田比売命」を単独でお祀りしている神社ってないと思うのですよね……関東独自の事情として、「氷川神社」の勢力が非常に大きく、そこではもちろんお祀りされております。

で、なぜ「十羅刹女」なのか……「須佐之男命」といったら、かつては「牛頭天王」と習合しており、「櫛名田比売命」もその妻の「婆利采女」と習合、「八王子」も日本神話の五男三女神と「牛頭天王」と「婆利采女」の子である八柱の天王が習合……どこにも「十羅刹女」の出番がない、しかしなぜか、「須佐之男命」の娘が「十羅刹女」だ、という伝承があったりする、と。

日蓮」上人としては、「疫病の大鬼神」と考えている、と。

疫病神つながりとして、「須佐之男命」と「十羅刹女」がつながるのはまあ、わからないでもない。

しかし、嫁さんの立場も、「八王子」の立場もない……と、ここで「氷川神社」なのかな、と。

牛頭天王社」でも、「八坂社」(祇園系)でも、「津島社」でもなく、「氷川神社」として尊崇されていた一大勢力が、女神信仰を取り入れる際に、「婆利采女」=「櫛名田比売命」を持ってくるのは差別化が図れない、というところで「十羅刹女」に白羽の矢が立ったのかな、と。

江戸では天台宗がかなりの勢力だったでしょうし、日蓮宗も強かったことでしょうから、『法華経』を信仰する人たちに説教しやすくなりますし。

しかし、「須佐之男命」の妻が十人います、というのはなかなか(いや、実際には複数いるんですけれど)説明しづらいので、御子神にした、ということなのかな。

 

まあ、わかりませんけれど。

 

この、関東(武蔵、相模)での「氷川神社」系の独特さ、というのも勉強してみたいところですね。

 

時間がない。

 

というわけで、次はお隣「金剛院」です。

「(池袋)御嶽神社」(東京都豊島区)

6/17。

宴の翌日、目的地は雑司が谷、また「鬼子母神」さんに行くつもりなのですが、池袋周辺に宿をとったこともあり、近くを攻めてみよう、ということで、御嶽神社へ。

 

◯こちら===>>>

mitakejinjya.p2.weblife.me

 

若い頃、巣鴨に住んでいたのですが、池袋周辺の神社仏閣などとんと興味がなく、もったいないことをしたものです……。

 

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遠景。

やや曇り。

 

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社標……?

おや、昔は「三嶽神社」だったのですね……関東に多いですかね、「三嶽神社」は。

 

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社標。

村社だったようです。

 

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これは……火消しの幟、ではなさそうですね……なんだろう、町内の神輿かな……。

左側は火消しのやつか……。

「池袋木遣睦」……木遣唄関係の何かでしょうかね……「睦」(これを、ボク、と読むのかどうか、詳しくないのでわかりません)というのは、何かでも観たことがあるのですが、「組」という意味合いなのか……そうではないのか……ちらっと検索しても浮かんでこないので、腰を据える必要がありますよ(誰が?<私ではありません)。

 

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境内社の「子育稲荷神社」。

 

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神輿。

普段から見られる、というのは個人的にはよいと思います(もちろん、大切に保管しておく、ということも大事だと思いますが)。

ふらっと参拝したら目に付くことで、みなさんの意識に残るのではないかと。

 

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拝殿。

 

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木鼻……でしたっけ、この部分……狛犬さんの彫刻がお見事です。

 

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竜もいます。

 

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拝殿遠景。

 

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狛犬さん。

 

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いけぶくろう……あれ、違ったかな……。

 

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うーん……ちょっとこれは、読むのはしんどいです……。

 

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御朱印

 

さて。

公式HPより、御祭神は、

 

「倭建命 神武天皇 武甕槌命

 

で、「子育稲荷神社」は、

 

保食神

 

とのこと。

由緒は、

 

「御鎮座の年代ははっきりしていないが、第百六代正親町天皇の御世天正年間(1573~1592)頃といわれ、その百年後の貞享四年(1687)に社殿創建(岸野六之助氏の調査)といわれる。また、古老の話によると武田勝頼(1546~1583)の家臣団が甲州より池袋の地に逃れ、持参してきた神宝でこの地に神社を造営したという伝承も残っている。爾来池袋下上の丘に鎮座し池袋駅西口一帯(池袋・西池袋)の鎮守の社として崇敬されてきた。
嘉永六年(1854)に社殿が造営され、幕末明治期には絵師 堤等川による大絵馬が数面奉納されている。昭和13年(1938)には村社に社格が昇格し、社名が三嶽神社から御嶽神社に改称される。」

 

なるほど、「三嶽神社」ではまずかったのでしょうか……「御嶽神社」だと「御嶽(おんたけ)」信仰とごっちゃになりそうな気がしますけれども。

「平成14年(2002)梟親子像が設置された。池袋の袋と鳥の梟の発音が良く似ており、また梟は苦労を除き福を呼込む(不苦労・福籠)神様とも言われる事から、近年梟のお守りが授与されている。」

 

フクロウは御祭神でも神使でもない、と……そういえば、西洋では人気者のフクロウ(アイヌの信仰でもいましたかね、フクロウの神)、日本ではあまり……どうしてなんでしょうね。

ちょっとだけ、「両面宿儺」っぽいなぁと思っています(いや、首がぐるぐる回る、というだけなんですが)。

 

というわけで、

 

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大日本地誌大系. 第5巻 風土記稿1 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『江戸名所図会』では見つからなかったので、『新編武蔵風土記稿』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

135コマです。

 

「三嶽社 是も鎮守とす、雑司ヶ谷村法明寺地中観静院持、
末社稲荷」

 

……うん、まあこれだけです……検討のしようもない。

東国では「日本武尊」(とされる人物)の人気が高く、後付けとはいえ様々な伝承が残っています。

神代に片足を突っ込んでいるような存在の「日本武尊」が、なぜ人気があるのか……判官贔屓か……。

 

おまけ。

御嶽神社」から、「長崎神社」を目指して歩いていたのですが、途中で発見、「羽黒神社」。

 

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「由来書
羽黒神社の創建年代は不詳ですが
山形県出羽三山羽黒山・月山・湯殿山)の出羽三山神社より分霊されております。
明治二年(西暦一八六九年)の社寺取調書によりますと武蔵国豊島郡長崎村の一社であり、御祭神は倉稲魂命
(うかのみたまのみこと)で、農業や商業に関係の深い神様であります。
(以下略)」

 

なるほど、東国だ……私の住んでいる東海地方では、出羽三山系の神社にはほぼ出会えません。

山岳信仰としては御嶽山、白山がありますし、高野山比叡山などは、出羽三山に比べれば全然近いですから。

 

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江戸前期延宝年間(一六七六年)八幡神社御嶽神社羽黒神社のお社を当時の村の有志の方々のお力で建立された。(略)」

 

御嶽神社」の由緒とはややずれておりますが、江戸の街の発展とともに、宗教インフラも整備されていった、ということなのでしょうか。

ここに書かれた「御嶽神社」が、今回の「御嶽神社」とは異なるとすると、やはり東国では「日本武尊」大人気、ということなのだと思います。

やっぱり歩いてみるものだ……けれども、まあ、そうですね、自転車ほしいです……。

近況

さて、職場が変わってなかなか時間がとれません……。

というわけで、まだ昨年六月の記事を書いておりますので、とりあえず近況なぞを。

 

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年明け、初詣は1/3、ちょっとした会合のために名古屋駅へいきまして、ちいさなお社へ。

 

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「須佐之男社(すさのおしゃ)」 - べにーのGinger Booker Club

 

闇の中の河童さんがいい感じでした。

 

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1/5、「三輪神社」へ月参。

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御朱印

続けて、1/14にも「三輪神社」へ。

 

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御朱印

 

さらに、1/26にも「三輪神社」へ。

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三輪鳥居、好き。

 

そして、2/9も……「三輪神社」へ。

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黒字にピンクの御朱印帖。

 

2/16は、ふらふらと「朝日神社」へ。

 

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「朝日神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

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神職さん不在で御朱印はいただけず。

 

3/2、「三輪神社」へ月参。

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御朱印

 

3/21、またも「三輪神社」へ。

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連作御朱印、私には縁のないご縁が結ばれます。

 

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春分の日御朱印、素敵ですね。

 

4/6。

中区の「古渡稲荷神社」から、

 

◯こちら===>>>

「稲荷神社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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「闇之森八幡社」へ。

 

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「闇之森八幡社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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桜が綺麗でございました。

で、近くの「白龍神社」も参拝、

 

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ぶらっとお花見。

 

4/13、「三輪神社」月参。

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5/3、連休中の楽しみといえば「三輪神社」参拝。

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屋根の葺き替えは順調に進んでおられるようで何より。

そして、8代目は白の御朱印帖。

 

10連休は、さすがに参拝客も多く、時間があまりなかったので、書置きのものだけいただきました。

 

このところ、御朱印をめぐるニュースがちらほらと見られ、基本的にあまりポジティブなものではないのですが……。

資本主義かつ自由主義の世の中に生きるものとして、転売というのは致し方ないものと思っています。

けしからんと思うのは自由ですが、であれば、転売するのもある意味自由なわけです。

自分でしようとは思いませんし、そうやって御朱印を手にすることにさして意味も感じてはおりませんが、資本主義かつ自由主義というのはめんどくさいんです。

レアな御朱印を求めて列を成している時点で、どこか共犯でもあろう、と思いますし。

「なんで転売なんかするんやろう」と思いつつ、買わなければ需要がないことはわかるわけで、そうして個々人が対策をとるしかないのではないかな、と。

一方で、御朱印を求めるがあまり、時間がかかると文句を言うだの、書き手のみなさんに暴言を吐くだの、そういったものは許容できません。

心情的なものとしてはもちろんですが、新型スマフォやら夢の国やらラーメン屋やらで並んでいるのに、何で神社仏閣では文句を垂れるのか、資本主義的にも意味不明です。

レアなものには、お金と時間をかけるものなのです。

 

「三輪神社」さんも、初めて参拝させていただいた頃に比べると、ずいぶん待つことも多くなり、それどころか後日お渡し、郵送対応等々、大変になってきているようで……単に「大神神社」好き、三輪鳥居好き、で「三輪神社」に月参しているだけなので、無理して御朱印を求めることもなかろう、と思い始めております。

今後はのんびりお参りするかな……。

 

というわけで、

 

「三輪神社」ばっかりやないかい

 

な近況でした〜。

「鳩森八幡神社」(東京都渋谷区)

6/16。

日比谷の野音で宴があったので、上京したわけですが、その前に、ということで、鳩森八幡神社にご参拝。

 

◯こちら===>>>

www.hatonomori-shrine.or.jp

 

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曇りがち、でした。

社標と鳥居。

 

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なぜか、境内社の「神明社」から(参拝されるかたが多くて、写真が撮りづらかったのだと記憶しています)。

千駄ヶ谷太神宮」と呼ばれて、権田原にあったものが、明治四十一年に末社となったそうです。

 

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本殿ちらり。

流造……っぽいですが、どうでしょう。

 

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神明社」の鳥居、だったと思います……(もう記憶が……)。

 

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「将棋堂」。

由来記によると、「昭和六十一年、日本将棋連盟から、山形県の駒師・香月氏の政策による欅製の大駒が奉納された」とのことです。

六角の御堂、屋根の飾りは「くちなし」の実の形だそうで……将棋盤の足がそうなのですね……折りたたみの将棋盤しか知らない……。

 

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神輿庫ずらり。

地域で大切にされている神社だなぁ、と感じ入ります(江戸の祭り好きの気風も残っているのか)。

 

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狛犬さん。

写実的(狛犬の写実的、ってなんなんだろう)、渋い。

 

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甲賀稲荷社」。

 

甲賀組組屋敷の武士が崇敬していた甲賀稲荷社は、かつて青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座していましたが、明治十八年に、青山練兵場設置のため当社境内に遷座・合祀されました。
昭和二十年五月の戦災で社殿を消失、本殿の中に八幡大神、諏訪大神とともに奉られていましたが、復興を望む声が高まり、昭和四十五年この場所に欅造りの社殿が完成し、遷座されました。」

 

甲賀組……響きにロマンがあります。

鉄砲場とか、練兵場とか、どこかで習ったな…くらいの知識しかないです。

 

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社殿。

 

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小祠。

 

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……何塚だろう……筆かな……。

後ろに狛犬さんが……。

 

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ぎりぎりまで近寄らせていただきました。

ちょっと欠けてしまわれて……。

 

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境内図。

 

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千駄ヶ谷富士塚」。

 

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拝殿側面から。

 

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富士塚入口の狛犬さん。

物言いたげ。

 

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千駄ヶ谷富士塚
(略)
この富士塚は寛政元年(一七八九)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒◼︎(※石卜)(富士山の溶岩)は頂上近くのみ配されている。山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられている。頂上には奥宮を安置し、山裾の向って左側に木造の里宮の建物がある。
頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて怪談としている。七合目には洞窟が作られ、その中には身禄像が安置されている。塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。
この富士塚は大正十二年(一九二三)の関東大震災後に修復されているが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものではもっとも古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な資料である。

(以下略)」

 

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階段。

 

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お題目。

 

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「同行」。

 

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里宮。

 

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享保十六年寄進の手水鉢。

 

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享保十九年のハート。

 

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「小御嶽石尊」。

 

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頂上付近からの社殿。

 

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頂上。

結構高かった……。

富士塚を登ったのは、「品川神社」以来かな……あ、全景を撮り忘れている……。

 

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これは……能楽殿かな。

 

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拝殿正面向拝。

 

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天水桶。

 

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狛犬さん。

流麗かつ躍動的で、素敵。

彫りが深い系。

 

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……あれ、どうなされた……。

 

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尻尾が二股、珍しいかも。

 

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参道入口付近から境内を……と思ったら、緑深く、社殿がまったく映らない、と。

 

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そして、紫陽花が美しい季節でした……天気が良いと、もっとよかったのですが。

 

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境内を出て、裏側からの富士塚

 

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もう一つの鳥居。

大銀杏の樹勢が素晴らしい……全然画角に収まってないですけれども。

 

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御朱印

富士塚登拝記念のものもいただきました。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第4編 江戸名所図会 第2巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑公式HPでも紹介されていますが、『江戸名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

148コマです。

 

千駄ヶ谷八幡宮 同所一町許西にあり。此辺の惣鎮守にして、例祭は九月二十七日なり。別当真言宗高雲山瑞圓寺と號く。
鈴懸松 門前に松の老樹有り。寛永の頃、大樹此地に御放鷹の時、御鷹の鈴此松の枝にかかりしとなり。故に名とすと。社記に云く、往昔此地深林の中に、時として瑞雲現じける。又或時、碧空より白気降りて雲上に散ず。村民怪しんで、彼林の下に至るに、忽然として白鳩数多、西をさして飛びされり。依て其霊瑞を称し、小祠を営み、名けて鳩森といふ。貞観二年慈覚大師東国遊化の頃、村民等大師に鳩森の神体を乞ひ求む、依て宇佐八幡宮城州鳩の峯に移り給ふ古を思ひて、神功皇后応神天皇・春日明神等の尊体を作り添へて正八幡宮と崇め給ふ。遥に後久寿年間、渋谷正俊領地に鎮座の御神なるを以て、金王丸生前随身の本尊、恵心僧都の作の弥陀如来の像を本地仏とし、社を造営して此地の産土神と称し奉りしより、霊応は照々として日に新なり。南向亭の云く、当社の前路は鎌倉街道の旧跡にして、今も鎌倉路と字せり。青山の原宿より此地をへて、大窪へかかりしなりとぞ。北条家分限帳島津孫四郎所領の中に、千駄ヶ谷の名有り。」

 

ふむふむ……「金王丸」というのは、

 

◯こちら===>>>

kotobank.jp


コトバンクの『日本人名大辞典+』によれば、

 

土佐房昌俊 とさのぼう-しょうしゅん
?-1185 平安時代後期の僧,武士。
大和(奈良県)興福寺西金堂の堂衆。のち土肥実平(どひ-さねひら)の仲介で源頼朝にしたがう。文治(ぶんじ)元年10月頼朝の命で京都六条室町の源義経邸を襲撃するが失敗,鞍馬(くらま)山ににげるが捕らえられ,10月26日六条河原で処刑された。「平治物語」では,渋谷重家の子で金王丸といい,はじめ源義朝につかえたとする。」

 

ということで、『平治物語』に登場するようで。

渋谷つながり……なのでしょうか……ああ、「金王八幡宮」がありますね、そういえば……うむ、不勉強……あれ、「渋谷正俊」は「渋谷(土佐房)昌俊」のことなんでしょうかね……。

いずれまた、この辺りを参拝させていただいたら調べてみたいと思いますが……そうか、『平治物語』も読まないと、なのか……『平家物語』すら……とにかく日本史に疎いので。

良き神社でございました〜、ということで、水無月東京小巡り〜、です。

 

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画像修正後の紫陽花。

「長等神社」(滋賀県大津市)

5/19。
昨年、特別開帳のために赴いた「三井寺」ですが、そのときに「長等神社」も参拝していたので。

 

◯こちら===>>>

nagarajinja.net

 

昨年の「三井寺」の記事は、

 

◯こちら===>>>

近況その3〜「三井寺」「三尾神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑です。

 

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いきなりの拝殿……か?

社殿の周りを回廊のようなものが囲んでおりまして、その格子の隙間から。

平入で唐破風の向拝……権現造でしょうか(いかん、何年経っても建築様式が頭に入らない……)。

 

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ちらっと見える狛犬さん……遠い。

 

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こちらが拝殿正面。

 

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まだ若々しい、立派な青銅っぽい狛犬さん。

 

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境内社の「両御前神社」。

……何が「両」なんでしょうね……。

 

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いや、空と新緑が美しい……ちらっと見える本殿の屋根。

 

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こちらは、社殿向かって左手にある、「大津馬神社」。

 

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鳥居と参道……えっと、「馬神神社」なのかな……どっちなんでしょう。

 

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拝殿前に神楽殿(舞殿)……おっと、「三尾神社」も同じような配置だったような……(あれは、唐門の外に神楽殿だったかな……)。

 

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狛犬さんその2。

年月が経過して、ちょっとつるっとしちゃった感じ、でしょうか。

 

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向かって左手からの本殿。

 

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境内社の「末春稲荷」、「権平稲荷」、奥は「駒竹稲荷」となっています。

 

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こちらは「栄稲荷」のおキツネさま。

また細面で凛々しくありまして……良きかな……造作もよろしいですね。

 

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「栄稲荷」正面。

 

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社殿左側からの屋根。

ううむ、もっと近づきたいところです。

 

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境内社の「笠森神社」。

 

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で、忘れていたわけではないのですが、立派な楼門があります。

 

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由緒書。
御祭神は「建速須佐之男大神」「大山咋大神」「宇佐若宮下照姫大神」「八幡大神」「市杵島姫大神」、と。

 

天智天皇近江大津宮に遷都(西暦六六七年)の際に都の鎮護として、須佐之男命を志賀の長等山岩座谷の地に祀られたのが始まりである。
天智天皇(西暦六六九年)五月五日、天皇が宇治山科から帰途のおり当神社へ弓矢を奉納され、これにより大友與多王(天智天皇の御孫)がその日を祭日と定められて以来、今も五月五日を例祭
としている。
貞観二年(西暦八六〇年)二月、三井寺一山を開祖された智証大師(円珍)が日吉山王神を勧請し、一山の守護神として祀られ、新日吉社又は新宮社と称するようになった。
天喜二年(西暦一〇五四年)四月、現在の地に遷宮され、その地を神出と称することとなった。
永保元年(西暦一〇八一年)四月、白河天皇は勅使を参向せられ、平安を祈願された。
延元元年(西暦一三三六年)正月、南北朝の戦乱によって社殿や楼門その他の建物を消失した。
興国元年(西暦一三四〇年)足利尊氏によって再建され、社殿は麗にして十二の廻廊や楼門その他多くの建造物があり、湖南の大社といわれ、皇室を始め武将や多くの民衆から深く崇敬され隆盛をきわめた。
明治十六年(西暦一八八三年)現在の社号(長等神社)となった。
明治三十七年(西暦一九〇四年)鎌倉様式を基本として、平安、室町時代の和様建築の粋を取り入れて現在の楼門を再興した。
明治四十三年(西暦一九一〇年)一月、県社に列せられる。
昭和四十七年(西暦一九七二年)七月一日、楼門が中世の優れた社寺建築様式の再現を評価され、大津市指定文化財の指定を受けた。
この様に当社の歴史は古く、千三百五十有余年の幾多の変遷を経て今日に至っている。」

 

なるほど、創建当時はこの場所にはなかったわけですか……岩座谷ってどこだろう……。

 

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楼門。

 

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かなり離れたところに、石鳥居があります。

 

御朱印はいただけるのだと思いますが、どうしていただかなかったのか……割と「新羅善神」と「護法善神御朱印をいただいて満足していたのかな……。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

近江輿地志略 : 校定頭註 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『近江輿地志略』を久々に(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

当然、「長等神社」の項目はないわけで、「新日吉社」を探します。
129コマです。

 

「[新日吉社
稲荷の社の南にあり。是を新宮権現とい。本社東向、拝殿鳥居有り。御冷泉院御宇天喜二年前大僧正明尊、上の新山王権現山麓に勧請し神宮を新にして以て男女の参詣に便す。人因て社を呼んで新宮といふ。其地を呼んで神出といふ。祭礼毎年五月五日。相伝旧社は十二の回廊ありて其結構の大社也。建武二年の兵火に罹りて焼亡す。而後此地にうつす。然れども旧社の地今詳ならず。」

 

ううむ、割とあっさり。

回廊が今も残っている、というのはかつての大社の名残なのでしょうか。

「馬神社」とか、記述がないな……京都に近く、しかもかつては都があっただけに、近江はなかなか魅力的……最近は、インスタ人気なのか、彦根城とか盛り上がっているようなので、近江の勉強もしたいなぁ……と思いつつ、いろいろなことがなかなか進みません。

 

 

 

もう10連休だし……周回遅れを挽回できるのか……。

「八王子神社春日神社」(名古屋市北区)

5/12。

あちこちふらふらしている途中で発見。

八王子神社春日神社」に参拝。

 

◯こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

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社標。

 

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鳥居。

 

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毎度のことながら、写真を撮る順番がね……境内社の「秋葉神社」。

 

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本殿。

屋根の緑が鮮やかすぎますな……緑青を表現されたものと思われますが。

銅板葺きは費用がかかるのか……赤銅色でもよかったんじゃないでしょうか。

 

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社標。

 

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常夜灯。

天保13年(1842年)尾州名古屋の豪商杉屋佐助によって寄進されたものである」と、由緒あるもの。
「あぶないからのるな」、と。

 

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秋葉神社」遠景。

 

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とりあえず、石灯籠には乗らないようにしましょうねみなさん……と宮城遥拝所。

 

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拝殿。

ううむ、初夏の空、若い日差しの中にまばゆく屋根の緑……最近塗り直されたのかな。

 

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狛犬さん。

私は、「◯◯型」まで理解している狛犬マニアではありません(そもそも、形のパターンを覚えるのが苦手)が、なんか可愛い。

新しめなのかな。

 

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竣工記念碑。

八王子神社」の御祭神は、まあ五男三女神、ですね。

春日神社」のほうも、本家「春日大社」と同じ、と。

 

「由緒 
八王子神社はもと那古野庄市場(現丸の内一丁目)に鎮座し若宮八幡社と共に同じ境内に有り第四十二代文武天皇の御代の奉斎と言う。
慶長十五年(一六一〇)名古屋城築城の際に神慮により名古屋東北の護りとして此の地に遷座しました
明治五年村社に列し同四十年指定社となる
昭和二十年五月戦災により消失仮神殿を経て同三十二年社殿復興以来氏神様として崇拝を続けて参りましたが腐朽甚だしく平成十五年十月改築造営に着手同十七年四月竣工祭を行う
春日神社は昭和四十六年社殿を八王子神社境内に移築し両社を合併して八王子神社春日神社と社名を改称した此の度の改築造営に際して名実共に一体化して本殿内に合祀した」

 

なるほど、元は、今の名古屋城の辺りにあったのですね。

 

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境内社の「金刀比羅神社」。

 

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の、狛犬さん。

ちょっと、歌舞伎役者っぽいかな……。

 

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拝殿向かって左からの遠景。

天気よかったわ……。

 

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鳥居のところの狛犬さん。

ちょっと破損が痛々しい……こちらはこちらで、凛々しく、細かな造形でよろし。

 

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鳥居から拝殿。

 

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こちらにも由緒略記……内容はほぼ同じです。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『尾張名所図会』を見てみました(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

132コマです。

 

「八王子社 志水町の北行当にあり。五男三女を祭る事、諸国八王子の社の例に同じ。神前に御手洗池あり。又末社も多し。」

 

……ううむ、以上。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

名古屋市内なら『名古屋市史』(しかし、この辺りは多分、『名古屋市史』が書かれたころは、名古屋市じゃないと思われ……載っていたらラッキー)。

179コマです(ラッキー)。

 

「三 八王子社
八王子社は、西春日井郡清水町五丁目(もと春日井郡西杉村出町)の西側に在り、(略)、旧称は八王子天王といふ、往古より若宮八幡宮末社として、三之丸のち(今第三師団司令部内)に鎮座あり、勧請の年月詳ならず、慶長十五年御城の鬼門除として、今の地に遷座す、天明五年正月火災に罹りて焼失し、同六年に再建遷宮し、次いで寛政九年八月、弘化三年六月、明治三十九年七月に修造遷宮あり、明治初年村社に列す、(略)

杉村志草稿に、「祭神祇園八王子、牛頭天王ノ王子也、八将軍共称スト云」と見え、尾張名陽図会には、「或云、むかしは神殿の扉も明はなしになりて有し時代に、里童此御正体を取出して、前なる御手洗の池にうづめ、さまざまにもてあそびしを、所の者よろしからずとて、是を禁じて戸を閉たり、其夜俄に村中の人大勢病を煩ひ、我毎日子供等と面白く遊しものを、何とてとどめたるぞと口ばしりて止ず、人々甚恐れて、元のごとくにせしかば、忽狂病なをりしとかや」と見ゆ、其他、玉垣、井戸、手水鉢等は神慮に叶はず、氏子より寄附したれど、祟ありければ早速取払ひたりといひ、又小児の神故、毎夜篝火を欠くことなしといへり。

(略)境内神社は金刀比羅社(略)一社あり、(略)」

 

おお、面白い伝承があるじゃないですか……これ、地元では有名なんでしょうか。

 

「或云、むかしは神殿の扉も明はなしになりて有し時代に、里童此御正体を取出して、前なる御手洗の池にうづめ、さまざまにもてあそびしを、所の者よろしからずとて、是を禁じて戸を閉たり、其夜俄に村中の人大勢病を煩ひ、我毎日子供等と面白く遊しものを、何とてとどめたるぞと口ばしりて止ず、人々甚恐れて、元のごとくにせしかば、忽狂病なをりしとかや」

 

先ほどの紙の由緒書きや、史跡散策路のHPでも「小児の守り神」とされていたのですが、その理由の一つがこちらなのですね……いや、逆かもしれないですが(「小児の守り神」だったから生まれた伝承か)。

しかし、この「むかしは」がいつなのか、よくわからないのが残念ですね……現在の地に遷座したあとの話なのか、旧地でのことなのか……。

 

◯こちら===>>>

「那古野神社」 - べにーのGinger Booker Club

「那古野神社」(再)(名古屋市中区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「那古野神社」は、三之丸にあった「牛頭天王社」なのですが、そこから「八王子社」だけ分離した、ということなのか……もしかすると、子供たちだけが分離させられてしまったので、「小児の守り神」になられたのかもしれませんね……と思ったんですが、「那古野神社」にはきちんと「八王子社」が残っているんですよね……で、「那古野神社」はどうも「津島」系の「牛頭天王」っぽくて、こちらは「祇園」系の「牛頭天王」っぽい……というか、「牛頭天王」多い……神仏分離で槍玉にあげられる理由がわからないでもないですね……。

昔はばっち祟っていたのに、最近はそうでもないのかな……地元の子供達と遊んでいてほしいものです。


北区もまだまだ掘らないと……なかなか、狙ったところにコインパーキングがないんですよね……地下鉄か……。

「榊森白山社」(名古屋市中区)

5/5。

「伊勢山神明社」をあとに、もうちょっとぶらぶら……「榊森白山社」にたどり着きました。

公式HP的なものは特になし……うむ。

 

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……なんだっけ、これ……本殿を横から、だったと思います。

 

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「世界唯一の縁結びの神様です」、だそうです。

 

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境内社……社名がわかりませんでした。

 

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「出世稲荷大明神」。

 

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「出世稲荷大明神」の鳥居。

 

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社殿遠景。

 

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狛犬さん。

うっすら笑いな感じがとても可愛らしい。

 

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社紋。

 

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境内遠景。

なんでしょう、初夏の緑の色合いと、時間的なものか陽光の具合がとても素晴らしく、個人的に非常に好みな色調の写真になっていて満足です。

 

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葉陰がまた美しい。

 

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鳥居。

 

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「榊森御祭神
本社 白山社
菊理媛神
伊弉諾尊
大己貴命
右 松尾社
大山咋神
左 天王社
建速素戔鳴尊
秋葉社
火之迦具土神
境内稲荷社
宇迦之御魂神
(略)」

 

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石灯籠の社紋。

 

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由緒……光の反射具合によっては読めることもあるのですが、今回はちょっと失敗……。

御朱印情報は不明です。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『名古屋市史』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

コマ数がわからん……294ページです。

 

「二八 白山社
白山社は中区古渡町五丁目の東側に在り、(略)、もと榊ノ森白山比咩神社といひ、(榊ノ森の名義は地理編名所の條を参照)又洲原神社(今俗に「おすはらさま」といふ)、松尾神社等の通称ありき、明治十二年、今の名に定む、仁和三年九月、加賀の白山(今加賀石川郡河内村国幣小社、白山比咩神社なり、別本海邦名勝志、市譜、尾張名陽図会には美濃の洲原権現(今美濃武儀郡洲原村郷社洲原神社)を勧請すといふ、本社に洲原神社の通称ありしは蓋し之が為めなり)を勧請して創建する所なり、(略)、明治十二年七月、村社に列し、同年九月、古渡町民決議の上、古渡町五丁目より七丁目までを以て、本社の氏子と定む、祭神は中央は菊理媛命(また白山比咩神といふ)、左は伊弉諾命、右は大己貴命(初め三神を一殿に奉祀して、三殿並立せしが、明治九年十二月、一殿に合祀遷宮せり、尾陽雑記にはいなりの神社を勧請すとあり)なり、殿宇は神殿、拝殿、玉垣、神饌所、神楽殿社務所、木鳥居(略)、宝庫(略)等あり、境内神社は松尾社(祭神大山咋命にして、山城葛野郡官幣大社松尾神社の分体なりといふ、寛政年中旧古渡(今の橘町二丁目)の酒造家(尾張名陽図会には伝馬町の酒屋福澤屋草創とあり)の勧請にして、其の屋敷内にありしが、後本社の境内に遷せり、此社維新前迄は城下の酒造家の崇敬多く、為めに其の勢力本社を凌ぐに至れり、本社を通じて俗に松尾神社と呼びしは之が為めなり)、須佐之男社((略)の二所あり、(略)
往古熱田神宮へ参拝する者は、先づ東は鈴御前(熱田伝馬町鈴之御前社)、西は紀太夫(熱田旗屋町下知我麻神社)南は源太夫(熱田市場町上知我麻神社)、北は榊の森に参詣して、禊を行ひ、而る後社参する例なりといふ(古渡志、金鱗九十九之塵、尾張志)」

 

ふう……元々の御祭神がなんであるかはともかく、時代の移り変わりの中で、中心となる御祭神がいろいろ変わっているような感じがありますね……それに伴って、神社の通称もいろいろとある、と。

摂社のほうが盛り上がってしまって、そちらに名称を取られてしまう、なんてこともあったようで。

最後の、「熱田神宮」との関係はちょっと引っかかります……というわけで、

 

◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑一番見やすい『尾張志』を。

19コマです。

 

「榊ノ森ノ社
古渡むら町家の東側にあり、中央正殿は祭神菊理媛神左右二座は伊弉諾尊大己貴命を祭るよしいへり 当社は光孝天皇仁和三年丁未九月当所吾湯市村ノ住人福岡某はしめて加賀国石川郡白山比咩神社を移してここに創建したるよしいへり もとは此地に榊木いとおほかりしより賢木の杜といひならはせりとそ いにしへ熱田諸祭の日毎に此森の榊をとり用ひけるよしもいひ伝へたり 故に熱田社参の人まづ此森にて解除したるよしもいへり 今は此処より榊を熱田神宮に取用ゆる事なし
摂社 松尾社 天王社 (略)」

 

どうも、かつてこの辺りで榊が繁殖していたので「榊の森」と呼ばれるようになった、その榊を「熱田神宮」での祭祀に使用していたので尊重された、ということのようで。

「仁和」は西暦では885〜889年、白山信仰は既に始まっていたようですので、勧請したとしても不思議ではないわけですが、榊が自生していたことと白山信仰とはあまり関係なさそうです。

そもそも、榊が自生していたことにより神域となっていた(あるいは神社があったかもしれないです)ところに、「白山比咩神社」を持ってきて、その頃まだ榊を「熱田神宮」に奉納していたのであれば、「熱田神宮」側もそれを許したと……。

なぜ「白山比咩神社」だったのでしょうね……個人的な信仰心だとすると土地の属性はあまり関係なさそうです……土地(地域)の要請であれば意味もあるのでしょうが、ううむ、難しい……「白山社」はかなり多いですからね……。

 

とにかく、いい写真が撮れたので満足、でございます。