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神社仏閣ラブ(弛め)

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その5)〜滋賀巡り(再)

さて。

 

○こちら===>>>

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その1)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その2)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その3)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

「日吉大社」(滋賀県大津市)(その4)〜滋賀巡り(再) - べにーのGinger Booker Club

 

↑前回までの記事です。
ここから、境内を出ていくわけです。

 

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というわけで、本家本場の山王鳥居。

うーん、美しい……。

紅葉の時期、やや曇りですが天気にも恵まれました。

有難や有難や。

 

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参道向かって右側の石灯籠。

結構な大きさ。

 

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やや離れて山王鳥居。

 

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こちら、参道向かって左側の石灯籠。

 

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「猿塚」。
「神猿」さんが神去られると、葬られるそうです。

 

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さらに離れて山王鳥居。

 

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もっと離れて山王鳥居(しつこい)。

 

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走井橋のそばにある、「走井祓殿社」。

御祭神は「祓戸大神」四柱です。

 

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……うん……これが大宮橋、のはずです(記憶力が)。

 

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こちらが走井橋、だったはずです。
橋よりも松が気になって……松なのか?

 

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大宮橋、別アングル。

 

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「大宮橋は、西本宮(大宮)へ向かう参道の大宮川にかかる花崗岩製の石造反橋ですが、木造橋の形式をそのまま用いています。
(略)
両側に格座間を彫り抜いた高欄をつけるなど、日吉三橋のうちでも最も手が込んでおり、豪壮雄大な構造の、代表的な石造桁橋です。
天正年間(一五七三〜九二)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは、寛文九年(一六六九)のことです。
大正六年(一九一七)八月、日吉三橋の一つとして国の指定文化財となりました。」

 

なるほど、最初に見た二宮橋と造りは似ているが、より豪華、ということですか。
ちゃんと写真に撮っておけば……。

 

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大宮橋から、山王鳥居。
ちょっと太陽が雲に隠れてしまいましたが、素敵なカーブ。

 

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そこからしばらく行きまして、「求法寺走井堂」というお寺があります。
案内板が二つあります。

 

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「求法寺走井元三大師堂(略)
求法寺は、延暦寺登山口の本坂脇に位置する。由緒には、第十八世天台座主慈恵大師良源大僧正(元三大師)が、初登山の時ここで入山修行の決意を固めたことから求法寺と称されたとある。
この建物は、元気二年(一五七一)に消失の後、正徳四年(一七一四)に上棟されたものである。平面は、元三大師を祀る正堂(内陣)前面に、参詣の場である礼堂(外陣)が接続し凸型になっている。正堂は間口三間、奥行き三間、屋根は入母屋造である。礼堂は間口五間、奥行き三間で、中央部の三間×一間を内陣に取り込み、屋根は入母屋造、正面に軒唐破風を付け、全体を杮葺とする。
走井元三大師堂は、建築年次が明確な江戸時代中期の建築である。礼堂は、内部を広くするため柱を省略し、虹梁、太瓶束にするなど、豪快な架構は近世の社寺建築のなかでも技術的に優れている。これは近くの西教寺本堂(重要文化財:一七三九年建立)にも共通する流派的特色で、棟梁中島次郎左衛門の技量のほどが良くうかがわれる。」

 

もう一つの案内は、

 

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「厄除け大師 おみくじ大師 求法寺走井堂

本尊 元三大師(慈恵大師良源大僧正)重要文化財
脇仏 如意輪観音、三十三所観音、不動明王ほか
由緒
当堂はもと第四世天台座主安恵和尚(八〇一〜八六四)の里坊として創建された。のち比叡山中興の祖である第十八世慈恵大師良源大僧正(九一二〜九八五)が、若き十二才のころ、比叡山への入山修行の決意を固められた浄域であるところから「求法寺」と名づけられた。また古来より波止土濃(橋殿)又は走井の地名に因んで本堂を「走井堂」と称している。本尊はご自作と伝える元三大師尊像(秘仏)であり、観音菩薩の化身としてその霊験は誠にあらたかである。

祈りなば 願ひも三つの橋殿や
寺の渡りぞ 弘誓なるらん」

 

となっています(下のほうは、「延暦寺」が建てたものっぽいです)。

 

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お寺の常として、簡単に内部を撮影するわけには参りませんので、特徴的な石灯籠を。

実は、お賽銭箱の向こう側に、書置きの御朱印があったのですが、お金を入れて勝手に持ち出していいものかわからなかったもので、次の機会にしよう、と思いました。

 

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こちらは「六角地蔵堂」。
日吉大社」の境内の外、になりますが。
……石柱の文字が今ひとつ読めません。

八角のお堂はよく見ますが、六角形は……あれ、結構あるのかな。

 

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「子育て地蔵 早尾地蔵尊(六角地蔵堂)
本尊は比叡山の開祖田兄弟誌最澄上人ご自作の石地蔵尊と伝え、坂本六地蔵淵源の地であります。
この地蔵尊は変じて真盛上人(西教寺開山)として現れ、入寂の後に再び地蔵尊に復されたという霊験あらたかな尊像であり、伝教大師が童子養育に心を注がれながら彫まれたので「子育て地蔵」とも呼ばれています。

伝教の彫みおかれし石地蔵 
姿を変えて出ずる真盛」

 

延暦寺」関係のお堂……うーん、まだ「比叡山延暦寺」には行っていないのですよね……「園城寺三井寺)」、「日吉大社」と行きましたので、2017年は「延暦寺」に行こうと思っていますが……いろいろと事情が許すのか……。

 

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こちらの階段を登りますと、

 

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「早尾神社」です。
修復中。
残念。

 

と、いうわけで「日吉大社」ぐるっと一周してみました。

文献引用等はまたの機会にしまして、次回は「日吉大社」から徒歩で10分ほどの「日吉東照宮」に向かいたいと思います〜。

 

 

あ、そうだ、御朱印帳の柄をご紹介。

 

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紅葉の季節が似合うのでしょうか。