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晴れた〜。
さて、ゴールデンウィークですが、あまり遠出もできませんもので、日帰りで行けるところ行けるところ……そういえば「比叡山延暦寺」に行こうかな……なんて思っていましたが、御山に行く前に麓に行こう、ということで「三井寺」へ。
○こちら===>>>
早めに名古屋を発ち、9時前には到着。
カーナビに従って近くまで行ったのですが、まさか路面電車の軌道があろうとは……おかげで、どこでどう曲っていいのかさっぱりわからなくなり、しばらくうろうろしました。
で、お寺の駐車場じゃなく、その手前のコインパーキングになぜか駐車。
しばらく歩いて「仁王門」へ。
「園城寺」の石碑。
「仁王門」。
すっかり枯淡の味わい、ですね……。
お寺でいただいたパンフレットによれば、「宝徳四年(一四五二)の建立。浄域の表門として慶長六年(一六〇一)、徳川家康により甲賀の常楽寺より移築、寄進された。」そうです。
重文です。
うーん、広い。
そして、裏目的地が載ってない……あ、あった(スマートフォンの地図で確認しなければ)。
三井寺は正式には園城寺と称し、創建以来千三百年の歴史と数数の史実や伝説に満ちあふれた巨刹であり。平安時代には四箇大寺(東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺)の一つに数えられ、現在も山岳寺院として長等山山腹に広大な境内地を有している。
境内に散財する国宝や重文の建物をはじめ、諸堂宇の景観はさながら建築博物館の様を呈している。なかでも金堂(1599建立)は桃山建築の粋をこらし、桧皮葺の入母屋造りがすばらしい。また近江八景の一つ三井の晩鐘や、西国十四番の霊場である三井寺観音堂などもよく知られ、多くの参詣者で賑わっている。」
○こちら===>>>
「近江八景」は、↑だそうです。
琵琶湖を望むあちこちに、きっと景勝地があるんでしょうね……何しろかつては都があったくらいですから。
「仁王門」横で拝観料を払い、すぐ右手に現れるのが「釈迦堂」です。
「園城寺食堂(釈迦堂) 一棟
食堂は、桁行七間、梁間四間、一重、桧皮葺、入母屋造の建物で、もと御所の清涼殿であったという伝承があります。現在は釈迦如来がまつられ、釈迦堂の名称で親しまれています。
全体として簡素な建築で、後世の改造も多く、唐破風の向拝は江戸時代に付けられたものですが、内陣部分や須弥壇には古い手法が残されており、特に須弥壇には精巧な彫刻が施されています。
建築年代は室町時代初期と推定され、正面一間通りが開放となっているところや、扉口が両端の間のみにあるところは、かつての食堂の形式を伝えているものと考えられています。
明治四五年(一九一二)二月に国の重要文化財になりました。」
「秀吉により破却の後、清涼殿を移築したものとの伝えもあるが、室町時代に建立されたものであろう。「園城寺境内古図」には、大門を入ってすぐ右手に、食堂が描かれており、この堂も食堂として移建されたものであろうが、現在は清涼寺式釈迦如来像を本尊とする釈迦堂として信仰されている。」(p111)
とあります。
境内の広さを考えると、こんな端っこに食堂があると大変だな、などと妙なことを思ってしまいました。
あ、もちろんちゃんと中までお邪魔してお参りしました。
仏閣の中は写真撮影ができないので、実際どのようであったのかというのを思い出すのがもはや辛い年頃です……。
「釈迦堂」の手前に「辨財天社」があります。
「辨財天社(天和三年建立)
御本尊の辨財天は八臂像で鉾、剣、斧、銛、輪、索、弓矢を執り能弁及び学問、技芸の徳をそなえる女神である。
また、人をして無礙弁財を具足し福智を増益し延寿及び財宝を得しめる神として古くより崇拝されている。」
「御本尊」……うん、一応「御祭神」と書いていただいた方が……まあいっか。
島ですね、はい。
「釈迦堂」でいただける御朱印。
こんな感じでのんびりお伝えします〜。