10/9。
「白峯神宮」を後にして、堀川通を下りまして、本日のメインイベント、「晴明神社」に到着〜。
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いやあ、感慨深いです。
昭和末期の生まれの私は、夢枕獏先生の『陰陽師』や、せがわまさき先生の『鬼斬り十蔵』、京極夏彦先生の<京極堂>シリーズなんかが流行る前から、「安倍晴明」公のことは知っていたわけで……とはいえ、その頃に読んでいた伝奇ものではあまり登場していませんでしたか……密教が強かったですね(強い?)。

「晴明神社由緒
御祭神
安倍晴明御霊神
沿革 安倍晴明公は孝元帝の御後胤で幼時より御聡明で陰陽の道を極められ長じて陰陽寮天文博士として朱雀、村上、冷泉、円融、花山、一条の六代の天皇に仕え幾多の御功績をたてられた 朝廷の祭政 生活の基範を陰陽の理を以て定められ今日の我々の年中行事 占法 等々に多くの影響を与えられている
一条帝の御代 寛弘二年(一〇〇五年)九月二十九日御年八十五にてお亡くなりになると 帝の御鎮霊の勅旨を以て晴明公邸趾に寛弘四年(一〇〇七年)に神社としてまつられ現在に至る
御神徳
晴明公は稲荷神の御分霊との信仰もあり 魔除 厄除 病気平癒又大除 方除の崇敬を集めている
晴明桔梗印
当神社御神紋 は桔梗印もしくは五芒星と呼ばれ 晴明公の創められた祈祷呪符の一で魔除の印である 天地五行(木・火・土・金・水)を象どり西洋諸国でも用いられる(以下略)」
さて御祭神、この書き方では「御霊」かと思ってしまいそうですが、「安倍晴明公」自身にあまり怨霊となる要素がなさそうなので、違う……と思っておきましょう。
「稲荷神」の御分霊は、例の信太のあれですね(どれ?)。


狛犬さん。

扁額に晴明桔梗だけ、というのもこちらの神社だけでしょう。

拝殿。

ご本人。

拝殿遠景。

「晴明井」……もコロナ対策で水は出ておらず。

玄武。

朱雀と白虎。

嘉永の頃の石鳥居でした。

……読めない。(※よく見たら「千利休」の屋敷跡って書いてありました)


狛犬さん2。

参拝の方が多かったので、写真を撮ろうとうろうろしていました。

狛犬さん3……あれ、こんな人いたっけ。

例の「一条戻橋」……の復元。

こちらが、その橋の下に住んでいたとされる「式神」。

……あれ、ここに「十二神将」みんないたの?

おっと、狛犬さん3。


こちら、現在の「一条戻橋」。
橋の由来自体は、「安倍晴明」公由来ではないのです。
その橋の下に、奥方があまりに怖がるものだから、「式神」を住まわせていたのです。
橋のチョイスが抜群ですね。

御朱印。
◯こちら===>>>
「晴明神社」 - べにーのGinger Booker Club
実はも何も、名古屋にも「晴明神社」があります。
10年前か……当時は御朱印いただけました(私はもらいそびれていますが)。
陰陽師が結構あちこちに住み着いていたようなのですよね。
さて。
◯こちら===>>>
京都市 編『京都名勝誌』,京都市,昭和3. 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2025-02-11)
↑を見てみます(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
p427です。
「晴明神社(略)
天文学者安倍晴明の霊と倉稲魂命を合祀す。一書に此地は晴明の宅址なるよし記述せり。嘉永年間火災に罹り記録を消失し社伝詳かならず。
(略)」
む〜……社伝が焼け落ちてしまっていると、何ともわかりませんが、陰陽師を祀った神社だとすると、地元でひっそり……な感じだったのか、当時の民間陰陽師なんかに信仰されていたのか(むしろ、信仰されないほうですよね……蘆屋道満のほうが信仰されていそう)。
◯こちら===>>>
大日本名所図会刊行会 編『大日本名所図会』第1輯第1編都名所図会,大日本名所図会刊行会,大正7-8. 国立国会図書館デジタルコレクション
大日本名所図会 第1輯第1編都名所図会 都名所図会. 上,下巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション
(参照 2025-02-11)
↑『都名所図会』も、記事的には多くないのですよね。
p18です。
同じページに、「一条戻橋」の記事がありまして、
「戻橋 は一條通堀川の上にあり。安倍晴明十二神将を此橋下に鎮め、事を行ふ時は喚んで是を使ふ。世の人吉凶を此橋にて占ふ時は、神将かならず人に託して告ぐるとなん。[源平盛衰記]に、中宮御産の時、二位殿一條堀川戻橋の東の爪に車を立てさせ、辻占を問ひ給ふとなん。又三善清行死する時、子の浄蔵父に逢はんため、熊野葛城を出でて入洛し、此橋を過ぐるに及んで、父の喪送に遇ふ。棺を止めて橋上に置き、肝胆を摧き、念珠を揉み、大小の神祇を祷り、遂に咒力陀羅尼の徳によつて、閻羅王界に徹し、父清行忽蘇生す。浄蔵涙を揮うて父を抱き、家に帰る。これより名づけて世人戻橋といふ。是洛陽の名橋なり。」
有名な話です。
橋、というのは境界を越えるものですから、それ自体に力がある、と考えられていたことでしょう。
あんまり神格化したりはしてないですが、橋神というのはいるもので……「橋姫」もその一種でしょう。
技術が発展して、橋をかけることが容易になっていくと、橋神も力を失っていく……これが難しいところで、橋がかけられないような川、かけても流されることの多い川、大井川なんかは江戸になっても渡し船や人足に担がれて渡っていた、ということは、そもそも橋がないので橋神も機能しないのですよね……何が難しいのか、書いていてもよくわかりませんが。
ともかく、今回の京都旅の目的は果たしたので、このまま南下して行こうと思います。