さて。
○前回まで===>>>
小刻みに更新しています。
文献の類を検索・引用していないので、スピーディーワンダー(?)です。
国会図書館デジタルコレクションの文献は、コピペできないのです……。
「微妙寺」から「観音堂」を目指します。
緑陰濃く。
いい天気、いい季節です。
春には桜が美しいのでしょうけれど、新緑もまた目に涼し、ですね。
ひっそりとお地蔵さんがあったり、「智証大師」のお言葉があったり。
観光地としての寺社のあり方、というのを考えさせられます。
ただ緑。
ちょっとピンボケですが、「象宝観音」だそうです。
『→奥院べんけいかね』。
そちらから歩いてきましたよ。
この辺りで道がカーブしているのですが、
「毘沙門堂は、正面一間、側面二間、一重、宝形造、檜皮葺の小建築で、極彩色を施した唐様式の建造物です。もとは、園城寺五別所の一つでもありました尾蔵寺の境内南勝坊にあったもので、明治四二年(一九〇九)に山内に移され、昭和三一年(一九五六)解体修理にともなって、保存管理の上から現在地に移されました。
建立についてのはっきりした資料はみあたりませんが、寺蔵の『元禄五寺社改帳』によれば、南勝坊の造立が元和二年(一六一六)とされています。組物・軒廻り・天井などの形式手法から、近世初頭の特徴をよく表しています。
昭和二七年(一九五二)三月に国の指定文化財となりました。」
「毘沙門堂」が朱塗り、というのは珍しい気がしますが、移築されてきていて由来はよくわかりません。
図録『不死鳥の寺 三井寺』には、「明治四二年に、三尾社の下にまず移築された」との記述もありました。
「三尾社」は、「三井寺」のすぐそばにある現在の「三尾神社」のことでしょう。
連写したみたいです。
いい風情ですね……。
ただ緑その2。
さて「観音堂」に向かおうか、と思うと、階段脇にもう一つお堂が。
案内もろくにないのですが、グーグルマップによると「十八明神社」っぽいのです。
「十八明神」……うーんなんだろう。
○こちら===>>>
と思ったら、↑こんなHPが。
「観音堂へ上る石段の脇に祀られる十八明神は、本来は伽藍を守護する神ですが、 一般には「ねずみの宮さん」と呼ばれ、人々に親しまれています。
白川院の時、当寺の頼豪阿闍梨という高僧に皇子降誕を祈誓するよう勅命が下りました。 まもなく祈祷の験あって皇子が誕生し、その賞として当寺念願の戒壇道場建立の勅許を得ました。
ところが、比叡山の横暴な強訴により勅許が取り消されてしまい、 これを怒った頼豪は、二十一日間の護摩をたき壇上に果ててしまいました。 その強念が八万四千のねずみとなって比叡山へ押し寄せ、堂塔や仏像経巻を喰い荒らしたと 「太平記」は伝えています。
この社は、この時のねずみの霊を祀っているために北の比叡山の方向を向いて建っているとも 伝えられています。」
なんと「らいごう」関係でしたか……ここに書かれていますが、後々引用を行うときに触れると思います。
「らいごう」「ねずみ」ときたら……そう、あれですね(?)。
この階段を上ると、「観音堂」です〜。
今回はここまで〜。