べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「大神神社」(再)(一宮市)〜高速初詣その4〜

1/7。

「真清田神社」でのご参拝を済ませ、ひょっとしたら……というくらいの気持ちで、もう一つの一宮大神神社へ行ってみました。

近くに駐車場がないので、結構歩いたなぁ……それもまた心地よし。

 

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一宮駅周辺〜「大神神社(おおみわじんじゃ)」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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いきなりですが、招魂社。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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本殿を横から。

美しい流造のラインが写真に収められますよ、と関係者らしき方に教えていただきまして、確かに見事な。

 

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御神馬。

 

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大灯篭。

 

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狛犬さんたら、

 

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拝殿を挟んで、

 

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狛犬さん。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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蕃塀。
社殿正面ではありますが、今は参道が曲がっています。

 

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遠景。

 

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正面。

 

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蕃塀を外から。
この右手に、先ほどの鳥居があります。

 

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手水鉢。
嘉永四年」とありますから、わりと新しい。

 

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おまけ。
駐車場に戻る途中で発見した、「白山社」。

 

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御朱印をいただけるのかな、と思ってうろうろして、先ほどの関係者らしき方にお声がけしたところ、何と瑞牆の内でご参拝を……と言われてしまい、恐縮しきりでお邪魔することに。
写真がないのが申し訳ありませんが、本殿と、境内社にもお参りさせていただきました。

 

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ついでに、おさがりのタオルまでいただきまして……僥倖僥倖、有難や有難や。
何となく、いい年になりそうな気がしました(ここに来て?)。


さて。
まずは、神社でいただいた由緒書から。

 

「神社のご由緒・沿革
ここ尾張地方は、木曽三川の河口部に開けた、広大な沖積平野。川が入り乱れて、網の目のような低湿地。葦の生え茂った、大きな梁から転じて大梁・尾治・尾張になったとも言われている。
人が住み着き集落ができ、弥生時代から古墳時代にかけて、邪馬台国から大和の国の頃、次第に東に「開拓」が進み、ここ「花池」にも大和系(三輪族)の人々が大物主神を祀る「大神神社」を建て、祖先を祀り日々の安泰を祈り、団結のシンボルとして神社を中心にして部族を発展させた。
一方、神武系の人々は、真墨田神社(後の真清田神社)を相殿という形で建てて「天火明命」を祀った。
また、奈良時代国司が赴任して、国中の神社を代表として国府宮の「尾張大国霊神社」を尾張の「総社」に指定、次いで花池の「大神神社」と「真清田神社」をまとめての「相殿・対の宮」と言うことで「尾張一の宮」に指定した。
嘉祥三年(八五〇)「文徳実録」「尾張国帳」には、従一位名神とあり、三宮明神・三明神(神宝として珠・鏡・矢と三種の御証印があった)と称せられ、延長五年(九二七)延喜式神名帳には式内社とあり、勅祭神社であったことが判る。
(略)
昔の花池村は「三輪氏」一族の地方だった故か?三輪郡・大神郷・熱田の庄蓮池と言われ、各所に白蓮が咲いていたとかで「蓮池」そして「華池」「花池」となり今日に及ぶと、伝えられている。」

 

むむ、なるほど、どうやら奈良の「大神神社」を勧請した(というのか、三輪氏族が移ってきて祀ったからそうなったのか)、との伝承がある、と。

式内社ですから、歴史はかなり古いものと思われます。

「真清田神社」と対になっている、というわりに、ちょっと追いやられている感じが……往時は大きな神社だったのでしょうか。

あ、ちなみに神社公式のご祭神は「大物主神」、境内社に「六所社(豊受皇大神応神天皇、天児屋根神、倉稲魂神武甕槌神、底筒男神)」、「三島社(大山祇神)」、「白山社(伊弉冊神)」、「神明社(天照皇大神)」、「招魂社」、境外社に「素盞嗚社」がある、となっています。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第9編尾張名所図会

 

↑『尾張名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
219コマです。

 

「大神(おおみわ)神社 同村にあり。今は三明神と称す延喜式内にて、[本国帳]に従一位大神名神としるす。神大美和都禰命(おおみわつねのみこと)は、天火明命の十世の孫なれば、尾張氏同祖の御神なり。当国にまつれるは故ある事にて、大和の三輪とは別神なり。」

 

「今は三明神と称す」……これが気になりますねぇ……と思っていたら、「祭神大美和都禰命(おおみわつねのみこと)は、天火明命の十世の孫なれば、尾張氏同祖の御神なり」ですって。
「大和の三輪とは別神なり」ともありますね。
うむ……。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 8 中島郡

 

↑『尾張志』の「中島郡」より。
36コマです。

 

大神神社
宮地花池村に坐して今は三明神と申す この神社の地なるが故に宮地といへるなるへし 古き郷名は和名抄に中島郡美和と見えたり 是式内の神にて本国帳に従一位大神名神と記せり  神名式に名神大とあるは誤なるへし名神祭式に此神社なきをもて證とすへし  天火明命十世孫大美和都禰命を祀れるか是尾張氏同祖の神也  当村を熱田庄と称し里民鷺を白鳥と呼て食する事なし 昔は七月七日此村より素麺と蓮華を熱田の宮へ献る旧例ありとそ 尾張氏同祖神にましますゆゑかく熱田にゆゑよしあるなるへし 其蓮華の池を村名に呼て花池といへり」

 

天火明命十世孫大美和都禰命を祀れるか是尾張氏同祖の神也」……『尾張志』では、疑問形ですね。
白鳥を神聖視するのは、「日本武尊」神話の影響でしょうか。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 上編

 

↑『神社覈録』の上巻、384コマです。

 

大神神社
(略)和名抄、 郷名部  美和、◯祭神大物主神◯熱田庄宮地花池村に在す、今三明神と称す(略)
集説云、式録名神大、度会延昌云、式撰之日未名神蓋衍字歟、名神祭式不載之、後来進名神、故追加名神字者乎、按、大和国神大物主神社同神也、 当社一旦荒廃、而以御正体蔵真清田宮別宮故也  私曰、以熱田社或称三宮、当村熱田庄也、且土俗至于今、以鷺呼白鳥、而不食之、又古初秋七日自此村献索麺及蓮華数茎於熱田宮、以此見之、則当村熱田神領歟、今按、火明命十世孫大美和都禰命歟、尾張氏同祖神也、と云り未孰れかしらず、されど大神と号する社、多く大物主神たり、故しばらく延昌が説に従ふ、(略)」

 

『神社覈録』的には、「度会延昌が、奈良の「大神神社」と一緒だよ、一旦荒廃したけど、「真清田神社」の別宮にご神体はあったんだよ、個人的には「熱田社」とか「三宮」と呼ばれていたのは、「熱田神宮」に素麺と蓮華を奉納していたからだよ、「天火明命」十世の「大美和都禰命」って言ってるよ、まあご祭神は「大物主神」ってことにしときます」、という感じでしょうか。
熱田神宮」に漬物を奉納していたといえば「萱津神社」ですが……五条川はちょっと遠いしな……何か関係があるのでしょうかね。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 特選神名牒

 

↑『特選神名牒』はいかがでしょう。
156コマです。

 

大神神社  名神大 称三明神
祭神 大物主神
(略)
所在 熱田庄宮地花池村  古美和郷地 (中島郡大和村大字宮地花池)
今按尾張国式社考に此辺古は美和郷にて和名抄に美和とあるも此所なり 観応元年七月散位長利の寄進状に尾張国中島郡内田地事合二段者在所晴水柳副四至限東大神限南砥墓西阿弥陀寺領限とあり 応永十年浄参の寄進状に畠三反田六反大神云々などありて動なき地なり 此状今は妙興寺にあり 尾張神社記に  本社の事を  一旦荒廃而其爾櫃今蔵一宮神庫と云ひ鹽尻にも近年禅僧天桂彼社地に住みやや祠を営せしと見ゆと云るが如くなるべし故今之に従ふ」

 

うーん……「美和」という地名が、三輪系氏族に由来するのか、「大神神社」に由来するのか、まではよくわかりませんが、とにかく「ミワ」とは呼ばれていたようです。

尾張国神社考』(津田正生、ブックショップ「マイタウン」発行)30pより、

 

従一位大神神社名神大 [集説云]熱田庄花池村三明神。今の社僧薬師堂  禅宗
[出口延経按]大和国大神、大物主神社と同神也 [天野信景曰]当社一旦荒廃而以御正体、蔵真清田宮。別宮故也 [里人曰]三明神の旧地は、今の宮地より乾二町ばかりに。畔名を旧宮とも、大門前とも呼辺也といふ [又曰]薬師堂を一にいせや寺とも呼。是はもと、伊勢の御師の旅宿をする寺なれは也 といへり。
[考證]大神の二字を三輪とよむ[姓氏録に]於保美和とよむは賛称也[公事根元に]於保我を訓有は大神の下略なり[眞野時綱が]於保和とよみしは大三輪の中略也[和名抄に]於保牟和とかなづけ爲たるは、於保美和の転聲にて非言也。一説に於保牟和の和は知の誤にて、大貴(おおむち)にや ともいへり。不取。[眞野時綱曰]大神神社は大穴貴命。並に須佐之男尊少彦名命の三神を祭ること是。旧く伝聞所也ともいへり[正生考]集説に、和名にいへる美和郷是也としるされたれど、中島の郡の美和郷は花池の一むらのことにあらず。美和の親村は一の宮なるべし 一の宮村。宮の地花池村、杉田  今の妙興寺村  戸塚村、於保村、氏永村、国府輪村 などを惣あわせて三輪の郷と呼たるならむ 此外三輪川、三輪山、酒見神社も往昔は美和の曲輪としられたれど今は、神戸村に属たれば、そは酒見神社の條下にいふべし。
[附言]宮の地花池村を、集説に熱田荘と書れたるは不詳。また七月七日花池村より素麺及蓮華数茎とを熱田宮に献爲 といふ事。熱田旧記にも見へず。近年熱田宮祭記といへる絵巻物三冊あり。これに載たれど、祭記は集説本以後のものにて、證據とは爲がたし。」

 

津田翁にしてみると、「熱田神宮」関係の伝承は新しいんじゃないのか、ということのようですね。
神社の伝承については、古くから語り継がれてきたこと、中世以降でっち上げたこと(という言い方はちょっとフェアじゃないですかね)、いろいろとありますが、いずれにしろ事実の根拠とできるのかどうか、疑う必要はあるでしょう(昔から伝わっているから事実か、というとそうではないですから)。
個人的に、「大神神社」にしては、近くに山がないなぁ……と思ったり。
いえ、本家「大神神社」がああだからといって、神社近くに山が必要なのかっていうとそうではないですが、となると神体山としての三輪山って何だろう……ああでも、津田翁が「昔は美和郡も広かったし、三輪山、三輪川もあった」と言っておられるので、山はなくとも地名としての「三輪山」はあったのかもしれないですね。
いえ、近世の勧請ならともかく、古い時代であればこそ、本家に近い環境を再現しようとするものではなかろうか、と思いましたので。
ですので、ご祭神が「大物主神」ではない、という話も案外間違ってないのかな……とも思います。
そうすると今度は「大美和都禰命」って何者なのか……『先代旧事本紀』にも出てこないのですよねぇ……十世といったら「乎止与命」(かその前の「淡夜別命」)ですし……「乎止与命」の義兄弟ですかね……同時代の、この辺りの支配者か……この辺り、妄想がはかどりそうなんですが、うん、ちょっとやめときます(まとまってない)。

 

ふう……さて、もうちょっと一宮周辺をうろうろしてみますよ。